第37話 来店
夏休みもとうとう残り少なくなった。
今日も朝から洋食屋Tanyでバイトだ。
午前中に食材の準備や仕込みを行い、ランチ時に接客をする。
平日の昼間でも近所の人や、近くの会社の人達で店は賑わう。
それから夕方まではちらちらとお客さんが来るけども、あまり仕事もなく暇な時間になる。
「マスター、ちょっと相談があるんですけど」
「何かな、陣君?」
マスターはいつものように椅子に座ってスポーツ新聞を片手に、穏やかに応じる。
「今日の夜、ちょっと変わった知り合いが来るんです。その間、ちょっとだけ仕事を抜けさせて欲しいんです」
「それはかまわないが、誰が来るんだ?」
「KIRATIAっていう女の子達のグループのメンバーです。姫乃が受けてたオーディションで結成されたやつで、彼女の知り合いなんです」
一応マスターとおかみさんには、姫乃がオーディションを受けていたことは話してある。
マスターは表情を変えずに、
「そうか。最近陣君のお陰で、この店もずいぶんと華やかになったねえ。歓迎するよ」
「ありがとうございます」
今日は片野坂夢菜と設楽京香が、来訪予定だ。
夕方に姫乃が駅で待ち合わせをして、二人を連れて来る予定だ。
その夕方が近くなって、そろそろお客さんが増えてくる時間――
『カララン』
ドアが開いて、若い男性客が二人―― えっ?
「いらっしゃいませ」
おかみさんがいつものように応じて、その二人はテーブル席の方に向き合って座った。
「よう、陣」
「……巧に、寛人か?」
「この前ぶりだな」
おかみさんが俺の方に目をやって、
「あら、お知り合い?」
「ええ。昔からの知り合いです」
彼らは俺がサッカーをやっていた頃のチームメイトで、今もU18のチームに所属している、期待の有望株だ。
昔に何度かここへ連れて来たことはあったけれど、久しぶりだったし、二人とも髪の毛が伸びたり色が変わったりしているので、おかみさんは気づかなかったようだ。
「どうしたんだよ、一体?」
「この前スタジアムでお前を見て、懐かしくなったんだよ」
「久々、どうしてるのかって思ってな」
「そうか、ありがとう」
「ところで、さっき駅で、この前お前と一緒にいた女の子と会ったぞ」
「この前…… 姫乃か?」
「姫乃ちゃんっていうのか。すっげえ綺麗な子だな」
「良かったら、紹介してくれよ?」
「……で、何にするんだ?」
どうやらこの二人は、駅で待ち合わせをしている姫乃と会ったようだ。
スタジアムで会っていた時間はそう長くはなかったと思うけど、この二人の脳裏に姫乃はしっかりと刻まれていたらしい。
カウンター越しに雑談をしながら他のお客さんの相手もしていると、扉が開いて美少女三人組が入ってきた。
「いらっしゃいませ。あ、姫乃ちゃんね?」
「こんばんは、おかみさん」
「どうも、お、お邪魔します!」
片野坂さんの元気な挨拶に、店内のお客さん全員が、そちらを向いた。
空いているデーブル席に向かう三人を、巧と寛人が目で追いかける。
(ほええ…… 誰だこの子ら?)
(めちゃくちゃ綺麗じゃん……)
はっきりとは聞き取れないが、口の動きと表情から、多分そんなことを小声で含んでいる。
「こんばんは、畑中君」
「まいど、この前はどうも!」
「ああ、こんばんは」
設楽さんと片野坂さんが俺にひと声掛けて、席についた。
マスターに断ってから、フロアの方へ顔を出して、
「畑中君、ここで働いてるのね?」
「うん、たまにね。わざわざありがとう。ご注文はいかがいたしましょう?」
「じゃあえっと……」
姫乃がおススメを伝えながら、三人でわいわい喋って。
彼女達のオーダーを持って、厨房へと戻った。
「マスター、彼女達の分、俺につけといて下さい」
「陣君は、女の子に優しいねえ」
「忙しい中、ここまで来てもらったお礼ですよ」
彼女達三人分プラス自分の分の皿を準備してテーブルへと運び、姫乃の隣の空いた椅子に腰を据えた。
「ごめんね、仕事中にお邪魔して」
「いや、こっちこそ、わざわざここまでありがとう」
「わ、これめっちゃ美味しい!」
片野坂さんが満開の花を顔に咲かせて、目をぱっちりと開く。
「それ、このお店特製のクリームコロッケよ。私も大好きなの」
「いいなあ。こんなのがいつも食べられるなんて」
俺達四人で雑談をしていると、巧と寛人が、おずおずと近寄ってきた。
「なあ、陣」
「あ、すまんなお前等、放置しっぱなしで」
「なあ、紹介してくれないか……」
「ああ、この子達はね……」
そこで簡単に、お互いに自己紹介をしてもらった。
「へえ、二人とも、サッカー選手なんだ」
「ええっ、KIRATIAって、あのテレビに出てたユニットの!?」
お互いの素性が分かって、二つのテーブルで大盛り上がりになった。
なので、巧と寛人がなかなか帰りたがらないのだけれど、このままだとこっちの話もできない。
「なあお前等、こっちはちょっと大事な話しがあるんだ」
「そ、そうなのか……?」
「なら、しかたないか……」
「二人とも、またイベントに来てね!」
彼らが後ろ髪を引かれながら、この場を去ってから、
「で、夢菜、その後は大丈夫なの?」
「うん。今の所は大人しくしてくれてるし、たまに連絡してあげると、すっごく嬉しそう」
「へえ、ご馳走様。あ、そうだ、畑中君ってちょっと言い辛いから、陣君って呼んでいい? 私のことも、京香って呼んでよ」
「あ、じゃあ私も、陣君と夢菜で。ね、いいでしょ、姫乃?」
「まあ、私は別にいいけど」
「じゃ陣君、はいこれえ」
夢菜さんはそう言って、平べったくて綺麗なリボンが巻かれた箱を差し出した。
「えっ、何?」
「ハンカチ。この前のお礼に」
「そんなのいいのに。気を使ってもらって申し訳ないな」
その場で箱を開けると、一目で高級そうだと分かる青と緑のハンカチが二枚入っていた。
「どんなのが好きか分からないから、無難なものだけど」
「いいの、本当に? ありがとう」
「うん!」
「あれ? どうしたの姫乃、なんか元気がないみたいだけど?」
「あ、ううん、大丈夫だよ」
あまり気付かなかったけども、そう言われた姫乃が、力なく微笑んだ。
どこか上の空、気持ちがここにない風で。
-- どうしたんだろうな?
少し心配にはなったけど、姫乃はすぐにもとの表情に戻った。
それからは取り留めのない話に花を咲かせた。
「じゃあ、今日は帰るね、楽しかった。またイベント来てね!」
「陣君、またね。ごはんご馳走様」
「じゃあ私、二人を送っていくから」
「ああ、ありがとう、みんな」
三人を見送ろうとすると、姫乃が静かに近寄って来て、耳元でそっと囁いた。
「ねえ陣、ちょっと話があるの。仕事が終わったら電話くれない? 待ってるから」
「うん。分かったよ」
何だろうと思ったけれど、それ以上あまり気にせずに、三人を見送ってから仕事に戻った。
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