第14話 幽霊
1563年 5月1日 夜
べしょべしょに泣きじゃくるフランシーヌが心底気がかりだったが、本業の兵士を疎かにするわけにもいかない。パトリックは朝イチの業務こそ彼女の言い訳で逃れたものの、午後の訓練は真面目に参加した。
そうして訪れた夜。
ため息をつきつつ、侯爵マールヴァラ家の執務室を目指すパトリックは、酷く悩んでいた。
今日のこと、なんて言い訳しよう……。
一応、変身用のブローチは持ってきた。普段早々持ち歩く物ではないが、最悪吊し上げで追放されるかもしれない。だとしても何にしても、フランシーヌと異母兄エメリヒの追求は逃れられないだろう。
(気が重い……)
長い廊下、松明の灯りで照らされた暗い空間。もしかしたら、これは自分が最後に見る「世界」の風景かもしれない。最悪の最悪、一般人に安易に姿を見せた罪で首を刎ねられるかもしれない。はぁ、覚悟、するか。
開けたくないが、意を決して執務室の扉を開ける。すると、そこに広がっていたのは意外な光景だった。
「フランシーヌ様。貴女、何か私達に報告せねばならない重要事項がありますよね」
「…………それは、どこからどこまででしょう」
「心当たりがある範囲、全てお願いします。本日、ダドリー氏と直接話をしました。彼の配下はソロモン・ラヴクラフトという名の魔法使いだそうです」
「そう……ですか…………」
中では報告会もとい、エメリヒとフランシーヌの会話がもう始まっていた。二人は互いを見つめ合っており、パトリックの来訪に気づかない。その代わり、異母姉サマンサだけが視線で「いらっしゃい」とこちらを見た。
エメリヒとフランシーヌはどうも、緊迫状態にあるようだ。ええと、あ、なるほど? エメリヒ達も、ソロモン=敵と認識したって話か。
パトリックは用意された椅子に腰掛け、しばし二人のやりとりを眺めることにした。
「騙すつもりはなかったんです。ただ、城を出た時出会った魔法使いがソロモンで……私のことを知っていて……自分たちの味方になれば死神について教えると言われて……出来るだけ情報を引き出せたら、と」
「それはカヴァデイル様の依頼を反故にする意志がある、ということでしょうか?」
「正直な話、今日までは、ありました。しかし状況が変わりました。今日死神本人が私の眼の前に現れたんです。姉についても聞いて…………正直、殺したかどうか覚えていないと言われて。私の死神に対する私怨はこれでほぼ潰えました。
また、ラッセル様の遺体について聞く過程でソロモンと敵対してしまったので、もう中立の立場を守ることは不可能です。今後貴方たちの味方として動くことをお約束します」
「……………」
空気が変わった。あ、これ、即俺が糾弾される奴だ。パトリックは無意識にへらりと笑みを浮かべ、そう。言い訳を無数に頭に巡らせた。
どうしよう。
エメリヒが鋭く睨みつけてきて、微かにパチリと
『お前、何やってンの?』
『仕方なかったんだって! あっちは最近死神を殺した話をしようとしてて、フランシーヌはラッセルを探してて、どう考えてもそこで情報がかちあうからっ』
何を、やったのか。
大事な本家の跡継ぎの体裁を守った。
それだけだ。
むしろ褒めてくれ。そのおかげで跡継ぎラッセル様が死神の一人だってことは、ついぞバレなかったんだから。
『……あーなるほど?』
『カヴァデイル家の秘密を守るためには「ラッセルは死んだけど死神は死んでない」ことにしなきゃいけなくて……
仕方なく、“死神は幽霊である”って設定で……思いっきり死神の姿になって、ソロモンとちょっと小競り合いしてきた……』
『はいはい把握』
「…………」
状況を把握したエメリヒは、「表向きどこから追求すべきか」と頭をかいた。この状況に整合性をもたせ、言い訳しつつ報告会、捜索を継続するためには──
「ええと、フランシーヌ様。死神にはどうやって会ったのですか?」
「突然現れました……パトリックさんが窓から逃げ出したと思ったら、次の瞬間宙に現れて」
「……で、その死神と共闘した?」
「はい……。今考えても不思議なんですが、本人曰く死神は、生身の人間じゃなくて幽霊なんだそうです。
近場に居る生きてる人間の身体を乗っ取り、女王の敵を屠る存在だと。それで、最近ラッセル様の身体を使って、それがソロモンに殺されてしまったと」
「…………………ッ」
「突然死神の存在が現れて困惑している」風に手で顔を覆っているエメリヒだったが、肘置きを掴む左手が小さく震えていることをパトリックとサマンサは見逃さなかった。
『リー君だめ、駄目よ笑っちゃ。ルー君は土壇場でよくやってくれたわ』
『ごめんなさい……指摘されると余計笑える……なんだよ幽霊の暗殺者って……二重人格ごっこかよ…………フフッ』
『うるせ━━━━、これ以外の誤魔化し方あったのかよ?!』
『ないない、ないから落ち着いて』
「その……それで……ッ」
おいエメリヒ、ちょっと笑ってんじゃねえ。
「ああうん、パトリックは何故逃げたんだ。フランシーヌ様を置いていくなどあまりに非道だろう」
「あっいや……」
話を振られたので、パトリックはちらりと言い訳を兼ねて当時の状況を思い出した。確か……
「あの時は話の流れ的に、フランシーヌさんがあっちにつくって思っちゃって……このままじゃ僕殺されるのかなって……怖くて……それで。結局死神とやらに捕まったみたいですけど…………」
こんなところだろうか。「パトリック」は気弱な設定にしてある。いくら兵士職でも、本気で死ぬとわかってなお困難に立ち向かう気概のある男はそう居ない。そう、一般人なら。
だがそんな彼を見て、エメリヒはにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「では、二度と魔法使いの戦いから逃げないと誓えるな? 仮にも国軍兵士である身、庶民を守るためその身を犠牲に出来るな」
「……と、言いますと…………?」
「せっかく降って湧いた戦力、使わねば損だろう」
エメリヒはますます笑みを強くした。
な。嫌な予感がする。
「おい死神、どうせここの話もどこかで聞いているんだろう。私達と組まないか。ソロモンとかいう奴は明確に女王の敵だ、私達と組んで損はないはずだぞ」
「?!」
なんてことだ。一族の掟を破ったと責めてくるかと思いきや、まさかの共闘の提案。しかも、こちらのカラクリをわかった上での言葉。意地が悪すぎる。徐々に頬が熱くなるパトリックに、エメリヒがにやにやした視線を寄越す。
『せっかく制限なく魔法を振り回せる設定を手に入れたんだ、ありがたく使い倒せよ。ついでに幽霊が真犯人説、これから俺達も乗っかるからな。いざって時の言い訳が出来てサイコーじゃねぇか』
『…………ぐっ』
『これからは「変身」すら堂々と出来るようになって嬉しいなぁ?』
『リオン………っお前、いつか覚えとけよ………!』
誰にも聞かれていないから。本名を呼び捨ててやった。それでもこの状況は覆らない。
「死神とパトリックの二重人格ごっこをしなくてはならない」。
「居ないのか、死神。それとももうどこかへ消えてしまったかな」
実情を知っており耐えきれないサマンサがそっと顔を伏せる中、戸惑うフランシーヌ、そして奥歯を噛みしめるルーファス……………
『わかったよ!!!』
「煩いな、ずっと聞いてるよ……ッ」
パトリックは覚悟を決め、胸元に隠したブローチをぎゅっと握って死神の姿にチェンジした。さらりと髪が伸び赤く変化し、睨みつけるような瞳はくすんだ灰色から鮮やかなターコイズブルーへと色づく。
これまでずっと闇にのみ潜んできた「死神」が、他人の要請1つで姿を表すようになった歴史的瞬間だ。
「…………!」
「よう、また会ったな嬢ちゃん」
ここでフランシーヌに向き直る。長年の疑問こそ解けたが、わだかまりが消えるわけもない彼女が身構える。死神となったパトリック、つまりルーファスはぎこちなく笑みを返し……エメリヒに向き直る。
「お前、俺を顎で使おうってのか。随分な悪党だな」
「私は女王陛下のためなら汚れ仕事も厭わない、高潔なマールヴァラ家の長男だ。使えるものは全て使う。協力してくれるな?
早速だが緊急事態だ。明日、ソロモンと恐らく全面抗争に入る」
「は?」
唐突な宣言。え、何、全面抗争だ?
にわかに色めき立つ全員に向かって視線を向けるエメリヒは、至極真面目な顔をしている。どっかと椅子の上で脚を組み、落ち着き払った態度だ。
「さて、これで役者が全てそろった。死神を呼んだ状態で、こちらの報告と明日に関する会議を始めよう。
というのも、さっき本日ダドリーと話したと言っただろう。午前中、宝物庫の防護魔法を破ろうとしていたら、彼がやってきてな。押し問答した結果、明日ソロモンと共にそこを開けることになった。
随分渋ったが、もし入ってるとしても例のでかい水晶とやらだろう、なら気持ちよく開けられるはずだと押したら、渋々了承した。
もしあの中にラッセル様の遺体があるなら、あっちも何か仕掛けてくる──ここが正念場となるだろう」
ダドリー、今回の黒幕。ソロモン、こちらとハッキリ敵対関係にある魔法使い。二つの意思が揃ったなら、確かに。次会う時が、本気で戦う瞬間になるだろう。ルーファスは、そして女性陣二人は、それぞれ息を呑んだ。
エメリヒはそんな一同を見て、最後にルーファスをひたと見つめる。
赤く燃える真っ直ぐな視線。偶然の産物とはいえ、手加減抜きに全力で戦える人間の来訪。これはいっそ、渡りに船と彼に映ったかもしれない。
「──死神。我らの先鋒としてソロモンと戦ってくれるな」
そう言われて、拒む理由はルーファスにない。
「…………仕方ないな、手を貸してやるよ」
本家の跡取りより、貴族の跡取りより、「パトリック」の価値は低い。
仮に死地に向かうとすれば、この中に彼以上に適任の人間は居ない。ルーファスは事実上三兄弟の一番槍だ。こうなることは必然だった。
エメリヒはルーファスが頷いたのを確認し、次にフランシーヌに向き直る。気持ち不安そうな彼女に、静かに声をかけた。
「フランシーヌ様、申し訳ありません。わだかまりはあるでしょうが、この者のサポートをしていただけますか。明日、彼と協力し、ソロモンを倒して下さい。カヴァデイル様を裏切ろうとした罪はそれで清算といたします」
「……わかりました」
静かに頷くフランシーヌ。彼女も死神と共に戦うことを了承した。
これで決まった。明日は決戦の日だ。
ルーファス、そしてフランシーヌは互いに互いを見た。
本来敵同士。しかし、今は目的を同じくする同士。依頼を受け、ラッセルの遺体を奪還するための仲間だ。やるしかない。
視線を交わし、二人が明日の共闘を無言のまま誓ったところで、エメリヒは次の話題に入る。
「あと明日の私達は……」
「あっ」
そこでフランシーヌが小さく手を上げた。
なんだ? エメリヒが視線をそちらに向ける。
「そういえば思い出しました。最初に死神を捉えたフリをしていた時……ソロモンが『我らの大願が成就するまで頑丈にそいつを捕まえておいて下さい』と言ったんです。
もしやあいつら、何か大きなことをしようと企んでいる……のでは」
「大きなこと……?」
ここで舞い込んだ情報。そういえば言っていた。ルーファスは慌てていたせいで聞き流したが、ソロモンが確かにそんなことを。
「我らの大願」……一体なんだろう?
「目下新たに起きるのは鎮魂祭だが……ダドリーからすれば屈辱の式典なわけだし……そこで何かが起きる?」
「私達は兄様捜索のタイムリミットがあるけど、あちらにはない……代わりに何かXデーと呼べる存在がある……としたら」
「でかい水晶は鎧を溶かすのに使うって言ってたしなぁ」
「それともそれすら、何かのカモフラージュ……?」
各々意見を口にし、口ごもる。目下、鎮魂祭以外に近いイベントはない。なら、逆にそれが彼らにとっての何らかの「Xデー」なのか?
鎮魂祭。ダドリーが失策したことの晒し上げ。鎧の処分。……大きな火。
「…………そういえば、鎮魂祭で炎を起こすのは誰の担当なんだ?」
ぽつりと声を漏らすルーファスに。一同がハッと顔を上げた。
「そういや、考えたことなかったな」
「もし、もしも、その炎を悪用しようとする輩がいれば…………」
「それは、Xデーに、なる…………?」
「………………!」
最悪の可能性が頭をよぎり、全員の顔が青くなる。
それは、もしかして、炎を利用したなんらかのクーデター、なのでは。
まずい。その可能性は大いにありえる。
咄嗟に口を開いたのは、事実上このメンバーの指揮官となっているエメリヒだった。微かに焦りを滲ませた声で言い募る。
「わかった、なら明日は鎮魂祭の担当者を探そう。さすがに国家上げての式典となれば、それなり以上の魔法使いが関わるはず。簡単に高跳びだの都合が悪いから消すだのは出来ないだろう。
……こうなると正直手が足りないな……」
そこでサマンサが真剣な表情で口を開く。
「エメリヒ様、最早事態は一刻を争います。明日は私も単独で動きます。鎮魂祭の責任者をそれぞれ探しましょう」
「しかし……ッ」
「貴方様はマールヴァラ家の跡継ぎでいらっしゃるのでしょう、ここまで来たら万が一の可能性をお考え下さい。たかが宗教家に嫁いだ金持ち程度の女と、侯爵家長男である貴方様。そしてこの国と女王。何が一番大事なのですか」
これまで、サマンサが発言することは極端に少なかった。しかし彼女はこれでもエメリヒやルーファスと同じ、暗殺者一族に生まれた女だ。いざという時の覚悟くらい出来ている。
今は一歩下がり、エメリヒの機嫌を窺うべき時ではない。この状況を冷静に見極めた姉として、異母弟に意見する彼女の視線は、凛として強かった。
「……………うぐ、」
「私とて魔法に長けたカヴァデイル家の血を継いでいます。攻撃魔法は手練れに負ける程度の出来ですが、生きて帰って来ることだけなら達成する自信があります。
行かせてください」
そう言われて、それまで威張る一方だったエメリヒは、
「…………わかりました、お任せします」
小さく、苦しそうに、項垂れた。
彼──本名リオンは、ルーファスが知る限り自他共に認めるシスコンだった。美人で優しい姉が突然現れれば誰でもそうなる。だが、その彼が折れた。
ルーファスもまたサマンサが心配だが、確かに背に腹は代えられない。究極「この中の誰が死ぬか」という選択をする時、一般人のフリをしているルーファス、一応替えが効く治安判事のフランシーヌに続くのは、名家の出とはいえ女のサマンサということになる。
「…………御武運を、サマンサ様」
エメリヒは低い声を絞り出し、悲痛な様子で姉の
ルーファスは、フランシーヌは。
エメリヒとサマンサは。
生きて翌日を迎えられるのか?
Xデーまであと3日。
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