第13話 宿敵





 1563年 5月1日 午前



 

 バリン!!!!!!


 

 澄み切った空気、薄青に霞がかった春の空。そこに高価で貴重な硝子ガラスが、これでもかと舞い散る。もし仮にこれを修復するなら、目の飛び出るような金額がかかるんだろうな。そう思いながら。

 暗殺者“死神”のコスプレをした兵士パトリックは、ホワイト宮殿3階から2階へ飛び込み、受け身で体勢を整えた。

 

解呪ディスペル!〉


 そのまま手首の拘束魔法を引き千切り、兵舎まで瞬間転移。カツラを放り出しブローチを胸につけて瞬時に外見を変え、もう一度宮殿の二人の元へ──

 この間約数秒。


「うおらああああああこれ以上はお前の好きにさせねぇ!!!!」


 結果、狙った通りの座標。ソロモンの背後にスンと飛び出した「ルーファス」は、高身長魔法使いの肩甲骨の中央に両膝蹴りを食らわすことに成功した。


「!!!?????」


 唐突に蹴りを入れたわけだから、当然相手も即臨戦態勢だ。ゴ、と冷気が飛んでくるがひらりとかわす。

 いや、今大事なのは臨戦態勢だ魔法だ云々ではない。ルーファスは慌ててフランシーヌに視線を送った。


「おい女、俺が居ない間に何か話したか?!」

「は?!?! え、何、も……?!」

「何も?! 何も話してないんだな!!?」


 よし間に合った! フランシーヌはあからさまに呆然としていたので、この数秒、二人は「パトリック」が窓から落ちたことに驚いて、何か話そうという空気ではなかったようだ。助かった……!

 こうなったらあとは二人で……やるしかない!


「とりあえず色々あるだろうが、今だけは共闘してくれ、こいつを倒すぞ!」

「なんで?! 貴方は、貴方は一体…………ッ」


 口をぱくぱくさせるフランシーヌの隣にひらりと降り立ち。ルーファスは銀髪の魔法使いを睨みつけた。必死に頭をフル回転させて、この場を説明する台詞を思い描く──


「ソロモン、お前に殺された死神が地獄の淵から黄泉帰ってやったぜ! 覚悟しろ!」

「「!!!???」」


 唐突なルーファスの宣言。その場に居る二人共が、ぽか━━━━んと両目を丸くしていた。翻る本物の赤髪。威勢よく見開かれたターコイズブルーの瞳がぎらぎらと輝く。

 ルーファスはついに死神として二人の前に姿を現した。異母兄ラッセルの素性を有耶無耶にするためにはこれしかない。苦肉の策だった。


「死神、死神……ッ『あの時』の?!」

「ああそうだ、信じられないだろうが『あの時の』俺だよ!」


 テキトーと勢いでどれだけ話を合わせられるだろう。しかし、あれだけ強かったラッセルがあっけなく倒されたのなら、「とびきりの不意打ち」で一撃だろう。つまり、恐らくラッセルとソロモンはほとんどマトモに会話をしていないはず。

 その上、ルーファスの得意な戦場は、選ぶならこれくらいの狭い場所だ。近距離特化の暗殺者故、ここなら有利が取れる。押すしかない。


 その計算は、魔法使いは基本狭所きょうしょが不利という事実の確認は、敵であるソロモンにも出来たようだ。我に返った途端、ぐりんとフランシーヌの方に視線を向けた。 


「…………ッ、フランシーヌ様! 私に肩入れして下さいますよね?!」

「いーや、俺に手を貸せ! アンタ死神の真実について知りたいんだろう?! じゃあ誰より知ってるのは、当然本人のこの俺だよな!」


 ソロモンと、ルーファスと。自分より大柄な男二人に詰め寄られ、小柄なフランシーヌがおろおろと双方を見比べる。駄目だ、これじゃ戦力にならない。魔法使い二人は同時に同じ結論に至り、


「死ね、逆賊!!」

「望む所だ、久々に全力で暴れてやるぜ!!」


 一騎討ちの態勢に入った。

 魔法使いは判断が命。やると決めたら即動け。


死のモルス吹雪ヒエムス!!〉

暗黒のニゲルサジッタ!!〉


 バチバチと音を立てて狭い廊下が急激に冷え、白と青で出来た吹雪の塊が跳ね回ったかと思えば、それを追うように漆黒の炎が渦を巻く。高速で動くそれらは一応互いに敵を狙っているものの、それぞれの魔法が相手の進路を妨害し飛び回るものだから、まるで魔法同士がくるくるダンスを踊っているようだった。

 

 決着のつかない攻防が10秒、20秒と続いていく。ルーファスはソロモンの巧者こうしゃぶりに舌を巻いた。


「さぁっすが、貴族お抱えの魔法使いサマはコントロールが正確だなぁ! 全然当たってくんねーや!」

「貴様こそ、どこで魔法を習ったか知らんが大層な腕前じゃないか! 暗殺者などというチンケな職業やめて、我が配下にならないか…!?」

「嫌だね! 陛下を敵視し、この国の平穏を乱す奴の仲間になんかなるものか!」


 軽口を叩きあう間も白と黒が激しくぶつかり、弾け、そのたびに空気が震える。一見派手な攻防だが──「死ね」と言いつつこれみよがしに攻撃魔法を撃ち込んできたなら、実はあちらの殺意は低い。せいぜい小手調べといったところか。


 そりゃそうか。仮想設定とはいえ、あちらからすれば2対1。敵が魔法使いである以上、二人分の攻撃(妨害)を完璧に捌くのは高位の魔法使いでも骨が折れる。


 未知の魔法使い同士が突発的に近距離で交戦することになった場合、最も効果的な戦略は「撤退」。五体満足な状態で引いて、守りを固めた上で再戦するのがセオリーだ。

 

 だが、それをずっとぽかんと見ていたフランシーヌはそんな悠長な考えではなかったらしい。突然ハッ! と我に返り、


〈慈愛の女神エウメニデスよ、我に力を与えたまえ!

 光のルーメン抱擁コルビス!〉


 まばゆく輝く光魔法を展開して一気に縛り上げた──

 

 ソロモンの身体を。

 

 ルーファスは慌てて高速魔法の展開を停止する。この状況であえて拘束を望むなら、それは情報を吐かせる事を最優先させるということだ。


「んな……ッ!」

「勘違いしないで! 私はどちらの味方でもない……貴方に話を聞きたいだけです! ……この城に、ラッセル様の遺体があるはずなのです……それさえ教えてくれれば、これを解きます!」

「は、ラッセル……?! だ、誰だそれっ……」


 慌てふためくソロモンの姿に、ため息をつくルーファス。結局そうなるよな。どんなに誤魔化しても話は最終的にそこに戻る。仕方ない…………テキトーぶっこくか。


「それ、俺が借りてた身体だよ。少し前までな」

「「!?」」


 二人が目を剥く。正直、自分でもトンデモ理論だと思う。だが、ここまで話が進んでしまえばもうこう言うしかない。


「アンタ、こないだ死神……俺を殺しただろ。あれ、カヴァデイル家のラッセル坊っちゃんの身体を借りてたんだ」

「えええ……?!」

 

「つまり、俺は蘇ったところでユウレイってわけだな。今使ってる身体もさっきそこにいた男のを借りたんだ」

「…………それ、まさか、パトリックさん……ですか……?」

 

「そういやそんな名前だったかも。とりあえず、俺は手近で使える身体を使って女王の敵を殺しているんだ。あの方にはよーくよーく恩があるもんで」

「…………幽霊の、暗殺者…………道理で捕まらないわけだ………」

 

「かっこいいだろ」


 へなへなとくずおれるソロモン。フランシーヌも口をぱくぱくさせて驚いている。もうどうにでもなれ。誰にも迷惑がかからないなら、どんな設定でも「ヤバい口から出任せ」でも俺が現実にしてやる。


「…………で、その、じゃあ、死神だと思って殺した死体、的なものはこの城のどこにあるんです…………?」


 そこでちらとフランシーヌがソロモンを見る。ソロモンはそれを合図に、突然意識が現実に戻ったようで


〈……解呪ディスペル!!〉


 バリリ、と拘束魔法を解いて飛び退いてしまった。拘束魔法はその用途のわりにけっこう脆弱だ。本気で魔法使いを拘束したいなら、先に魔封じの魔法をかけてからじゃないとわりと誰にでも破られてしまう。

 つまり当然ソロモンも。当たり前のようにこんなのすぐ解いてしまう。


「…………ッ!」


 すぐさま迎撃態勢に入るルーファスとフランシーヌ。しかし、ソロモンはにたりと笑み、静かに闇のオーラに溶けていく。


「……ふふ、どちらの味方でもない? 嘘ですね。咄嗟に私を捕らえるということは、最悪私が死んでも良いということ。ならば今回は引かせてもらいます。次会う時はお二人への備えをたんまりしておくので、覚悟していてくださいね……」


 最後に言葉、不気味な音も空気にまぎれて消えた。城の一角に二人だけが取り残される。やはりそうか、撤退狙い。こちらの読み通り。そして「次は容赦しない」と念押ししていった。とりあえず不穏の種は残ったが……今は。束の間の安息が与えられた。


「…………引いた…………危なかった…………」


 緊張が遅れてやってきたのか、どすんと両膝をつくフランシーヌ。次いでこわごわ隣を見上げる。


「…………パトリックさんの身体を借りた、死神…………憎い仇がまさか、そんな形で現れるとは思いませんでした……」

「悪いな。……まぁその、真実は、また今度ってことで」

「ふざけ無いで! ここまで来たんだから逃げることは許さないわよ!!」


 くるりと踵を返しかけた、逃げようとしたルーファスの手首をフランシーヌが必死に捕まえる。小さな手があらん限りの力で締め上げてくる。その気になればこの程度、なんとでも払えるが……


「…………ごめん」

「はっ?」

 

「正直、アンタの姉さんを殺したかどうか、覚えてないんだ。俺はいつも、ただ仕事を遂行するのに一生懸命で」

「………………ッッ」

 

「ごめん。誠意なんて示せない。でも覚えてないからには、もしかしたら殺したかもしれなくて」


 バチン!!!


 鈍い音が響いた。遅れて熱と痛みがやってくる。フランシーヌがルーファスの頬を引っ叩いたのだ。


「…………姉さんは、おねえちゃんは、こんな奴に…………ッッ、こんな、こんな!! こんな!!!!」

「ごめん」

「ウワアアアアア!!!!!!」


 フランシーヌの真っ赤な目からぼろぼろ涙が零れ落ちて、ルーファスは思わずへたりこんだ。子供の頃からずっと、に居た。命の重みとか死の悲しみなんて、触れる機会はほぼなかった。殺したら死ぬ。人間はその程度の存在だった。

 

 でも、フランシーヌにとっては違う。世界でたった一人の姉、たった二人の姉妹だった。


(…………なんでっ…………)


 自分はきっと、リオンが死のうがラッセルが死のうが驚きこそすれ、こんな風に泣くことはないだろう(そして実際、ラッセルが死んだと告げられた時も驚きが一番勝った)。でも、でも。


 フランシーヌにとっての姉は、その存在は、自分が思う「きょうだいへの気持ち」よりずっとずっと、ずっっっと重いのだ。


 それが余りにも胸にずしりとくる。


「…………ごめん、なさい。あなたの大切な人を殺した、かもしれなくて」


 もう一度繰り返すと、フランシーヌが勢いよく立ち上がった。今度は膝蹴りでも飛んでくるかもしれない。そう思って身構えたが、そうはならなかった。


「…………?」


 恐る恐る顔を上げると、フランシーヌはぽろぽろ泣いていた。


「ごめんなさいパトリックさん、貴方の頬を叩いてしまって」

「…………え?」


 無意識にだが。ルーファスは胸のブローチを握りしめ、「変身を解除」してしまったようだ。赤く燃える炎のような長髪がすぅっと溶けて消え、瞳の色も変わり、彼はすっかり地味な「パトリック」の容姿に戻っていた。

 

 おずおずと見上げる表情と仕草も、丁度ピタリとハマっていたらしい。フランシーヌはぜいぜいと息を整え、再び床に膝をついた。


「…………一応聞きますが、さっきのこと……どれくらい覚えてますか……認識してますか……?」

「えっと、認識……? あの、わかんないです…………」

「そう、ですか……。えと、すみません。本当に」


 眉間にシワを寄せ、うつむく姿は決して幼い少女などには見えなかった。責務と常識を重んじる30歳のクォーターエルフ。立派な職につく大人として、彼女は苦悩していた。


「さっき、死神の魂と出会いました。そいつは、貴方の身体を借りてここで大暴れして、ソロモンを撃退しました」

「そ、そうですか…………」

「でも、お姉ちゃんのことはロクに聞けませんでした…………よく、覚えてないって……もしかしたら、殺したかもって……私の大事なお姉ちゃんを、その程度の扱いで」

「…………あの、」


 何を言えばいいんだろう。こんな風に「生きる世界が違う」人に。悲しむ人に。大切な人を殺した張本人かもしれない自分は。


「…………かなしいっ、かなしいっ、お姉ちゃん、仇討てないよあんなんじゃ…………!

 だって死んでるんだもん! もう! なんにも出来ない! 悔しいよぉ…………!」


 白くて小さな手が震えながら、パトリックの服をつかんだ。脱がないままの黒いマント。死神の痕跡。それをぐしゃぐしゃに握りしめて嗚咽している。


「ふ、ふぇ、ふぅ、ぅ、うう…………!」

「…………」


 それを見つめるパトリックは、口を開きかけて、噤む。


(…………ごめんなさい、俺には何も出来ない。あるいは殺したのは兄貴達かもしれないけど……だからって、きっと後悔した上で心からの謝罪はされないと思う。

 

 虚しい。俺の慰めなんてなんの価値もなくて、なんなら侮辱かもしれない。……それでも)


「…………あの、僕にはこんなことしか、出来ないですけど…………」


 震える声で、手で、フランシーヌの頭を撫でた。

 初めて彼女にこういう形で触れた。そろそろと彼女を宥めながら、なんなら強い決意が湧いてくる。


 死神とは、暗殺者とは、こうして他人の命と未来を、幸福を奪う仕事なのだ。

 


 肝に命じろ。





 Xデーまであと3日。



 

 


 

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