第25話 正義
1563年 5月3日 午前
西方大陸中央部に位置する、人間の国アヴァロン。
この国の中枢を担う政治的権力者が多数集まるカヴァデイルの屋敷にて、近日宮中で暗躍したロードリック・ダドリーの処遇を決める会議が行われている。
屋敷の主、商人にして影の一族の真の当主であるザカライア・カヴァデイル。
表向き影の一族を名乗り、侯爵家の当主でもあるゲーアハルト・マールヴァラ。
そして、女王の側近であり国王秘書長官のウィルフレッド・セシル。
この3人を中心にした議論、「魔王サタンを復活させようと目論むダドリーをどう罰するか」という議題に対して。ザカライアが提案した案は、なかなか突飛なものだった。
「先程言ったように、死神は幽霊です。しかし彼曰く、彼は特段殺人が趣味なわけではなく、ただ女王の役に立ちたい。だから、女王の敵と判断した人間を単独で屠ってきたそうです」
「ほう」
「彼は我々に力を貸すと言っています。なので、使える人材は全て使う。その上で…………」
ザカライアが、瞳を弧にしている。
「明日、カヴァデイル家、マールヴァラ家共に一族全員、女王の元に出頭するのは如何でしょう。そこの治安判事のお嬢さんにしっかり拘束してもらって、サタン召喚など出来ない状態で出向くのです」
「なるほど」
そこでザカライアが、すっとルーファスに片手を差し出した。私の友人です。とでも言いたげな、気さくな態度。
「その状況で死神の出番です。
彼は元々どこの所属でもない。その彼に、ダドリーが魔王復活の儀を目論んでいると、宮中全員に知らしめてもらうのです。彼なら出来る。仮に私達全員が身動き取れなくても、奴の悪意を暴いてくれる。
…………そうだな、死神」
「えっ…………」
思わず言い淀んだルーファスに向かって。
ザカライアはにんまりと唇の端を上げた。
『なぁに簡単なことだ。「死神は瞬間転移で女王の敵の前に現れる」という伝説を利用するのだ。今回、鎮魂祭は中庭で行われる。お前の立場なら、魔王を召喚しようと何らかの行動を取るダドリーの眼の前に行くことが出来るだろう。
それはきっと人前で行われる。そこで奴の悪行を暴けば、我々の名誉は必ず回復する。何故なら、そこに集まった全員が我らの無実の証人となるのだから』
「…………!」
死神が、人前に出る。ダドリーの悪行を暴くため、公の場に姿を曝す。本当に大丈夫なのだろうか。ルーファスは眉根を寄せ、父ザカライアを見返す。
『死神が公の場に出ていいんですか』
『今回に限って言えば仕方ない。また、認知度が上がればより嫌われもするだろうが……まぁ、それも致し方ない。捕まらなければ良いだけだ』
『まぁ、確かに……』
それを聞いたザカライアが改めて口を開く。彼の口調はあくまで軽やかだ。
「どうだ。出来そうか。それとも怖気づいたか。女王と国の大敵を相手にして」
彼の言葉は少し、からかうような空気を含んでいた。ルーファスは唇を引き結ぶ。一族の長、そして父に信頼を向けられ、ここで引くのは男じゃない。
「…………いいや。やらせてくれ。その役目、喜んで引き受ける。ダドリーがいざ召喚を実行する時、眼の前に現れればいいだけだ。なんならそのままその首刈ってやろうか」
「それは頼もしい。だが、ダドリーを群衆の前で殺害することについては……フランシーヌさん、いかがですか。大罪人の処遇、貴女ならどう下すのか」
ふいに話を振られ、法の番人、治安判事であるフランシーヌがびくりと肩を震わせる。うろうろと視線を彷徨わせ……しかし、もう一度ザカライアを見つめ返した時、彼女に迷いは無かった。
「もし可能なら、生きて罪を償わせるのが妥当です。しかし、彼がなんらかの形で民や周囲の人間を傷つけようとするなら、殺してでも止める他ありません。
その場合の殺人は、避けられぬものと判断します」
「そうですか」
2人の心は決まった。明日、それぞれの役目を果たし、ダドリーの凶行を食い止める。そしてそれは、カヴァデイル、マールヴァラの一族それぞれの決意でもあった。沈黙を貫くレイモンド、サマンサ、ゲーアハルト、ハイデマリー、そして2人の隣に立つエメリヒが小さく頷く。
この場の血族全員がこの作戦を了承した。
ザカライアはそれをちらりと確認し、セシルに向き直る。
「では、彼らの意思は固まりました。セシル様、皆様、いかがですか。死神に1つ仕事を任せてみるのは」
ここで最後の承認がセシル他、重役貴族たちに任された。セシルは最初驚くばかりだったが、死神から具体的な案が告げられると、真剣な眼差しでその言葉に聞き入った。
そして今。両手を卓に乗せ、ザカライア、そしてゲーアハルトに向かって大きく頷いて。
「わかりました。本来、我ら政治を預かる者が犯罪者を頼ることなどあってはなりませんが。今回に限って言えば、背に腹は代えられません。その案を、実行しましょう」
「………………!」
セシルが言い切り、他の貴族たちもそれぞれ首を縦に振る。決まった。最後の戦い、真の決戦は明日の夜だ。
ルーファスが、フランシーヌが、少しの緊張と共にその空気を噛み締めていると、目の前でひそひそと囁く声がある。正確には
『……時に、ラッセルと蘇生法関連はどうなっていたかな。サマンサ、詳しい期限を覚えているか』
『ええと、日付自体は明日なのですが。その上で時間的には、深夜が最後の期限だったと思います』
『では、最悪夜の鎮魂祭、死体を燃やされるまでにラッセルを救えれば蘇生法に間に合うな?』
『そうなります。……あ』
二人が口も動かさず会話していると、バタバタと廊下を走る足音が聞こえる。ここに居ない人物が急いでこちらに向かっている、ということは。
「父上! お話お聞かせください!!!
……あらっ?」
「お帰りなさい。丁度良かった」
バン! と扉を開け放ち飛び込んできたのは、イルムヒルデと冒険者たちだった。それはまるで、ルーファスたちがこの屋敷に帰ってきた時のように。突然物々しい光景が眼の前に現れた彼女たちは、唐突に背筋を伸ばした。
「えっあっ、非礼な振る舞い、失礼致しました! えっと、父上っ……」
「落ち着け。大方マールヴァラ家の悪評が出回っていることについてだろう。今その話をしていた。心配をかけて済まない。……ああ、イルムヒルデ。それと立っている者全員。そこに腰掛けるといい」
「…………!」
ゲーアハルトに声をかけられ、娘イルムヒルデとルーファスたちは並べられた椅子にすっと座ったが。冒険者一行──特にウィルマーは、少し躊躇う素振りを見せた。一旦床に視線を落とし、そしてキッと上げる。
「……ゲーアハルト様、聞かせてください。オレ達は、貴方を信じていいんですか? 本当は、水晶を運び込んだのも、禁書を盗んだのも、貴方、だったりしませんか……?」
「ちょっと、アンタ死にたいの……?!」
最後の最後で、疑う気持ちを捨てられなかった。傍らのティナが静止しても、逃げ出さなかった。ウィルマーが拳を握りしめ、ぶるぶる震えている。彼なりの正義と勇気。それを精一杯伝えているのは、その場の全員によくよく伝わった。
「──もし、彼等が信じられないなら。帰りなさい。誰も責めやしない。元々貴方たちの手に余る案件だったのだから」
その彼に向かって、凛とした声を響かせたのは誰であろう。この場でおおよそ最も幼い容姿をした、フランシーヌだった。全員が少し驚いて彼女を見る。
「本当は、どちらなのだろう。そう思っているのね。
そうよね、貴方たちはダドリー側の誰とも出会っていない。血まみれでダドリーの執務室から禁書を持ち帰ったサマンサ様の姿も、禁書を渡し世界を壊すくらいなら何度その身を焼かれても耐えると叫び死んだハイデマリー様の姿も、貴方たちは見てないのだもの。
全て私達の巧妙な嘘。そう思っても仕方ないわ」
「……………………!」
ちら、とウィルマーが名指しされた2人の姿を見る。サマンサもハイデマリーも、特に表情を変えることはない。彼女達にとってそれは、日常だ。特に誇ることでもない。
ウィルマーが、ティナが、冒険者達が真っ青になってフランシーヌを見つめる。彼女は小さく笑った。
「賢いわね。他人の言葉に惑わされないその姿勢。偉い偉い。だから、帰っていいのよ。明日のサタン召喚の儀はどのみち止められる。仮に私達がみんなグルで犯人なら、逆にダドリー様が頑張るはずよ」
「………………!!」
ここまで煽られてもなお。ウィルマーは固まったままだった。眉間にシワを寄せ、きゅ、と一歩片足を下げる。
「ここで帰ったら、オレたちは殺されますか」
「いいえ。今世間ではマールヴァラ家が悪の側なのでしょう。貴方たちがこれから何処で何を言おうと、特に状況は変化しないわ。殺す価値もない」
「そうですか」
一言呟いたウィルマーは、そのまま踵を返した。「行くぞ」。仲間にそう告げ、颯爽とグレートホールを出ていく。
「ちょ、ウィルマー、ねえ、本当に?! 本当に帰るのアンタ?! ねえ!!」
ティナが慌ててそれを追いかけ、ヘクター、クラリスが不安そうな表情でそれに続く。やがてけたたましく響くティナの声も聞こえなくなった。
しんと静まり返る一同。次に口を開いたのは、
『父様、兄様の遺体らしき鎧を見つけました。丁度その時ダドリーが現れたので、鎧を運ぶことを諦め、指の血で
冒険者の皆さんはその時戯言を吹き込まれ、真に受けたようです』
『……ふむ、では彼らも最低限の仕事はしたか。おいルーファス。明日、鎮魂祭の前にラッセルを担ぎ出すことは出来そうか? とにかくあれさえ外に出せれば、あとはどうとでもなる』
『そうですね……』
ザカライアがルーファスに話を振る。ルーファスはうーんと考え、探り探り自分の意見を述べた。
『多分ですけど、サタン召喚が目前となった今、ダドリーの中で兄様の死体の価値は低いと思われます。なので、恐らくネックとなるのは何も知らない警備の兵士。「鎮魂祭で燃やす主役の鎧」というくくりで守っている彼らを出し抜ければ、なんとでもなると思います』
『では、細かい奪還の作戦はお前に一任する』
『わかりました』
そこで、イルムヒルデがちらりとルーファスに視線を向ける。
『兄様、私と鎧には魔術的な縁を結んであります。なので、私の
……強いて言えば、ダドリーが弩級のサディストで、わざわざ遺体を焼く……などしてなければ良いのですけど』
『大丈夫、鎧は明日の主役。いかにダドリーでも、早々手を出せないだろ』
『それもそうですね』
そこまで話したところで、ゲーアハルトが小さく咳払いした。彼は影の一族が
「まぁ、ちょっとした混乱もありましたが。最後に明日の作戦を確認しましょう」
まず、フランシーヌがカヴァデイル、マールヴァラ両家の全員を拘束し、女王の前まで連れて行く。その際、沢山の見物客(=アリバイの証人)が集められるとより良い。
一方死神は、パトリックの姿で鎮魂祭に参加し、ダドリーに不穏な動きがあれば即死神にチェンジ。ダドリーの凶行を阻止する。
仮にダドリーがサタン召喚を完遂した場合は、全員の拘束を解き、全力で討ち滅ぼす。女王派の兵力もそれに合わせて待機させ、戦えるようにしておく。
(なお、ラッセルの死体は鎮魂祭準備の段階で盗み出す。死体はカヴァデイル家に運び、機が熟すまで待機させておく)。
これが、今彼らに出来る最善。
さて、この作戦が吉と出るか凶と出るか。
1563年 5月4日 夕
噂と混乱、喧騒と恐怖が渦巻くホワイト宮殿。影の一族が、ダドリーが、「Xデー」と目した5月4日の夕暮れが訪れた。
空が紫色に染まっている。夕暮れの赤、宵闇の青が混じり、宮殿に様々な影を落とす様は、いっそ見とれるほど美しかった。だが、最悪。皆がしくじればこの美しい光景は血と炎で赤く染まり、悪意で
きっと守る。女王も、この国も、みんなの幸福も。
ルーファスは、一旦パトリックの姿でこの宮殿にやってきた。軽く肩でそろえた紺糸の髪、殺気を殺した優しげな灰色の瞳。一旦服を着てしまえば、鍛えた筋肉など完全に隠れ、ほっそりしてどこにでも居そうな大人しい青年に見える。
今日は鎧を身につけない。武器も要らない。魔術的な守備力を上げるローブすら要らない。機動力重視。ただその代わり、そうであることを気取られないよう、兵士に支給される安っぽい外套だけは羽織ってきた。これで彼はこの宮殿に居ても、所属と身分を明らかに出来る。怪しまれない。
「うお、パトリック! 久しぶり! しばらくどこ行ってたんだ?!」
玄関ホールを突っ切りしばらく歩くと、奥の一団から見知った顔が走り寄ってきた。確かになんだか久しぶりな気がする。それは、数日前まで先輩兵士として何日か面倒を見てくれた、城内警備勤務のチャーリーだった。
「ちょっと、お前が居ない間に色々あって! ヤバくて! もしかしてお前も増援か? 今日の鎮魂祭、当初の予定より人を増やしてるんだってよ!」
「ええ、聞きました。僕、しばらく体調不良でお仕事来れなくて……でも最後くらいはきちんと顔を出そうと思って。今何してるんですか?」
真っ赤な嘘、だが。パトリックはしれっとした態度で彼について行った。おお、パトリック。妹ちゃんはどうした? 久しぶり! 口々に無数の兵士から声をかけられる。
「えーと、今ぁ? とりあえず、水晶に魔力の薪的な物をくべて……鎧に火ぃつけるとこかな。とにかく量が半端なくて。丁度いいや、お前も手伝ってくれよ」
「はーい、わかりました!」
朗らかに返事をしつつ。パトリックは内心どっと滝の汗をかいた。待て、今火をつけるだって?! 兄様が! 兄様が燃える!!!!
『スカーレット、助けて! もうすぐ鎧に火をつけられる! 兄様を今助けないとヤバい!!』
『わかりました、少し待ってください……』
『
『え、あ、えーっと……あ! あれか?!』
『見えたなら多分それです』
パトリックが辺りを見回すと、奥の方にほんのり光る鎧があった。あれだ! ついに見つけたぞ、兄様!
『あとは他の兵士たちに気取られないよう、運ぶだけですね。お願いします』
『よーし任せろ!』
パトリックは急いで鎧の山を登り、光る鎧の手を掴んだ。その感覚に、少しゾクリとする。確かに空っぽの鎧というよりは、死体の手を掴んでいる感覚だ。兄様……一週間、ずっとここに閉じ込められていたなんて。今、助けてあげるから。
「おぉーいパトリック、どうした〜? 薪はこっちだぞ〜〜」
「はい、すみません! ちょっと、猫かなぁ……動く物が見えた気がして! 燃えたらマズイですよね〜?」
なんでもいい。ここから出れるなら。パトリックは細心の注意を払い、チャーリーに大嘘を叫び返した。
大丈夫。ここは兵士が多数出入りしているけれど、少し移動すれば互いが見えなくなる。ずるりと引きずって。鎧の山さえ下れば安全に移動出来る。
もう少し。
成人男性1人+全身鎧というのは、さすがにすこぶる重かった。しかし、今、これを下れば。
(よっしゃいける!)
〈
勝った!! 咄嗟に思った。彼の転移の魔法は術者が触れてさえ居れば、特に抱えていなくても他者と一緒に移動出来る。
抵抗、妨害なし。パトリックは無事カヴァデイル邸に移動することが出来た。
本家の屋敷、広い広い玄関ホール。スゥと現れたパトリックの姿に、金茶の髪の女が駆け寄ってくる。
「ルーファス! ら、ラッセルはッ…………」
「大丈夫です、奥様。無事……運べました……!」
彼女の名はドロシー。ザカライアの正妻、ラッセルたちの母だ。ずっと心配していただろう、せめて一週間経った死体が綺麗とは思えないが、きちんと本人確認をしておこう。バフ剥がしを何度も何度もかけ、そっと鎧の兜部分を取る。
冷たく、やや茶色くなった肌。硬い身体。しかし、皆が恐れるほど腐ってはいなかった。美しい金髪も、長いまつ毛も、高い鼻もそのまま残った、よく知った兄の顔だった。
「…………。兄様、です」
「ぅ、ウワァアアアアア!!!」
ドロシーは泣き崩れてしまったが、決して悲劇の結末ではない。ようやく取り戻せた。そして、彼らの戦いはここから始まるのだ。
(よっしゃ、気分いい。今に見てろダドリー。次こそけちょんけちょんにぶっ殺してやるからな)
意気込むパトリックの胸元には、きらりと魔法完全無効化のネックレスが光っている。
Xデー当日。
影の一族、最後の戦いが始まる。
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