第6話 週末の約束
「あの、姫乃さん?」
「なに?」
「林間学校の申込書持ってきたんだけど」
「よろしい、私が預かって、一緒に先生に提出しておくよ」
俺から申込書を手渡されて、姫乃は椅子の背もたれに体を預けて、ふんっと鼻を鳴らした。
林間学校に行くべしとのお願いというか、指示というかを受けて、2日ほど悩んでから母さんに相談した。
母さんは、「いいと思うわ、是非行ってらっしゃい」と、本音の俺の味方はしてくれず、あっさりとOKを出した。
それから自分の名前を記入して、今日の昼の休み時間に、姫乃に手渡したのだった。
「きゃ~、姫乃さんだって!」
姫乃の前に座る女の子が、目を輝かせながら、黄色い声を上げた。
真壁純菜は黒髪のツインテールが印象的で、身長も低く細身で、実年齢よりも若く見える。
多分、中学生だといっても、通用するのではと思ってしまう。
ロリ系といってしまったら、怒られるだろうか。
「姫乃が推しということなら、一緒に入ってもらって、問題ないだろう。よろしくな、陣君」
そう言いながら、姫乃の横から氷のような視線を送ってくるのは、茶髪で長髪の戸野倉葵。
女子空手部に所属していて、噂では黒帯の実力者らしい。
半袖のシャツやスカートから覗く手足は、女子としてはしっかりとした肉感で、頼もしい体格の持ち主だ。
どうやらこの二人には、俺が姫乃を推すことになったことは、伝わっているようだった。
夏休み最初にある林間学校は、この三人と一緒の班になるのだろう。
個性豊かな女子三人に男子一人、決してハーレム設定とはいいがたい構図に、気後れしてしまう。
「よろしくね、みんな」
「「りょーかい!」」
それから、木原と榎本が座る席の傍らに、コンビニ飯を携えて腰を落ち着けると、早速に木原が暗い顔で、
「なあ畑中、お前、林間学校行くのか?」
「ああ、一応な」
「あそこにいる女子と一緒にか?」
「……まあ、多分」
「「お前、いつの間に!」」
殺気をはらんだような熱い視線が、二人から俺に向けられる。
「しかもお前、姫乃さんって……」
「いつから、下の名前で呼ぶように?」
「まあなりゆきで、ちょっと前からな」
「「なんでだあ!?」」
学校以外では『姫乃』と呼ぶことになっているとは、口が裂けても言い難いだろうな。
「しかし、お前らが林間学校に興味があったとは、意外だな」
「興味なかったさ。しかし、この裏切者を見てるとな」
「そうそう」
「裏切者ってなんだよ。お前らも、申し込めばいいじゃん」
「……男二人でつるんでもなあ……」
二人とも、この世も終わりでも来たんじゃないかと思えるような、悲壮感たっぷりの落ち込みようだ。
「一応、二人とも、同じ班になれないかどうか、聞いてみるからさ……」
「「頼む!」」
二人にお願いされて、俺は姫乃のスマホに、こっそりとメッセージを送った。
確かに二人が来てくれれば、自分も男子一人状態が解消されるので、プレッシャーは減るのでありがたい。
『なあ、姫乃?』
『おす』
『ちょっと相談なんだけど』
『なに?』
『林間学校の班分け、男子二人入ったらまずい?』
『もしかして、木原と榎本?』
『うん』
『他の二人にも訊いてみてから、また連絡するね』
『感謝』
その日の夕方に姫乃から『OK』の返事が来た。
それを聞いた二人が、後日申込書を勇んで出したことは、言うまでもない。
その日の授業も無事に終わり、みんな帰り支度を始めたり、部活に向かう準備を始めている。
今日はバイトのシフトが入っているので、そそくさと教科書や参考書を鞄に放り込む。
「じゃあ陣君、帰るから」
「またねえ、陣君!」
「私、これから部活だから、じゃ」
「うん、また明日ね」
姫乃、真壁さん、それに戸野倉さんの三人と挨拶を交わして、背中を見守ってから、ゆるりと教室を後にして、バイト先へ向かった。
『洋食屋Tany』のドアを開けると、いつものように、おかみさんが柔らかく迎えてくれた。
「いらっしゃい、陣君。今日は一人なのね」
「はい」
急いで着替えを済ませてマスターにも挨拶をしてから、おかみさんに並んでカウンターに立った。
「この前の子とは、どうなの?」
「えっと、普通のクラスメイトですよ。なんでもありません」
「そうなのね。随分と仲良しに見えたけれど」
ビーフカレーが煮込まれてる鍋の火加減を見ながら、おかみさんが話を続ける。
「でも、女の子をつれてくる陣君の姿なんて久しぶりに見たから、ちょっと安心しちゃったわ」
「……俺、そんなに心配されてたんですか?」
「そりゃそうよ、あんなことがあったんだから。あの人も口には出さないけど、とっても気にしてたんだから」
「面目ありません。でも俺、今の生活結構気にいってるんで、大丈夫ですから」
「ならいいけど。でも、本当に綺麗な子だったわね。仲良くなれるといいわね」
「……はい」
清楚で大人し目に見える外見と、ぐいぐいくる中身にギャップがあるんですよと言いかけた時、ドアが開いてお客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ」と声を掛けてから、さあ仕事だと気合を入れて、厨房の方へと向かった。
十時過ぎでバイトを終えて家に向かう途中、スマホに着信が入っているのに気付いた。
姫乃からの連絡で、『おす、生きてる?』とあった。
バイト中はスマホを見ないので、2時間ほどは放置していたことになる。
『ごめん、今バイトの帰りなんだ』
と返すと、すぐに返事が。
『そっか、こっちこそごめん、忙しい時に』
『いや、大丈夫。こっちこそ、遅くなった』
『土曜日の打ち合わせをしようかと思ったんだけど、また今度がいいよね?』
『えっと、帰ってからの方が落ちつくから、十一時過ぎとかでよかったら話せるよ』
『分かった。じゃあ、待ってるから』
夜になってもなかなか気温が下がらず蒸し暑い中を、足早に移動して電車に乗り、家路を急いだ。
暗がりの中に立つ、少しくすんだ白色のマンションの一室のドアを開け、
「ただいまあ」
玄関で靴を脱ぐと、母さんがぱたぱたとやって来て、出迎えてくれた。
「おかえり。お風呂湧いてるけど、先入る?」
「いや、ちょっと用事があるから、母さん先入ってよ」
ひとまず自分の部屋に直行して、姫乃に『今帰ったよ』と連絡をいれた。
すると、程なくして返信があって。
『バイト、お疲れ』
『ありがとう、遅くなってごめん』
『土曜日、渋谷にでも行こうかと思うんだけど?』
『ああ、いいんじゃない』
『陣は、T駅が最寄りだっけ?』
『うん、そうだけど』
『じゃあそっちの方が渋谷に近いから、そこの改札の中で待ってるわ』
『直接渋谷に行って、そこで待ち合わせでもいいんじゃない?』
『ねえ、推しの顔が早く見たいとか、思わないの?』
『T駅でいいです』
そんな感じでひとまず、待ち合わせ場所と時間を決めて、
『林間学校の件、ありがとう』
『どういたしまして。二人とも、大勢の方が面白いかもって言ってたし』
『こっちの二人も喜んでたよ』
『こっちも、これで荷物持ち担当が三人になったって、喜んでたよ』
『はは、そうなんだ……』
『うそ』
『おい』
『でも、楽しみになったよ』
『うん、そうだね』
結局、土曜日の約束の話しはわずか数行で終わり、その後はほとんど、最近見た映画やアニメのことだとか、もうじき夏休みだねとか、学校の先生の悪口だとか、そんな話を送りあって、おやすみを送った頃には十二時を超えていたのだった。
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