いざ、潜入
第06話 始動
1563年 4月28日 早朝
「ふわぁ…………」
朝の陽光が降り注ぐ王都、その中央を南北に分断するトールズ川の南岸。パトリックは大きな欠伸を噛み殺し、なんとか目を擦った。
「なんて顔してるんです、しゃきっとして下さい。今日からホワイト宮殿勤務なんでしょう。たった一週間とはいえ女王陛下のお膝元に馳せ参じるのですから、醜態はなしにして下さいよ」
「わかってますよぉ…………」
ほどよく狭く、ほどよくぼろい集合住宅の前。腰に手を当ててパトリックを見上げるのは、齢30歳の幼女フランシーヌ。傍らのパトリックは質素な長袖のチュニックに膝下丈細身のオー・ド・ショース(ズボン)を合わせ、普段の全身鎧姿と比べるとすこぶる身軽だ。
「今日は勤務初日、どうせオリエンテーションで忙殺されるのでしょう。なので今日に限り別行動……私は城外の調査をしてきます。そちらもご自分の使命を果たして下さいね」
「わかってます、わかってますから……もう行っていいですか? なんかもう、言ってることがお姉ちゃんと言うかお母さんというか……」
「失礼ですね! 私達そんなに年離れてません!!」
フランシーヌがぽこりとパトリックの胸を叩き、パトリックが笑う。その後、2人は唇を引き結び各々踵を返した。
「……じゃ、また後で。夕方くらいにはそちらに向かいます」
「はい、ではまたその時に」
大きな鞄ひとつ分の荷物を抱えたパトリック、そして同じく鞄をひとつ抱えたフランシーヌが、それぞれ別の方向に向かって歩き出す。今日から丸7日間、2人はラッセル捜索の依頼を受けそれぞれの立場から捜査を始める。
それにしても、パトリックがしがない王都堺の門番から宮殿勤務に昇進した事の顛末は如何に? 話は昨夜のカヴァデイル邸でのやりとりに遡る。
1563年 4月27日 夜
「昨日ラッセルは、提携している商売仲間から呼び出しがあったから、と夜中突然出かけていきました」
王都屈指の大商人ザカライア・カヴァデイルが卓上に王都の地図を広げる。集められた面々はそれぞれそこに視線を落とし、彼の話に耳を傾ける。
「『ホワイト宮殿の西門に行く。突発的なトラブルらしい。詳細はそこで説明する、としか相手が言わないから、とにかく行かなくては』とうちの門番に言いおいて家を出たそうです。
彼の行方はそれきり途絶えました。よって、まずはここを調べたいのですが……」
ザカライアが一旦言葉を切り、パトリックを見上げる。
「パトリック君、君、ごく短期間でいいからホワイト宮殿勤務をしないか。君の兵士という身分を使って宮殿内部を探ってほしいんだ」
「え、僕が……ですか。なんで……」
周囲の視線が集まり、パトリックは一応狼狽える素振りをしてみせたが、その真意はわかっている。ラッセルが見舞われた“トラブル”が、本当に商売絡みである確率は限りなく低い。「とにかくすぐ現地に来い」なんて言い分、余りにあやふやで怪しい。あるいは“表向き言えない理由”……暗殺者死神としての調査か任務か。どうせ彼のことだ、後者に違いない。
「フランシーヌ様が仰る情報が確かなら、恐らくラッセルを呼び出した張本人は商人ではない。ラッセル及び我が一族を政治的に敵視する者……宮殿を出入りする者、でしょう。それも小物ではない。死神とカヴァデイル家を同時に相手取ろうとするような、大きな思惑を持った者。名のある軍人や貴族だと思われます」
『詳細は省くが、本当のアイツが出ていった理由は
「そこで、ここに居る皆さんに集まってもらった。宮殿内を行き来してもおかしくない人間。そして、高い権力を持った者とも話が出来る人間だ」
侯爵家の長男エメリヒ。上流聖職者の家に嫁入りしたサマンサ。そして身分は低いながら、兵士のパトリック。3人は顔を見合わせ、なるほどと小さく目配せした。だからこのメンバーなのか。
「エメリヒ様、貴方のお父様ならきっと宮殿内の工作などお手の物。充分合法の範囲かつ最速で、パトリック君を短期間移動させる事が出来るはずだ」
「そうですね。父に掛け合います」
「サマンサ、お前は1週間エメリヒ様の元で客人として過ごしなさい。普段は離れて暮らしているのだから、観光とでもなんとでも言えばいい」
「はい、仰せのままに」
ザカライアがエメリヒ、サマンサそれぞれに声をかける。次いでパトリックに向き合って。
「そしてパトリック君、君は明日から宮殿内勤務をしてくれ。
エメリヒ様の父君ならそれくらいやってくれるだろう。今日は早々に帰宅して支度なさい。1週間分の荷物をまとめ、明日に備えるんだ」
「はい、了解しましたザカライア様」
「最後にフランシーヌ様。よろしければ彼のサポートをしていただけますか。法に明るく犯罪者に対する逮捕権を持つ貴女なら、きっと真実に辿り着き犯人を捕まえられるはずです」
「…………」
若者3人が了承した。この流れならフランシーヌも当然2つ返事かと思われたが、当人は渋い顔だ。ザカライアはふむ、と顎髭に手をやり、傍らに控えた使用人にゴニョゴニョと耳打ちをした。
「いえ、突然呼びつけてこちらの身勝手なお願いを押し付けるのはあまりに不躾でしたね。ではこちらをご覧ください。これは貴女の力量を見込んだ上での依頼となります。当然報酬もなければならない──対価はこのくらいで如何ですか」
一度下がった使用人が持ってきた大きな袋。それをすいと開くと、中には眩いばかりの金貨が詰まっていた。
「こちら金貨50枚になります。我が息子を救っていただけるなら、この程度のはした金今払っても惜しくありません。受け取って下さい」
「はっ、はした金だなんてとんでもない! 金貨、50枚なんて……ッ」
ざっと21世紀日本の価値に直すと50万円を超える。ザカライアはこれを何もしていない前払いの段階で出すという。
「う、く……わ、わかりました……。では本職、死神捜索を一時控えて尽力いたします……」
さしものフランシーヌも、この額には仰天したらしい。震える手で金貨の袋を受け取った。恐らく一般庶民なら一生目にすることのない金貨の数だ、気おされるのも無理はない。ザカライアはにんまりと微笑む。
「では、若者諸君。頼みましたよ。Xデーは5月4日。この日の夜中までにラッセルを探し出し、死んでいた場合は蘇生の魔法をかけて下さい」
これが昨日の夜の話。
その後パトリックとフランシーヌは揃ってパトリックの家まで戻り、食事もそこそこに慌てて移動と捜索の準備をしたのだった。
1563年 4月28日 午前
時刻は戻り、現在。パトリックは無事宮殿の門をくぐり、最初の説明を受けている。めちゃくちゃ正直な話、女王が暮らし仕事をするこのホワイト宮殿は、何度も裏の仕事で出入りしているのだが……表の顔パトリックとして来ることは滅多にない。
彼の記憶が確かなら、無事兵士に就職して新任記念の式典に出たのが最初で最後。もう1年以上前の事か。ならば、ここで城の内装に驚かない庶民はいない。多少感動したふりをしておくか。
「わぁ〜〜、本当にここは綺麗ですね。外から見ることは何度もありましたが……白い! 広い! さすがホワイト宮殿です」
「ああ、すげーだろ?ここの美しさはオレ達城内勤務兵士の誇りさ。お前1週間しかいないんだから、よーくその目に焼き付けとけよ」
新人パトリックの前を歩くのは、「お前より少し先輩だから話を聞いとけ」と上官から紹介された兵士だ。ごく短い茶髪に素朴な緑の目。庶民と書いてモブと読んでやりたいような、非常に地味な顔をしていた。
「えーと、チャーリーさん、でしたっけ。改めて1週間限りですが、よろしくお願いします。僕、城下街はともかく城の内部に関してはずぶの素人なので」
「おうよ、任せておけ。まっ、身内の訃報で突然田舎に飛んで帰った奴の補充って話だ、大した仕事は回ってこねーだろうが……」
詳しく聞いていないが、そういう設定らしい。
「えーと兵舎はさっき見たな。次は下っ端のオレ達が担当する城の一階でもぐるっと見に行くか」
ガチャガチャと鎧を鳴らし、チャーリーが少し先を歩いていく。古めかしいゴシック建築の内側は、意外にもリフォームされているのか新式の内装をしている。後にヴィクトリア様式と女王の名で呼ばれるこの建築様式は、派手な綺羅びやかさと質素な利便性を1つにまとめた素晴らしい発明だ。
白い内壁、高い天井、いくつも並んだガラス窓。無骨な城っぽさと豪華の限りを尽くした装飾の共演は、まぁ何度見ても良いものだった。何より開閉式の窓があるおかげで、空気が綺麗に保てるのが最高にいい。暖かな春の匂いがする。
「なんか春ですね……草の匂いがする」
「お前呑気だな……言っとくけど、お前が働くこれから1週間て、わりとイレギュラーだからな。のんびり出来ると思うなよ」
「……と言いますと?」
窓越しに柔らかな陽光が照らす、明るく広々とした中庭が見える。中央に何かある……積み上がってるあの小山は……鎧? 理解した途端ギョッとした。まるで無数の鎧の墓場のごとく、うず高く鎧が山になっている。
「そう、あれよあれ。丁度1週間後、5月4日に突発の鎮魂祭が開かれるんだ。去年末、大きな戦で兵士がたくさん死んだろ?」
「えーと確か、エルフの国の宗教戦争に介入したらボロ負けしたんでしたっけ?」
「そうそれ。オレたちは城内警備勤務だから戦役を免れたけど、そりゃあまあ酷い有り様だったらしいぜ。見ろよあの鎧。あれみんな、身元不明で家族の元に返せなかった鎧なんだってよ」
「ひぇえ……怖いですね。相当死体の損傷酷かったのかな……」
「さぁな。怖くて聞きたくもねぇよ」
足早に前を歩く彼の表情は見えない。が、暗く沈んだ声が確かに漏れ聞こえた。少し共に過ごしただけでわかるチャーリーのお調子者ぶりも、さすがにこの手の話題に関しては鳴りを潜めるようだ。
「お前もこの国の兵士なら、後で共同墓地に祈りを捧げてこい。城の東口を出てすぐ、なだらかな丘になってるとこが兵士たちの墓場だ。城の直ぐそばに墓守りのブルックってじーさんが住んでるから、祭壇の場所を教えてもらうといい」
「はい」
東口、墓守りのブルック。パトリックは小さく呟き、ちらとその方向に向かって視線を向けた。そういえば、そのくらいの場所に柵に囲まれた広い空間があった気がする。ヒト気がなさすぎてあまり行った事がなかったが、あれ墓地だったのか。なら近く行くとするかな。
「あとー、この城で働くならとにかく周りの話に上手く乗っかることだな。特にダドリー派かセシル派かって聞かれたら、へらっと笑って曖昧に濁すこと」
「えーと、誰でしたっけそれ」
「女王の元恋人がダドリー、女王の現右腕がセシルだな」
無論、説明されるまでもなくこの2人は知っている。
女王と結婚寸前まで行ったのに周囲の妨害で破局、それでも寵臣として側に置かれているボンボン貴族のロードリック・ダドリー。
そしてそれを快く思わない、国王秘書長官にして敏腕と名高いウィルフレッド・セシル。
この2人は何かといがみあい、この城の勢力を真っ二つにするほどの権力、影響力を持っている。
まぁ、確かにこの城で働くなら、この2人の名前は重要かもしれない。言うならば、反女王派、親女王派の旗頭がこの2人。女王にフラれたダドリーが反女王派、有能ぶりを発揮して躍進するセシルが親女王派といったところか。
(……今回の件に何か関係あるのか……?)
チャーリーがあれやこれや説明をする中、ふと考え込むパトリック。この2人の不仲は随分前から有名だ。逆に言うと、今更これ関連で大掛かりな揉め事を起こすとは思いにくい。
(多分、リオン……いやエメリヒは今日辺り、真っ先にこの辺を探りに行くだろうな)
貴族の派閥争いに関しては、恐らく自分よりあっちの方が得意ジャンルだ。夜にでも会いに行けば、詳しい報告が上がってくるだろう。
「……てなわけで、新人のお前が首をツッコむのはめちゃくちゃ危ないわけだな。首が惜しけりゃ上手く周りに合わせるこった」
「……え、あ、はい」
あ、やば。気がつくと、チャーリーがじとりとパトリックを睨んでいた。
「……聞いてたかパトリック・リプソン!」
「あっ、え、すみません! 聞いてませんでした先輩!!」
「よーし歯ァ食いしばれ!!」
ガシャン!!!!
先輩チャーリーの愛のムチ、もとい全力のハイキックがパトリックの背中を襲う。
Xデーまであと6日。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます