第17話 交渉




 1563年 5月2日 午前



  

 するすると異空間の壁が縮み、拡張されていたが戻っていく。どういう仕掛けかわからないが、これで一行は宝物庫の前に戻るらしい。

 ルーファスは空間の調整が終わるまでの間、ソロモンの健康状態を改めてチェックすることにした。

 

 服は出血でびしょびしょに濡れているが、あちこち探る限り、傷はもう塞がっている。脈、呼吸正常。意識もはっきりしている。 

 立たせてみる。歩くことも出来そうだ。これだけ元気ならもう大丈夫だろう。あとはエメリヒにこいつを突き出すだけ。あるいは貴重な情報源として、常人には思いつかないような取り調べをしてくれるはずだ。


 一安心したルーファスは、にやりと笑ってソロモンに視線を送った。パンとその背中を叩く。


「そういや、お前せっかく命拾ったんだ。有効活用してけよ。お前の上司、何聞いても『部下が独断でやった』ってうそぶいてた。このままじゃ全責任負わされて殺されるぞ。俺達の仲間にならないか? いい働きしたら高跳びの手伝いくらいしてやるぞ」

 

「まさか。フランシーヌ様がそれを許さないでしょう」

「どう? フランシーヌ。いい案だと思わないか?」

 

「貴方馬鹿なんです? 魔法使えるようにした時点で逃げ出すに決まってるじゃないですか」

「あそっか」


 軽口すら叩きながら。勝利の余韻を噛み締めていると、ふわりと魔力の揺らぎが感じられた。調整は恐らくこれで終わりだ。さて、宝物庫の中身は、と。


「じゃ、俺達が勝ったんだ。この中身見せてもらうぜ」

「…………」


 封印は既に解かれているようだ。魔法の鎖でソロモンを捕まえているフランシーヌ、そして身軽なルーファスが鈍重な扉を開く。重い音が響く。

 そこにあった物は──


「………………なっ…………」

「まぁ、想定はしていたよ」


 空っぽだった。正確には、宮殿本来の「宝物」はしまわれている。きちんと整頓され、高価な食器や貴金属類、女王のゴージャスなドレス(式典用)などが並べられている。

 しかし、こちらの想定した“巨大な水晶”も“兄の死体”も入っていなかった。


「想定はしていた、ってどういうことです?」

「こいつらはとことん卑怯だ。昨日『明日一緒に開けよう』と約束して一旦引かせて、こちらの監視の目がないうちに中身を移動させたのさ。そうだろう?」

「……!」


 ルーファスがちらっとソロモンを見るが、彼は小さく視線を逸らすだけだ。どうせ図星なんだろうな。


「それとも、また不可視インビジブルの魔法をかけたか……?」


 試しに宝物庫を歩き回ってみたが、それらしき手応えはない。すり抜け……認識阻害……誤魔化す魔法自体はいくらでもあるものの、そういう類でも多分ない。ルーファスたち影の一族は、感覚操作の魔法を感知する訓練を受けている。「そこにあれば」必ず気づくはずなのだ。


(ならどこへ運んだ……?)


 一旦宝物庫から出されてしまうと、選択肢は無限に広がる。恐らく夜中に出したはずだ。人目のない時間、大の男何人かでなんとか運ぶ物体……この時間までにどこまで行けるだろう。


(……でも、遠くに行き過ぎてもまずいのか)


 例えば水晶は、鎮魂祭のために用意された。最後は必ず式典に使うはず──つまり、城の敷地の範囲内にあるのは確かだ。一方ラッセルの死体は。……仮に今出すとしたら、むしろそもそも外にあっても同じなのでは? ほとんど誰も出入りしないような場所に、不可視の魔法をかけっぱなしでどんと置いてあったら?

 正直、城中探して見つけ出すことなんて不可能だ。


「……くそ、最悪な形でふりだしに戻った」

「死神? どうします、エメリヒ様に報告に戻りますか」

「……いや、今はあの人も忙しいだろう。ソロモンを牢屋にぶち込んで厳重に鍵かけて、とにかく水晶を探しにいくぞ」


 悪態をつくルーファスの横から、フランシーヌが遠慮がちに話しかけてくる。こうなってしまうと、どう考えても二人だけでは人手が足りない。極力少人数で解決しようというフェーズも超えたはず。ならエメリヒの妹、つまりルーファスの異母妹たちにも声をかけて協力を仰ぐか。恐らく魔法で呼び出せばすぐにも応じるだろう。


「これで空っぽっつーのは、正直めちゃくちゃ痛い。もうこうなったら視覚的に細工されてその辺に放置されてる可能性があるわけだけど、残りの日数と探す範囲の広さを思うと……正直、かなり不利だ……。

 優先度を考えると、ラッセルの遺体より水晶を優先しないといけない…………」


 悲痛な面持ちでフランシーヌに告げるルーファス。フランシーヌはくしゃりと顔を歪め、唇を噛んだ。


「そう、ですね…………そう、だと思います…………」

「チッ、あぁ━━ッむかつく!」


 ルーファスは苛立ちの余り、ソロモンのふくらはぎを蹴り飛ばした。こいつに当たったところでなんにもならない。それでもこの圧倒的劣勢をどうしたものか。

 イライラと足を踏み鳴らすルーファスを見て。ソロモンはフン、と鼻を鳴らした。


「死神、ならヒントをやるよ。貴様らは大きな見落としをしている。昨日、宮殿中を掃除と称して調べ回っていたな? あの時、確実に探していないだろう場所が一ヶ所ある。ラッセルの遺体、だと思われるものはそこに隠した」

「は?? おい、そこまで言ったら答えをくれよ」

「いいや、ここまでだ。この意味がわかれば、貴様らは今夜にでも死体を見つけ、蘇生するだろう」

「はぁ〜〜〜〜???」


 驚愕するルーファスを見つめて。ソロモンはふふ、と不敵に笑った。


「ほら、貴様らに最大の情報をやったぞ。これからの私の命、保証してくれよ。ダドリー様は厳しい方だからな、私のしくじりを知ったらすぐにでも命を奪いにくるはずだ。

 それと、マールヴァラ家。あそこはえげつない拷問が十八番だと聞く。そういうのも御免だから口利きしてくれ」

「テメェ…………死に損ないのくせに偉そうな…………」

「これは取引だよ」

「ぐ………………」

「死神、乗りましょう。彼は先に情報を吐きました。この場合は人道的に保護するのが筋です」

「…………こんの、いい子ちゃんがよぉ…………」


 正直、ルーファスは「影の一族」として非道上等の精神を教え込まれている。先に情報を吐いたのがなんだ、裏切って殺そうが拷問にかけようが、選択権は身柄を拘束しているこちらにある。

 しかし、眼の前にいるのは誰であろう、犯罪はすべからく許さない治安判事のフランシーヌである。下手な真似は出来ない。


「…………しっかたねぇなぁ…………このヒントで推理してやんよ…………。ま、エメリヒに聞かせたらなんとかすんだろ…………」

「その意気です。あ、で、ついでに水晶はどこなんです? これも吐けば、減刑も見えてきますよソロモン」


 にたりと微笑むフランシーヌ。なんだ、意外と食わせ者じゃないか。

 だがソロモンはつれない。


「さすがに水晶の場所は吐けないな。最悪、これが致命傷となって計画が失敗した上で貴様らが死んだ場合、私の安全が危うい」

「ほーん、そういうことは気にすんのな」

「当たり前だ」


 どうやら、水晶についてはテコでも吐かない様子だ。ではどうするか。


「このあとはどうすっか、フランシーヌ……こうなると……」

「まずはやはり報告ですね。戻りましょう。エメリヒ様の元へ直接行くなら、この男も連れていきましょう。保護せねば」

「うう〜〜」


 気が乗らない。が。それが1番近道か。


「じゃあ行くぞ、ほら手ェ掴め。ソロモンも」

「……これは術者に触れていないと発動しない類の魔法なのか」

「そうだよ、つべこべ言うな」


 若干嫌そうなソロモンの表情に、こっちだって好きでやってるわけじゃない、とルーファスが睨むと。



『 ルーファス! 聞こえるか! 今すぐフランシーヌを連れてこっちに来い!! 』



 ビリビリ、と振動が聞こえそうなほどの大声が伝達魔法テレパシーで聞こえてきた。

 エメリヒの声だ。


『な、なんだようるさいな??』

『姉上が重傷だ、今すぐ回復してくれ!』

『!!!!』


「サマンサが重傷!?」


 思わず復唱して、次の瞬間。


亡失ディザピランス!〉


 ルーファスはエメリヒの元へ跳んでいた。








 咄嗟にそうだと思った。移動するならマールヴァラ家の執務室だ。ここに昼間来るのは少し不思議な感じがしたが、とにかく。大きな窓、火のない暖炉、毛足の長い絨毯、円座に並べられた椅子。何度も見た景色の中に、


「ッ、サマンサ!!」


 サマンサが、エメリヒに抱えられながら倒れていた。純白のドレスの腹部が真っ赤に染まり、なお絨毯を血で染めていく。エメリヒがサマンサより血の気の引いた顔をして、彼女の手を握っている。彼は一応回復魔法が使えるが、はっきり言って下手な部類だ。なんとか回復の術をかけ続けていたようだが、不安で仕方なかったに違いない。


「これはっ……私に任せてください」


 惨状を見たフランシーヌが慌てて駆け寄り、膝をつく。


〈生命の女神モイラよ、我に力を与えたまえ!

 慈愛のカリタスステーラ!〉


 添えられた両手がふわりと光り、正直、素人目にどう変化したかはわからないが。サマンサが目を開いた。意識があるようだ。


「あっ、さま、んささまっ」


 エメリヒが泣きそうな声で抱きしめる。サマンサは小さくかぶりを振った。


「エメリヒ様……落ち着いて下さい。私は死にません、大丈夫です」


 か細い声だったが、しっかりしている。フランシーヌ、そして息を詰めていたルーファスもほう、と息を吐いた。これでとりあえず一命をとりとめたようだ。フランシーヌは休むことなく、サマンサの傷を見ているが。

 話は出来るだろうか。ルーファスがそっと近寄る。


「……サマンサ、大丈夫か。状況報告出来るか」

「ええ。じゃあ手短にいくわね」


 サマンサは金茶の髪を背中に流し、一同を見回す。






 1563年 5月2日 朝






 エメリヒから事態急転の連絡を受けたサマンサは、外面重視の行動パターンを捨てることにした。つまり「使えるものは全て使う」スタイル。手始めに一通りの防御魔法を自分にかけ。次いで一族が大事に受け継いでいる瞬間転移の魔法を使い、ダドリーの執務室まで移動。彼と刺し違えてでもなんらかの成果を持ち帰るつもりで、すいと扉を開いた。


(…………いない)


 がらんとした室内。何も無いように見える調度品。……罠か。それとも。


(いいえ、恐れていても何も始まらない)


 サマンサは足音を立てぬようそっと踏み出し、証拠品の捜索を始めた。もしダドリーが何か良からぬ儀式を目論んでいるとしたら、探すべきは呪具、魔導書、魔力を秘めた装飾品あたりだろうか。


(ない、ない、ない………)


 あちこちの戸棚を探るが、それらしき物はない。そうでなくともここは一度、弟ルーファスが調べた場所だ。今更何が出てくるというのか。


(……あっ……)


 ふと、高価な本が多数並ぶ書棚が目に入った。もしかして。


(………………もし魔導書だとしたら、こういうのの中にしれっと……)


 立ち上がり、書棚の前に立つ。左から右へ──白い指で背表紙を辿り、タイトルを速読していく。


(四大元素とは、錬金術の秘密、闇魔法入門、黄泉の世界を巡る旅、生贄辞典、愛しいあの人を手に入れるには──)


 正直「趣味が悪いラインナップだな」と思った。だが、なんだこの並びは。悪意が濃くなるようなタイトルは。


(禁術と私、悪魔大全、世界呪術コレクション、

 そしてこれ、は……)


 サマンサの指が最後に辿り着いた本。それは立派で分厚い本だったが、タイトルが書かれていなかった。


「なんで、これがここにあるの…………?」


 ゾッとして思わず口に出してしまった。次の瞬間、



 ドタンッ!!!



 サマンサの身体は床に叩きつけられた。


消失リサプティ消失リサプティ消失リサプティ消失リサプティ


(ダドリー……!)


 見上げるほどの大男が、サマンサを見下ろしている。真っ黒な長髪に真っ赤なガウン。富の象徴のような姿をした彼は、闇そのものの目で、早口で、バフ剥がしの魔法を唱え続けている。


飛翔ボーランス!〉

薔薇の舞サルターレ


 咄嗟に大きく飛び退く。次の瞬間、バカンと床に深い穴が空いた。今避けていなければ、サマンサの身体がこうなっていただろう。鮮やかな手腕、敵ながらお見事だ。

 バッと相手を見据えると、ダドリーは不安定に身体を揺らし、両手で顔を覆った。ふらりふらり。ぎこちなく後ろに下がっていく。


「…………なぜ、見つけてしまったんだ。気づかなかったら見逃してやろうと思ったのに」

「……あら、私とお話して下さるのですね。嬉しいですわ。

 それはその──イチ聖職者として、見逃せなかったもので」


 先ほど見つけた本。

 あれは、正しくは「本」ではない。


 門外不出の禁書。

 かつて人類が魔王サタンと戦い、必死に封じ込めた結果生まれただ。

 

 一応、開くだけでは何も起こらない。だが、これにもし大量の魔力が注がれたら──悪意の祈りが捧げられたら──言わずもがな。この世で最も醜悪な悪魔の王が降臨する。


(……サイアク。水晶の魔力が何に使われるか、色々考えたけど。

 考えうる中で最も不味い部類じゃない。責任重大だわ…………)


 サマンサの背筋が急激に寒くなる。ここでこの本を奪取しなければ、冗談じゃなく世界が終わる。


 ダドリー対サマンサの一騎打ち。

 本を持って瞬間転移出来れば勝ちのこの勝負、一体どうなる?






 Xデーまであと2日。







 

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