第05話 招集
1563年 4月27日 夕
「ッ、」
気がつけばすっかり夕方だった。西日がロンディニウム橋のたもとに位置する門番詰め所に差し込み、鴉の鳴き交わす声が遠く近く聞こえる。ふいに口元に違和感を感じ、パトリックは慌てて唇を拭う。危ない、涎が鎧に落ちるところだった。いや、そろそろ仕事が終わる時刻だ。もう脱いでしまおう。
ガチャガチャ金属音を立てて鎧を外していると、ほぉら読み通り。先輩兵ジェイソンがひょいとこちらを覗き込んだ。
「おい、もう上がっていいぞ。嬢ちゃんも少しは寝れただろ」
「はい、ありがとうございます」
これにて無事、本日の勤務終了。帰りますか。ならばフランシーヌを起こさなくては。すっかり寝入っている金髪少女を起こそうとパトリックが手を上げたところで、
「パトリック! パトリック!!」
突然外から、焦ったようながなり声が耳に飛び込んできた。
なんだこの人。あれ、この声知ってる……?
「お前、一体何をしたんだ! カヴァデイル家のお館様がお前を呼んでいるぞ!」
「はぁ?!」
夕日に包まれた声の発生源は、あまりにも意外で。養父。つまり正しく説明するなら叔父だ。それが血相変えて、門の詰め所に飛び込んできた。
「え、と、父さん? 待って、よくわかんないけど僕この人に疑われたままなんだけど?」
「いいから! よくわからないが、その子も連れてこいとおっしゃっている!」
「え〜〜〜〜?」
ようやく目が覚めてむにゃむにゃ言っているフランシーヌごと引きずって詰め所の外に出ると、綺麗な橙色の世界の中。勇壮な橋の上にカヴァデイル家、つまり王都屈指の大商人の家紋がついた立派な馬車が止まっていて、パトリックは心臓が飛び出すかと思った。
なんてこった、こんなにド直球に迎えに来るなんて。
「お前、一体、」
「えっ知らない、知らないよ、何もしてないってば」
嘘だろ、今更こないだ
だとしてもこんなに普通に「表」から迎えに来るもんか?
てことは、表の俺に何かしらの用事があるという事だ。
「わ、わかった。行く。父さんは、一緒に行くの?」
「一応オレも呼ばれている。ああ、一体なんだってんだ。恐ろしい…………」
「まぁ、多分取って食われるわけじゃないから……多分…………」
おろおろする養父を伴い、寝ぼけたままのフランシーヌを抱えて馬車の後部座席に乗せ、
「すいません先輩……なんかそういうことで、このまま失礼します…………」
「あ、ああ……気をつけて……」
一路カヴァデイル家の屋敷へ向かう。ごとごと走り出す馬車内。御者台に座っている男はきちんと見知った本物だが……事前の連絡もない、突然の招集。一体どうしたと言うのだろう。
やがて馬車が止まり、広々とした邸宅に辿り着く。両開きの
ようやく玄関に到着し、扉を開くと。
「よく来てくれたな」
「は、はぁ………!」
「…………!!」
やっと起きたフランシーヌ、そしてパトリックと養父の3人が、揃って目をしばたたかせる。
綺羅びやかな玄関ホール。そこには異母兄リオン、異母姉サマンサ、そしてパトリックの実父で当主のザカライア。
カヴァデイル家と関わりのある主要人物がずらりと揃っていた。
「あ、あの、息子が何か…………お館様の機嫌を損ねる事でもしたでしょうか…………」
開口一番揉み手をする養父の前、ザカライアが小さく微笑む。首を振る。
『落ち着けゾーイ。とりあえずお前たちに都合の悪い話ではない。二人共、表向きの立場を意識した上で落ち着いて聞いてくれ』
『??』
「まずは皆の者。私の言葉に耳を傾け、集まってくれて感謝する。治安判事のお嬢さんも。
実は、今日は今来た2人を含め、ここに集まってくれた若き才能達におりいって頼みたい事がある。
……その前に、お嬢さんのために改めて自己紹介が必要かな。エメリヒ様、貴殿からどうぞ」
当主がリオンをちらりと見やる。リオン──表の名前はエメリヒ──は、おほんと居丈高に咳払いした後、にんまりと笑みを浮かべ口を開いた。
「エメリヒ・マールヴァラ、18歳。侯爵家の長男だ。世間ではマールヴァラ家が“影の一族”……蛮行を働く悪の巣窟ではと囁かれることもあるが、そんなことはない。女王陛下の片腕として時に汚れ仕事を請け負い、陛下の負担を減らす。そういう立場にあるだけだ。
まぁ、この国では極めて高い地位に居るが、そう畏まらず接してくれ。以上」
互いの顔を表の立場で見るのは久しぶりだ。流行りの西国風に染めた漆黒の上着、膝丈のオー・ド・ショース(ズボン)にバ・ド・ショース(ハイソックス)、気取った平たい革靴。おまけにビレッタ(巨大ベレー帽)を斜めに被り、如何にも貴族の御子息という出で立ちだ。
長い黒髪をオールバックに撫でつけ、自信満々の赤い瞳でこちらを見やるその態度。気に食わない。
ただ、その隣にいる女性はパトリックにとってとても喜ばしい存在だった。
ふわりと波打つ金茶のロングヘア、大きく開けられたデコルテから覗く、白く豊かな胸元。これまた黒で染められた、高価な布をたっぷり使って作られたワンピースを纏う彼女は、涼し気な蒼い瞳を優しく弧にし、優雅にお辞儀してみせる。
「サマンサ・スターレット、21歳。カヴァデイル家の長女として生を受け、聖職者の名家スターレット家に嫁いだ者です。ここに居るエメリヒ様、パトリック君とは幼少期、親同士が知人である縁で幼馴染のように過ごしました。よろしくお願いします」
そこで2人の視線がフランシーヌに向く。フランシーヌは二度三度視線を彷徨わせた後、しっかと前を見た。
「フランシーヌ・ビヴァリー、30歳。クォーターエルフの治安判事です。姉を死神に殺された過去があります。この度ウィンストン・ポーレット様の要請で死神逮捕の声が強まったため、パトリックさんをいち容疑者、参考人として監視させていただいています。よろしくお願いします」
白いマント、輝く金糸のストレートヘア、胸元に治安判事の証たる銀のブローチ。仕立ての良い紺の制服は、多少寝たくらいじゃシワもつかない。真っ青な瞳でその場の全員を見据え、言い放ったあけすけな物言いに一同がぎょっとする。
フランシーヌが眼差しに込めた感情は、確かに敵意だ。あるいはここが敵の総本山と睨んでいるのだろう。そしてその読みは実際に当たっている。彼女の勘は冴えている。
『……豪胆だな。これは確かに“厄介な雑草”だ』
『はは……』
チリリ、とザカライアが
「ふむ、パトリック君……は、この場の全員が知っているから自己紹介は要らないとして」
ザカライアがちらりとパトリックを見る。この面々の中、半寝起きのぼさっとした紺髪に、いかにも庶民のシンプルな出で立ちの自分、めちゃくちゃ場違いでは。いや、確かに呼ばれた身だけども。
「……フランシーヌさん。ウィンストン・ポーレット様……といえば大法官、法務界のトップ……その彼が死神逮捕を望んでいる、と? その話はどのような経緯で耳に入れたのですか?」
「まず気にする所がそこですか。やはりパトリックさん含め、貴方がた全員が死神と繋がっていると判断しても良いという事でしょうか?」
「そうではありません。
実は、最近我が家の長男ラッセルが行方不明になったのです」
「「「「えっ?!」」」」
突然の報告に大声を上げたのは、リオン改めエメリヒ、サマンサ、パトリック、そしてパトリックの養父、本名ゾーイの4人だった。初耳だ。長兄ラッセル。死神3人の一角を担い、この家の跡継ぎ息子だった彼が、行方不明。
「そ、そんな……ッ、ラッセル様が行方不明?! ザカライア様、何故そのようなことに……ッ」
「兄様、兄様が行方不明?! あのお強い兄様がそんな……!」
「…………ラッセル、様…………ッ」
「おいたわしい……!」
全員が異母
「……それで、御子息ラッセル様失踪と死神捜索強化はどのような関係があるのですか?」
そんな中1人冷静なのは、彼らと一切血の繋がりを持たないフランシーヌだ。状況を冷静に見極めようと当主の顔をひたと見つめる。当主ザカライアはその視線を真正面から受け止め、静かに口を開いた。
「ではまず伺うのですが、死神捜索強化の通達が降りたのはいつ頃ですか?」
「もう10日か……それより前になるでしょうか。私は王都勤務ですが、それだけに留まらない各所の治安判事が全員集められ、最重要事項として上官から伝えられました」
「そして昨日、息子は居なくなった……」
「だから、それの何が関係あるのです」
「関係大有りですよ」
ザカライアは至って真面目だ。
「両者の共通点は、親女王派……女王を支持する立場である、ということです。
まず、我がカヴァデイル家は豊かな商人の家系であり、何かあれば女王に多額の援助を送る立場にあります。そして死神は単独で動き、女王の敵となる人間を闇に葬る者……。これらが仮に一気に排除されようとしているなら、それは恐らく。
女王と敵対する者の思惑が働いています」
フランシーヌの細い眉が吊り上がる。怒りではなく不愉快の感情。イチ個人ではなく、治安判事としての興味が働いている。
「……よってフランシーヌ様、治安判事の貴女に。そしてエメリヒ様、サマンサ、パトリック君、貴方達3人に。おりいって頼みがあります。
どうか今日から7日の間に、我が息子ラッセルを探し出して欲しい。
彼は商人であり、それと同時に素晴らしい魔法の才能の持ち主です。丸一日待っても一切の連絡がないという事は、あるいは彼はもう生きていないでしょう。なので、最悪死体でいい。見つけて保護さえ出来れば……サマンサ。条件を満たしていれば蘇生出来るな?」
「はいお父様」
サマンサがこくりと頷く。他の者も同様に頷いているので、フランシーヌは1人おずおずと手を上げる。
「……すみません、質問よろしいでしょうか。その、条件、とはなんですか?私回復の魔法は一通り覚えたのですが、蘇生はまだ未習得で」
「ああ、では詳しい会議を兼ねて説明いたします。その前に落ち着いて座れるよう、グレートホールに参りましょう」
正面玄関に隣接するエントランスホールから続く長い廊下を歩き、綺羅びやかなグレートホール(ゲストルーム)に移る。カヴァデイル家は表向き代々商人の家をやっており、詳しく言うなら輸入と卸売業を兼ねているので、様々な地域の商品を扱っている。その関係で調度品も良く言えばバラエティ豊か、悪く言えば統一感がない、という感じがした。
最も、ここはグレートホールの中でもごく私的な用途に使うもの……親しい友人や今のように内々ながら家族が集まる場合に使う場所なので、趣味の部屋という側面もある。パトリックは正直見慣れているものの、隣のフランシーヌが一々興味深そうに目を丸くしているので、改めて自分は金持ちの血を引いているのだなぁ、と思ったりした。
ここでうっかり「わぁ、バルバスレッグ※の素敵な椅子を買ったんですね」とか口にしたら、かなり変な目で見られるのだろう。気をつけよう……。
※16世紀に流行した球根状の脚部装飾。恐らくパトリックの表向きの財産では買えない。
「さて、」
各々が椅子に腰を下ろし、一息ついた後。正面奥に座する当主ザカライアが咳払いする。
「依頼の詳しい話を始めよう。まず期限についてだが、サマンサ。聖職者でもある君に意見を聞くぞ」
「はい」
「この国には蘇生法というものがあるな。改めて説明してくれるか」
話を振られた長女サマンサは長い髪を背中に流し、居住まいを正す。
「はい。蘇生法とは、蘇生魔法に関する法律です。死者が出た際、無闇やたらに死者が蘇らないよう、社会の混乱を防ぐため決められたものになります。
それによれば、死者の復活には一定のルールがあります。
焼死体は神の元に召されたものとして扱い、復活させない事。
仮に肉体の半分を失っていた場合、それを復活させた物を人間としては扱わない。
死者の復活は死亡を確認してから7日間を期限とする。
これを破った場合、蘇生法違反として逮捕、罰則を与える。……あっ」
「そうだ。ここからが相談と依頼の本番なんだが」
小さく声を漏らしたサマンサを見るザカライア。一度言葉を切り、ホールに集まった面々を見回す。
「サマンサの能力は高い。焼死体だろうが腐乱死体だろうが見事に蘇生するだろう。しかし、それらは法で禁じられている。よって、ラッセルを探してそれが死んでいた時、復活させる場合。どうしても制限が生じてしまう。
死体を焼かれていてはいけない。半分以上でなければならない。そして、7日を超えてはならない」
「でもお父様。この場合の7日の期限というのは、いつから数えるものなのでしょう? 一応現在、正確には生死不明ですのに」
「うむ。そこで法のスペシャリスト、フランシーヌ様に意見を聞こう。この場合、7日の期限はいつと定めるべきでしょう?」
「え、それ……は…………」
この場にいる5人、計10個の目から視線を送られ、フランシーヌが萎縮する。淡い金髪を落とし、しばし考えた後彼女が出した答えは。
「そう……ですね。恐らくこの場合、私の意見がいざと言う時法の場での証言として扱われるのでしょうが。
恐らく御子息ラッセル様のケースですと、本日が死亡確認日となると思います。ラッセル様の能力を鑑みると、生きて意識があればこちらに連絡がとれる。しかし、強いと何度もここで評された彼が無様にただ囚われているとも思えない。丸1日連絡が取れない……これは、死亡である、と定義しても良いでしょう」
「やはりそうなりますか」
「ただし、これは最短の場合の計算になります。何かあった時、この範囲内なら確実に合法となるだろう、という」
「そうですね。なので、ここからは依頼の話になります。この場にいる若者たちにラッセル捜索を頼みたい。そうなると、依頼の期限、詳しい日時はどうなるでしょう」
「……それは……」
うーん。フランシーヌはしばし指折り計算した後、
「5月4日。5月4日の夜、日付け変更時刻が最終リミットとなるでしょう」
と告げた。一同が息を飲む。5月4日、その夜中までにラッセルを見つけ出し蘇生しないと、彼は本当に死ぬ。
「──よし、では早速作戦会議を始めよう」
ザカライアが腕を組む。
ラッセルの本当の死が訪れるXデーまで、あと7日。
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