第7話 映画館にて
その週末の土曜日は、澄んだ青空だった。
もう夏が本格化したのかと見紛うような、白くて大きな雲が、自宅のリビングの窓に映っていた。
姫乃との約束の時間に遅れないように、その日は少し早起きをした。
一応朝からシャワーを浴びて、髪をざっと乾かしてから、どの服を着て行こうかと悩んでみる。
―― デートっぽいよな、一応?
最近あまり服は買ってないけども、昔からちょっと肉がついた程度だから、多分どれも大丈夫だろう。
元々着る物には無頓着なので、それ程種類がある訳ではない。
去年の夏から着ていない、ちょっと値が張った記憶のある服をチョイスして、袖を通した。
ずっと置きっぱなしだったので、少し皺になっているけども、まあ気づく人間はいないだろう。
「じゃあ、行ってくる。夜はバイトもあるから、帰りはちょっと遅いから」
「あら、朝ごはんは食べないの?」
キッチンのテーブルに座ってコーヒーカップに口を付けていた母さんが、何やら目を輝かせている。
「うん、時間がないから、いいや」
「お洒落しちゃって。もしかして、デート?」
「いや、そういうのじゃないけど……」
「相手は女の子なのね?」
「……行ってくる」
何だか全てを見通されたようで気恥しくなりながら、足早に玄関を後にした。
最寄りの駅の開札をくぐって、約束の時間の十分ほど前から、きょろきょろを周りを見回した。
すると、ホームへ向かう方角から人が流れてきて、その中に見知った顔があった。
いつもとは、少し雰囲気が違うけれども。
「よ、おまたせ」
制服姿以外の姫乃を直に見るのは始めてだ。
丸首で胸元がゆったりとした白シャツに、素足が綺麗に見えるデニムパンツ姿で、肩から小さめの鞄を掛けている。
学校では普段しないお化粧をしているのか、目元がいつもよりくっきりしていて、口元も艶やかだ。
オーディションの時と比べても引けをとらないような、可愛らしさと艶っぽさを感じて、心臓がちょっと喜んでいる。
「……なに、どした?」
「いや、別に……」
思わず見入ってしまった俺に、姫乃は小首を傾けた。
「じゃあ行くよ、映画」
「それ、何見るんだっけ?」
「えっと、アニメよ」
「それもしかして、『転生聖女のお騒がせ日記』?」
「そう、それよ!」
この時期公開のアニメというとそれしか思いつかなったけれど、当たりのようだ。
自分でもチェックはしていたけど、一人で見に行くのもどうかと思ったし、木原や榎本に声をかけて男同士ってのも、何かしまらない気がしていて。
プラットフォームで電車を待っていると、スマホをチェックしていた姫乃が、
「ごめん、陣。昼からちょっとだけ、予定はいっちゃった」
「ああ、別にいいよ。姫乃に合わせるから」
「ごめんね、普段はあんまり会えない子なんだ」
「なんなら映画終わったら、俺帰るし」
「だめ」
「はい……」
それからしきりにスマホをいじっていて、どうやらその子とやり取りしているようだった。
電車に乗って、駅の通路を抜けて、たくさんの人が入り混じる歩道を歩いていく。
普段普通にしていることと変わらないけれど、すぐ横に姫乃がいると、なぜだか全然違う世界を歩いているように思えてくる。
他愛のない会話の合間に流れてくる景色が、少しく色づいて見えるのだ。
単なる移動時間なのだけれど、ずっとそのままでもいいような、そんな感覚。
映画館に着いてチケットを買おうとすると、
「映画は、私の奢りだから」
「え、なんで? 悪いよそんなの」
「この前の御礼もあるからさ」
「……洋食屋のこと?」
「うん。それに今日は、私のお願いでつきあってもらってるし」
「気にしないでよ、そんなの。あれは俺が勝手につれて行っただけだし。それにこの映画、俺も見たかったやつだからさ。わざわざ一人で行くのもどうかなって思ってたから、結構嬉しいんだ」
「そうなの? ならよかったけど」
「だからお金は……」
「いいから!」
きっとした目線を向けてそう言い切られて、それ以上は何も言えなくなった。
じゃあそこはお言葉に甘えて、他で埋め合わせしよう。
「はい…… じゃあ俺、ジュースとポップコーンでも買っておくよ」
「お、気が利くねえ。じゃ、よろしく!」
売店で買い物を済ませて、入場開始時間まで少し時間を潰してから、いくつかあるシアターの中の1つへと向かった。
テレビ放映もされていて結構な話題作なだけあって、館内はかなりの席が埋まっていた。
既に座っている若者や家族づれに頭を下げながら、狭い通路を通り抜けて、指定席に腰を下した。
前面いっぱいに広がるスクリーンに流れる予告編の中に、いくつか気になるものがあった。
「私、あれも見たいのよ」
「お、『機甲兵団と光速の女神』だね?」
「うん。まだ見たことないけど、ちょっと気になっちゃってて」
それはテレビでも長期に渡って放映されたSFファンタジーアニメで、シビアなストーリー展開の中に胸キュンの恋愛の要素もあって、若者層を中心に絶大な人気を誇っている。
「あれは面白いよ。俺テレビとネット配信で二回見たけど、続編が映画になるんだね」
「そっか。やっぱり、前の話しは見てた方が、面白いよね?」
「そりゃそうだと思うよ、うん。おススメだよ、これ」
「……分かった」
そうこうしていると、本編の上映が始まり、シアター全体に、花が咲くような美しい旋律がこだました。
異世界に転生して聖女になった主人公を中心としたコメディタッチのラブストーリーだが、映画版新作ということで新登場のキャラもいて、前評判通り楽しさと切なさが満載だ。
途中、姫乃の様子が気になって横目を向けてみると、ポップコーンを口に運びながら、真剣な表情で銀幕の方に見入っていた。
俺自身も物語に引き込まれていって――
エンディングロールが流れ終わって、館内が明るくなった。
「え……どうしたのよ、陣?」
すぐ横に座る姫乃が、大きな瞳をさらに見開いて、俺の顔を覗き込んだ。
気付くと俺は、涙を流していたのだった。
「ごめん…… 最後、よかったなあって。だって、あれだけ苦労してやっと結ばれたんだからさ。なんか、いいなあって思って……」
だめだ、最近、本当に涙もろい。
つい、主人公に感情移入してしまって、家でもたまに、こんなことになるのだけれど。
「もう…… 確かにいいお話だったけどさ、涙拭きなよ。みんな見てるよ」
姫乃はそんな俺を責めることなく、優し気に微笑み掛けて、薄い桃色のハンカチを手渡してくれた。
「ごめん、洗って返すからさ」
「いいわよそんなの。全く、どれだけ涙もろいのよ、あなた」
「ごめんよ、みっともないな、俺」
「……ま、そんなとこ、嫌いじゃないけどさ」
推しとして姫乃を支えないといけないのに、逆に励まされてしまった。
面目ない思いを抱えながらも、そのあとも陽気に話し掛けてくれる彼女に、なんだか救われたような気がした。
「じゃ、次はお昼ご飯だよね!?」
姫乃の言葉に背中を押されながら、俺たちは映画館を後にした。
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