第27話 写生
翌朝、朝食の時間が終ると、昼過ぎまで自由散策の時間になった。
ただ、課題が出されていて、景色でも木でも花でも何でもいいから、一つ写生をしろというものだ。
各自好きな場所で食べるようにと、弁当とお茶も配られた。
自分の荷物も全部まとめて、建物の前の広場に集合した。
「決まったエリアの中ならどこに行ってもいいが、危険な場所には近づかないようにな」
担任の先生の指示が終ってから、各自自由行動をいうことで、班単位での行動までは決められていない。
どうしようかなあ、写生っていっても、何を書けばいいものか。
芸術にあまり造詣のない自分としては、大いに迷ってしまうところだ。
「ねえ、みんなどうするう?」
「一応、書きたい物にも、よるんじゃないのか?」
「そーだなあ」
姫乃、純菜、葵の三人が相談している脇で、俺は木原と榎本とで雑談。
「どっかの山か川の絵でも書くべしかな」
「それな。まあ、無難だしね」
「そうか、じゃあ、俺もそうするかなあ」
「陣、どうする?」
大き目のリュックサックを背負った姫乃がそう訊いてきたので、
「どっか、山か川の景色でも探そうかと」
「そっか。じゃあ、途中まで一緒に行く?」
「ああ、そうしようか」
といった感じで、結局六人でそろって出発した。
木漏れ日が暑く感じる自然の中を適当に歩いて、
「お、俺ここにしようかな」
「私、このお花書こうかなあ」
「ふむ、ここの景色、中々いいな」
それぞれお気に入りの場所を見つけて、だんだんと人数が減っていって、最後は俺と姫乃が残った。
白い河原の間を澄んだ水が流れて、山頂が白く煙る雄大な山々を眺望できる場所に出て。
「俺、この辺にしようかなあ」
「ええ? もうちょっと向こうにいってみない?」
「……結構こだわるな、姫乃は。写生の対象など、どれでも一緒だと思うが」
「甘いね、陣は。モデルや対象が何かで、創作意欲やインスピレーションが、変わってくるのよ?」
「俺にはよく分からんけど、姫乃がそういうならな」
足の痛みは無くなったのか、今日の姫乃は普通に歩いている。
河原の石を踏みしめながら川に沿って歩いていくと、
「お、この辺がいいんじゃない?」
「さっきの場所と何が違うのかよく分からないけど、俺も、ここで書けばいいのか?」
「別に嫌だったら、無理にとはい言わないわよ。勝手にどっか行けば?」
「……ここでいいです、はい」
河原にある大き目の石に腰を下して、写生を始めた。
鉛筆だけのもので色付けまでは要求されていないのだが、その分逆に難しい。
微妙な色合いの違いや陰影とかを、黒一色で表現しないといけないのだ。
しばらく悩みながら、画用紙の上で手を動かしていると、姫乃が声を上げた。
「よし、できた!」
「なに? もう終わったのか?」
「うん。見てみる?」
そう言って差し出された姫乃の絵は、まるで白黒写真でも見ているかのように、実際の風景を写し取っていた。
「すごいな、まるで写真みたいだ。姫乃って、絵の才能もあったんだな?」
「まあ、昔から、美術は得意だったからね」
と、得意満面のドヤ顔を披露する。
それから、黙々と画用紙に向かう俺の周りで、姫乃が暇つぶしをする時間になった。
「なあ、暇だったら、先に帰ってもらってもいいぞ?」
「何言ってんのよ。せっかく推しの子が傍にいてくれてるんだから、もっとやる気だしたら?」
「そう言われましてもなあ」
中々筆が進まない中、少しでも早く終わらせようと集中していると、
『バッシャーン!!』
「きゃあああ~!!」
はっとして見回すと、姫乃が川の水の中に浮かんでいた。
「おーい、なにしてんだよお?」
「足をとられちゃって……もが……」
手足をバタつかせて、ぎりぎりで顔が水面から浮かんでいる。
まずい、これ、溺れてるんじゃないのか?
咄嗟に駆けだして水の中に飛び込み、流されつつあった姫乃の体をしっかり抱き寄せた。
あまり泳ぎは得意ではないが、それでも目いっぱい腕と脚を総動員して、引きずるようにして何とか岸まで引き上げた。
「こほ……こほ!」
「おい、大丈夫か?」
「……ごめんなさい、なんか私、やらかしてばっかだね…… 川べりを歩いてたら、急に足が痛くなって、それで……」
「そんなことはいいけど、怪我はないか?」
「大丈夫……」
とりあえず一安心だけれど、二人ともずぶ濡れだ。
溺れかけた怖さと、水に濡れたためか、姫乃は小さく震えている。
俺一人なら自然乾燥で何とかなるのだろうけど、姫乃にそれは酷かも知れず。
「なあ、宿に戻って着替えるか、服を乾かさせてもらった方が、よくないか?」
「うん、そうする……ねえ、陣?」
「なんだ?」
「あ……なんでもない」
「なんだよ、それ?」
溺れかけて驚いたからだろうか、姫乃が小さく震えながら、何かを言いたげに目を震わせていた。
けれど、彼女は口を噤んで、首を横に振った。
泊まっていた建物に戻ってフロントで事情を説明すると、風呂を貸してくれてその間に、ランドリーで服を乾かしてよいことになった。
仮の着替え用に、通常の宿泊客が使用する浴衣も貸してくれるという。
真夏なので特に寒くもなく、川の清流は全く不快なものでもなかったので、風呂までは必要はなかったが、待っている間暇だし、姫乃の方を気遣う必要もある。
なのでお言葉に甘えることにして、人がほとんどいない大浴場で、目いっぱい脚を伸ばして湯に漬かった。
風呂から上がってコーヒー牛乳を飲みながら涼んでいると、姫乃が近づいてきた。
湯上りのためだろう、頬が紅く染まって火照っていて、少し髪の毛が湿っている。
「よう、大丈夫か、姫乃?」
「うん、ありがとう。もう大丈夫」
彼女は静かに俺の隣に腰掛けて、
「ほんと、ごめんね。昨日も今日も、迷惑ばっかりかけて」
「ついてないみたいだな。まあ、気にするなよ。いい運動にもなったから、昼飯がうまいかも」
「あのさ、陣?」
「あ?」
「あの……私達って、高校で初めて会ったのよね?」
「……ああ、多分、そういうことになるけど?」
「そうよね……ごめん、何でもない」
「何だよ、変なやつだなあ」
小首を傾げて何故か不思議そうにそう問うてきた姫乃は、俺の言葉を聞いて、すぐに普通の表情に戻った。
それから浴衣姿の姫乃と一緒に館内を巡って、食堂の一画を借りて弁当を味わい。
「そうだ、葵や純菜に、連絡しとこうかな」
「そうだね。全然姿が見えないと、心配するかもだしね」
グループチャットに簡単に事情を入れると、少ししてから返事があって、
『(真壁)なにやってんのよ。今そっちに行くから』
『(戸野倉)まあ、無事ならよかったよ』
『(戸野倉)陣、お疲れ様』
『(畑中)へい』
『(一条)ごめんみんな、心配かけて』
宿に姿を現した二人に散々いじられて、肩をすぼめてにが笑いをしている姫乃は、今だけは純菜と立場が逆転していて、恐縮しきりだった。
それから乾いた服に着替えて、宿の人達にお礼を言ってから、残り少ない自由時間
を四人で過ごした。
やがて集合時間になって、来た時と同じ席順でバスに乗って、自然に包まれた宿を後にした。
和気あいあいと喋りながら、いつも住む街の近くまで帰ってきた時には、もうすっかり日も暮れていた。
「明日から、普通の夏休みだな」
「そうね。課題が一杯だから、面倒くさいけどね」
「そうだな……あっ!」
「え、なに?」
「俺まだ、写生終わってなかったわ、そう言えば」
「あ……」
姫乃を助けることに集中していて、そっちのことはすっかり忘れていた。
どうしようかと思案に暮れていると、今回は自分のせいだから特別ねということで、彼女が絵の仕上げを手伝ってくれることを、申し出てくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます