第22話 旧観
サッカー観戦から一夜が明けて日曜日、エアコンのタイマーが切れて、うだるような暑さの中で目が覚めた。
起きて居間の方に移動してエアコンをかけ、シャワーを浴びる。
休日で朝寝をしているのか、母さんはまだ起きてこない。
朝食のトーストを焼きながらスマホを手に取ると、グループチャットにメッセージが入っていた。
『(真壁)今日はありがとー、楽しかった。またどっか行こうね♡』
『(戸野倉)おつかれっした。またね』
『(一条)みんなお疲れ。陣、今日はありがとね』
昨夜は姫乃と夜遅くまでファミレスで喋ってから、家に帰ってそのまま寝落ちしていたので、俺だけが参加できていない。
とりあえず、『みんなありがとう、またね』とだけ、返信をした。
姫乃が俺の中学時代のことを気にしていたので、倉本さんが同じ学校の先輩で、同じ東京アークナイツの下部組織、U15のチームにいたこと、いくつかの大会に出て優勝もしたことがあること、去年の今頃は麗華と付き合っていたことなどを、軽く喋った。
そのうちに逆に、姫乃の方はどうだったのだろうと気になった。
事故の後、本当に大丈夫だったのか。
今もその時のトラウマがあるのか。
けれど、何だか訊くのが怖い気もして、結局訊かず仕舞だった。
今日はこれから、その麗華と、会う約束をしている。
約束の時間までまだあるので、撮り溜めしていた深夜の番組を選んで、テレビ画面に流した。
異世界転生もののアニメで、主人公がチートスキルを駆使して、密かに想いを寄せる王女様を助ける物語。
そう言えば、純菜もアニメ好きだって、姫乃が言ってたな。
どんなものが好きなのか、また今度訊いてみよう。
トーストを口に入れながら一話見終わったところで、母さんが起き出してきた。
「あら陣、早いのね」
「おはよう。今日も用事があってね」
「そう。もしかして、姫乃ちゃん?」
「いや、今日はまた、別の用事でね」
「あら、そう」
母さんは冷蔵庫からジュースのパックを取り出してグラスに注ぎながら、
「今日も遅いの?」
「いや、今日は昨日ほど遅くはならないと思うよ」
「分かった。じゃあ、夕飯は二人分作っておくから」
「うん、頼むよ」
それからもう一話を見終えて、部屋に戻って身支度を整え、「じゃあ行ってくる」と母さんに挨拶をしてから、待ち合わせ場所へと向かった。
今日も夏の日差しが暑い。
その場所に着いて見回して、まだ彼女はいないようだった。
流れていく人達を眺めながら待っていると、俺を呼ぶ声がした。
「陣!」
「お、麗華」
「おはよう。ごめん、待たせちゃったね?」
「大丈夫。まだ、約束の時間前だ」
目の前に現れた麗華は、上下白色を基調とした装いで、ノースリーブの肩や膝上のスカートから覗く素足が、透き通るようで眩しい。
夏風に煽られて、長い黒髪が、微かに揺れている。
ご飯でも食べながら話そうかとのことだったので、このままランチに突入してもいい時間だ。
「どうする? どっか店に入るか?」
「そうね。そうしましょうか」
落ち着いて話せそうな場所がよいので、ちょっと背伸びをした洋風レストランを見つけて、
「ここにしない? 雰囲気良さそうだし」
「ああ、問題ないよ」
店員さんに通された席に向き合って座り、麗華がいくつかのディッシュを注文した。
「相変わらず、こういうところが似合わないわね」
「ほっといてくれ。おれはもっと庶民派なんだ」
麗華は口の端を上げながら、
「ちょっと太ったね」
「久々に会って、言うことそれかよ。でも、お前はあんま変わらないな」
「それ、褒め言葉と思っていいの?」
「まあ、どうとでもとってくれ」
「あら、優しくないんだ」
彼女は少し伏し目がちになりながら、
「ねえ、私のこと、怒ってる?」
「……なぜだ?」
「この前、いきなりあんなこと言ったから」
洋食屋Tanyで姫野と一緒にいた時にいきなり現れて、またやり直さないか訊いてきたことを言っているのだろう。
「怒ったというより、驚いたよ。いきなりあんな冗談を言ってくるからさ」
「……冗談であんなこと、言わないわよ」
俺の言葉に、目の色を曇らせながら、
「私は本気よ。すぐに分かってくれとは言わないけど、でもあなたさえ良かったら」
そう言ってまっすぐに見つめ返す瞳に、嘘や冗談は感じない。
「そっか。でも、何で今頃って、正直思ってしまうよ」
「私はずっと、陣のことを想ってたからさ……」
いきなり核心に近い会話になってしまって、どう応えてよいか、頭がついてこない。
なら何故あの時、そっちからサヨナラを切り出したんだと訝しくは思ってしまう。
とはいえ、今更細々と追及する気も起きない。
店員さんがサラダやスープを運んできて、二人の間に置いた。
「食べよっか?」
「うん」
麗華は、昔と変わっていない。
多少大人っぽくはなったものの、髪型、話し方、服装のセンス、そして何よりその美貌。
彼女の方から告白を受けた時には、訳も分からず舞い上がってOKしてから、なんでだと自問自答した。
その後に分かったことだが、彼女は東京アークナイツのU15チームの練習場にも何度か足を運んで、俺のことを見ていたようだった。
そこで惚れてくれたのかもしれないけれど、残念ながら今の俺は、その見る影もない。
肉料理に魚料理、綺麗に彩られた皿がいくつか並び、テーブルの上が華やかになった。
「大人になったら、これにワインなんかがあったら、最高なんだろうな」
「そうね。そんな時間、是非過ごしてみたいわ。あなたと一緒に」
「お前なら、もっといい男、見つかると思うぞ?」
「……もう、優しくないなあ、ほんと。昔から、そんなとこはあったけど」
雑談しながらほぼ食べ終えてから、不意に彼女が俺の方を向き直って、
「ねえ、陣。この後って、空いてるわよね?」
「ああ、一応」
「じゃあ、映画でも行かない? あなたが好きそうなアニメがあるのよ」
「もしかして、『転生聖女のお騒がせ日記』か?」
「さすがに、知ってるかな?」
「すまん。それもう見たからな」
「そうなんだ。じゃあさ……」
麗華は前のめりになってこちらに大きな瞳を向けて、
「私の行きたいとこに、付き合ってくれない?」
「なんだ、それ?」
「プラネタリウムよ。一緒に行こうって言いながら、行けなかったやつ」
そう言えば、一年前に麗華と付き合っていたとき、そんな会話をした覚えがある。
確か、星とか神話とかが好きだとか、そんな話の流れで。
結局それは実現しないまま、俺がフラれて終わったのだったけども。
「いいけど、俺と一緒でいいのかよ?」
「そんな悲しい言い方しないでよ。陣と一緒だから、行きたいんじゃない」
話しながら、一年前の甘酸っぱい記憶が掘り起こされる。
一緒に過ごした時間はたった三か月と儚なかったし、その間はちょっと手を繋いだ以上には何もなかったけれど、間違いなく俺たちは恋人同士だったのだ。
「まあ、お前が行きたいんだったら、付き合うよ」
「ありがとう」
そう言いながら麗華は、控えめだけれども人目を惹きつけてやまないような、澄んだ笑顔を咲かせた。
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