白髪の魔法使い、クロウリー

第18話 危機




 1563年 5月2日 朝




 

 禁じられた魔導書グリモワール、通称黒の書。

本来であれば、これが守護神殿の奥から盗まれたとあらば大騒ぎなはずだ。あるいは既に、大騒ぎなのかもしれない。それとも。


(なんらかの形で、神殿の人間は皆殺しにされているのかしら?)


 殺気そのものを纏ったダドリーを前に、サマンサは明後日の方向の考え事をしてしまう。

 生きて帰る。そのためにすべきことを考えねばならないはずなのに。


(────!)

天使のアンゲルス角笛ホルン!〉


 危ない。意識が混濁する魔法をかけられていた。さすがこの宮殿を2分するほどの貴族だ。使う魔法のなんと多彩なことか。

 慌てて覚醒の魔法を唱え、対抗する。ダドリーは少しだけ目を見開いた。


「……よく気づいたな」

「我が家は父が過保護でして。身を守る魔法をたんまりと仕込まれましたの」


 彼の胡乱げな視線を跳ね除け、サマンサが優雅に微笑む。だがまぁ、そんな戯言信じないだろう。ダドリーは不愉快そうに眉間のシワを深くしている。サマンサの表向きの身分は聖職者の妻とはいえ、たかだか道楽商人の娘だ。こんなマニアックな魔法、普通は覚えない。


(さぁてどうしましょう)


 背後に本棚、眼の前にダドリー。白いドレスと金茶のウェーブヘアを揺らすサマンサは、一対の蒼い瞳でダドリーを睨んだ。

 彼女は戦うことを教えられた女だ。だが相手がそれに気づかず、油断してくれれば、圧倒的に肉体へのダメージを減らすことが出来る。今後を考えると、その方がいいに決まっている。しかし手を抜いて目下の任務、禁書の奪取を失敗してはいけない。


 どんな作戦でダドリーを出し抜く?

 振り返り、本を一冊抜き出すという動作のために。


(……いいえ)


 そんな日和った考えでは駄目だ。今、ダドリーがこちらを窺っているこの「間」の間に。この本を持ち帰るのだ。


「ダドリー様、お話をいたしましょう。

 ……これ、どこから入手なさったんですか?」

「……触るな」

「いいえ、だって見つけてしまいましたので。やはり、見逃すわけには……参りませんわ」


 するりと左手を伸ばし、視線はダドリーから外さぬまま。サマンサが禁書へと一歩近づく。ピクリ。ダドリーの肩が震える。


「君は、死にたいのかね?」

「いいえ。愛しい夫も可愛い娘もいる身です。生きて帰りたいに決まっています」

「では、手を下ろせ。私とて、事を荒げたいわけではないのだ。ただ、約束の日まで黙っていてくれれば……その命を保証してもいいのに」

「まぁ。なんて寛大なお方……その慈愛のお気持ち、


 痛み入ります」


 もらった。サマンサは内心ほくそ笑んだ。


「────!!!」


 電光石火の速さ、ノールックで分厚い禁書を掴み出し、


〈燃えよ不死鳥フェニックス!!〉


 ゴバ、と部屋一面を燃やしてみせた。


 一瞬で室温が急上昇し、めらめらと壁が天井が炎に包まれる。あとほんの一瞬。神よ私に時間を!


「私を殺してみろ、禁書が燃えるぞ!!」

「────!!」

「それでも良ければ、倒してみなさい……悪徒あくとダドリー!」


 漆黒の禁書を胸に抱き、高らかに宣言するサマンサ。ごく至近距離で炎に舐められる彼女は、全身が輝かんばかりの橙に染まっていた。一瞬の隙をついて、あえて瞬間転移より先に炎の呪文を唱えたのは。彼女なりに考え抜いた深い意味がある。


 魔法使いの戦いとは、常に相手の「切り札」に怯えるものだ。ダドリーが安易に必殺の魔法を撃たないのもそのせい。「何が起きるかわからない」状況で、「万に一つの失敗もすることなく」本一冊を運ぶためにはどうしたらいいか。


 下手にこちらに手を出せないようにしたら良いのである。


 最悪、サマンサ自身が瀕死になったとしても、本の奪還さえ完遂出来れば良い。

 そのために、「今ここで本が燃えたら歪んだ形で封印が解けるかもしれない」という状況すら演出してみせる。


 命も世界も天秤にかけた、危険な作戦。

 だがダドリーは確かに怯んで固まっている。

 もう一歩、こちらの勝ちだ!


「な、な……ッ、貴様は気が狂っているのか……ッ、それの危険性を理解しているんじゃないのか!」

「えぇ、わかっていますとも。この禁書が燃えたら貴方も私もこの国も、一瞬で死ぬかもしれませんわね」

「ならっ、ほら、わかった、一旦貸しなさい。さっきの言葉はどうした?! 家族の元へ帰るのだろう?!」

「ええ、帰れるなら帰りたいですわ。帰れるなら、ね」


 必死に手を伸ばすダドリーを前に、サマンサは余裕の、そして狂気的な笑みを浮かべてみせる。ちらりと禁書を炎に近づけると、ダドリーは目に見えて狼狽うろたえた。


「待て! よせ! このクソ女!!!」

「あらぁ、お口がなっていませんね。本当に燃やしてしまおうかしら」


〈燃えよ不死鳥フェニックス

「なっ……!!」


 サマンサはすいと歩き出し、本と共に扉へ向かった。木製の扉が追加の魔法で一気に焼け落ち、外へと向かう空間が出来る。ここで、周囲の居室の貴族たちの悲鳴が聞こえてきた。さて、そろそろ仕上げか。

 扉があったはずの場所をくぐる。

 これで部屋に仕掛けられた術式の類もかわせる。おおよそ全ての憂いを払ったはずだ。あとは。


「では、私はこれで。下手に手を出せばこれを燃やしますので、悪しからず」

「お、おかしい……貴様は封印の解除を阻止したいのではないのか」

「さて、どうでしょう」

「…………?!」


 ごうごうと宮殿の一角が燃える中。サマンサは恍惚とした笑みをダドリーに向けた。本を持たない左手を高々と掲げ、あるいは歌うように。あるいは恋人に語りかける毒婦のように。


「なんなら私が魔王となって、この世を統べるのも面白いかもしれませんわ」

「────く、気狂いめ!!」


 瞬間、ダドリーは脱兎のごとくサマンサに詰め寄ってきた。下手な魔法を撃つと背後に倒れ、禁書が燃える。恐らくそうなることを防ぐために、限界まで物理的に詰め寄り……


月のメンシスグラディウス!!〉


 魔力を硬化させた太い刃で、躊躇なくサマンサの腹を貫いた。

 次の瞬間サマンサは微笑わらう。



 待っていた、



亡失ディザピランス!〉


 コンマ秒の瞬間。

「ダドリーがなんらかの魔法でサマンサに襲いかかってくる瞬間」。

 呪文を一言唱え、息継ぎ一回分の「間」が生じた結果、


 ダドリーはのだ。


「!!??」


 ハッとダドリーが気づいた時には、サマンサは血溜まりを床に残し、すっかり消えていた。

あとにはただただ燃える宮殿、燃え上がる炎だけが残り、わーわー叫ぶ喧騒が聞こえてくる。

 わなわなとへたり込むダドリー。

 彼はこれでもかと両目を見開き、あらん限りの大声で吠えた。


「……………………ッくそ、してやられた!!!!」








『リー君、リー君助けて…………お腹に穴が開いてしまったわ。

 自分で魔法……かけられない…………』









 1563年 5月2日 午前









「それで、ほら。大事なブツは持って参りました。お父様が緊急避難用のアイテムを持たせてくれて助かったわ」

「サマンサ様、命がけの奪取大変感謝します。これは厳重に管理させていただきます」


 サマンサが黒く分厚い本を差し出し、エメリヒがそれを受け取る。一言嘘を足したのは、フランシーヌに気取られないためだ。なりふりかまわない状況ではあるが、今後を思うと素性を明かし過ぎるのも不味い。

 正直ルーファスからすると、あっ、そういやそんな“設定”だったな。という感じだったが。フランシーヌはそんなことよりサマンサを治すのに必死だ。とりあえず、誤魔化すことに成功したようだ。


「これで各組織、一通り繋がったと思います。ただ血をたくさん失っていますので、無理はなさらないで下さい」

「大丈夫ですよ、ありがとうございます。あとは自分でも治します」


 サマンサはすっと起き上がり、なお自らに回復魔法をかけた。元々彼女は回復役として連れてこられている。意識の阻害さえなければ、いくらでも自分で治すことが出来る。


 ……さて。この禁書はどうすべきか。


 ルーファスは未だ狼狽するエメリヒの頬を軽くぴたぴた叩いた。


「おい、これからどうすんだよ。あ、ソロモンは一旦瀕死にした後取っ捕まえて再生した。フランシーヌが生きたまま捕えておきたいんだってよ」

「……あっ、ああ……すまない」

「シスコン、しっかりしろ。こんなんじゃこのあと戦えないぞ?

 あーそうだ、ラッセルの死体。『昨日の掃除で絶対探してない場所が一ヶ所あるだろう、そこに隠した』ってヒントをもらったぞ。どこだと思う?」

「………………」


 エメリヒはサマンサが死にかけたショックから未だ抜けられてないようだ。床にへたり込んで焦点の合わない目をしている。それを見たルーファスは唇をひん曲げ、


「しっかりしろこの野郎!!」


 立ち上がり、その横頬を蹴り飛ばした。抵抗することなくふっ飛ばされるエメリヒ。サマンサ、フランシーヌは揃って身をすくませた。


「お前がそんなんでどうすんだよ、事件はまだ終わってねぇぞ! こうしてる間にもダドリーがそれを取り返すために策練ってるかもしんねぇ、こんなとこで手ェこまねいてる場合じゃねーだろ!!」

「…………貴様」

「そりゃあ、アンタ一人に全部任せて悪いと思ってるけど…………ッ」


 弟としての本音を交えつつ。


「しっかりしろ、エメリヒ・マールヴァラ! お館様に任されたんだから、最後までやりきれ!!」

「…………そんなのッ…………」


 そこでエメリヒが顔を上げる。その目は怒りで燃えている。


「貴様に言われるまでもない! この事態、私と我が一族が責任持って収拾してみせる!

 次はどうするかだって? この禁書の破棄を優先する! とにかく宮殿から持ち出し、遠くへ行けばそうそう手出し出来ないだろう! ラッセル様の遺体に関してはその後だ!」

「よーし、そうこなくっちゃな」


 睨みつけるエメリヒ、微笑わらうルーファス。二人が互いの奮起を確認したところで。


「そ〜〜〜〜はさせないぜぇ〜〜〜〜」


 ぬ、とどこからか男が現れた。フードを目深に被った純白のローブ姿。その隙間から覗く褐色の足はすねに何も身につけていない。軽装なのだろうか、民族性だろうか。いやそれよりも。


 敵だ。


 とにかくこいつは招かれざる客だ。その場に居るソロモン以外の全員がそう認識し、身構えた。


「おいおい、ちょっと顔出しただけで随分な態度じゃねえの。楽しくお話しようぜ。サルじゃねんだからさ」


 男はばさりとフードを脱ぎ、その顔を晒した。随分な自信家だ。真っ白なショートヘアに赤い目、褐色の肌。──尖った耳。こいつは、もしかして。


「あ、先に言っとくけど俺ダークエルフとかじゃねえから。南部エルフのクロウリー。以後よろしくな」


 クロウリーと名乗った男はやたら若く見えた。恐らくルーファス、エメリヒと同年代の10代だ。最も、エルフなら遥かに年上かもしれない。それはともかく。


「あらぁソロモン。捕まったの。不様だな」

「…………」

「じゃあ、サクッとな。『シネ』」

「!!」


 咄嗟の出来事だった。フランシーヌがバッとソロモンを庇い、その肩からシュパ、と血が吹き出る。一同は驚いてそれを見守ることしか出来なかった。

 クロウリーはへらへらと笑みを貼り付け、フランシーヌとソロモンを見ている。


「あら? あらら? なんで庇った? つか、よくそれだけで済んだな。なんか防御魔法かけてた?」

「かけてましたよ、さっきまで戦ってたので」

「だとしたら魔法スタミナヤバくない? 普通戦いが終わる頃には切れてるもんでしょ」

「鍛え方が違いますから」


 心底不思議そうに、大仰に首を捻るクロウリーの前で。フランシーヌはさっと自分に回復魔法をかけ、体を修復する。ソロモンとクロウリーは元味方同士。微妙な表情で見つめ合った。


「で。これは離反ということでよろしいんスかね」

「真っ先に殺そうとした奴がよく言う」

「違うよ。お前の意志じゃなく、そちらさんの意志を確かめたのさ。別にお前が死のうが生きようが、本来関係ないだろ。でも……庇ったってことは、生かして使ってことだ」


 クロウリーは緩く笑んだまま、すうと片手を上げた。やばい。こいつの詠唱速度を考えるに、多分先手を打たないと勝てない。ルーファスは、この中で1番速く撃てる自覚がある彼は、咄嗟に攻撃呪文を放った。


暗黒のニゲルサジッタ!〉

「うお、速ーい!」


 不意をつかれたクロウリーは、しかし動じない。当然のように守備魔法で備えてきているので、一歩も動かずその矢を受け止めた。黒矢は刺さることなくじりじりと横腹にぶつかっている。


「やぁ、手荒い歓迎だな。感激しちゃう」

「うるせぇ、御託はいいから用件を言え。こっちに有利になる取引なら応じるが、それ以外ならお断りだ」

「え〜〜〜〜、そんなんわかってるだろ」


〈ハカイ〉


「!!!!」


 クロウリーが一言口にした瞬間。パカン! くらいの軽快な音を立てて、しかしこの部屋の床が粉々に割れた。


(やられた!!)


「禁書を返してもらいにきたに決まってんだろ! ついでにダドリー様の部屋を燃えカスにしてくれた礼として、ここもぶっ壊してやる!!」


 術者のクロウリーは先々に備えて居たためか、平然と宙に浮いている。一方ルーファスたちはぽんと空間に放り出された。マールヴァラの執務室は3階にある。最悪、その高さを落ちなくてはならない。


(禁書……ッ)


 ルーファスがサッと周囲を見ると、エメリヒと目があった。その手に禁書を持っている。クロウリーとあれこれ話している間に確保していたようだ。賢い。


(じゃあフランシーヌ!)


 ルーファス、エメリヒ、サマンサは瞬間転移の魔法が使える。こんな状況でもそう死ぬことはない。だがフランシーヌはそうもいかない。保護するならこちらだ。


(間に合え!)


 必死にフランシーヌに向きなおり、手を伸ばす。





 Xデーまであと2日。 






 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る