第27話 光明
1563年 5月4日 夜
わぁわぁと恐れおののく人々の声が響く。夜が訪れたホワイト宮殿、その広い中庭で。真っ暗な空に高く高く火柱が上がり、うねり、やがて炎が巨大な人型へと変化していく。それはあまりに禍々しく、まさに世界の終わり。災厄と呼ぶに相応しい光景だった。
「ふふっ、ははは!! 馬鹿だな諸君! 何故こんな事をしたのだ! 神が救うとでも思ったか!」
燃え盛る災厄を前に、勢いよくバルコニーの柵に身を乗り出すダドリー。一方影の一族、そしてゲーアハルトは呆然とそれを見つめた。
「貴様、どんな仕掛けでこれを達成したのだ。ここには何もないのに」
「なぁに、簡単な事! 結論、呼び出すのは私ではなく、下で逃げ惑う一般兵! 私は指一本触れていない! さぁどうですお嬢さん、私は有罪と言えますか?!」
「…………ッ、外道! 魂の代償を無関係の人間に負担させ、使役権だけ得ようと言うの?!」
「そうだ! 魔法陣をちょいと書き換えればこの程度! 私は天才だ!! わははははは!!!」
ダドリーはフランシーヌの詰問にも怯まない。しまいには反り返り、高笑いを始めた。後ろで群れる貴族たちがどよめき、困惑している。
「ではさっきの話は……」
「そうか、マールヴァラ家は……これを食い止めようと……!」
その時、燃え盛る炎がこちらに迫ってきた。放物線を描き、空から火柱が降ってくる。一瞬の出来事。それは止める間もなくダドリーに落ち、彼を一息に飲み込んだ。
「な、
「こ、これは……?!」
ダドリーを包んだ火柱はぐんとうねり、中庭中央に位置する本体に戻って行く。断末魔の声ひとつ聞こえなかった。何が起きた。彼曰く、彼は魔王を使役する立場ではなかったのか。
「……父上、これが禁書を破った効果ですか」
「ああ、あるいはそうかもしれない。儀式を不発に終わらせることは叶わなかったが、何らかが歪み、奴は魔王の一部となったのだ」
「……馬鹿な男ね」
シン。一瞬静まり返った。エメリヒとゲーアハルトの会話に一言呟いた女王は、すっくと立ち上がり。激しく燃える魔王を指差す。
「あれは、ダドリーの入った何かではありません。人類の敵。悪の権化。よって、存分に討伐しなさい」
「はっ……!」
落ち着き払った強い言葉に、思わずその場の全員が膝をついた。アヴァロンの女王、ヴィクトリア。この国を単独統治で統べ守る、人類最強に最も近い女。
「時にゲーアハルト。私も戦おうと思うのですが、そちらから1人、誰か援護をもらえますか」
「陛下、それは……」
「では陛下、私の
「……
困惑するゲーアハルトの後ろで、イルムヒルデが声を上げる。彼女が連れてきた
「クロウリー、変身解除。女王の騎士となり、守備と援護を担当しなさい」
「──はい、
そこでザカライアの隣に控えていた妻、ドロシーがどろりと溶ける。彼女はクロウリーが化けていた偽物だった。しかし、今となっては好都合。クロウリーは非常に優秀で、かつ主人が死なない限り不死の存在だ。盾としてこれほど心強い人材もないだろう。
次に動いたのはサマンサだ。
「では、私は一度屋敷に戻ります。すぐに兄様と参りますので、その間の後衛は……イルム、ハイデ、頼んだわよ」
「「了解」」
諸々の準備を足したとしても、彼女はすぐにでも援軍ラッセルを連れて戻るだろう。サマンサがすうと消え、それを見たザカライアが力強く立ち上がる。
「よし、ならディアナは階下に降りて非戦闘員の避難と援護。途中でセシルの軍を拾うと良い。頼めるか」
「承知しました」
彼の言葉でゲーアハルトの妻、ディアナが駆けていく。彼女は表向きマールヴァラ家の人間だが、その実ザカライアの第二夫人なので、こういう時従うのは当主の言葉となる。
「次に子供たち。男はとにかく攻撃、女は援護だ。ただし、レイモンドとエメリヒは戦況次第で回復や援護に回って欲しい。出来るな」
「はい」
並んだ子供4人、全員が力強く答える。もう行っていいかとエメリヒが視線で問い、行って来いとザカライアが頷くので、彼は迷わずバルコニーの柵に足をかけた。
「では行って参ります……ザカライア樣、父上、ご武運を」
「待って兄上!」
それを見たハイデマリーが兄を追う。彼女もよいしょと柵によじ登り、まっすぐその上に立った。
「今日は私が兄上の後衛をします。イルムはレイモンドをよろしく」
「了解」
伝言が終わると、二人は静かに柵から飛び降りた。だが、
〈
墜落することはない。ふわりとハイデマリーの魔法で飛び上がり、魔王の元へ向かう。
「じゃ、私達は地上に出ましょう。ついて来てレイモンド」
「はい」
そして最年少コンビ。イルムヒルデとレイモンドも柵から飛び降り、その場にはザカライアとゲーアハルト、フランシーヌだけが残された。火柱が上がってからこの間、約数分。たっぷりダドリーを消化した炎の塊が大きく揺らめく。ついに魔王が動き出すようだ。
ヴオオオオオオオオオ!!!!!
一声大きく吠え、無数の火の粉を吐き出す。その1つ1つがはらはらと舞い散り、しかし地面に落ちることはなく。
「ふむ、あれは火の粉……ではなく」
「炎を纏った
真っ黒な夜空を覆い尽くさんばかりに、火の粉、もとい燃える鴉が飛び交っている。これを放っておけば宮殿が焼き尽くされる。さて、これを一掃するにはどうしたらいいか。
「ザカライア樣、私はどういたしますか。お二人の援護でしょうか?」
最後に、残されたフランシーヌが小さく声を上げた。そもそも彼女は後衛タイプの魔法使いだ。こうなると思ってしばらく動かず、残っていたのだが……彼女の意に反して、ザカライアはにっこり笑った。
「ではもし、良かったら、ですが。下に降りて、パトリックの力になってくれませんか。今は死神の姿かもしれない。だが、彼は友人から借り受けた大事な息子。死なせるわけにはいきません」
「……わかりました」
彼にとってそれは、表向きの言葉だったが。「大事な息子」という一文に全ての想いを込めた。例え総力戦となろうとも、誰一人死なせたくない。皆でそれぞれの家に帰るのだ。
フランシーヌが去り、中年男二人がバルコニーに残される。女王も、貴族連中も、とっくに居なくなりここはがらんどうだ。真っ黒な空を炎が眩く照らしている。ザカライアはふうと息を吐いた。
「……こうして共に戦うのは何年ぶりだろうか」
「ざっと10年ぶりでしょうか」
「ははは。そんなに経つのか。
……俺にとって、大事なのはお前も一緒だ。死ぬなよジェローム」
「兄上の口から
そうして。ザカライアはふわりと魔力で剣を作り、ゲーアハルトはばさりとローブを翻した。
「さあ行こう。
今こそ我ら全員の力を見せる時だ」
1563年 5月4日 夜
「下がって! 危ない! ここは俺たちに任せて避難してくれ!」
「んなこと言っても……! ジョン! サミュエル!! 皆!」
火柱の上がる中庭。「魔王」がバラバラと火の粉を吐き、その全てが鳥になった時には心底驚いた。まるで地獄絵図。空から燃える火の玉が落下し、次々中庭の兵士たちを襲っていく。さらに本体であろう魔王が上部で腕を振り回し、影の一族を含めた魔法使いたちと攻防を繰り広げている。
鈍い衝撃音が何度も響き、宮殿全体が微かに揺れる。盾や守備の魔法で魔王の攻撃を防いでいるのだ。こうなると、いつ建物に攻撃が食い込んで崩落するかわからない。危ない。これだけでかい存在に対し、対抗手段を持たない足元の一般兵たちは、邪魔にならないよう避難するべきだ。
だが。
「助けて……助けて…………ッ!!」
「嫌だぁ、なんで……こんな目にあわなきゃなんねんだよぉ…………!!」
チャーリー他異形に疎い兵士たちは、まるで統制が取れなかった。ある者は火だるまで逃げ惑い、ある者は剣を掲げしかし戦うことが出来ず、ある者は仲間の死を嘆き悲しみ、地面に伏せたまま動かない。そんな混乱の中、パトリックはイライラしつつチャーリーの腕を引く。せめてこの人だけでも、と声を張り上げた。
「頼む、逃げてくれ! 今上で貴族や影の一族が戦ってる、アンタたち一般兵は足手まといにならないのが最大の仕事だ!」
「うぐっ、でも……!」
「でももへったくれもないんだよ今は!!」
埒のあかない押し問答をしていると、外へと向かう群衆の波から、小さな影がぴょんと飛び出した。フランシーヌだ。長い金髪を翻し、白いローブをばさりと捌いてパトリックに駆け寄ってくる。
「見つけた! パトリックさん、ザカライア様が貴方の援護をするようにと!」
「助かります! じゃあ、この人と他の一般兵の避難をお願いします!」
「えっ、守護の魔法、は……?」
「ああ、僕にはこれがあるので。多分、しばらくは持ちますよ」
笑顔でそう言ったパトリックが、襟ぐりから魔法無効化のネックレスを抜き出す。ついで頭を抜いて、ぽんとそれを頭上に放り出し。
「もう行かないと」
パトリックは胸元に隠したブローチを握り、死神ルーファスへと変身した。長く伸びた真紅の髪。闇の中でも美しく映えるターコイズブルーの瞳。そして、自信たっぷりの笑み。ぱしんとネックレスをキャッチする。
「そいつ正直邪魔だから、持っていってくれ。でかい魔法撃つのに、パンピーにチョロチョロされちゃ敵わないからよ」
「……死神。わかりました」
え、何、今のなんなんだパトリック?! てか妹ちゃん?! なんなの?! 狼狽するチャーリーの背中を強く押し、フランシーヌがずんずん遠ざかっていく。さぁ、これで少しやりやすくなるぞ。パトリックは、否ルーファスは首飾りを身につけ、笑顔で舌なめずりした。
〈
今日は出し惜しみしない。本家の屋敷に、すこぶる魔力回復アイテムを用意したからだ。とにかく撃って撃って撃ちまくる。ルーファスは黒いオーラを丸く整え、分割し、一気に解き放った。
ギャアギャア、ギャア!
無数の
(ただの推測だけど……本体さえ倒せば、こいつらは消える気がする!)
頭上で色とりどりの光が飛び交っている。魔法兵、貴族、そして影の一族たちが撃っている魔法が放つものだ。一体何発入れれば死ぬだろう。邪魔な鴉を撃ち落としながらルーファスが走っていると。
「「兄様!」」
幼い声が2つ、重なり響くのが聞こえた。向こうに見えてきたのはイルムヒルデとレイモンドだ。
「よ〜二人共、頑張ってる?」
「ええ、一応……。下に居ると燃える鴉以外、あちらからの攻撃が一切ないので攻撃に転じています」
「とりあえず全力で攻撃せねばと思って、さっきから色んな魔法を撃っているのですが。効いてないのかな……手応えが薄いのが気がかりです」
どうも、元々はイルムヒルデが守備、レイモンドが攻撃を命じられていたようだが。激しい攻防をしているのは上部のみで、ここに攻撃が降ってくる気配はないので、二人共攻撃し続けているらしい。
「どうなんだろ。守備力がバリカタなのか、実は魔法そのものが効かないのか……?」
「そんな。魔法が効かなかったら、少なくとも私は攻撃手段を失います」
「う〜〜ん、魔王……悪魔の王…………」
とりあえず、たまに周りの鴉を始末しながら。3人は会話を続ける。
「あるいは何か特別に刺さる属性でもあれば、上のみんなのアシストになるのにな」
「僕、片っ端から色んな属性を試してみましたよ。氷、土、炎は避けて風、あと雷とか闇とか」
「あれ、光は?」
「えっ光……? 光って、回復魔法じゃなくてですか?」
「え、ほら、対アンデッドとか対悪魔とか……あ」
ルーファスは、自分で言ってて思い出した。そうか、相手が魔王なら光魔法が効くかもしれないのか。
「あー、そっか……死神は基本人間が敵だから、光で攻撃とか……あんまり考えたことなかったです」
「そうですね、光で攻撃ってマイナーかもです。私も一番得意なのは冥魔法だし。兄様だって一番は闇魔法だし」
「うんうん、そうなんだけどさ」
レイモンドとイルムヒルデがしゅんと地面を見つめる。どうやら、二人共光の攻撃魔法はそれほど得意ではないらしい。かくいうルーファスだってそうだ。「死神」は、人間を殺す存在だから。わざわざ光魔法で攻撃するより、もっと殺傷力の高い属性で仕留める方が早いと思ってしまっていた。
となると、だ。
ルーファスはずっとあることを考えていた。光の攻撃魔法。これをやすやすと扱う人間。彼はその存在を知っている。
「……死神! 一般兵の避難、一通り終わりましたよ!
……って、なんです? その顔……」
「やぁ、グッドタイミングで来てくれたな」
そこで丁度、本当に良いタイミングで。ルーファスがよく知る、光魔法の使い手が現れてくれた。息をきらせたフランシーヌだ。彼女はハァハァと息を整え、自分をじっと見つめてくる三対の瞳を見つめ返す。
「な、なんでしょう……」
「いやぁ、今丁度あの魔王に効くのは光魔法なんじゃないかって話をしててな。お前得意だろ。試しに撃ってみてくれよ」
「あ、はい……でも、私そんなに強くないですよ? 貴方たちと比べると」
「いいからいいから。だったらより、相手の弱点かどうかわかるじゃん」
ルーファスがにんまり笑みを浮かべると、フランシーヌは唇をヘの字に曲げた。どうも気が乗らないようだが、ここはぜひ実演を頼みたい。何せ、多くの死神一族にとって、光魔法など最初に習ったきりの存在なのだから。
「……わかりました。でも、私の魔法を見てしょっぱいとか言わないで下さいね。そういうの、わりと本気で傷つくので」
フランシーヌは渋々ながら、三人から少し離れて高く両手を掲げた。そそり立つ炎の巨人を見上げ、飛び交う鴉たちをも視界に捉えて。
ふぉん、と光のオーラをその手に纏う。
〈光明の神アポローンよ、我に勝利を!
パシン。フランシーヌの手から細い矢が放たれた。果たしてその威力は。
「……えっ」
ズドン。
予想外に重たい音が聞こえた。ルーファスが見る限り、肩の辺りだろうか。あんなに細い矢だったのに、足元のここからはっきり肩口に穴が開いたのが見える。
「うわ……これはヤバいのでは」
「もしかして、めちゃくちゃ効いてるんですあれ?」
「いけるだろ」
口をあんぐり開けるルーファスとフランシーヌの横で。
『もしもし、聞こえますか? あの、誰か光魔法の攻撃ってまともに出来ます? 今フランシーヌさんが光の矢を撃ったのですけど、物凄く効いた気配がします』
イルムヒルデが一族に
『こちらシーラ、了解。ちょっと試してみるわ』
真っ先に答えを寄越したのはハイデマリー。彼女の居場所は遠目でもよくわかる。夜空に浮かんでいるらしき彼女、そして隣に恐らく兄リオン(エメリヒ)。ぶわ、と魔力が渦を巻くのを感じる。ハイデマリーは月から降る魔力をこれでもかとかき集め──
〈 〉
何事か唱えた。瞬間、昼間と見紛うかのような光が炸裂し、
ズドォオオオオン!!!
それはまるで、雷の直撃だった。どこまでも真っ直ぐに、滝のごとく、光の柱が魔王の身体を貫く。次の瞬間ぐらりと炎の巨人が揺らめき、あちこちからおお……! と感嘆の声が漏れる。明らかに、効いている!
『よし、ならどんなに弱くてもかまわない。全員光魔法を撃て。今なら何倍もの威力を出すはずだ』
『了解』
ゲーアハルトの声が頭に響き、ルーファス、レイモンド、イルムヒルデ、一族の皆が返事を返した。よし、手応えを掴んだ。ここから反撃だ!
だが。
「にっ、いえ、し、死神……! 見て下さい!」
「はっ?」
にいさま、と言いかけたらしきレイモンドの声でルーファスが顔を上げると。
「うわ…………えぐ…………」
めきめきと音が聞こえてきそうだ。魔王の身体はより激しく燃え上がり、身体の傷を修復していく。さらに、
「嘘でしょう! あいつ……!!」
ついに、と言うべきか。魔王が動き出した。長い脚を持ち上げ、ゆっくりと宮殿を跨いでいく。そう、宮殿を跨いだのだ。ゲーアハルトが、ザカライアが、女王とクロウリーが、エメリヒとハイデマリーが、それを呆然と見上げる。燃え盛る巨大な炎が空を覆い、移動していく。
ズシン……!
遠くから聞こえる足音は、怪物が中庭から抜け出したことを意味していた。飛び交う鴉たちがそれを追う。魔王は、ゆっくりだがのしのしと歩いていってしまった。
今は城壁の内側、城の敷地内。しかし、それを越えれば王都に入ってしまう。無関係の民たちが犠牲になってしまう……!
「ば、止まれっ……止まれ!!!!!」
その場の全員が血相を変えた。
真っ暗な夜空が、しかし今は地上から煌々と照らされ、異様な色を纏っている。魔王の真の恐怖はこれからだ。
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