第3話 洋食屋
駅の周辺には商業ビルや居酒屋が軒を連ねているが、そこから10分ほど歩くと、住宅が増えてくる。
目指す洋食屋は、そんな閑静な住宅街の一角にあった。
「着いた。ここだよ」
「洋食屋タニー?」
「うん」
あまり大きな店ではない。
古い民家を改修したような、ダークブラウンの木でできた壁に小窓が覗き、真ん中に同じ色調のドアがある。
その横に、『洋食屋Tany』と書かれた小さな看板がぶら下がっている。
「結構渋いとこ知ってんのね」
「そうかな。ま、入って」
そう言ってドアを押して店内に入ると、右手に木目調のカウンターが広がり、その前にいくつか椅子が並べられている。
反対側の壁際には小さなテーブル席が3つ、20人くらい入れば満員だ。
カウンターの後ろには白い食器やグラスが綺麗に並べられていて、誰かがキープしたと思われる焼酎や洋酒の瓶も置かれている。
店の一番奥まった辺りの天井からは大画面のテレビがぶら下がっていて、壁にはオーシャンブルーの三角フラグが飾られている。
「あら陣君、いらっしゃい」
「どうも、お疲れです」
店の奥からカウンターへと姿を現した女性が声を掛けてくれて、俺も軽く頭を下げた。
品のいい感じのその女性はこの店のマスターの奥さんで、俺の母親よりも少し年上だ。
穏やかな話しぶりで、いつも優しい笑顔を絶やさない。
「あら、そちらのお連れ様は?」
「あ、同じクラスの一条姫乃さん。さっきそこで会ったんだ」
「え? あ、あの、どうも……」
急に話を振られて、一条さんがあたふたしている姿が可愛い。
「あらあら、陣君が女の子を連れて来るなんて、久しぶりね。どうぞ、ゆっくりしていって下さいね」
「あ、はい……」
落ち着かない様子で俺に目を向ける一条さんに、
「じゃあ俺着替えてくるから、どっか座っててよ」
「え、着替える?」
「ああ。俺ここで、バイトしてるからさ」
「……はい?」
この洋食屋は、俺の母さんの姉、つまり叔母さんのご主人の谷村さんが、10年ほど前に脱サラして開いた店だ。
小さいころから俺は父親がいなかったので母さんはいつも忙しく、一人の時はよくこの店に入り浸って、ご飯を食べさせてもらった。
その味に興味が沸いた俺は、頼み込んで厨房に入れてもらい、最初は自分で食べるものを自分で作り、そのうちお客さんに出す料理も手掛けるようになって、今では週に2,3回、バイトとして使ってもらっている。
この店に常備している普段着に着替えて、白いエプロンを胸から被り、カウンターの中に入った。
カウンター席の真ん中に腰を下してポカンとしている一条さんに、
「メニューがそこにあるからさ、好きなの選んでよ。今日は俺の奢りだから」
「ええっ!? そんなこと急に言われても、申し訳ないじゃない!」
「いいんだよ、今日は。一条さんの涙を見ちゃったお詫びってことでね」
「そんなの……」
一条さんが少し顎を引いて、頬を赤らめている。
「……お料理って、畑中君が作るの?」
「うん、マスターと俺とで、交代だけど。実をいうと、今日の分の仕込みはマスターがやってくれてるから、俺はほとんど揚げたり焼いたりするだけなんだけどね」
「ふーん……」
彼女はパラパラとメニューを捲りながら、
「何か、おススメとかってあるの?」
「そうだなあ、全部おススメだけど、クリームコロッケなんかいいかもよ? 仕込みが大変な上に人気があるから、いつもすぐに無くなっちゃうんだ」
「じゃあ、それにしようかな」
「毎度。飲み物は何がいい?」
「じゃあ、オレンジジュースで」
その会話を聞いて、おかみさんがグラスを取り出し、飲み物の準備を始めた。
奥の厨房へと移動して、傍らで椅子に座りスポーツ新聞に目を通していたマスターに声を掛ける。
「マスター、クリームコロッケ入りました。俺やりますから」
「ああ、頼むよ」
白髪交じりでオールバックのマスターは寡黙な人だけど、目はいつも笑っていて、優しくダンディなおじさんといった印象だ。
冷蔵庫からタネを3個取り出して油に入れ、皿に野菜を盛り付ける。
揚げ上がって少し余熱を入れてから皿に置き、特製のタルタルソースをたっぷりと脇に添えた。
カウンターにいるおかみさんに皿を渡すと、おかみさんはライスとコンソメスープを一緒にして、「おまちどおさま」と言いながら、一条さんの前にそれらを置いた。
「ありがとうございます。わあ、美味しそう!」
きつね色の衣から香ばしさが立ち上り、ライスとスープから揺らぐ湯気がほの温かい。
一条さんはお箸で一口大に切ってから、タルタルを上に乗せ、口へ運ぶ。
「……ふわふわで美味しい」
目を閉じて口元を綻ばせながら、幸せそうに呟いた。
俺は厨房から顔を覗かせ、
「いかがでしょう、お客様?」
「ありがとう、すっごく美味しい」
「それは良かったです」
そう返して、わざと大仰に、深々と腰を折って一礼した。
そんな様子を見て、一条さんはくすりと笑ってくれる。
この店のレシピはマスター独自のもので、俺はその全部を真似することはできていない。
このクリームコロッケも、やはりまだ、マスターの味には勝てないのだ。
『カランカラン』
通りに面したドアが開いて、男性の二人組のお客が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
「やあ、奥さん毎度!」
いつも来る常連さんだ。
俺が厨房の方に戻ると、
「陣君、ここは俺がやるから、あの子のとこにいてやりな」
「……ありがとう、マスター」
マスターにそう声をもらって、エプロンを脱いでから厨房を出て、一条さんの隣へ腰を下す。
その間にも、また別の女性客が入ってくる。
「畑中君、ずっとここでバイトしてるの?」
「中学くらいの時から、時々ね」
「でも、バイトって、学校にバレたらやばくないの?」
「はは…… そうかもね。でもここ、俺の叔母さんのお店だから、親戚の手伝いってことにすれば、なんとかなるんじゃないかな。それに、いざとなればちゃんと申請したら、大丈夫って聞いたよ」
「……なるほど。普段からお料理とかするの?」
「いや、家ではほとんどやらないよ。元々面倒くさいのは好きじゃないからさ。あ、冷めないうちに食べちゃってよ。何だったら、お代わりもあるよ?」
「うん。カレーもあるんだね、ここ」
「そうなんだよ。じっくり煮込んであるから、美味しいよ。ちょっと待ってて」
俺は席を立ってからカウンターへ移動し、スープ皿にカレーのルーをよそって、一条さんの前に置いた。
「はい、どうぞ」
「え、いいの?」
「うん。こっちも、おススメだからさ」
「ありがとう。なかなか、気が利くじゃん」
そんな様子を見ていた、テーブル席に座った常連のおじさん客が、
「おい陣君、それ、こっちにも追加で頼むよ。その匂い嗅ぐと、食いたくなっちゃったわ」
「はい、毎度」
「あ、陣君はいいから、そこ座ってなさいな」
おかみさんがそう笑い掛けてくれて、カウンターの向こうでビーフカレーをよそい出した。
一条さんはしげしげと店内を見回して、壁に貼ってある旗を指さした。
「あれって、サッカーの旗?」
「うん。『東京アークナイツ』っていう、Jリーグのトップチームの旗だよ。ここのマスターが大ファンでね」
「へえ、そうなんだ」
『カララン』
ドアが開いて、また別の男性客が入って来た。
「どうもー。あれ、陣、来てたのか?」
それは、聞き覚えのある、よく通る声だった。
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