第16話 ご招待
翌日の放課後、帰り支度を始めていると、姫乃が教科書を片手にやってきた。
「ねえ陣、ちょっと教えて欲しいんだけどさ」
「なに?」
それは英語の文法に関するもので、期末試験の試験範囲だった。
一応、俺の中では英語がましだということ、なのだろう。
中間試験で一番いい点を取ったのも、英語だった。
「えっと、過去形と過去完了形の違いはね……」
と話し掛けたところ、
「ああ、陣、私も教えてよお~!」
「おい純菜、ちょっと待てって……」
俺達のところに純菜が突進してきて、それに引きずられて葵もやってきて、四人そろってその場で、英語の勉強会が始まった。
「ここはedじゃなく、be動詞プラスedね」
「それって、男の人が元気がないのと同じ…… 痛たたたた! ごめん、冗談だってばあ!」
「まじめにやんないんだったら、さっさと帰りなさいよ、このスケベ娘!」
「ごめん、ごめんってばあ~!!」
姫乃にほっぺたをつままれて、純菜が涙目になって謝っている。
「なあ陣、ここのところなのだが……」
「ああ、それはね、自動詞か他動詞かで変わってくるんだよ。例えば……」
二人がじゃれ合っている横で、葵は冷静に質問をしてくる。
この三人の中では一番冷静でしっかりしていて、頼れるお姉さんっぽい。
「あ、葵、なに自分だけ真面目にやってんのよ?」
「そうだぞお葵、抜けがけすると、おっぱい揉んじゃうぞお~…… 痛たたたた、ごめんなさいい~!」
今度は葵に髪の毛を引っ張られて、純菜が両手で頭を押さえて暴れている。
見ていて楽しくはあるけれど、もしかしてこの子は今度も赤点になるのではと、哀悼を感じてしまう。
そんな俺達を見て、外の女子生徒達はクスクスと笑い、男子生徒達は、
「いいなああれ、楽しそうで」
「俺も、英語はそこそこ得意なんだけどなあ」
「……やっぱ一条さん、綺麗だなあ」
「いや、他の二人も、結構いけてるぜ……」
と羨望の眼差しを送ってくる。
熱い視線が気になるが、取り合えず無視して気づかないふりを貫く。
30分ほどやんやとやり取りしてから、四人そろって教室を出た。
駅に向かう道すがらで、三人に話し掛けた。
「そうだみんな、来週の土曜日の夜って空いてる?」
「来週の土曜? ……多分大丈夫かな」
「うん、私も空いてるよ」
「うむ、大丈夫」
「じゃあ、そこでチケット探してみるよ。『東京アークナイツ』対『ヴレイブ大阪』戦だけど」
「わ~い、ありがとお!」
「ちょっと陣、土曜の夜って、バイトじゃなかったの?」
よく事情を知る姫乃が、心配げに訊いてくる。
「来週は試験もあるから、バイト全部休みなんだよ。だからその日はフリーなんだ」
「そっか、ならいいけど」
「じゃあさあ、朝からみんなでどっか行こうよお! 試験明けの気晴らしでさ!」
「え……でも、葵は部活があるんじゃないの?」
「ああ、その日は部活は休みだから、私は大丈夫だ」
「ねえねえ、陣は? ねえ?」
「いや、一応空いてはいるけどもさ……」
横目で姫野に目線を移すと、氷のような眼差しが返ってきていた。
彼女は苦笑いを浮かべながら、はあっと溜息を一つついて、
「じゃあせっかくだから、そうしよっか?」
「わ~い、ありがとう、姫乃、葵、陣!」
「ただし、もし赤点とったら、拳骨だからね?」
「ひ、姫乃お~……」
駅に着いて、純菜と葵がお手洗いに行っている間に、姫乃が顔を寄せて来た。
「ねえ、陣?」
「はい」
「私、もうちょっと教えて欲しいとこがあるんだけどさ」
「そっか。じゃあ、えっと、どっか寄っていこうか?」
「うん」
そう言えば、今日はロリっ娘ペースで事が運んで、姫乃とはあまり話ができていなかったかもしれない。
姫乃が乗り降りする駅で一緒に降りようかと話をしていると、他の二人が帰ってきた。
「おまたせえ!」
「はい。じゃ、行くよ」
その後、純菜と葵は先の駅で降りていったので、車内では俺と姫乃とで二人になった。
つり革を握って向かい合っていると、
「陣?」
と聞き慣れた声が聞こえた。
振り向いた先には、ずっしりと重そうな鞄を肩に掛けた、仕事帰りの母さんの姿があった。
「あれ? 母さん、今帰り?」
「うん。今日は早く仕事が終わってね。陣も家へ帰るの?」
「いや、俺もうちょっと、外で勉強していこうかと思うんだ」
「ふうん、そうなの」
母さんはすぐ傍にいる姫乃の方に目をやって、
「こちらのお嬢さんは?」
「あ、同じクラスの一条さん」
「あの、初めまして、一条姫乃です」
「そう。初めまして、陣の母親の弥生です」
両方とも、笑顔でペコリと頭を下げた。
「もしかして、二人で一緒に勉強するの?」
「うん、一応ね」
「じゃあ、うちに来てもらってもいいんじゃない? 一条さんが、お嫌じゃなければね」
「「えっ!」」
母さんの気まぐれな一言かもしれないが、確かに一理ある。
うちの家だとお金も使わずに済むし、余計な雑音も入ってこないので、勉強はしやすいかもしれない。
問題は姫乃がどう思うかだけれど--
「あの、それ、でも……」
いきなりの展開に動揺が隠せない姫乃に、
「姫乃、俺はそれでもかまわないよ。けど、姫乃が帰るのが遅くなっちゃうかもだから、やめとくってのもありだし」
「そうね……」
少しの逡巡の間があってから、彼女はにっこりと頬を緩めて。
「じゃあせっかくだから、お邪魔します!」
「ありがとう、嬉しいわ。せっかくだから、お夕飯も食べてく? 大勢の方が美味しいし、ちょっと材料が多すぎて余っちゃうかもなのよ」
「はい。じゃあ、ご馳走になります」
「陣も、それでいい?」
「ああ。じゃ、夕飯は母さんにまかせるよ。ありがとう」
こうして思いがけず、姫乃が我が家に訪れることになった。
三人で他愛のない話をしながらうちの家まで移動して、鍵を開けて中に入る。
「何もない家だけど、ゆっくりしていってね」
「はい、ありがとうございます」
「陣、お夕飯はこっちでやるから、お茶くらいは入れてあげなさいね?」
「ああ、そうするよ。折り畳みのテーブルってあったよね?」
「確か、押し入れの中にあるわよ」
姫乃を一先ず俺の部屋に通してから、勉強用に折り畳みテーブルを準備して。
「姫乃は、コーヒーでいい?」
「うん、ありがとう」
内心うきうきしながら、母さんナイスアシストと心根で叫びつつ、キッチンへと向かう。
「母さん、ごめんね。気を使ってもらって」
「いいのよ、別に。綺麗な子ね」
「そうだよね。みんなそう言うよ。叔父さんとかもそう言ってたし」
「えっ、お店の方にも連れていったの?」
「あ、うん」
「ふーん」
母さんの嬉し気な目線に見送られながら、入れ立てのコーヒーをお盆の上に乗せて、自分の部屋へと戻った。
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