エピソード麗華1 麗華のクリスマスイブ
12月の街、寒風が吹きすさび、道行く人々は分厚いジャンパーやロングコートを羽織って身を縮める。
空気が白く透き通って、冷たさが直接肌を刺す。
そんな中でも、人々の心根はなぜか温かい。
クリスマスや年末年始、一年の仕事の疲れを癒し大切な人たちと過ごせる時間が目前に迫ってくる。
華やぎつつある街には赤や緑の飾り付けが増えていって、そんな季節を形作っていく。
けれど、少なくとも彼女はそんな空気の中にはいなかった。
真行寺麗華、都内の高校に通う16歳だ。
彼女は今、傷心の沼の中にいる。
「つまんないなあ……」
たった一人での下校中、ついそんな言葉が口をつく。
クリスマスには一緒に過ごしたい人がいた。
けれどその人、畑中陣は、自分の想いには答えてくれなかった。
彼はきっとその聖なる夜に、別の子と過ごすのだろう。
一条姫乃、その子と。
彼女は陣と同じ高校の同じクラス、凄く綺麗で同性の麗華でも見惚れてしまうほどだ。
街の中で一緒に歩いたり、洋食屋Tanyで楽しそうに話していたり、同じ部屋の中にいたり、陣と姫乃が一緒にいるところは何度か目にした。
その度に、段々と胸の中で感じる痛みが強くなっていった。
最初は鈍い銅色の鈍痛だったものが、氷の刃に胸を突きさされるような峻烈な痛みへと、だんだんと変わっていったのだ。
陣は中学の時の最初の彼氏、たった三か月だけの付き合いで、麗華の方から別れを切り出した。
決して嫌いになったからではない。
むしろ逆で、大好きで愛おしくて、片時も離れたくはなかった。
けれど、大けがをしてサッカー選手としての命を終えるかもしれない中でもがく陣にとって、自分は重荷でしかない。
麗華はそんなふうに考えたのだ。
今でもたまにメッセージアプリで陣に言葉を送ると返事は返してくれるし、会って話しもしてくれる。
彼の優しさなのだろうけど、でもどこかそっけなくて、麗華の心の一番奥を温かくしてくれることはない。
むしろ、別れた後に残る荒涼たる寂しさが、麗華の心を苛なんだ。
(今更また付き合おうなんて、虫が良すぎたわよね……)
そう納得しようと思っても、どうしても心が揺さぶられて、自然に涙がこぼれてくる。
そんな彼女にとって色めいた師走の街は、むしろ残酷だった。
いつもの通学路の小路でふと立ち止まって曇天の空を見上げていると、ポケットに入れていたスマホが震えた気がした。
手に取って画面に目をやると、それは倉本瞬、中学時代からの先輩から送られてきたメッセージだった。
『12月24日は空いてないか? チームのメンバーとパーティーをやるんだ』
彼は陣と麗華の共通の知り合いだ。
麗華のことをずっと気に掛けてくれていて、陣への想いについても度々相談をしていた。
陣の方も、彼には色んな話をしていることだろう。
(倉本さん、ひょっとして私のことを心配してくれているのかな)
すぐにそう理解できた。
倉本は高校生にして現役のJリーガーで、トップチームのレギュラーだ。
名声も知名度もあって、当然ながら浮いた話もよく耳にする。
彼女持ちって聞いているので、たまに心配になるほどだ。
けれど、昔から親身になって話を聞いてくれる姿勢は、頼れる先輩として麗華の中では高い位置を占めている。
『空いてます』
すぐに麗華の指が動いて、そんな言葉を画面に表示させていた。
少しは気が紛れるかもしれない、そんな気持ちもあった。
何もなく一人で過ごす聖夜は、彼女にとってつら過ぎたのだ。
クリスマスイブの夜、麗華は倉本に教えられた場所に向かった。
そこは洋風のレストランで、Jリーグ一部『東京アークナイツ』の関係者で貸し切りだった。
昔からサッカーを見てきた麗華には分かる、立食形式のフロアを埋めつくす談笑の中に、幾人かのトッププロ選手の顔が見える。
「よ~~お、麗華!」
明るく爽やかに声を掛けてきた倉本も、そんな中の一人だ。
まだ18歳のはずだけど、大人も子供も関係ないプロの世界で切磋琢磨しているせいか、ずいぶんと落ち着いて見える。
「こんばんは倉本さん。今日は誘ってくれてありがとう」
「どういたしまして。ま、スポンサーとかの接待でもあるから、俺らにとっては仕事みたいなものだけどな」
「そうですか、じゃあ私なんかにかまわないで、他を回って下さい」
「ま、そうなんだけどな。でも今夜のお前は、俺にとっての大事なゲストだからな」
そう言って倉本は、ずっと麗華の傍を離れない。
麗華にとって、その心遣いは素直に嬉しかった。
「ねえ倉本さん、陣のこと、なにか聞いてます?」
そんな倉本に、麗華は素直な心の内を口にした。
倉本は口の中にあった料理をゴクンと飲み込んでから、自然な笑みでその整った顔を満たした。
「ああ、聞いてるよ。奴は奴で、今夜は予定があるらしいな」
倉本はそれ以上は口にしない。
多分、陣が姫乃と一種に過ごしていることも知っているのだろう。
けどそれをむざむざと麗華に伝えるほど、倉本は無神経ではない。
むしろ麗華のことを気遣って言葉を選んでいる。
麗華にはそう感じて、その返事だけで十分だった。
だめだ、こんなところで……
そうとは分かってはいても、麗華の目頭が熱くなって、綺麗な雫が彼女の頬を伝う。
倉本には見られまいと顔を背けると、彼の方も麗華からは目線を逸らした。
「おい倉本、謳わないかあ!?」
もっと年上の選手と思われる男子から、倉本に声が掛かる。
「すみません、俺この子と喋ってるんで」
「おお、そうか。お前も隅におけないねえ」
周りから色んな声が掛かっても、倉本はずっと麗華の傍から離れようとはしなかった。
やがて宴も終わりに近づいて、東京アークナイツの監督が演題に立って。
リーグ戦で優勝争いをしながらも惜しくも届かず、他のタイトルも逃してしまった反省と、次の年に受けての決意表明があって、大盛り上がりでその場はお開きになった。
麗華にとってサッカー選手の一番は陣なのだけれど、それでも楽しいひと時を過ごせた。
けれどこれからまた、一人で夜の街に戻る。
現実が肩の上に降りて来て、また暗く沈んだ気分になる。
「じゃあ倉本さん、今日はありがとうございました。さようなら」
麗華がそう口にして頭を下げると、倉本が慌てる表情を見せた。
「あ、あのよう麗華、ちょっと話があるんだ」
「……何ですか?」
「年明けに日本代表とウルグアイの親善試合があってな、俺、そこに呼ばれると思うんだよ」
「え? それって日本代表に呼ばれるってことですか? 凄いじゃないですか!?」
まだ高校生、そんな倉本がその場に呼ばれることの凄さと疎さは、麗華には直ぐに理解できた。
サッカー日本代表、幾十万を超える男たちが目指してそのほとんが淡く消える遥かな夢の頂き、倉本はそこに手が届こうとしているのだ。
思わず麗華はぱっと笑顔の華を咲かせた。
「まあね、本当に光栄なことだ。それでだ麗華」
「はい?」
「年明けに神戸であるその試合、見に来て欲しいんだ。まだピッチに立てるかどうかも分からないんだけどな」
(…………え?)
今まで倉本にそんなことを言われたことがないので、麗華は戸惑いを隠せない。
「そんな…… 大事な試合、私じゃなくて他の人を呼ぶべきでしょう?」
「えっと…… それがなあ、俺は今フリーなんだよ。今一番見て欲しい奴って誰かなって考えたら、お前の顔しか浮かんでこなかったんだ」
「え……だって、彼女さんは?」
「ちょっと前にフラれたよ。もっと自分だけをしっかり見てくれる
麗華にとってそれは初耳だ。
この
「倉本さん、それは分かるけど、なんで私なの?」
麗華は素直に疑問をぶつけた。
すると倉本ははにかんだ表情を見せて、らしくなく畏まった声で応えた。
「お互いさ、傷心者同士仲よくしないか? できたらもっと、お前とは話がしたい」
麗華は心の中でぷっと噴き出す。
(何よそれ、彼女にフラれたから次は私?)
けれどこんな風に見えて、決してうわっついて二股以上をかけたりするような
(しょうがない、付き合ってあげようか)
麗華がこくんと頷くと、倉本は少年のような無邪気で屈託のない笑顔を浮かべて、頭を掻いた。
全国公開オーデで12番目の彼女が俺の推しになった まさ @katsunoi
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