第19話 一族



 

 1563年 5月2日 午前

 


 

「フランシーヌ! 捕まれ!」

「…………!!」


 急激に落ちていく間の、ほんの数秒の出来事。フランシーヌは危機的状況でも怯まず、しっかとルーファスを見てその手を掴んだ。最悪、これで跳べばいい。そう思っていると、


飛翔ウォーランス!〉


 低いが明瞭な声が響いた。瞬間、ぶわっと身体が上空に押し上げられる。圧迫感こそあるが、これは多分重力と急加速のせいだ。気がつくと、ルーファスの身体は全く苦しくなくふわりと宙に浮いていた。


「……あーららぁ、真打ちが出てきちゃったか」


 丁度ルーファスの目の高さにクロウリーが居る。おどけたように肩をすくめる彼の視線の先。そこに居た、エメリヒでもルーファスでもない声の持ち主は。


「父上!」

「ゲーアハルト様!!」


 黒いローブを纏った、エメリヒの養父ちちだった。正確には商人ザカライアの弟、ルーファスの叔父。長い黒髪を後ろになでつけ、紫紺の瞳でクロウリーを睨みつけている。


「息子とその友人たちが世話になったな。

 私が来たからには、貴様のような小物に好き勝手はさせん」

「ええ〜〜、マジかぁ……来るの早すぎない?」

「私の執務室を破壊するからだ」

「あっ、あれかぁ! なんかセンサー的な魔法をかけてたんだ?」

「宮殿の修復にどれだけかかると思っている。代償は高くつくぞ」

「ええ〜〜、先にこっちの部屋をぶっ壊したのはそこのお嬢さんだよ?? 言うならそっちに言ってくれよ!」


 クロウリーに指を差され、ゲーアハルトがサマンサを見る。サマンサは焦った様子でてへ♡と笑っている……彼からすると可愛い姪っ子だ。まぁ、許すよな。


「サマンサ様。どのようなお考えでそのようなことを」

「禁書黒の書を、どうしても確保せねばならなかったので。ダドリー氏に妨害されぬよう、駆け引きと脅しのために火を放ったのです」

「………………。無理はなさらないで下さい」


 何せサマンサは、今でこそピンピンしているが、その白いドレスがゾッとするほど血塗れだったので。彼はそれだけである程度状況を察したようだった。


「フン、封印されし悪魔の王が目当てか。ダドリーも貴様も酔狂だな。そのような強大な存在が人の手に収まるものか」

「いいや、やってみないとわかんないじゃん。だからさ、邪魔しないでくれよ」


 クロウリーはこれだけの人数を前にしても怯まない。宙にふわりと浮き、不敵ににやにや笑っている。よほど物凄い奥の手があるのだろうか。

 ルーファスがごくりと喉を鳴らしていると、


『──お前達、一旦引くぞ。こんな馬鹿に付き合う必要はない。全員我が屋敷に来い。サマンサもそこで身体を休めると良い』

『!』


 ゲーアハルトがパチパチと伝達魔法テレパシーで話しかけてきた。そうか、落ちる心配さえなければ、俺達はどこにでも逃げられるのか。でも──。ルーファスはちらりと彼を見る。


『叔父様、兄様の死体はどうします? またあとで探しにくる感じですか?』

『それについてはあとだ。兄上から伝達が来た。一旦体制を立て直し、新たな布陣で再びラッセルの死体探しに挑む』

『えっ……』

『いいから。今は私に従え』


 眼の前に敵。今は確かに世間話をする余裕などない。ルーファスは改めて前を向いた。視界の中のクロウリーが、にんまりと瞳をすがめている。


「今、何かお話してた? 俺も混ぜろよ」

「!!」


 死神一族の伝達魔法テレパシーを気取るとはなかなかの実力だ。だが、それでも足りない。こちらにはある意味最強の切り札がある。


「貴様。帰ってダドリーに伝えろ。我らは必ずここに戻ってくる。それまでにせいぜい


 ゲーアハルトはクロウリーを見、次にこちらを──ルーファスを見た。真紅の髪をなびかせた彼は、しがない兵士という表の皮を脱いだルーファスは、そう。

 世間でいうところの「死神」だ。


「死神を取り込んだ我らは強いぞ」


亡失ディザピランス!〉


 最後に見たのはなんだったろう。

 溶ける景色か。それとも驚愕の表情を浮かべるクロウリーか。

 一行は光となり、残像を残し、ホワイト宮殿の上空から消えた。







 1563年 5月2日 昼頃







「……ぶはぁ、助かった!」

「ここは……?」


 ダン、とルーファスが両手両膝をつく。傍らのフランシーヌは不安そうに辺りを見回しているが、ルーファスはここがどこか、確認する前からわかっている。

それでも一応見ておくか。

 彼が視線を上げると、


(やっぱりな)


 ここは侯爵マールヴァラ家の治める土地にある、彼らの屋敷。商人であるカヴァデイル家の屋敷と比べると、より広くよりスマートな印象だ。すらりと縦に長い空間は、格式高いゴシック様式。趣味に合わせて増築、改築してしまうザカライアの趣味とはまるでかけ離れた美しさだ。


 今、ルーファスとフランシーヌ、そしてその他の面子は恐らくこの屋敷の客室、グレートホールに集められている。さすが魔法特化で鍛えまくった叔父だ。咄嗟に全員を運んだのに、なんと正確な座標指定か。

 いや、驚くべきところは誰にも指一本触れず転移してみせたことだろうか。そこは体術特化のルーファスの二歩も三歩も先をいく腕前だ。まぁそれはともかく。


「ここはマールヴァラのお屋敷だ。城からかなり離れてるから、あいつらが追いかけてくる心配はしばらくないな」

「しばらく……それでも『しばらく』なんですね」

「まぁ、あいつらにとっちゃ虎の子の禁書だ。その気なら死物狂いでここに辿り着くだろ」

「そう、ですね……」


 はぁ、とフランシーヌがため息をつき、彼女も両膝をついた。ルーファスはちらと視線を送る。


「汚くないの」

「……なんだか、腰が抜けてしまって…………ここなら、しばらく安全と言われて……」

「ああ、まぁな。お疲れさん。ある程度は知ってたかもしんないけど、ここまでハードな魔法使い同士の戦いは初めてだろう」

「……貴方は、慣れているんですね」


 じとりと視線を向けて来るフランシーヌに、苦い笑みをむけるルーファス。軽く肩をすくめる。


「まぁ、なぁ」

「…………改めて貴方、人殺しなんですね。こんな戦い、兵士やそれに属する者でなければ一生一回もないのに」

「………………」


 殺しのない人生、か。それってどんななんだろな。

 ルーファスは俯き、ぽつりと漏らす。


「…………俺だって、こんな家に生まれてなけりゃそうだったろうさ」

「…………?」

「なんでも、ない」


 なんとなく、このまま会話をするのが嫌になった。丁度いい、もうしまおう。ルーファスは胸元を掴み、隠したブローチで変身した。真紅の髪がふわりと舞い、すぅと色を変えて消え、瞬時に「パトリック」の姿に戻る。フランシーヌはそれを目を丸くして見つめた。


「……あ、えと、パトリックさん、お久しぶりです」

「え、なんですそれ。僕どれぐらい死神だったんですか」


 死神ルーファスとはまるで違う表情。柔らかなパトリックの笑みに、フランシーヌは思わず下を向いた。


「どうでしょう……ソロモンと戦って、サマンサ様がサタンを封印した禁書を持ち帰って、新たなクロウリーとかいうダドリーの配下が現れて……そこから逃げて、今だから……」

「……ふふ。イベント盛り沢山だったんですね」

「……はい、無事ソロモンに勝てて、身柄を確保出来て良かったです」


 どこか朗らかにそこまで話したところで。フランシーヌはあることを思い出した。


(そうだ。そういえば、本当の姉の仇は死神じゃなくて──)


 だがその思索は、次の瞬間見事にふっ飛ばされた。


 ドカン!!!


 けたたましい音を立ててグレートホールの扉が開く。そこから飛び出して来たのは、真っ赤なドレスを着た黒髪の少女だ。


「お姉様!! サマンサお姉様ああああうわああああああ」

五月蝿うるさいです姉様、お客様がびっくりしてます」


 ついで、紫のロングヘアと青いドレスが美しい小柄な少女が入ってくる。二人は姉妹のようだ。……とはいえ、パトリックはこの二人を知っている。


『シーラ、スカーレット。久しぶり』

『ああ〜〜ルーファス久しぶり〜〜〜〜姉様はどこ?!』

『すぐそこに居るよ。ていうか落ち着け、マジでみんなビビってるから』

『すみません兄様、うちの姉がハチャメチャに騒がしくて』


 この姉妹の正体は、ルーファスの異母妹。リオン(エメリヒ)と全ての血を分けた深窓のご令嬢たちだ。最も、深窓と呼んだところで、彼女たちもバリバリに戦闘及びその補助の能力を仕込まれた、暗殺者一族の娘たち。むしろ世俗の裏の裏を知り尽くした情報通なのだが……まぁいい。

 パトリックはすいと立ち上がり、二人に軽く会釈した。


「お久しぶりです、ハイデマリー様、イルムヒルデ様。色々ありましたが、多分ここにお世話になることになりました。お手数おかけします」

「そんな挨拶! 今はいいのよ! 姉様は! どこなのよ!!」

「ハイデ様、私はここですよ。大丈夫、見た目はともかく普通に元気ですから」

「わぁああああああお姉様ぁあああああ、ハイデは生きた心地がしませんでした! 無事で良かった!!!!」

「よしよし」


 パトリックの挨拶を無視し、爆速でサマンサに駆け寄るハイデマリー(姉の方)。ついでイルムヒルデ(妹の方)がとことこ近寄り、二人をぎゅっと抱きしめる。


「サマンサ様、命をかけた危険なお仕事お疲れ様でした。ここはご存知の通り、強い結界を張っております。腕のある魔法使いでもそう突破出来ないでしょう。ゆっくりお休み下さい」

「ええ、ありがとう……二人共」


 まるで見た目が違うが、これでも異母姉妹だ。無事感動のご対面と相成って、本当に良かった。パトリックがうんうんと頷いていると、さらに入ってくる人影があった。


「姉様、僕からも。無事の帰還、嬉しく思います」

「レイモンド! 貴方どうしてここに!」


 次に現れたのは、見事な金髪が眩しい紅顔の美少年。年の頃は、フランシーヌの見た目と釣り合うくらいだろうか。ぴしりと仕立ての良い服を身に纏い、背筋を伸ばした姿は年よりずっと立派に見えた。


「皆様、お久しぶりです。あるいは初めまして。レイモンド・カヴァデイルと申します。本日は当主ザカライアに代わり、彼の伝言を伝えるべくここに参りました。ああ、あとお客人はまだ居ます」

「えっ?!」


 まだ居るの?? パトリックとフランシーヌがぽかんとしていると、


「ああ〜〜〜〜パトリック〜〜〜〜無事で良かった!! 怖かったのよ!!!」


 まるでさっきのハイデマリーの再現のように、女が飛び込んできた。この顔には見覚えがある。


「あ、ティナさん! あと他の皆さん!」

「何がなんなんだよ、説明してくれよ!」

「いっそもう帰りたい、あ〜〜〜〜っ」


 ついで冒険者パーティーの面々がなだれ込んでくる。ああそうか、これはつまりザカライアへの伝言が無事果たされ、その返事を異母弟レイモンドが持ち帰ってきたということか。パトリックは一人、したり顔で頷いた。


 レイモンド・カヴァデイル。

 ここ数日探し回っていたラッセルの弟であり、当然サマンサの弟。事実上暗殺者死神の卵。いずれ一人前の実力を身に着けた暁には、一族の司令塔となる立場のラッセルに代わり、死神3人の一角を担うことになる。

 サマンサの娘を除けば、死神一族の最年少。


 その彼が、当主の伝言を携えてきたと言う。しかも冒険者のメンバーを引き連れて。パトリックはぎゅうと拳を握りしめた。鎮魂祭まであと2日。それまでに、一族全員の力を総動員せねばならない状況になったということだ。

 …………ついに最後の戦いが始まる。


「全員集まったか」


 そこで最後に、ゲーアハルトが姿を現した。ここまで来ると、指揮官はエメリヒから彼にバトンタッチするのだろう。当主ザカライアは同じ今回の件にしても、他の組織との連携などやるべきことがたくさんある。宮殿と女王、そしてこの国のピンチに際して、一番現場で動くべき人間は貴族のゲーアハルトだった。


「安否確認、久しぶりの挨拶など積もる話は各々あるだろうが。時間がない。全員手近な椅子に座り、話を聞くように」


 低い声でそう言われ、パトリック、フランシーヌ、エメリヒとサマンサ、妹弟たち、冒険者一行はそれぞれ椅子に腰掛けた。

 あの混乱の場からちゃっかり連れてこられたソロモンも無事だ。捕虜故か、どっかと床に腰を下ろした。ゲーアハルトはそんな面々を見て、オホンと咳払いする。


「この度は大変な状況になり、エメリヒ、サマンサ様他、市井の民には大変世話になった。礼を言う。……その上で、まずはレイモンド様からザカライア氏の伝言を聞こう。レイモンド様、お願いします」

「……はい」


 話を振られて、レイモンドが立ち上がる。彼は何か紙を持っているわけではない。小さく幼い少年が、すらすらと自分の言葉で報告を始めた。


「まず、今回の件はダドリー氏が恐ろしい計画を目論んでいる、というところまで父、そして私に伝わりました。

 その後父は陛下の側近、矛の一族、盾の一族との連携を図るべく、連絡を取りましたが──彼らはこの国に不在。ダドリー氏に先手を取られた形になっています」

「な、ふ、不在?」

 

「矛の一族は北方ノーム一族の国政が不安定という情報を受け、一族総出で海外に侵略戦争に出かけています。誤報にせよ仕掛けられた戦争にせよ、こちらに戻るには急いでも数日以上かかります。

 盾の一族は基本、女王の元から離れないものですが、結論、一族で旅行に出かけています。手練れ一人だけをこの国に残して」

 

「……では、その残された盾の一族の一人とは連絡がついたのでしょうか? 彼らは守護魔法に長けている。たった一人とは言え随分な戦力になる……」

「父が調べた限り。その一人は、既に死亡しています。恐らく、例のクロウリーとかいう残党の仕業です」


「!!!」


 はぁ?

 一同は、皆あんぐりと口を開けた。


「なお、盾の一族招集については先程同様、急いでも数日かかります。

 ……一応付け加えますが、それは例えば瞬間転移の呪文を使ったとしても、です。距離がありすぎる故、一度では飛びきれません。

 闘えるのは我々だけです。報告は以上です」


 なんと、女王の側近が軒並み不在。いや、正確には宮殿内の女王派で戦える人材はまだいるが。セシルとか。だが、信頼が持てる頼みの綱が全ていないとは。


「……………………もしかして、死神捜索だのラッセル様殺害だのは最後の仕上げ、だったのでは」

「…………そのようだな…………。はぁ、気が重い。残るは我々だけと言うことか」


 エメリヒに話を振られ、ゲーアハルトがため息をつく。年齢はまだ40そこそこだったはずだが、元々悪い顔色が更に悪くなった。

 筋金入りの貴族系魔法使い。肉体より魔法と頭脳が取り柄の彼は、細い指、細い手で顔を覆った。


「……それでもやるしかあるまい。影の一族と呼ばれる我々が、女王の最後の砦が、ここで踏ん張らずどうする」


 その指の隙間から見えるのは、怒りと憎しみを秘めた紫紺の瞳だ。


「……面白い、ロードリック・ダドリー、そしてクロウリー。我々を敵に回したこと、骨の髄まで後悔させてやる」


 その迫力に、一同全員が震え上がったのはここだけの話。





 Xデーまであと2日。





 

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