第21話 試合観戦
突然の来訪者がもたらした興奮はなかなか冷めやらず。
「ねえねえ、倉本選手のサインって、もらえないかなあ?」
「ああ、今度お願いしておくよ」
「洋食屋のマスターも筋金入りだったけど、あなたそれ以上の関係者だったのね」
「まあ、昔はね……」
そんなことを言う純菜と姫乃がお手洗いで席を外した時、葵が俺の横に席を移してきた。
「なあ陣、訊いていいかどうか分からないんだが」
「なに?」
「お前、どっか怪我したか、病気にでもなったのか?」
「え、なぜだ?」
「プロチームは下部組織とはいえ、中々入れないって聞いたことがある。体力や実力がないとな。けど、今のお前は、その…… そんな姿とは、イメージが合わないんだ、言ってて申し訳ないが」
「今は運動オンチだからってことか?」
「まあ、そういうことだが…… だから、何かあったんじゃないかと思ってな」
葵は申し訳なさげに、長い睫毛を伏せる。
「まあ、そこはあまり気を使わないでくれよ。あまり人に言える理由でもないんでね」
「そうか…… 実は姫乃も、昔ちょっとあってな」
「……姫乃が?」
「姫乃推しのお前になら話しておいてもいいだろう。あいつの場合はトラウマと呼べるのかも分からんが……」
葵は緑が目に鮮やかなピッチの方に視線をやりながら、静かな口調で言葉をつなげる。
「1年ほど前に事故に遭ってな。それ以来、激しい動きをすると意識が遠くなって、体が動かなくなることがあるらしいんだよ」
「……本当か、それ?」
「ああ。だから、オーディションのダンスの練習なんかは、きつかったはずなんだ」
「体の方は、大丈夫だったのか?」
「それは大丈夫だったらしい。かなりの大事故だったようだが、すんでの所で助けてくれた人がいて、かすり傷だけで済んだらしいんだ」
そう言われて思い返すと、ダンスが苦手だといった話はあったし、交差点で渡るのが怖いようなことを話していた。
もしかすると、その事故の記憶が関係しているのかもしれない。
「なあ、もし、姫乃にそんなことがなければ、オーディション通っていた可能性あると思うか?」
「そうだな。勝負にたらればは無いだろうが、その可能性はあったかもな。オーディション中にどうだって訊いたら、『体が中々動かないんだ』って、泣き言を言っていたこともあったしな」
「そうか…… そんなことがあったんだな」
「でも、そんな姫乃でも、応援してやってくれるんだろ、お前?」
「当り前さ。俺は今の姫乃を見て、推しになろうって決めたんだ」
葵に向って、大きく首を縦に振った。
「ふっ、頼むよ……」
いつもクールな葵だが、この時は普通の女の子らしく微笑みながら、俺の方に目を向けた。
「そういう葵はどうなんだ? 空手の達人だって聞いたけど?」
「いや、そこまではいかないが、ガキの頃からずっと続けているんでな。そこら辺の男子よりは、強いと思うぞ?」
「何かの大会にでも出るのか?」
「多分、そのうちな」
「そっか。ならその時は、みんなで応援に行くかな」
「いいよ、気にするな。そんなに大したものじゃないから」
自信なさげに、でも、満更でもなさげに、葵は頬を緩めた。
そうして二人で、ピッチ上で練習を始めた選手たちを眺めていると、姫乃と純菜が戻ってきて。
「ああ~、二人して、なに話してんのお?」
「いや、何でもない。こっちの話だ」
「なんだよお、気になるじゃない。白状しないなら、おっぱいもんじゃうぞお~!」
「おま……さっきから、そればっかじゃないか! やめろ、人が見て…… ああ!」
「ふふ~ん、いいねえ、この感じ♪」
「あ、練習始まったんだね」
「うん。左がこっちのチームで、右が相手側ね」
大人と子供のような二人がじゃれ合っているのを気にとめず、姫乃はピッチ上に現れた選手達を眺める。
日が陰ってだんだん暗くなると、カクテルライトが点灯して、ピッチ上を煌々と照らし、それを反射する芝生の緑が瑞々しい。
試合開始までまだ少し時間があるので、
「あ、みんな腹減らないか? 何か買ってくるぞ?」
「あ、じゃあ、私も行くよ」
姫乃と二人で買い出しに出て、フランクフルトと飲み物を買って席に戻ると、スタジアムはかなりの人で埋まっていて、あちこちで両チームの旗が振られていた。
やがて、オーシャンブルーと白のユニフォームの選手が入場して、キックオフの笛が吹かれた。
ピッチ上で、激しいボールの奪い合いが展開されていく。
「ねえ、今の何? どうなったのお?」
「キーパーに当たってゴールの横からボールが出たから、コーナーキックになるんだよ」
「それって、スローインとかじゃなくて?」
「スローインは、横の線から出た時ね」
ルールをよく知らない三人に解説を入れながら、試合を見守る。
両チームとも中々点が入らないまま後半を迎え。
「サッカーって、全然点が入らないよね」
「うん。だからその分、1点入った時は、喜び爆発なんだよ」
じりじりした時間が流れる中で、オーシャンブルーの選手が蹴り明けたクロスボールを、ゴール前にいた選手が頭で合わせて、ゴールが決まった。
「よっしゃあああああーーーー!!!」
「きゃあー、入ったあ!」
「わあああああ~!!」
スタジアム全体が大きな歓声に包まれ、大小の旗が大きく打ち振られる。
場内アナウンスが高らかに「ゴール!」と叫び、大スクリーンに1-0と表示がされた。
結局この1点が決勝点になって、辛くも東京アークナイツの勝利に終わった。
最後の整列と挨拶を終えて、選手達が観客席の方へ歩みを入れて、サポーターの声援に手を振って応えている。
「どうだった、みんな?」
「面白かったあ!」
「良かったよ、陣。ありがとう」
「迫力あったよね、やっぱ生で見るとさ!」
どうやら三人とも喜んでもらえたようで、ほっと胸を撫で下した。
それから人の波に混ざって駅に向かい、電車での帰り道、
「あ」
「どうかしたの、陣?」
「これ……」
それは倉本さんから、今しがたスマホに入ったメッセージで、
『今日あんま話せなかったら、水曜日にお店行くわ。お前いるよな?』
「え、これって、倉本選手からなの?」
「うん。そうだね」
「私も行くう~!!」
「ちょっと、純菜……」
この子は倉本さんのサインを欲しがってたから、ある意味丁度いいかもしれない。
多分俺からも、彼に報告することがあるのだろう。
明日の麗華との件とかで。
少し疲れ気味の俺達に、まだスタミナが余り気味の純菜が、
「ねえ、ところでみんなさ、夏休みはどうするのさ?」
「部活」
「林間学校」
「えっと、バイトかな」
「もう~、そんなんじゃなくってさあ!」
全員からの冷ややかな反応に口を尖らせて、
「お祭りとかって行くでしょお!?」
「そっか、そういうのもあったわね」
お祭りは予定には無かったが、今の所夏休みの間も、今までと変わらずバイトのシフトがあり、そんな日は午前中から夜までずっと店に入っている予定だ。
バイト代の稼ぎ時であるし、マスターやおかみさんに、少しでも楽をさせてもあげたいのだ。
あとは、姫乃が設楽さんにチケットをもらったイベントがあったはずだ。
最近新ユニット名が『KIRATIA』に決まったとの発表もあって、そのお披露目の場のようだ。
「楽しかった、またね~!」
「またな、二人とも」
「じゃあ、またね」
「気を付けて、二人とも」
純菜と葵とはさよならして、姫乃と二人の電車の中、
「ねえ陣、お腹空かない?」
「いや、俺別に……」
「陣君~~?」
「……空いてます、はい」
「よろしい。ちょっとどっか寄って行こうか?」
俺は母さんに、『もうちょっと遅くなります』と、メッセージを送った。
すると、
『姫乃さんと一緒かな? ごゆっくり』
そんな返事が、母さんから返ってきた。
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