第16話 悲願




 1563年 5月2日 午前



 

 二人分、しこたまバフをかけた後空間転移。「今この瞬間から戦いが始まるかもしれない」と思いながらの移動は正直心臓に悪いが、これしか出来ないのだから仕方ない。す、と宝物庫の前に到着する。

 

「…………ッ」

 

 共にすぐさま身構えるが、ソロモンの姿はない。暗く細い通路の横に大きな扉……恐らくどデカい水晶が納められている宝物庫があるだけだ。


「……居ない……」

「まだ来てないのでしょうか。宝物庫開けちゃいます?」


 フランシーヌがすいと扉に触れると、


 バチン!!!!


 大きな音が響き、空間がぐにゃりと歪んだ。


 何だ?! まさか、異空間に送ってそこに閉じ込められるとか?! しまった……!


 ルーファスが慌てるものの、ぐにゃぐにゃ揺れる視界はやがて収まり……


「あっ!」


 違う空間に出たかと思ったが、違った。「空間が拡張している」。通路しかなかった宝物庫の前、廊下の壁がどういう仕組みか真横に移動して、ぽっかりと広い部屋が出来た。

 これが真の決戦の場だ。


「出てこいソロモン! どうせどこかから見てやがるんだろう!?」


 ルーファスは思わず叫び、辺りを見回してしまう。いつ、どこから攻撃が飛んでくるのか──


「むううう!!!!」


 その一瞬の無音、極度の緊張状態を破ったのは、すぐ背後からの鈍い「音」だった。瞬間的に飛び退き距離を取ってしまうが、直後に後悔する。


(そう来たか……!!)


 フランシーヌが、宙に浮いている。苦しげにもがき、口元と腹部それぞれに手をやり、を引き剥がそうとしている。上半身はすっと真っ直ぐなのに、両脇が開いて脚だけバタバタしている様は、丁度「誰かに抱きかかえられている」ような。


不可視インビジブルの魔法……! そうか、だからあの時!)


 一瞬で理解した。昨日ソロモンが引く時、闇のオーラに溶けて消えた。何故? 「瞬間移動の魔法は原則、カヴァデイルの血を引く者しか使えない」。これは世界の法則。魔法の属性は遺伝子血液によってのみ伝達され、訓練などでは増えないからだ。


 しかしあの時、ソロモンは確かに。姿を見えなくさせたからだ。もう一度言うが、魔法使い同士の突発的な戦闘は一旦引くのが一番賢い。ソロモンはあの時姿だけ眩ませ、あとは普通に歩いて自陣まで帰ったのだ。


 そして今。ソロモンが不可視の姿で取った先手は、バッファー兼回復役、つまり戦闘の要たる後衛のフランシーヌを無力化することだった。ルーファスにせよフランシーヌにせよ、どうせどんな魔法も攻撃も一撃目はマトモには入らない。ならば、相手の身柄をシンプルに捕まえて気絶か窒息死させようという考えだ。


「むううう、ぐううう!!!!」


 だが、拘束されたフランシーヌはただでは転ばない。必死に抗い、ブンと下半身全体を持ち上げたかと思うと──


「ふん!!!」

「「ァ゙ッ」」


 ガツンと鋭い蹴りをソロモンの、多分股間に入れた。

 瞬間、フランシーヌの身体がぐんと床に落ちる。拘束は解けていない。正確には、あちらもガチガチに守備の魔法をかけているので、ダメージ自体は入っていないと思う。しかし男性たるもの、ここを蹴られたとわかって動揺しない奴は居ない。恐ろしい。見ているルーファスも思わず玉が縮み上がった。

 そこで空気を変えたのは、豪胆の化身フランシーヌだ。


「……ッ、死神! ボサッとするな殺せ!」

「!?」

「私ごと貫け! こんな卑劣な奴に遅れを取るな馬鹿者!!」

「!」


 暴れた事で口元の枷が外れた。そこで告げられたのはある意味、一瞬でありながら確実な勝機だったが。コンマ1秒、ルーファスが得意の早撃ちで魔法を打ち込めば、その瞬間こちらの勝ちが決まったが。

 そこまで出来るほど彼の精神は鬼畜ではなかった。


「……あっ逃げた! どうしてです、やれば良かったのに!」


 無理、と叫ぶ前にあちらさんがフランシーヌを手放したらしい。フランシーヌは淡い金髪を翻してこちらに駆けてきた。


「え、無理ッ……いくらなんでもそれは……」

「根性なし! 極悪非道の暗殺者のくせに、この土壇場で怯むんじゃないわよ!!」

「……ふふ」


 なおも何か言い募ろうとするフランシーヌの、少し向こう。ソロモンが初めて口を開いた。


「さすが敏腕治安判事サマ、覚悟が違いますね。まさか捨て身も辞さないとは……あーあ。アテが外れました。危なかった、彼が怯まなければ本当に死ぬところだった」

「フン、もったいぶってこんな姑息な手を使って。貴族つきの魔法使いが聞いて呆れるわ」


 ゆらり。空間が微かに歪んだ。あるいは、熱を孕んだ。声こそ確かに聞こえるものの、ソロモンの姿は未だ見えない。それでも如実に、彼が気分を害した事がわかった。


「……クォーターエルフの治安判事。まともな攻撃魔法も使えないチビガキのくせに、言ってくれるな」

「ハッ、たかだかハタチ前後の青二才がよく言うわ。エルフの血を継いだ私の力、今こそ見せてくれる!」


 自信満々に言い放つフランシーヌ。一瞬青くなったのはルーファスだけ。両者気合十分。バチバチと魔力のオーラが宙を爆ぜる。


〈清らな姿を晒せ! 天葬アンゲルスダージ!〉

毒蛇のセルペンス接吻モールデレ!〉


 属性こそ違うが、共に相手のバフを引き剥がす魔法。しかし、短文ながら呪文詠唱を必要とするフランシーヌの方が圧倒的に不利。バチン! 甲高い音を立てて互いの魔法がヒットした「この瞬間」が勝負所だ。


暗黒のニゲルサジッタ!〉


 間髪入れず、ルーファスが攻撃魔法を速射する。さっきソロモンが魔法を唱えた瞬間、抑えてはいるのだろうがじわりと魔力のオーラが見えた。あそこが本人の居場所だ。


(この「太さ」ならある程度魔力が保つ……多少逃げられてもぜってー逃さねぇ!!)


 所詮ソロモンは、魔法が無ければただの人間。生身で動ける範囲には限りがある。当たりをつけてその付近に魔法の矢を乱射させれば、如何に見えない相手でもどこかで当たるはずだ。


(暗殺者の魔力コントロール舐めんなよ……!)


 スン、と最初に当たりをつけた場所を矢が通過していく。想定済。ではその周囲。矢を消失させないまま魔力を流し、バッと拡散させる。


(八方向に撃てばどこかでかすめる!)


 結果、


「……!」


 パ、と小さく弾けた気配がした。何も無い空間から床に鮮血が落ちる。当たった。直撃じゃないとは言え収穫だ。


「オラオラ、せっかく見えないのに無様だな! 次は十六本の矢を撃ってやろうか! もっと増やせば逃げ切れなくて死ぬかもな!?」


 勝機が見えた、そう思った瞬間。


白竜のアルブス怒りフィーニス!!〉


 ズドン!!!


 「どでかい何か」がぶつかり、ルーファス、フランシーヌ二人共の身体が吹っ飛んだ。恐らく大方が防御魔法で軽減されているので「ポンと放り出された」で済んだが、そうでなければ確実に「当たった瞬間死ぬ」衝撃だろう。


「!?」

「黙って聞いていれば、笑わせるじゃないか。『面』で攻撃出来ない魔法使いがなんだって?!」

「ッ、」

 

〈慈愛の女神エウメニデスよ、我らに加護を!

 原初のルークスアルマ!〉


白竜のアルブス怒りフィーニス!!!〉


 早口で告げる追加の詠唱がからくも間に合う。ソロモンが唱えたのは「壁ほどのサイズで襲いかかってくる吹雪」の魔法。即座に「真っ白な壁」が二人を襲い、またしても後ろにふっ飛ばされる。これも追加のバフが無ければ即死レベルの威力だ。まるでじわじわいたぶるように。ソロモンは撃つ度に攻撃魔法の出力を上げている。


「ふははは、昨日もそうだったな死神! 速射とコントロールこそ見事だが、執拗に個人を狙うその矢。魔力量に難があるんだろう。だから広範囲の魔法が気軽に撃てない!」

「……ッ!」

 

「どうする? 私はまだまだ蓄えがあるぞ……次も、その次も! 貴様ら二人を押し潰す魔法はまだ全力じゃない!」

「…………ッ」


 これみよがしにソロモンが手の内を明かしてくる。こちらの弱点はしっかり見破られた。本気の撃ち合いをしたら、確かにこちらが先に魔力ガス欠になるだろう。


(でもなんでだ?)


 不意によぎる疑問。


「ハッ、じゃあ一気に終わらせろよ。何チンタラ喋ってんだ。よくある奴だろう? 勝負がついてないくせに敵前で勝利を確信する、傲慢と油断が敗因に繋がる。なんて!」


 傍らのフランシーヌを見る。小柄な彼女はルーファスの視線を受けるとこくりと頷いた。多分、わかっている。


「なぁに、そちらとこちらの詠唱速度を思えば、こちらの勝利はほぼ絶対だ。ならば決着がつく前に、冥土の土産として面白い話をしてやろうと思ってな」

「ほーん? その間反撃していいか?」

「構わんぞ」


 不可視の空間から届く余裕の返答。ルーファスはありがたく、声の方向に黒矢を放つ。


暗黒のニゲルサジッタ!〉


「フランシーヌ、貴様姉の仇を探していたな。そしてそれは死神であると当たりをつけ、必死に追っていた」

「そうですよ、何の因果か今はその憎い相手と共闘関係にありますけどね」


 二人が言葉を交わす間、スン。と何も無い空間を矢が飛んでいく。音の聞こえる方向に撃ってはいるが、そう綺麗にヒットしない。何せあっちは見えず、こっちの攻撃は見える。基本、避けるだけならあっちが有利だ。


「ならば朗報だ、そいつは貴様の仇ではない。私だ。私が貴様の姉、フォスティーヌ・ビヴァリーを殺したのだ。クォーターエルフの姉妹治安判事、有名だったものな!」

「…………!!!!」


 凍りつく空気。ひゅ、とフランシーヌが息を飲む音が聞こえた。一方のソロモンはふふ、と吐息を漏らす。


「死神ほど有名ではないが、これでも私も暗殺の仕事をしていてな。3年前、覚えているぞ。治安判事は私の敵でもある故、仕事を見られたからには殺すしかなかった。まぁどんな因果か、妹の方も手にかけることになりそうだが!」

「…………ッ、貴様ぁ…………!!!」


 美しいはずの顔ばせを歪ませ、凄むフランシーヌ。その遥か向こうでカツン、と黒矢が拡張した壁に当たる。直後跳ね返り、こちらに戻って来る──


(やっぱそうか!)


『フランシーヌ、俺達の守りを固めろ。俺がお前に最後の花を持たせてやる』

「……ッ?!」


 最早隠し種を惜しんでいる場合ではない。ルーファスは長らく秘密にしていた伝達魔法テレパシーで話しかけ、秘策をフランシーヌに授ける。小さな魔法使いは一瞬疑問の表情を浮かべたが、指示に対するレスポンスは迅速で。


〈慈愛の女神エウメニデスよ、我らに加護を。

 原初のルークスアルマ!〉

黒華の舞ブラックバロー!!〉


 少女の詠唱が終わるより早く、ルーファスは闇のオーラを周囲に展開し、輪に変えて。それがパラリ、と散り散りに分裂して。


「ソロモン! せいぜい無様なステップを踏みやがれ!」


 もはや大技を撃つのも怖くない。ルーファスは周囲に展開した黒華の花弁六十四枚、全てを射出した。


「んな……?!」


 こっちにはフランシーヌの防護魔法がかかっている。仮に触れても問題ないので、とにかく声の方向に飛び込んでいく。


「姿が見えないだ? だったら引っ掴んじまえばいいんだよな!」


 走るルーファスの視線の先、バチバチ! と花弁の進路が歪む。ソロモンはあそこだ。


「お前、どーせ普段魔法使いとしか戦わねーからこういうのは新鮮だろう!」


 狼狽えた気配のある「そこ」に手を伸ばす。じわりと空気が揺れる場所。ソロモンのおおよその体格を思い出し、見えないが確かに存在する胸ぐらを掴む。布の手応えアリ。


「ふん!!」


 次いで下腹に鋭い膝蹴り。実質ダメージは入らなくてかまわない。大事なのは相手の意識を散らすことだ。


「こちとら何年兵士やってると思ってる!!」


 怯んだだろうソロモンの全身、その姿勢を思い浮かべる。胸ぐらから手を離し、丁度肋骨ど真ん中にさらに蹴り。


「フランシーヌ、バフはどれだけ剥がした?!」

「今多分最後です!」


〈清らな姿を晒せ! 天葬アンゲルスダージ!〉


 フランシーヌはルーファスがソロモンの気を引いている間、バフ剥がしの魔法をかけ続けていた。これが最後。ついに不可視を破り、ソロモンが姿を表した。床に吸い込まれ、乱れ舞う長い銀髪。青い目を真ん丸に見開き、そんな魔法使いが居るものか。と目で訴えている。


「残念、俺は魔力量を拡張しない代わりに格闘に力入れたタイプの魔法使いでな! 来世で会ったらそういうのに気をつけな!」


黒狼の咆哮ヘルハウンド!!!!〉


 ドスン!!!!


 真下から闇の一撃。そして壁に当たって跳ね返った黒華の花弁が一点に集中し、ソロモンの細い身体を滅多刺しにした。


「…………!!!!」


 床から生えた闇の槍、というべき物体に胸を貫かれたソロモンは、動くことも叶わない。宙吊りに似た体勢でとめどなく血を垂らし続けた。命が尽きるまであと何秒だろう。その無様な姿に、フランシーヌが近づいていく。


「…………貴様が姉さんの真の仇、か。いいザマだ。せいぜい苦しめ」

「………ッ」


 かは、こほ、と必死に息をしようと苦悶するソロモンを一瞥したフランシーヌは。しかし次の瞬間、くしゃりと泣きそうな顔をした。


「……でも、姉さんはこんな結末を望まない。死んで楽になれると思うな。犯罪者に与えられるのは死ではなく、死より重い償いであるべきだ。

 よって。治安判事フランシーヌ・ビヴァリーの判決は……『寿命が来るまで監獄にぶち込まれて惨めな余生を送れ』」

「……!」


 ルーファスが気持ち数秒、ソロモンの命を残したのは、最後の沙汰をフランシーヌに選ばせるためだった。そしてフランシーヌは、その数秒を「ソロモンを救う」という結末に変えた。


「…………ふ、は、は」

「笑ってんの? キモいんだけどクソ野郎」

「──────」


 こうかいするぞ、と言った気がする。けれど、フランシーヌは確かにソロモンに魔封じ、拘束魔法、そして回復魔法をかけ、それを見たルーファスは闇の槍を消し去った。


「…………これで良かった、んだな」

「ええ、いいの。私は治安判事であって殺人犯ではないから」

「…………」





 Xデーまであと2日。



 




 

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