第03話 邂逅



 

 1563年 4月20日 夜



 

 満月が煌々と輝き、風の凪ぐ夜。

 酒とつまみ片手になんのかのと話し込んでいたら、気づけば結構な時間になってしまった。というのも、どうせ実家だし寝ていこうと思っていたからだが……寝耳に水。母ダリアからかけられた言葉で、ほろ酔いになっていたパトリックはパチリと酔いが覚めた。


「遅くまで付き合わせちゃってごめんね。でも、お前の分はともかくお嬢さんの分の寝具がないの。悪いけど自分の家まで帰ってくれる?」

「は???」


 幸い、ミルクをしこたま飲んだだけのフランシーヌは充分シャキシャキ歩けるが。こんな時間から徒歩で王都の中心部に帰る? 一体どれだけかかると思ってるのか。ふざけるな、いつ寝られるんだ。

 

「うわ、最悪……。いや、親の好意をあてにした俺が悪いけど。だる……」

「でも、床で寝るよりはマシだと思いますよ」

「それな……」


 鈴を鳴らすような声で指摘され、それはそう。ド正論。仕方なく、気乗りしないながらもなんとか帰り支度を整えた。計算するに、ここから恐らく数時間ほど。ひたすら歩かなければまともな寝台にはありつけない。げんなりしつつ、2人は夜中の田舎道を歩いて帰ることにした。

 


 ぬるい空気に満ちた真っ暗闇の中、小さく踏みしめる砂の音だけが響く。ランプは一応1つもらっているが、本業暗殺者のパトリックとしては、周囲を照らす目的でこれを持つメリットよりも、何かしらの敵への目印になるデメリットの方が大きい気がして、非常にそわそわした。


 隣のフランシーヌは、そんな彼の戸惑いなど全く意に介さない。マントと紺の制服を翻し、軽い足取りで歩いていく。


「……なんか。豪快な人たちでしたね」

「あ、その……ごめんなさい、本当に……。全く、何もかも勝手なんだから」


 養父モーガンは、酒が入るととにかく他人に絡む。最終的にフランシーヌに「うちに嫁に来てくれ」と土下座で頼み込み、その場の全員をドン引きさせた。養子とは言え、息子にガールフレンドの1人も居ないのが心配なのはわかるが、初対面かつ仕事で来ている女性に対する態度としては非常に最悪だった。

 

 恥ずかしい。めちゃくちゃ恥ずかしい。パトリックは本気で顔から火が出るかと思った。元々そう大きくない体躯だが、申し訳無さで必死に縮こまらせる。


 フランシーヌはその時のことを鮮明に思い出したのか、ふふ。と小さく吹き出した。ついで軽く肩にかかった金髪を払い、まっすぐに前を見据える。

 

「いえ……他人の家とはいえ、久しぶりに家族の団らんというものを経験出来て、少し心地よかったです。

 姉と別れて暮らすようになって3年。ああやって誰かとご飯を囲むのは、すごく久しぶりなので」


(ふぅん、今1人で暮らしてるのか。こんなに小さいコに見える人が、1人……苦労してんだろうな)


 言葉の切なさと裏腹に、フランシーヌの声音は明るい。意図せず良い経験をしてもらえたなら、まぁ。あのくだらないやり取りにも価値があったのかな。

 お互い敵である、ということをしばし忘れた気がした。大した会話も思いつかないので、パトリックは闇に溶ける紺髪の先を弄りつつ黙々と足を動かすだけだが。

 なんだか、ただのイチ個人同士として、並んで歩いているような。


(……そういや俺、家族以外の誰かと仕事以外で2人で歩いた事ってないかも……ちょっと嬉しいな)


 そんな長閑のどかな空気の中。フ、と何かが自分の上を通過した気がした。

 パトリックが何気なく上を見た瞬間、


 ぽたり。


 額に何か落ちる。それを拭ってランプにかざすと、


 真っ赤な血だ。


「うわあああああ?!?!」


 唐突な出来事に思いっきり悲鳴を上げてしまった。2人が視線を上げた向こう、少し先の教会の屋根に黒い影がしゃがみこんでいる。

 手には誰かの「生首」。なぜわかるかって? 何かの固まりにしても、あからさまに長い何か(=髪)をひっ掴んでいて、ぼたぼた液体が垂れているからだ。さっき見た物と照らし合わせれば、これは新鮮な人の頭という事になる。


「わっ、わああああ!!!!」

「何者……まさか、」


 死神。


 恐らくそうだ。パトリックは、フランシーヌは、それぞれ違う思惑の元そう思った。


 パトリックからすると、え、誰? どっち? というのが本音になる。自分はここにいるから、兄のうちどちらなのか。基本的に体格、シルエットは三兄弟で似たりよったりなので判別つかないが、ポーズ。偉そうに大股広げてしゃがんでいる、あの品のなさは長兄ラッセルじゃない。恐らくいつもパトリック(本名ルーファス)と小競り合いをする犬猿の仲、次兄のリオンだ。

 でもなんでわざわざこんな田舎道に。そもそもあえて姿を現して、何考えてるんだ?


 一方、怨敵とまで言い切った相手の登場に眉根を寄せるフランシーヌ。じゃり、と砂を踏みしめ相対する。


「貴方が“死神”。」

「おっと、まだ少し早い時間だったかな。一般人に見られてしまうとは」


 芝居がかった朗々とした語り口。想定外に一般人に見られたくせに、随分と余裕綽々な態度だ。それを聞いて、パトリックはピンときた。これは両親の差し金だ。フランシーヌがパトリックと一緒にいる間に死神を目撃すれば、パトリックは容疑者から外れる。そのために食事に呼び、理不尽に帰るよう言われたのだ。


 彼が思考を巡らしている間、フランシーヌと死神はそんなのおかまいなし。勝手に話を進めていた。


「さてどうするかな。殺すか、それとも──」

「黙れ殺人鬼。私とて治安判事、生半可な攻撃で殺せると思わないことね」

「おや、負けん気が強いなお嬢ちゃん。れるならってみな」


 顔こそ見えないが、死神リオンがすっくと立ち上がり、伸ばされたその手からパリパリと細い雷光が舞い散る。雷はリオンの一番の得意技。あいつ問答無用で女の子をブッ飛ばすつもりか。


「えっ、待ってフランシーn……!!」


 パトリックは咄嗟にフランシーヌを見た。彼女の実力なんて知るわけもない。しかし、兄は暗殺一筋の特殊な家に躾けられた、しかも魔法特化タイプとして鍛えられたエリートだ。様々な訓練を積み、そのへんの兵士より魔術師より遥かに強い。太刀打ちなんて出来るわけが──


ウォラーレトニトゥルス!!!!〉

〈慈愛の女神エウメニデスよ、我らに加護を!

 原初のルークスアルマ!〉


 両者が呪文を宣言し、次の瞬間

 ゴッ、

 と衝撃音がした。

 

 思わず目を瞑ったパトリックだったが、次に目を開けると。闇の中、先ほどと寸分たがわぬ位置で、凛と仁王立ちするフランシーヌが視界に映った。


(ひえ、さすがクォーターエルフ……魔法の領域ではそうそう負けないか)


 パトリックはこれでも、みっちり魔法の勉強と修練をしてきた身だ。リオンが放った魔法の威力が具体的にどれ程のものか、鮮明に想像出来る。それでもそれを退しりぞけ防護したとなると、彼女の実力はなかなかのものだ。

 

 驚いたのは死神リオンも同じだったようだ。ある程度の事情は知ってるだろうが、子供の姿をしたフランシーヌに綺麗に防がれたことは、少なからず彼のプライドに触った。声に微かに苛立ちが混ざる。

 

「……チッ、思ったよりやるじゃん。ジャブよりずっと本気で撃ち込んだのによ」


 屋根の上の影が頭をかいている。しかし、「ジャブよりずっと本気」と言いつつ、「初手が攻撃魔法」とは感心しない。力量のわからない相手を舐めてかかって、カウンターで死んだら洒落にならないのに……ああハラハラする。どっちを応援するべきなのか。

 

(テキトーに姿を見せて消えれば終わる話なのに……わざわざ殺す気か? 勘弁してくれよ……)

「…………」


 内心焦るパトリック、憎い仇に万感の思いを滾らせるフランシーヌ。それぞれの思惑が交錯する中、フランシーヌと“死神”が睨み合う。


「……パトリックさん、ここはとりあえず私が引き受けます。走って出来るだけ遠くに逃げて下さい。私はあとからそちらに向かいます」

「えっ、でも……」

「いいから。本物が現れたからには、貴方を一般市民とみなします。私は貴方を守る義務がある」

「そんな」


 兄が本気を出したら即死ぬだろう。あるいはそれが目的かもしれない。だが敵にあたるとは言え、むざむざここに置いていくのはなんとなく気が引ける。パトリックは思わず口ごもってしまった。

 

 少し会話してわかった。この子はただの仕事熱心な女の子だ。今すぐ殺さねばならないほどの脅威ではない。殺すには惜しい相手だ。

 だからってどうすればいい?

 一触即発、今にも命のやりとりをしそうな2人に。

 悩んだあげく、いかにも一般人が言いそうな文句をぶつける。


「あの、その、女の子を危険な場所に置いて自分だけ逃げるのはこう、男としてどうなのっていうか……」


 しかしフランシーヌの覚悟は本物だ。ピシャリと言い放つ。

 

「兵士としての貴方より、魔法使いとしての私の方が遥かに強いのは最初からわかってます。ご心配なく」

「で、も」

「躊躇わないで、足手まといよ。この場の真の危険もわからないんでしょう、魔法を使えない奴は下がりなさい」

「うく……」

 

 フランシーヌの意見は最もだ。魔法とは。「何が起きるかわからない」。なればあらゆる可能性を想像するのは、魔法使いに必須の能力だ。

 魔法が使えない一般人はこれが出来ない。出来たとして限界がある。


(でも、俺は素人じゃない……なんて言えない……どうしたら……)


 引くに引けず、パトリックが戸惑っていると。それを見ていたリオンが高笑いを上げた。

 

「ハハハ、ダセェなぁ! こんな小さいガキにいい年した男が守られるなんてよ!!」

「、……!」


 兄の言葉はパトリックの本心と重なった。演技で情けない男を演じているとはいえ、“女の子”に17の男が守られるなんて。

 唇を噛みしめる。

 そこに、遠隔会話テレパシーの魔法が飛んでくる。


『いいから引いとけよ。父様もそれを望んでるはずだ』

『……』

『こんな小物相手に正体曝す気か? お前はなんのために育てられたんだ。影の一族俺たちの秘密を守るためだぞ、テメェのつまんねープライドなんて捨てろ』

『………………ッ、』


 わかってる。わかってる、けど、

 

『うるせぇ、抜かしてるとぶっ殺すぞ』

『?!』


 明らかに強いとわかっている兄に、啖呵を切らずにいられなかった。パトリックはランプを下ろし両足を踏ん張り、キッとリオンを睨みつける。


『テメェッ……』

「……やっぱ逃げるなんて出来ない。僕だってこの国を守る兵士の一員だ。君を見捨てたら、僕はなんのために兵士になったんだ」

「でも、貴方弱いですよね? 剣すら下げてない丸腰の人に何が出来るんです……」

「実は僕、少しだけ魔法が使えるんだ」


 そう言って手に魔力を溜める。渦巻き輝く緑のオーラ。これまで何度も使った、最も得意な闇魔法ではないが。兄に一撃食らわせるだけならこれで充分だろう。


「な、馬鹿、テメェ! 一般人のくせに魔法使えるなんてヒキョーだぞッ……!」


 秘密を守るなんて糞くらえ、と言わんばかりの態度にリオンが悲鳴を上げる。

 

『正気か!?』


 パトリックに迷いはない。全力で集中し、魔力を手に集める。

 

「アンタが無駄に煽るからだろ。呪うなら自分の口の悪さを呪えよ」

 

『上手く避けろよな』


 一応、家族への忠告は一言添えて。


〈……インペトゥスヴェンティッ!!!!〉


 闇を切り裂き、一直線に飛ぶ矢のように。“死神”の胸元に疾風が迫り、そして──


「ざっけんなクソガキが!!」


 ヒット。相手は最大限後ろに跳んだが、追う風の方が数段速かった。華のように血飛沫が飛び、浅くリオンの胸を切り裂いたことがわかる。


「っシャア!!」

「えっ、ちょ……」


 拳を握りしめるパトリック、慌てふためくフランシーヌ。一方死神リオンはくるりと身を翻し、


「覚えてろよ!」


 一言叫び、するりと闇に溶けた。

 そして沈黙がその場に戻り……


「どうして逃がしちゃったんですか!? 私拘束魔法が使えたのに! 奴らが瞬間移動で消えることはわかってたから、どうにか弱らせて捕まえたかったのに!!」


 沈黙を破ったのはフランシーヌだった。傍らのパトリックを掴み、がくがく揺さぶる。

 

「えっ!? いや、僕はとにかく君を守りたくて……ッ」

「それとも貴方、やっぱり奴らの仲間でグルで、逃がそうとしたとか?!」

「いや、あっちが本気で逃げたかったら最初から魔法使ったでしょう、こっちが想定外の反撃をしたからビビってくれたんですよ……っ」

「あ━━━━ッ取り逃がした、最悪、サイアクッ!!!」

「ひええ…………」


 命懸けの戦闘が終わった瞬間、これである。周囲が野っ原で良かった。完全に近所迷惑の声量だ。


「そもそもなんですあの魔法、単語詠唱高速撃ち! 並の魔法使いより遥かに強いですよね?!」

「それはッ、」


 ぎくり。痛い所に言及された。充分な実力を備えたフランシーヌですら、短文詠唱で撃つのがせいぜいだった。呪文宣言技名を叫ぶだけで撃てるのは実は、かなり高等技だ。どこでどうやって覚えたと問い詰められると、かなり分が悪い。パトリックは周囲が暗いのを良い事に、完全に目を逸らした。

 

「貴方もしかして本当は門番じゃないとか? さっきのお父様の言葉と隠してた能力が噛み合わないんですけどぉ???」

「いえ、いーえ、僕は正真正銘門番です、一般家庭に生まれ元門番の父を持つしがない一般兵士ですぅ!」

 

「怪しい! 一応平民にも稀に魔法の使い手が生まれるとはいえ、基本魔法使いは貴族王族出身なんです、魔法使いは非魔法使いより強いから! 権力を握れるんです!

 ご存知ですよねこの世界の理、てことは貴方がしがない一般人なんてにわかに信じがたいですねぇ〜〜〜〜」

 

「信じてください、ホントですホントなんです、魔法が使えるなんて知れたら地味な生活が出来なくなるかもと思って誰にも言ったことないんですッ、僕は一生目立たず地味に暮らしたいんです〜〜〜〜!!」


 怪しい!

 怪しくない!!


 草木も休む宵闇の中、2人はキャンキャン言い争う。

 幸か不幸か、パトリックもといルーファスの魔法を見たのはフランシーヌ、そして家畜の牛とヤギだけだった。

 さわさわと風と草が鳴っている。


 



 Xデーまであと14日。


 


 

 

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