第33話 来訪者
「そういえば、麗のやつ怒ってたよ。二股掛けられて捨てられた元カレが、最近になって連絡してきたって」
「はは、何それ? 今更って感じだよね、うける~!」
こんな話俺が聞いてていいのかよといったネタも混ざりながら、話は盛り上がる。
ひとしきりそんな感じでも、彼女らは話し足りないようだ。
満足感いっぱいでレストランを出て、
「ごめん陣、私達、夢菜の家に寄ってくからさ」
「うん。じゃあ、先に帰ってるよ」
「畑中君、ありがとう、楽しかった!」
「畑中君、またねえ」
女子三人は、これから片野坂さんの家に行って、続きをやるのだという。
みんなと挨拶を交わしてから、一人で家に向かう。
最寄り駅から歩いてもうじき家に着く場所になってから、スマホに着信が入った。
『ごめん陣、今すぐここに来て』
それは姫乃からで、すぐ来いというメッセージの下に、住所が書かれていた。
『いいけど、ここどこだ?』
『夢菜の家。ちょっと今大変で』
よく分からないけれど、こんな呼び出しは緊急なのだろう。
そう直感して。
電車を待っている時間がもったいないので、駅からタクシーを捕まえて、言われた場所へと急いだ。
そこは普通のマンションで、その中に指定された部屋があった。
もう夜も遅いし、恐る恐る呼び鈴を押すと、ドアががちゃりと開いた。
俺の顔を見て、片野坂さんは驚いたようだった。
「え……畑中君?」
「ごめん、姫乃に、ここに来るように言われたんだけど」
そう言いながら、姫乃から届いたメッセージを見せた。
「そう…… 分かった、入って」
片野坂さんに許しをもらって、後ろについて中に入ると、よく片付いた女の子らしい部屋の中に、姫乃と真壁さん、それと見るからに不機嫌そうな見知らぬ若い男の人が座っていた。
もしかして、これ――
「あの、この人、私のカレ……」
やっぱり、そうか……
そう紹介された彼は、不審者を見るような眼差しを俺にぶつけてくる。
「夢菜、なんだこの人は?」
「ごめんなさい、私が呼んだの。迎えに来てもらおうかと思って」
姫乃が即座に、そう応じた。
「ごめん、陣。ちょっとここ座って」
姫乃が自分の隣の床をぽんぽんと叩くので、言われた通りそこに腰を下した。
「どういう事だよ、これ! こんなんじゃあ、落ち着いて話せないじゃないか!!」
「大きな声出さないでよ、夜も遅いんだし。それに、私のために、みんないてくれてるんだから」
「俺はお前と話がしたくて、ずっと待っていたんだぞ。何度連絡しても、返事が返ってこないし!」
「だから、ずっと忙しかったんだって、言ってるじゃない……」
片野坂さんは困惑して、疲れたような表情だ。
何となく、俺が呼ばれた理由が、理解できた。
多分、姫乃達がこの家を訪れてから、この人がやって来た。
もしかすると、この家の近くで、ずっと待っていたのかもしれない。
なかなか話が噛み合わない中、女子だけだと不安だと思って、姫乃が俺を呼び戻したのだろう。
しばらく話を聞いていても、痴話げんかのような会話は一向に進まず、会いたい、会えないのくり返し。
そのうち、男の人のテンションがだんだんと上がってきて。
「お前、誰のお陰でデビューできたと思ってんだ、ああ!?」
「そんなの…… 感謝はしてるけど……」
まずいなと思った。
だんだんと片野坂さんが委縮してきているし、それに何より、姫乃にこんな話は聞かせたくない。
せいいっぱい頑張った結果が、この人によって左右された、そんな風には、微塵も思って欲しくないのだ。
正々堂々と、自分の持っているものをファンの前でアピールして、その結果今がある。
ファンや推しの側の努力が大事なことも事実だけれど、でもそれはあくまで、彼女達の真摯な努力とひたむきさがあってのことだ。
だから俺は姫乃推しになったのだ。
片野坂さんのことが好きなのも分かるけれど、それを自分だけのお陰だというようなことは、言って欲しくないし、彼自身を貶めることにもなるのではないだろうか。
「なあ、あんた」
「あん?」
「ちょっと、外で話さないか?」
「ああ? なんで、見ず知らずのお前と、喋んなきゃなんないんだよ?」
「そんなに怒るなよ。女の子達、怖がっているじゃないか。それに俺は、ある意味であんたと一緒だ」
「……どういうことだ?」
「まあそれも、ここでは話し辛い。だから、ちょっと場所を変えないか? なんだかあんたとは、話が合いそうな気もするし」
男は胡乱な目線を俺に投げて逡巡しているようだったが、やがて口を開いた。
「まあ、いいさ。話くらいは聞いてやる。その後で、また戻ってくるからな」
それから俺とその男は、近くの24時間営業のレストランに入った。
コーヒーと軽食を注文してから、
「それで、なんの話だよ?」
「俺は、あんたが羨ましい」
「は?」
「羨ましんだよ。俺にも推しがいるんだけども、その子は残念ながらだめだった。あんたの推しは、ちゃんとデビューできたんだろ? 凄いことじゃないか」
「もしかしてその推しって……」
「ああ、あそこにいた姫乃だよ。学校で同じクラスだけれども、俺はなんにもしてやれなかった」
「一条姫乃……だよな? 確か、12位だったか?」
「ああ、そうだよ」
コーヒーが運ばれてきて、ここでひと息を入れて。
「なあ、俺たちの投票で、彼女たちの運命が決まったってのは、その通りだろう。だから、あんたが言ってることは、間違っちゃいない。けれど、それって、なんのためにやるんだ?」
「それは……」
「彼女達を応援するためだろう? それであんたは、これからも推しの子を応援していけるんだ。それって、俺達が願ってたことなんだろ?」
「それはそうだ、確かに」
「ならこれからも、そうあり続けるのが、彼女達のためになるんじゃないのか? 俺達は応援して彼女達から元気をもらっている。そんな彼女達を傷つけるようなこと、していいわけはないだろ?」
男は少し落ち着いてきたようで、声のトーンを落として話を続ける。
「でも、俺達はなあ、もっと前から付き合っていて……」
「そんな彼女と会えなくなるのは、寂しいよなあ。けど、それも含めての応援なんじゃないのか? それに、ずっと会えなくなるわけじゃないだろ?」
「それはそうかもしれないが…… え、お前、泣いているのか?」
つい不覚にも、涙を滲ませてしまった。
オーディション会場での姫乃の姿がフラッシュバックしてきて、俺の胸を突いたのだ。
「うう…… すまない。おれはあんたが羨ましいし、悔しいよ。何にもできなかったしなあ、俺……」
「なあ、もしお前の推しが合格していたら、お前は彼女と会えなくなるんだぞ? 平気なのか?」
「平気じゃないさ。でも、俺は、彼女の推しになるって決めたんだ。だから、彼女のためになることだったら、何でもするさ。もし俺のことが邪魔なら、身を引くしかないだろ? そういうものだと思うんだよ、俺達って。でも、ずっと陰から推しを支えて、活躍を願っていくんだ」
「……」
かなりの長い時間沈黙が流れた。
その間彼は、一人で何かをぶつぶつ言いながら、考えているようだった。
急に、見ず知らずの人間の前で泣いてしまい、変に思われたことだろう。
「お前、名前は?」
「畑中陣」
「そうか。おれは野本浩平っていうんだ」
「野本さん、多分、俺よりも年上だよね?」
「俺は高三だ。年下に説教されるようじゃ、しょうがないな」
「いや、説教なんて、そんな……」
「一旦戻って、ちょっとだけ話をするか」
そう穏やかに口にして、野本さんは席を立った。
既に日付は変わっている。
野本さんが片野坂さんの家のインターホンを押すと、彼女は不安げな顔を、ドアの隙間から覗かせた。
「夢菜、ちょっとだけ中に入れてくれるか? すぐに帰るから。できたら、二人だけで話したいんだが……」
「じゃあ、私が外に出るよ。それでいい?」
「ああ、それでもいいよ」
「畑中君、中に入っててくれる?」
「……うん、分かった」
部屋の中に入ると、姫乃と真壁さんが、やはり心配そうな目で俺を見上げた。
「ただいま」
「お帰りなさい。ねえ、なに喋ってきたの?」
「えっと、ちょっと話し辛いな。まあ、男同士の話しだよ」
「ごめんね、急にこんなことになって」
「いや、いいよ。家に帰っても、どうせ寝るだけだったし」
「なんか畑中君って、本当に姫乃が推しって感じだね」
「え、そお?」
「推しっていうかさ、ねえ、姫乃?」
「え? 何が言いたいのよ、それ?」
「ふふん。別に~」
三人で眠い目をこすりながらぼーっとしていると、ドアの方から音がして、片野坂さんが帰ってきた。
「夢菜、どうだった?」
「うん……」
片野坂さんは、静かに床の上に膝をついて、
「しばらく会わなくていい、連絡もしないって……だけど、たまには連絡してこいよって」
「そか……」
「まあ、だったら、良かったんじゃない?」
「ねえ、畑中君、彼と何を話したの?」
「別に、普通の話しだよ。お互い、推しを応援していこうなって」
「それだけなの?」
「ああ、それだけ」
「いいなあ、二人とも。そんなに推してくれる子が傍にいてさ」
設楽さんが目を細めて、羨ましそうに呟いた。
それからタクシーを一台呼んで、設楽さんの家の前に寄ってから、姫乃の家に向かった。
「ありがとうね、陣。夢菜も、何だかすっきりしたみたい」
「いいや。お役に立ったのなら、良かったよ」
「……正直、私も、ちょっと怖くて……」
「多分、急に訪ねて来たんだろ? 無理もないよ。でも、話してみると、悪い人じゃあなさそうだったよ。片野坂さんのことは本当に好きみたい。だから、分かってくれたんだ」
正直、俺もどうなるかと思ったけれど、野本さんが意外に素直な人で助かった。
片野坂さんを想う気持ちは、きっと本物なのだろう。
「ねえ、ちょっと疲れたから、寝てていい?」
「いいよ。着いたら起こすから」
緊張して疲れていたのか、姫乃は俺の横で、頭を俺の肩に預けて、寝息を立て始めた。
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