第44話 なんで?
「もっと大事なことか……なんだろうな?」
よく訳が分からず迷いに暮れる俺に、姫乃は力なく呟いた。
「陣、女の子を庇って、事故に遭ったんでしょ……?」
ああ、そのことか――
あまり人には話してないことだけど、姫乃は知ってしまったのか。
一人目を閉じて、すうっと息を吸う。
「姫乃、それ、どこで知ったんだ?」
「昨日の文化祭で麗華さんに会って、そこで……全部聞いたよ、陣」
「……そうか……」
「なんでそんな大事なこと、黙ってたのよ……」
姫乃の両目から、輝くものが滝のように流れて落ちる。
「ねえ、その助けた子、どんな子だったか覚えてる?」
「……」
答えないでいると、彼女は更に言葉をつなげた。
「去年の六月の雨の日、S町の交差点、私はそこで事故に遭って、男の人に助けてもらったの。それって、陣でしょう?」
「姫乃……」
「もしかしてって思った時もあったけど、でも、そのこと、全然話してくれなかったよね?」
「…………」
「私、陣が助けてくれたから、今こうしていられる。ずっと元気で、オーディションに出られたのも、陣が助けてくれたから。でもその代わりに、陣が……サッカーできなくなっちゃって……そんなこと全然知らなかったから、陣に酷いことも言って……ねえ、どうして話してくれなかったの? 話してくれてたら、もっと早く気付けたのに!」
肩を震わせて、膝の上に綺麗に光る雫を落とす姫乃。
「誰だか分からなくって。ずっと会ってお礼を言いたかったのに。私、あなたお陰で元気ですって……」
もう隠してはおけないな。
そうだ、俺は――
「ごめん…… 最初から知ってたよ、姫乃」
「……え?」
「今のクラスになって、最初に姫乃を見た時、ああ、あの時の子だなって思ったよ」
「…………え………… じゃあ、なんで……?」
驚きと、少しの怒りを湛えた瞳を、真っすぐに向けてくる。
事故の時、痛みと出血のせいで、意識が朦朧としていた。
でも、女の子が無事かどうかは確認したくて、腕の中にいたその子に目をやった。
その子は安心したように目を瞑って、静かに呼吸をしていた。
見た所、大きな怪我もなさそうだった。
それだけ確認して意識を失ったけど、その顔は何となく覚えていた。
その後その子がどうなったのかは知らなかったから、教室で遠くから姫乃を見た時、驚きと同時に、安堵の想いが胸に広がった。
そして、あの事故の日のことは、彼女には知られないようにしようと心に決めた。
なぜなら、もし彼女がそのことを詳しく知ったら、きっと責任を感じてしまうだろうから。
そんなことは気にしないで、自分のやりたいように過ごして欲しかった。
だから、彼女と深く関わるつもりもなかった。
遠くからずっと見守っているつもりだったんだ。
けど、オーディションでの彼女を見て、コンビニの前で偶然会ってしまって、そういうわけにもいかなくなった。
きっとその時から俺は、彼女の眩しい魅力に、気持ちが寄っていたのだろう。
「ごめんな、姫乃。お前の顔を見た時から、分かっていたよ。元気そうな姿を見て、あんなことはもう気にせずに、普通にいて欲しいと思った。だから、言わないでおこうと決めていたんだ」
「そんな……なんで……普通にって……?」
「お前に、気にして欲しくなかったんだ。もう過ぎたことだしさ。前を向いていて欲しかったんだよ」
「だって……私のせいで陣は、脚が動かなくなって、それでサッカーもできなくなって……」
「そんな風に思って欲しくなかったんだよ、だから……。あれは俺が勝手にやったことだ。もしかすると、俺が何もしなくても、お前は何ともなったかもしれないんだし」
「そんなことない…… 陣がいなかったら、私、死んじゃってたかもしれない。今の私があるのは、陣のお陰だよ。なのに……」
姫乃はすっと身を寄せてきて、両手を俺の背中に回して、胸に顔を埋めた。
「こんな感じで、助けてくれたんだよね……陣……陣~~~~!!」
そのまま、声を上げて泣きじゃくり始めた。
俺も両手を姫乃の背中に回して、きゅっと抱き寄せた。
--そうだ、こんな感じだったかな。
あの時も。
それから短くない間、そのままで過ごして。
少し姫乃は落ちついてきて。
「ね、陣……」
「ん?」
「麗華さんのこと、どう思ってる?」
「え……麗華? えっと……」
「気にしてたよ。陣が怪我で大変な時に、さよならしちゃったって」
「……色々喋ったのな、お前達」
「うん……ひどい女の子って思われたんじゃないかって……」
「そんなことはないさ。短い間だったけど、一緒にいてくれて、感謝してる。それに、あの時の俺が一緒にいても、彼女にとって重荷にしかならなかっただろう。だから、あれで良かったんだよ」
「……そんなことないよ。麗華さんは、ずっと陣と一緒にいたかったみたい。だけど……麗華さんの方が、陣の重荷になってるんじゃないかって思ったらしくって……」
「そうか……そんなことを……」
そう言われると、なんとなく思うことがある。
俺にさよならを告げた時、彼女は目にいっぱい涙を浮かべて、ごめんなさい、と何度も謝った。
原因を作ったのは俺の方だったので申し訳なくて、黙って頷いた。
けれど、嫌われている感じはしなかったんだ。
だから、再び麗華が目の前に現れた時、完全に拒むことはできなかった。
多分、俺のことを本気で好きになってくれた、最初女の子。
懐かしくて、何もしてやれなかったことへの後悔の残り香――
「悪い人じゃないんだね。さすが、陣の元カノ」
「よせやい。彼女が素敵なだけで、俺は普通だよ」
「あー、その言い方、なんか妬けちゃうなあ」
「……そうか?」
姫乃は赤みを帯びた顔で、むくれた表情を作ってみせた。
「ねえ、もしあの事故がなかったら、陣は麗華さんとずっと一緒で、私とこうしてはいなかったよね?」
「姫乃……?」
「私のせいだよね、それ……」
「いや、それは、誰のせいでもないさ。強いて言うなら、全部俺が決めたことだ。だから、そんな風に言うなよ」
「……うん……麗華さんには申し訳ないけど、もう私は……」
頷きながら、姫乃はまた、鼻をすすり出した。
「そう言えば昨日、麗華には、クリスマスの予定を訊かれたよ」
「え……それで……?」
「どう応えようかなって」
「えー、先約は私じゃないの?」
「はは、そうだな。だから、断ったよ」
「もう…… でも、そっか。だから麗華さん、あんな所で……」
「でも、半分こして、イブか当日かどっちか、あいつに回してもいいかも」
「それはダメ!」
「痛たた……おい、脇腹抓るなって!」
「ふんだ!」
色々と喋りながらも、姫乃は俺から離れようとしないので、そのまま二人で、ずっと温もりを感じ合った。
日が西に傾いて、窓からオレンジ色の残照が差し込んでくる。
二人で向き合って、照れくさくて笑い合ってから、
「姫乃、買い物にいかないか?」
「もしかして、お夕飯?」
「うん。今うちの冷蔵庫、空っぽなんだ」
「そっか。じゃあ行こっか」
そう、静かに頷き合う。
ショッピングバッグを片手に、近所のスーパーへ向かう途上、
「ねえ、陣」
「なんだ?」
「手、つないでいい?」
「何だよ急に。人に見られるぞ?」
「いいじゃん、別に」
そう言って姫乃は、自分の指を俺の指の間に絡ませた。
秋の夕陽に包まれながら、短い道のりではあるけれど、じんと胸を熱くして、不自然なほどにゆっくりと歩く。
スーパーに辿り着いて、一緒に食材を見て回って、
「今日、お魚が安いね?」
「そうだな。塩焼きにすると、美味そうだな」
「よし。おばさんの分も買って帰ろうか。あとはスダチと大根と……」
何ということはない普通の買い物なのに、表情豊かな姫乃を見ていて、幸せな時を実感する。
今日の話はちょっと重かったけれど、でもそのお陰で、二人の距離は縮まったのかもしれない。
そんなことを噛み締めながら、買い物かごを片手に、姫乃の後についてレジへと向かった。
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