第04話 真意
1563年 4月24日 昼
鮮烈な“死神”との出会いから数日。パトリックは極めて大人しく過ごすと決めた。養父からは暗殺業をしばし休むよう手紙が来た。
〈わかった、こちらの薔薇園はこちらがなんとかする。お前は自分の薔薇園を守りなさい〉。
それ以降朝起きて、詰め所に行き、ひたすら門に立ち尽くし、夕方になれば帰宅する毎日。ルーティンを崩すイベントがあったとして、夕方の買い物。フランシーヌは毎日それを眺めているが、表情が日に日に険しくなっていくのがわかる。
「……退屈でしょう、僕と一緒に居ても」
「いーえ、貴方はすごい魔法が使えるということを隠していました。あるいはあいつの仲間ということも充分ありえます」
「はいはい、じゃあ飽きるまで僕を監視して下さいよ」
ある日の昼休憩。硬い石で出来た詰め所の中、フランシーヌはパトリックの向かいで豪勢なミートパイを齧っている。こっちは買い物に出ても一律
(さて、いつ音を上げることやら)
指の先についたチーズを舌で拭いながら、パトリックはため息をついた。せっかく本物の死神を見せたというのに、魔法を使ってしまった事でフランシーヌの疑念は晴れなかった。やれやれ、なら今後3ヶ月くらい平凡な生活を繰り返せば監視対象から外れるだろうか。望むところだ。こちとら一体何年この偽装生活を送ってると思ってるんだ。
(ま、ちょろい仕事ですよ。難攻不落の魔導師を殺せとか言われるよりはな)
パンとチーズのサンドイッチを食べ終え、満足しきりの息をつきつつ両手についた粉を払う。……そういや、フランシーヌから返事が返ってこないな。パトリックがふいに顔を上げると、随分静かだと思っていたフランシーヌは──半目で若干船を漕いでいた。
しばし観察する。今日はぽかぽか陽気という感じでもなく、曇りで若干肌寒いくらいなのに、こくりこくりと見事に船をこいでいる。
それでも意識を失う事はない。しばらくして本人自身が「寝かかっている」事に気づいたのか、ハッ! としっかり上体を起こしたので、パトリックはおずおずと話しかけた。
「あの、フランシーヌさん……最近ずっと眠そう、ですね?」
「ええ、だってほとんど寝てないですから」
「えっ?!」
「私が寝てる間、貴方がこっそり暗殺しに行ってたら大変です。なのでここ数日、仮眠しかしていません。貴方が動いたら即覚醒出来る範囲で意識を保っています」
フランシーヌは心なしかどやぁ……と自信アリ気な顔をしている。いや、待て待て。それって結局最初に言ってた「意識を残して寝る」と言うより、「単純にロクに寝ていない」という状態なのでは……?!
「えっ、寝て?! さすがに身体に悪いですよ、だってその……年齢はともかく身体……クォーターエルフ的にまだ子供……なんでしょう? なんかものすごい申し訳ない事をしている気分……ッ」
「ご安心を、私の身体は貴方たち普通の人間とは違います。仮に1か月くらい寝なくても、成長に支障など出ません。当方社会的に充分大人ですし、全うすべき職務もあります。よって貴方の監視を放棄するわけにはいきません」
一息でぺらぺらと。まぁなんと流暢に言い訳が出てくるものだ。呆気にとられたパトリックはぱちぱちと瞬きをして。つい本音を漏らしてしまった。
「なんで……そんなに…………。死神って女王の敵を殺してるだけの人って聞きました。法に関わる職についてるとはいえ、貴女がそんなに必死に追いかける人間ではないのでは?」
「────」
ヒュウ、と冷たい風がくり抜かれたままの窓から吹き込んだ。なんだろう、気持ち室温が下がった気がする。すると鋭い視線がこちらを向いて──パトリックを射抜く。
繊細な金髪を揺らす少女にしか見えないフランシーヌが、ぐっと声を低めて。自分より大きなパトリックを睨む。
「では本当の話をしましょう。私の姉は以前話した通り治安判事をしていて、でも3年前死神に殺されました。
たまたま夜道を歩いていたら、殺人現場を目撃したみたいです。首無し死体の近くに姉が落ちていました。ゴミか何かみたいに」
「…………!」
「こないだの私みたいですね。あの日あの時、あそこを通らなければ姉は死なずに済んだのに。……それだけの、運命のアヤなのに……」
「……………」
涙はない。ただ淡々としている。だがその抑揚のなさが、彼女の悲しみを深く物語っていた。これは神が与えた悲劇ではなく、彼女に降り掛かった現実なのだと。
(そういえば……前話してくれた時、お姉さんに関する説明は全部過去形だったな……)
パトリックの心臓が嫌な調子で高鳴る。たしか……
有能な治安判事だったんです。
自慢の姉でした。
今更それに気づき、ぐっと胸が熱くなった。
死神に殺された? まさか、まさか。
俺が?
「お姉ちゃん。誰にでも優しくて、凛々しくて、いつも溌溂と前を向いている人でした。
『私達は不平等な世界に生きているけど、法は弱者が持てる唯一の武器なのよ』。
そう、よく言ってました。いつも笑顔で、弱い者の味方で、悪い奴らをかっこよく捕まえて、人に囲まれてて……私の…………憧れでした…………」
言葉を紡ぐフランシーヌの声が、いよいよ震えている。パトリックは恐ろしくて彼女の顔が見られない。
3年前。彼は既に暗殺業に
……本当に? 無意識に唾を飲む。
いつも、ただ「命令されたから」と無感動に人を殺してきた。任務の邪魔になりそうな目撃者も、そうやって虫を殺すように殺してきた。
その中に「フランシーヌの姉は絶対居なかった」なんて、どうして言える?
殺す予定の人間の顔も、実際殺した人間の顔も、あっという間に忘れてしまうのに。
ぎゅうと膝の上の両手を握りしめる。
任務だった。使命だった。女王の敵を殺す、それだけが、我が一族の、俺の、誇りだから──
「……………!」
ごめんなさい、なんて言えない。喉まで出かかった言葉をなんとか飲み込む。ふいに見てしまったフランシーヌ、その表情が。
幼気で美しいクォーターエルフの青い瞳が、暗い感情で燃えて紫色になったように見えたから。
深い悲しみ。深い怒り。涙なんて零れなくても、彼女の感情はありありと感じられた。
ああ、だから。彼女は必死になるのか。
自らの希望の光を消した相手を踏みにじるために。
パトリックは小さく唇を引き結び、ついでなんとか薄ら笑いを顔に貼り付けた。
これ以上は耐えられなかったから。
「……………………捕まるといいですね、犯人。こないだの死神とやら」
「邪魔してくれたのは貴方ですけどね」
「すみません…………」
いいんだ、この場の空気を変えられなくても。
「パトリック・リプソン」は彼女の姉を殺していないのだから。
1563年 4月27日 昼
「何も起きなくなって」一週間が過ぎた。ほとんど寝ていないらしいフランシーヌは、いよいよ目の下にクマを作ってフラフラしている。そろそろ音を上げればいいのに、そうしないのはひとえにパトリックを「姉の仇かもしれない」と思っているからだ。
(俺じゃない、多分。でも兄貴たちだとも……思いたくはない)
無感動に人を殺す彼とて、人の心くらいある。選べるなら女子供は殺したくない。かと言って、命令があれば躊躇なく殺してきた。その中に彼女に似た顔はあっただろうか。
ない、はずだ。
ないと言ってくれ。
(はぁ……憂鬱…………)
常にじっとり絡みつく視線を感じながら起床し、食事を取り、玄関をくぐり、仕事にでかける。フランシーヌは自分の金で勝手に食料を買い、一人で飲み食いしているので飢える様子はないけれど……
早く諦めてくれ。
そうじゃないと、なけなしの良心が痛んで仕方ない。
そんな、もやもやしていたある日の事。
「嬢ちゃん頑張るなぁ」
「ホントですね……何度暗殺なんてしてないって言っても、全然信じてくれないんですよ」
「お前みたいなボンクラにそんな大それた事、絶対出来ないのにな」
「めっちゃソレです」
パトリックは珍しく、先輩兵士ジェイソンと一緒に昼食を取っていた。余談だが、この門は非常に重要なので、扉の裏表で計4人の門番がついている。それはともかく。
いつもと同じようにパンを食べているのだが、詰め所の隅に立つ彼女の耳にこちらの会話は入っていないようだ。ただ薄く目を開いたまま、微動だにしない。
「こっそり抱えて仮眠室に運んだらそのまま寝ないかな?」
「試してみます? 僕も心配なんですよ」
「うし、ちょっとやってみっか」
パン、と膝を叩いたジェイソンが立ち上がり、のしのし近づいていくと、フランシーヌに触れようとした寸前で
「不敬者!!」
くわ! と目を見開いた。驚いた、ちゃんと反応するぞ。
「わわわ、すまん! そんなつもりじゃなくて……っ」
慌てふためく先輩を見ていたパトリック、ピンと閃いた。実は彼にはこれまた異母だが、姉がいる。その彼女の言動を思い出したのだ。
「先輩、ちょっと僕に任せて下さい」
「あん?」
ビビって下がったジェイソンに代わり、パトリックがそぅっと近づく。再び無表情に戻ったフランシーヌの耳元に唇を静かに寄せて……
「フランシーヌ、悪い子ね。ちゃんと寝ないと悪魔が迎えに来るわよ」
「……?!」
精一杯猫なで声を出して、「お姉ちゃんっぽい」言葉をかけてみた。フランシーヌの瞳が小さく揺れる。
「疲れているんでしょう? だったらちゃんと休まないと。休める時に休まないと、いざって時動けないのよ」
正直、フランシーヌの姉がどんな人かなんて知るわけがない。それでも妹が心配な姉が居れば、こんな感じの事を言うに違いない。そう思ってしばし話しかけると、
「……………………………おねぇちゃん……………………」
微かにフランシーヌの唇が動いた。かかった。睡眠不足と疲れすぎで現実の情報と過去の記憶が混ざり合っている。
「少し寝ましょう? 大丈夫、ずっと側に居てあげる。私が一緒なら怖くないでしょう」
「………………うん…………………そばに、いてね…………………」
きゅ、と小さく肩を掴まれたので、パトリックは急いでお姫様抱っこで抱え上げた。こちとらフルアーマーだ。下手な現実の情報で微睡みの世界から目覚められては困る。
「すいませんジェイソンさん、ちょっと仮眠室行っていいですか」
「ああ、夕方まで戻ってこなくていいぞ。今日は特別だ」
「ありがとうございます」
そのまま隣の部屋に移動し、簡易ベッドに腰掛け、脇にフランシーヌを横たえる。彼女の身体が小さいので、2人分のスペースはゆうにあった。
(…………本当に小さい………)
いよいよ寝息を立て始めたフランシーヌを見下ろし、ぼんやり考えてしまう。細い手足。子供のような身体。30歳の女性、という事実を反芻したところで、オトナの異性とは到底思えなかった。
(…………本当にお姉さんが好きだったんだな…………)
心なしか安らいだ表情で寝ているのを見て、さらに胸が痛む。クォーターエルフの姉なら、その人もきっとまだ子供の……いや、若い姿のまま死んだのだろうが…………
(やっぱり知らない。例えば金髪の、小さな子供……あるいは10代の少女……年が極端に離れてたり、全く違う容姿なら知らないけど…………多分、俺はそんな人殺してない)
多分。恐らく。
無意識に眉間にシワが寄る。
必死に踏ん張って、倒れる寸前まで犯人を追い求める憎しみとはいかばかりか。
わからない。わからない。
でも────
(犯人が俺達じゃない誰かならいいのに。そしたら全力でこの人の夢を叶えるのに)
徐々に傾く日差しの中、パトリックはフランシーヌの頭を撫でようとして──やめる。
自分が覚えていないだけで、この人の最愛の姉を殺したのは自分かもしれない。そう思うと、優しげに触れる権利など到底ないと思ったから。
Xデーまであと7日。
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