第8話 土曜の昼下がり
「お昼、何にしよっか?」
「何でも。俺、食べられない物無いから」
和洋中他、特に好き嫌いはない。
強いてあげれば、油が強すぎる肉が苦手だ。
ほどよいしもふりのお肉やカルビ焼肉なんかは好物だけれど、それを越してしまうと、たまに受けつけないのだ。
「そーだなあ。洋食はこの前食べたから、和食か中華にしようか?」
「うん、それでいいよ」
姫乃がスマホで検索して、「ここってどう?」って訊いてきたのは、その場から歩いて十分ほどの中華屋さんだった。
町中華風のお店で、グルメサイトの評価は4つ星、色彩豊かな料理の写真が食欲をそそる。
お目当ての店舗に向かうと長い列ができていて、暫くは入れそうになかった。
「時間、かかりそうだね。ちょっと待ってね」
そう言って姫乃は、スマホを操作している。
多分、このあと会う相手との、時間調整とかだろう。
軽い会話を交わしながら一時間ほど過ごしていると,「どうぞ中へ」と、中年のおばさんに声を掛けられ、それほど広くない店内のカウンター席へと案内された。
フロアにはそのおばさんがいて、カウンターの向こう側では、白いシェフ装束のお兄さ方が、鍋を振るい、出来上がった料理を持ち運んでいた。
「私、小籠包定食にしようかな」
ひとしきりメニューを眺めてから、姫乃が口にした。
「じゃあ俺、麻婆豆腐定食に、回鍋肉にしようかな」
「お。結構がっつりいくのね、陣?」
「うん。どっちも美味そうだからさ」
「確かに。ちょっと分けてよ」
「もちろん」
にこやかにほほ笑むおばさんにオーダーを伝えると、あまり時間がかからず、料理と取り皿が順番に運ばれてきた。
どれも美味しそうで、温かな煙と甘辛い香が漂って、食慾を掻き立てる。
「熱ちっ!!」
「小籠包のお汁は熱いわよ。そんなことのも知らないの?」
姫乃が餃子を頬張りながら、小籠包を丸ごと口に入れた俺に、クスリと笑い掛けた。
それは知ってはいたけれど、自分の猫舌具合が、それを上回っていたのだ。
「ごめん。俺、超猫舌なんだよ」
「猫舌で、お店のバイトってそれで大丈夫なの?」
「うん、そこは問題なく。いつも水は片手にだけどね。揚げたてのやつの味見した後とか」
「なによ、それ?」
軽く笑みを浮かべる姫乃の前で、ぐっと水を口に含んだ。
お互いに注文した料理をシェアしながら、濃密な味に舌鼓を打つ。
ゆっくりと味わいたいけれど、後ろにもずらっとお客が控えているので、急ぎ気味でかっこんだ。
程よい辛さもあって額にじんわりと汗を滲ませながら、勘定を払って店を出た。
「美味しかったけど、ちょっと落ち着かなかったね」
「うん。もうちょっと静かな時に来て、今度はエビチリ食いたいな」
「あ、分かる! あと、杏仁豆腐ね!」
「それか、マンゴープリンとかね!」
店の込み具合以外は十分満足しながら、通りを並んで歩いて、
「次、友達と会うからさ」
「分かった。じゃあ俺どっかで、時間潰してるよ」
「なに言ってんの。あなたも来るのよ」
「えっ、俺も!? 相手は誰なんだよ、それ?」
「……まあ、来れば分かるからさ」
そう言われて、待ち合わせ場所らしい、お洒落な喫茶店に入った。
外から一見すると、ブティックか画廊のような店構えだったが、中に入るとショーケースがあって、その中は宝石箱のように、色彩豊かに輝くスウィーツが置かれていた。
「わー、綺麗。どれにしようかなあ?」
姫乃は、まるで子供のようなはしゃぎようだ。
「陣はどれにするの?」
「……どれも美味しそうだから、選びにくいな」
「もう。じゃあ、私が頼んじゃうよ?」
「うん、それでよろしく」
姫乃のチョイスで、季節のフルーツがいっぱい乗ったタルトと、チョコムースのケーキとコーヒーを頼んで、テーブル席に並んで座った。
向かいの席は、これから会う友達のために空けてある。
しばらくすると、注文したスウィーツと、芳醇な香りを醸すコーヒーカップが二つ運ばれてきた。
「いただきま~す。分け合いっ子ね、陣」
そう言いながらタルトをぱくつく姫乃が可愛くて、ブラックのコーヒーを口にしながら、頬を緩めていた。
まだ話をしだしてから浅いけれど、推しとしての姫乃と、それ以外の普通の彼女とで、違いに戸惑っていた。
オーディションで見た姫乃は神々しく、まるで女神様のようだった。
ソロで放った歌声は草原の風のように澄み渡り、ずっと耳の奥に残っている。
笑顔を振りまく踊りには、歳相応以上の妖艶さがあり、ミニスカートから覗く白い脚に、目を奪われずにはいられなかった。
間違いなく彼女は、その場にふさわしかったのだろうと思う。
そんな彼女は今、俺の目の前で、呑気ににスウィーツを堪能している。
本当に、普通の女の子。
どっちもいいな、と思った。
今日はなんで俺が呼ばれたのかは分からないけれど、来て良かったと思う。
少しくせはあるけれど、幼子のような笑み浮かべながら、ころころと表情を変えてくれる。
お互いにアニメ好きなのも分かったし。
スマホの中や普段学校では分からない彼女に触れられた気がして。
スウィーツの甘さとコーヒーの苦みよりも、彼女の笑顔をちらちらと堪能していると、ガラス戸を押し開けて、一人の少女が店内に入ってきた。
「よう、姫乃!」
「おう、京香」
その子が入って来た瞬間、店内の視線がそこに集中した。
長い黒髪を靡かせて、姫乃に劣らない流麗な容姿で、見る者を一瞬で虜にしてしまうような飾りっけの無い笑顔で、俺たちの方へ近づいてくる。
薄いピンク色のミニスカートから覗く美脚が眩しい。
「私、どうしようかな…… チーズケーキと、アールグレイのアイスで」
店員さんにそう告げて、彼女は俺たちの前に腰を落ち着けた。
「ごめんね、今日は急に」
「いや、いいよ。こっちも、街ブラしてただけだし」
姫乃の前に座った彼女は、片手で黒髪をかき上げながら、瑠璃色の瞳をこちらに向けた。
「……こちらの方は?」
「陣、自己紹介」
姫乃にそう言われて、
「あの、畑中陣、姫乃のクラスメイトでして」
そう、最低限の自己紹介だけすると、
「はじめまして、私、設楽京香っていうの」
その名前には聞き覚えがあった。
「設楽さん? あれ、どっかで聞いたことが……」
「この前のオーディションで、三位だった子よ」
姫乃にそう言われて、思い出した。
確か最終合格者として名前を呼ばれて、他のメンバーと一緒に抱き合っていた。
唄も踊りも卓越していて、ずっと上位をひた走って、そのままゴールに駆け込んだ感じだった。
流石に存在感が、半端ではない。
そこにいるだけで、周りの空気を華やかに塗り替えてしまうような。
圧倒されてしまって、俺からはそれ以上何も言い出せず、二人の間で視線を泳がせた。
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