第28話 信念
1563年 5月4日 夜
人間の国アヴァロン、王都ロンディニウム。その政治の中枢、ホワイト宮殿から南西に向かうと、「西の教会地区」と呼ばれる一角に辿り着く。
ここは元々教会を中心とした閑静な場所だったが、近年開発が進み、教会と家、酒場等が混在する華やかな地区へと生まれ変わった。
その一角。冒険者にして剣士であるウィルマーは、暗い表情で夕食を摘んでいた。最近出来た流行りの酒場で、周囲の客はわいわいと楽しそうに夕食を取っている。彼と、その仲間三人のみが葬式のような空気。だんまりが続いている。
「ねぇ、ウィルマー。いつまでそうしてるつもり」
長い沈黙に耐えかねたのは、魔法使いのティナだ。彼女は勝ち気で、泣き言など大嫌いな
それなのに、被害者面して黙りこくるこいつはなんなのか。ついイライラして、指で机を叩いてしまった。
「結局真実なんて私達はわからないけどさ。その態度はどうなのよ。国と王家のピンチに何かしたい、って城に戻ったのもアンタ。やっぱやめるわって言ったのもアンタ。なのに、いつまでもそうやって『後悔してます』面。いい加減にしてよね」
呆れたように嘆息する彼女の言葉に、格闘家のヘクターが眉根を寄せる。
「仕方ないだろ、こいつは突然気づいたんだ。感情的に動いてると、真実を見失うことがある。そしてそれは、無意識に悪に加担することかもしれない、とな。むしろ、やっぱあそこでやめて良かったと思うぞ。治安判事の人も言ってただろ」
「フランシーヌさんね。でも私からすれば、あそこでマールヴァラ家を見捨てるのはあまりに不義理だわ。
アンタたち、夜中パトリックに庇ってもらったんでしょ。危ないから出て行くなって。国をぶっ壊すような悪者がそんなこと言うかしら。あの人たちは……本気なのよ……」
「でも、それもこれも皆演技かもしれない。そう思ったら、怖くなっちゃったんだよ…………。
ごめんな…………ワガママなリーダーで…………」
「「………………」」
小さく呟くウィルマーの言葉に、二人が黙り込む。聖職者のクラリスはずっと俯いたまま、ワンピースの膝辺りを掴んだままだ。
四人はあれ以来、ずっとこんな調子だった。これまで、それなりの経験を積んできた。その辺の
いつまでも矛盾した気持ちがぐるぐるして、ウィルマー自身答えが出ないのだ。ティナだって、そんなことはわかっていた。
でも。
(だったら私達は、なんのために冒険者になったのよ)
二人はかつて、冒険者用の酒場で出会った。弱きを助け、強きを挫く。今思うとやや幼稚な夢だったが、それでも二人は意気投合し、パーティーを組む流れと相成った。
それから数年。自分たちなりに「夢を叶えるための仕事」をしてきた。それなのに。
「……。どれにせよ同じよ。アンタの覚悟はそんなもんだった。そういうことでしょ」
「ティナ…………」
冷たく突き放すような彼女の言葉に、ウィルマーが顔を上げる。怖いのも、迷ってるのも、みんな同じだ。それでも誰より真っ直ぐで、誰かのために走り出すのがウィルマーという男だと思っていたのに。
正直、ガッカリだ。
ティナはぐっとグラスを煽り、
「…………なんか、ずいぶん外明るくない?」
「えっと、今日、お祭りとかありましたっけ……?」
「さぁ………………
あっ。」
クラリスの小さな声に、ティナが弾かれたように立ち上がる。ああ、お祭り。あったじゃんか。
思わず駆け出し、バンと扉を開け放って彼女が見たものは。にわかに信じがたい光景だった。
「ちょっと、何よコレ………………!!」
西の教会地区を構成する街並みの向こう。
恐ろしいほどに燃える巨人が、こちらに向かって歩いてきている。
「魔王……! 復活、したんだ……!」
「えっ?!」
続けて三人も外へ飛び出す。やがてちらほら辺りの客が外の異変に気づき、異変と恐怖が伝播し。
「化け物がッ……化け物が出たぞ━━!!!!」
王都が混乱に包まれるまで、時間はそうかからなかった。悲鳴と
「どうして……! 止められなかったの……?!」
「マールヴァラの皆さんは、もしかして、もう……」
「まさか!」
「……もし、そうだとしても………………ッ」
ウィルマーは、キッと巨人を睨みつけた。
「いや、だからこそ! オレたちが、行かなきゃ駄目だろ!」
「ウィルマー……!」
彼が宣言する間も、巨人は少しずつ迫ってきている。そして、それが纏う火の粉の正体も見えるようになってきた。
「皆さん見て下さい! あれ、鳥です! 燃える
「……しゃーない、ここまで来たら最後までリーダーの意思を汲みますかね」
「じゃあクラリス、守備系の魔法をお願い。私は氷の魔法で仕留めてみるわ」
「了解……!」
ウィルマー以外の三人がテキパキと意思疎通し、四人全員で戦闘準備を整える。店から各々の獲物──杖だの剣だのを掴み、再び外へ飛び出して。真っ先に準備を終えた女子二人は魔法担当だ。
〈天に
か弱き子らは今恐ろしい惨苦の中、苦しみ、死の淵に瀕しております。どうか我の魔力を代償に用い、救いと加護を、守護の力を我らに与え給え〉
〈氷雪の巨神ベストラよ、我に力を与え給え!
我はヒト、我は願い乞う者、悪しき炎を滅さんと奮い立つ者! ここに我が魔力を代償とし、
同時に詠唱をスタートし、長々呪文を唱えた二人は、それぞれ杖を掲げて最後の仕上げに入る。
〈
〈
────……!!
キラキラと光が舞い、片や防護の魔法、片や鴉を撃ち落とす風雪の魔法となる。男二人は前に出て、とにかく我武者羅に鴉を屠り続けた。
鴉の数が多い。炎の巨人も見上げるほどでかい。であれば恐らく、攻撃の中心となるのは魔法使いのティナだろう。
──いや、どうせ勝てっこないけど。せめて少しだけでも。
ウィルマーはただ鴉を斬り伏せながら、声を張り上げた。
「あのさ! 先に言っとく! 正直、ごめん皆! 多分オレたち全員、ここで死ぬと思う!」
言っちゃ駄目だと思った。だが、仲間を指揮する立場として、言わねばならないと思った。本当に最後の最後なら、せめて悔いがないように。
「それでもオレに従ってくれてありがとう……せめて、少しでも多く街の人が逃げる時間を稼げるように、頑張ろうぜ! 泣き言終わり!」
完全に独りよがりだと思っていた。だけど。
「ハァ? 超絶今更すぎる」
「大丈夫、みんな同じ気持ちだよ」
「私達は、こういう日のために冒険者になったんですよ……ねっ、皆さん!」
ティナが、ヘクターが、クラリスが、ウィルマーに向かって笑みを浮かべた。それは、全員の先頭に立つ彼には見えなかったけれど。仲間の言葉として、これ以上心強いものはなかった。
思わずウィルマーも微笑んでしまう。
なら、迷うことはない。
ただ戦うのみ!
「よっしゃあ行くぞ! 総員前へ!」
「「「おう!!」」」
とある屋敷の一角。細い声が、あるいは苛ついたような空気を孕んで繰り返される。
「兄様、まだですか? みんな待ってますよ。見た目なんて今更いいじゃないですか、それよりこの国が危ないんです。わかってますか?」
女の声が呼びかける、暗がりの向こう。そこから微かな衣擦れの音、そして甲高い金属の音が響いてくる。細い金髪が月光に照らされ、淡く輝く。
「わかってるよ。むしろだからこそ、ちょっと遅く行くんだ。
「呆れた! なんて悪趣味なのでしょう、あとで父様に言いつけますからね!」
ギュ。革靴に脚が通され、床を踏みしめる。紐を結び立ち上がった人物は、すらりとしなやかな身体を起こした。
白いローブ、眩い装身具、腰には立派な剣。
長身の青年が碧眼を煌めかせ、優雅に口角を上げる。
「……よし、準備完了。
楽しい魔王狩りと行こうじゃないか」
1563年 5月4日 夜
「と、ま、れええええええええ!!!!!」
それはまるで、流星群のようだった。
ホワイト宮殿南側に位置する城壁の上、王都との境目。それまで魔王と交戦していた全員が集まり、休む間もなく光魔法を撃ち続けている。しかし炎の巨人は、どれだけそれを直撃させても止まらない。今、のたりと城壁を跨いだ。そしてさらに南へ。ゆっくりだが、確かに畑作地帯を歩いていく。
「っくそ、全然効いてねーじゃんか!」
せめてここで食い止める、と思っていた防衛ラインを超えられ、エメリヒが吠える。彼はここに
魔王がこのまま畑作地帯を抜けると、ほどなく各種王族の儀式が行われるウエスト寺院。そしてその隣に、多くの民が暮らす「西の教会地区」が見えてくる。アレをそこに行かせるわけにはいかない。
どうすれば。
全員が焦り、戸惑い、いっそ街に防護魔法をかけた方が早いかと女王が思い始めた頃。
「……わかりました! こうなりゃヤケです、効果不明ですが、試してみます!」
人波に埋もれたフランシーヌが、威勢よく声を張り上げた。隣のルーファス、そしてレイモンドがぎょっと彼女を見る。
「え、なんか策があんの?」
「策っていうか、無駄な抵抗に近いですけど……やらぬ後悔よりやった後悔、なので!
いきます!」
そうしてフランシーヌは、両手を高々と上げた。ふわりと輝くオーラをその手に纏い、朗々と呪文を唱える。
〈慈愛の女神エウメニデスよ、我に力を与えたまえ!
それは彼女の最も得意な技、拘束の魔法だった。眩く光るオーラが高く立ち昇り、長い鎖へと変わる。それは白蛇のように、あるいは流星のように。一直線に夜空を走っていく。
「うわ…………」
思わずルーファスは小さく声を上げてしまった。
おいおい待て、そんなのヤケが過ぎやしないか。ここから魔王まで、一体どれだけあると思ってるんだ。何十メートルじゃないぞ、余裕でキロだぞ。
普通の人間なら届かない距離なのに。
だが、フランシーヌの鎖はぐんぐん加速し、魔王の背中までゆうに迫った。さらにぐんと方向を変え、左に、そして魔王の身体をぐるりと囲むよう右へ向かう。
丁度、炎の巨人を両腕ごと捕える形で。鎖が
グンッ!!
最終的に、フランシーヌの鎖は炎の巨人の中央、「何らかの小さな塊」を捕えることに成功した。正直、この成果に一番驚いたのは術者のフランシーヌ本人だった。長い長い鎖を掴み、呆然とした顔で城壁の上に立ち尽くす。
「えっ……魔王って、捕まえられるの? なんで?」
「え、これで止まった? 止まってんの?」
全員が見つめる城壁の向こう。魔王は両腕を振り回し、どうにか前に進もうとしている。しかし身体の中心、心臓部分? を掴まれ、それ以上進めないようだった。
驚愕が喜び、そして安堵の気持ちにじわりと変わる。
……やった、ついに魔王が止まった!!
「素晴らしい。まずはそのままで居て下さい」
女王が声を上げ、ルーファスも快活に笑う。
「よし、てことはあそこがあいつの弱点なんだな。大分距離離れちゃったし、俺ちょっとあっち行ってくるよ。みんなはここで魔法撃ってて」
そう言い残し、一人ひらりと城壁から飛び降りる。
ルーファスは才能こそ折り紙つきだが、他の上級者と比べると、どうにも根本的に劣る部分がある。魔法の射程距離もそのひとつ。彼は貴族の血が濃い兄弟たちと比べると、どうしても長距離魔法が撃てず、敵に寄ることを求められた。これだけ対象と離れてしまっては、満足に戦えない。
仕方ないので、瞬間転移で畑作地帯に出ることにした。
「…………っと」
ストンと着地すると、おや? ここは「西の教会地区」だ。珍しく、少し座標がずれてしまった。
(ま、目印も何もない畑にジャストで出ろってのもなかなか難しいよな……)
仕方ない、もう一度跳ぼう。ルーファスがくるりと踵を返すと。
「あっ……、パトリック…………!」
彼の偽名を呼ぶ声があった。それは酷く憔悴した声で、思わず視線をそちらに向けてしまう。炎の巨人のせいで昼間のように明るい夜。ルーファスが見た先に居たのは、
「ウィルマー……」
「……お前、なんでここに……!」
命をかけてここで戦うと決めた、冒険者一行だった。いつからそうしていたのだろう、全員あちこち焼け焦げ、血を滲ませ、息を切らせていた。
ああ、それだけで。ルーファスは彼らの覚悟と想いを知った気がした。こいつらはずっと、ここで民間人を守ろうと奮闘していたんだ。
「大丈夫か、みんな弱いんだから無理するな」
「はぁ? お前何様だよ。ちょっと見た目変わったくらいで調子乗ってんじゃねーぞ」
震える手で剣を握り、悪態をつくウィルマーに、ルーファスが目を丸くする。言うじゃん。
「ほーん、馬鹿にしたな。じゃあ俺のガチマジ本気魔法、見せてやんよ。ビビって腰抜かすなよ」
彼は真紅の長髪、そして兵士の外套を翻した。
せっかくだ、特別サービスで見せてやろう。俺の手加減抜き、魔力効率度外視の一撃を。
「な、何よそれ……」
ルーファスは困惑するティナ、そして一行の目の前で。闇のオーラをすぅと纏った。こんな雑魚鴉に苦戦するような奴らなら、さぞや驚いてくれるだろう。全力全開、この辺り一帯の鴉を消し飛ばす魔法をお見舞いしてやる。
「一応言っとくけど、今の俺はパトリックじゃねえ。俺の名前は、死神ルーファスだ……!」
もう二度と名乗らないだろう、真の名前を告げて。
〈吠えろ!
オオオオオオオオオオン!!!!
燃え盛る巨人に照らされ、明るくなった夜の街を。巨大な、教会より大きな狼が、咆哮と共に駆け抜けていく。
「すごい…………!」
当然ながら、ヘルハウンドが通過した後の通りには、鴉など一羽も存在しなかった。彼らが何十分も苦戦した敵を、ルーファスは一秒で片付けたのだ。
「……死神……ルーファス…………」
「死神って、もしかしてあの…………?」
「ああ。巷で話題の暗殺者、幽霊のルーファス様だ。よろしくな」
「……はぁ?!」
ついに顎が外れそうに驚いた彼らの顔が、愉快でならない。ずっと馬鹿にされていたのだ、たまにはこんな日があってもいいだろう。
さて。そろそろ遊んでないで、魔王討伐の任務に戻るか。溜飲の下がったルーファスが一行に微笑みかける。
「じゃあ、俺もう行くよ。今は暗殺者じゃなくて、雇われ魔法使いだから。魔王を倒さないと」
ルーファスがそう言った瞬間。
ドゴン!!
「!?」
燃える鴉なんて目じゃない、巨大な火球が空から降ってきた。一瞬にして建物が燃え上がる。
「な、なんだあれ! あいつまだあんなもん落とす元気あったのか!」
「ちょっと、見てあれ!!」
「うわ…………!」
慌てて振り返ると、苦しげに身を捩る魔王が次々とこちらに火の玉を降らせていた。ドガン、ドガン! ランダムに落ちる火球が街に火を付ける。やばい、多分この辺一帯は粗方避難が終わっているだろうが、それでもこんな凶行を許すわけにはいかない。
許さない。消し飛ばしてやる。
ルーファスが片手を構え、風の魔法を唱える。
〈
「……?!」
何も起きない。まさか。
(このタイミングで、魔力切れ……!!)
そうだ、さっき調子に乗って全力のヘルハウンドを撃ったから。そうでなくとも、今日は魔力回復の
立ち尽くすルーファスに、後ろのティナがそっと話しかけてくる。
「ど、どうしたの……今の呪文、もしかして不発?」
「悪い……このタイミングで魔力切れちった……」
「ハァ?!」
そうこうしている間に、ついに彼らの上空にどでかい火球が降ってきた。万事休す……!
「よし、逃げろお前ら! こうなったら俺が盾になってやる!」
「嘘だろ、オレたちのためにお前が死ぬなんて嫌だよ……!」
「うるせー自業自得! 責任は俺にあるからさっさと行け!!」
ルーファスが仁王立ちし、狼狽えたウィルマーがその裾を引く。ええい、これだから素人は……!
このままじゃ全員死ぬ。
その瞬間。
〈
どこからか涼しい声が響き、一瞬で巨大な盾が出現した。この声は…………!
「………、…………、
ラッセル
「やっ。
白いローブを翻し、腰から剣を下げた長兄ラッセルだった。崩れた建物の上に立ち、悠々とこちらを見下ろすその姿。かっこいい以外の何者でもない登場だった。
「もう、兄様! 本当にそういう所!! わざわざ高い所に登って馬鹿みたい!!」
なお、下からはサマンサが現れた。なんだかんだ言って、この兄妹は本当に仲良しだ。思わずルーファスが笑ってしまったのも、正直許して欲しい。
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