第29話 勇者




 1563年 5月4日 夜




「ラッセルにい…………!」

英雄ヒーローは遅れてやって来る。だろう?」


 王都ロンディニウムに真っ赤な火球が落ちる夜。死神ルーファスと冒険者たちの危機を救ったのは、皆が待ち望んだ援軍、ラッセルその人だった。下にサマンサも居る。ルーファスは安堵のあまり、へたり込んでしまった。


「もう……来るの遅いよ……!」

「ははは、すまない。さて、僕は何をすればいいのかな。ゲーアハルト様にパトリックを支援してくれと言われてここに来たけれど……」


 そこでラッセルが空を見上げる。


「ま、悩むこともないか。まずは街を守るのが先決だ。サマンサ、頼んでいいかい?」

「はい、兄様」


 サマンサはラッセルの言葉を受け、宙にふぉん、と魔法陣を出現させた。


〈領域指定、対象はロンディニウム。上空から側部に向かって、ドーム状に守護魔法を展開します〉


 静かに魔法陣に語りかけた後。サマンサは片手を高く掲げ、金茶の髪を靡かせた。


天の慈悲ミゼリコルディア


 途端に。


「わぁっ……綺麗…………!!」


 思わずティナが声を上げた。サマンサの目の前にあった魔法陣が溶けて消え、それと入れ替わるように夜空に無数の魔法陣が浮かび上がる。厳かに輝く白い紋様が王都ロンディニウムを覆い尽くし、この間数秒。一同が危惧していた街の守護が、あっという間に完了した。


「本当だったらこういうの、盾の一族の皆さんの仕事なのに……本当に今回は何から何までうちばっかり……」

「まぁまぁ。じゃ、魔王狩りと行こうか」


 ぶつくさ文句を言う妹の言葉など何処吹く風。ラッセルがすとんと半壊の建物から飛び降り、歩き出す。それを見たルーファスは慌てて冒険者たちと彼を交互に見、最終的にラッセルを追った。


「ねっ、えと、サマンサは冒険者たちを頼む。すぐ終わるだろうから、そしたらこっちの援護を……」

「ええ、心得てるわ死神」


 勢いで「姉様」と言いかけ、他人のフリが下手くそなルーファスの様子を笑いつつ。サマンサは静かに冒険者たちに向き直った。


「貴方たち、もう知らないとばかりに出てったのに、結局ここに残って戦ってくれたのね。……ありがとう。これはあくまで個人の感想だけど、よく頑張ったわね」

「……いえ。オレたちは弱くて、ほとんど役に立ったと思えません」


 ウィルマーに。ティナに。ヘクターとクラリスに、一人ひとり回復魔法をかけながら。サマンサはふんわりと慈愛そのものの笑みを向けた。


「いいえ。例え困難そのものとわかっていても、挑んだことそれ自体が素晴らしいの。確かに魔王は、私達ですら手に余る相手。それでもここで奮闘したことは、決して無駄にはならない。街の皆さんが生き残ることに貢献したはずよ」

「………………ッ」


「……と、ゲーアハルト様なら仰ると思います。私はただの商人の娘ですから、あまり偉そうなことは言えないのだけれど」 


 思わず涙ぐむウィルマーと冒険者たちを、サマンサはひとしきりにこにこと見つめて。さて、そろそろ兄たちの元へ向かわなくては。と笑顔を引っ込める。

 

「では、貴方たちはここに居て。私はみんなの加勢をしないといけないの」

「……もう、行くんですか」

 

「ええ。でも…………そうね。この騒動の結末を見届けたいなら、兄様の勇姿を眺めてくるのもいいかもしれないわね。この守護陣の中なら安全だと思うから、もう少しあっちへ行ってみる?」

「…………はい!」


 そうして、サマンサと冒険者たちはラッセルたちの後を追った。ラッセル、そしてルーファスは「西の教会地区」の大通りを抜け、畑作地帯へ向かっている。








 一つに纏めた長い金髪、白いローブを翻してラッセルが軽快に歩いていく。上空から降る火球はサマンサが張った守護陣が守ってくれるので、もはや怖いものなどない。悠々と畑作地帯のど真ん中を進み、鎮座する魔王の元へ向かうことが出来る。


 はい、とラッセルに差し出された魔力回復用ポーションを飲みながら。ルーファスは小走りで兄の背中に問いかけた。

 

「兄様、姉様から状況聞いた? ダドリーが〜とか禁書が〜とか」

「粗方聞いたよ」

 

「うん、じゃあ姉様が居なくなった後の話。多分あいつ光の魔法に弱くて、弱点が心臓にあるっぽいんだ。見える? あの小さ〜い影」

「ああ、あれか」


 ルーファスが魔王の胸付近を指差すと、ラッセルはぴたりと立ち止まった。城壁組に撃たれる魔法で幾度も揺らぎつつ、しぶとく死なない化け物。燃える大巨人、魔王サタン。ラッセルはそれを見つめ、すらりと腰の剣を抜いた。鋼のつるぎが炎の輝きに照らされ、橙に染まる。


「なら、俺はうってつけの相手だな。一番得意なのが光魔法だから」

「暗殺者なのに光とか笑えるよね。そもそも影の一族なのに」

「うるさい、攻守共に揃ってて便利な属性だぞ」


 軽口を叩きながら、ラッセルが剣を構える。魔王との距離、およそ数キロ。確かにはっきり近くにいるものの、熱さはそこまで感じない距離感。普通なら剣など届かない位置関係だが──


聖天のカエルム光芒ルーチァ


 ラッセルが小さく呟き、真っ白な光を纏う剣を下から上へ振り上げる。

 するとどうだろう。



 ドオオオオオオオオオオオ………………!

 


「うおおお、いつ見ても派手〜〜〜〜!!」


 渦を巻くように光のオーラが巻き起こり、地面を伝って魔王の元へ迫る。さらに下から上へ。竜巻のごとき太い太い柱が魔王を貫いた。

 しかも、その「光の竜巻」はただ直撃しただけではない。さっきルーファスが指定した、魔王の「心臓」を丁度真芯に捉えていた。足元から巨人の燃え盛る身体が真っ二つに裂ける。そして。


「あっ…………!」


 炎の巨人はぐらりと左右に割れ、そのままどすんと地に堕ちた。じゅうと霧散する。


 …………沈黙と、宵闇の暗さが戻ってきた。


 

  

 倒した。

 ラッセルが、ものの一撃で。


 


「兄様、消えた…………

 魔王、消えたよ……………………!」


「え、嘘。トドメ刺しちゃった?

 やだなぁ、いっちばん美味しいとこもらっちゃったじゃん」


「やったぁ〜〜〜〜〜〜〜〜!!」



 わかっている。これはみんなの勝利だ。城壁組が諦めることなく魔法を撃ち続け、ダメージを与え続けたからこその、最後のダメ押しだった。しかし見た目上のインパクトは半端ない。天まで届く巨人が一撃で左右に割れ、砂のように霧散した。これはかなり遠くに居てもはっきりわかる光景だろう。


 さて、この珍事をゲーアハルト他、一族はどうやって収拾するのか。


「はわわわわ…………チョ〜〜〜〜かっけええええええ……!!」


 だってホラ。現に、この場に駆けつけた冒険者諸君の心をひと目で鷲掴みにしてしまったのだから。


「…………サマンサ、この場合の僕の処遇ってどうなるのかな…………」

「知りません! わざと到着を遅延させた罰として、死ぬほど民衆に持ち上げられればいいんじゃないですか?!」






 1563年 5月4日 夜






 すっかり闇に包まれた畑作地帯。ルーファス、ラッセル、サマンサ、冒険者一行が魔王の死亡現場に辿り着くと、城壁組は既に全員、そこに到着していた。何もかもが霧散したと思われたそこには、なんとなんらかの塊が残っている。真っ黒に焼け焦げ、微かに煙を上げる何か。

 試しにクロウリーに蘇生の魔法をかけさせてみると、果たしてそれは、


 うずくまるダドリーであった。


「…………そうか、こいつは魔王の一部ではなく、核あるいは魔王そのものとしてあの中にずっと居たのか。だから魔術的な扱いが『一人の人間』となり、切り捨てることでその活動を終えたのだ」


 驚いたようにゲーアハルトが口走る。つまりどういうことか?


「元々魔王サタンとは、であってではない。だからずっと倒すことが叶わず、『封印されてきた』のだ。だが一部が欠けた禁書で召喚することにより、召喚に関わった人間が混ざり、生命化した……『死』という終わりが出来たのだ。


 それ故フランシーヌ様の魔法も効いたし、魔王サタンを倒すことに成功した……我々は一人も欠けることなく勝利することが出来た…………!」


 その言葉に、かつてクロウリーの凶行を止められなかった全員が各々安堵の息を漏らした。良かった。あの日の選択は、結果的にだが最良の結末を招いた。頑張ったかいがあった。ハイデマリーも涙ぐんで養父ちちの言葉を噛み締めた。

 あの日一番の功労者である彼女は、ようやく養父ちちのことを許せる心境となったことだろう。


 さて。


「……ダドリー。いいえ、ロードリック。貴方は何故このような恐ろしいことを実行したの? 確かに私達はかつて道をたがえてしまった。しかし貴方は貴方なりに、この国を愛していると思っていたのに。私の勘違いだったのかしら」


 改めてうずくまるダドリーを前に、一番に声をかけたのは女王ヴィクトリアであった。しばらく沈黙が続いた後、……動いた。もぞりと動いたダドリーは、憔悴しきった様子で上半身を持ち上げる。


「…………ヴィクトリア。私は、誰より、貴女を愛していた。何よりも貴女を優先した。仕事だって心血注いで頑張った。私は確かにこの国を愛していた。なのに何故、

 結婚だけ。応じてくれなかったんだ」


 ダドリーの苦しげな声。微かに震える身体。誰かが灯した明かりの魔法で、そんなことまで鮮明によく見える。だが、……ああ。ここでいつか聞いた話に戻るのか。ルーファスは呆けた心地になってしまう。

 

 この国全土を巻き込んだ恐怖の夜。そこに至った原因が、まさかの「痴情のもつれ」だなんて。


 正直、なんてくだらないんだろう。


 その感情は、トラブルの渦中たる女王の心にも去来したようだ。ダドリーの言葉を聞き、かぶりを振り。心底呆れたようなため息を吐き出す。


「…………貴方。まだそんなことを根に持っていたの。それはあの時きちんと説明したでしょう。私はこの国が恋人。恐らく生涯、特定の誰かと結婚することはないと」


「いいや、そんな説明では納得いかない! 私は全てを貴女に捧げた! 心も、身体も、妻でさえも!」


 ……妻? どういうことだ? 全員が興味を引かれてダドリーを見ると。彼は自分に酔った様子で立ち上がった。両腕を振り回し、何かを必死に訴えようとしている。


「ああそうだ! 私は貴女の全てが欲しかった! だから妻を、殺したんだ! クロウリーに頼み、階段から突き落とした! 貴女は既婚者である私の立場が気に食わなかったんだろう! だから、妻とはちゃんと縁を切った! なのに何故なんだ!!」


「……そういえば、ありましたな。ダドリー氏の妻の転落事故騒ぎ。当時、セシル氏や私はどうせ女王と結婚したい余り妻を殺したのだと噂していたが……まさか本当だったとは」


 ぽつりとゲーアハルトが呟き、一同の胸に軽蔑、嫌悪の感情が巻き起こる。なんて身勝手な。女王はそんな彼に、今度こそ。確かな怒りを覚えたようだ。

 怒気を孕んだ声で、美しい相貌を歪ませて。ピシャリと言い放つ。


「まさか、当時の事故が本当に故意だったとは。では、あの時セシルやゲーアハルトの意見を聞き入れて正解でした。私は生涯貴方を許さない。


 何でも手に入れねば気が済まない強欲さ、欲を叶えるためなら何を犠牲にしてもかまわない傲慢さ、その姿勢に疑問も憂いもない頭の悪さ。全て、当時から鼻についていたのです。


 ダドリー。治安判事に問うまでもありません。貴方は一生涯禁固の刑です。その愚かさ浅はかさ、暗い牢獄で永遠に悔いながら死ぬがいいわ……!」


 その言葉に反発の感情を覚えたのは、恐らく沙汰を言い渡されたダドリー本人だけだったと思う。だが彼は恐れ多くもそれを不服に思い、一歩女王に詰め寄った。


「そんな馬鹿な! これを聞いても私の愛が信じられないのか!」

「いいえ、もう愛しているとかいないとか、そんな次元はとうに超えました。私は心底貴方を軽蔑します。なんなら会話すらしたくない。……誰か、この男を宮殿へ連れて行って」

 

「…………このッ………

 ヴィクトリア!! 貴様!!」


 一瞬の出来事だった。ダドリーの手にどす黒いオーラが集まり、それは恐らく何らかの魔法を撃とうとしている兆候で。それに気づいた全員が瞬時に慌て、何かせねばと一歩踏み出し、ダドリーがその手を振りかぶり。


暗黒のニゲルサジッタ!〉


 しかしその瞬間呪文を唱えたのは、何らかの悪事を実行せんと動いたダドリーではなかった。真紅の髪をふわりとしならせたルーファス。彼が誰より早く呪文を唱え終わり、ダドリーの胸を貫いた。ゆっくり倒れていく彼の手のオーラが霧散する。


 ルーファスは寸分たがわず、完璧に一撃でダドリーを仕留めてみせた。結果、女王とこの国の安全は無事守られた。…………ほう…………。全員が事態を飲み込み、ようやく安堵の息をつく頃。女王は優雅な笑みと共にルーファスを見た。


「貴方、見ない顔ね。名前は?」


 いいや、知らないわけがない。なんなら何度もこの姿で会っている。だからこれは「対外的なパフォーマンスだ」と気づいたルーファスは、にまりと口角を上げる。ついで、胸に手を当てて美しく礼をしてみせた。


「私は死神。貴女を敬愛し、この国に安寧をもたらす亡霊です」

「……………………死神。そう。貴方が」

「はい。以後お見知りおきを」


 その様子を、呆然とした様子で見ているのはウィルマー含む冒険者四人だ。何せ、この場にいる彼ら以外のほとんどが、死神ルーファスを認知している。だからこれは盛大な茶番だ。


 そして。これを一人、やけに愉快そうに見ている人物が居た。それは最も遅く一行に加わったラッセルで、ふふ、と小さな吐息を漏らしている。

 何? 隣のサマンサがちらりと視線を向けると、ラッセルはさらに笑みを濃くした。パチパチと伝達魔法テレパシーの気配がする。


『ねぇみんな、俺いい事考えちゃった。聞いてくれない?』


 ラッセルが楽しそうに一族に呼びかけ、その後告げた「いい事」とは一体なんなのか?


 


 それがわかるまで、この国はあと数日を要することになる。







 





 1563年 5月7日 午前

  

 


 


 

 


 あれから3日経った。


 ダドリーは無事逮捕。その配下であるソロモン、そしてクロウリーもきちんとお縄についた。


 動く死体としてイルムヒルデの下僕しもべになっていたクロウリーは、そのままではやはり存在自体が違法のため、女王の指示の元蘇生され、だがその元凶たるイルムヒルデは「災厄の夜女王を守った功績がある」という理由でお咎めなしとなった。


 よほど気に入っていたのか、使えると思っていたのか、涙ながらに別れを惜しむ彼女の姿にドン引きしたのは、彼女の家族だけではなかったが。まぁ、今回の騒動の顛末としては可愛いものだろう。


 また、今回結果的に影の一族がフル稼働する遠因となった、大法官ポーレットについてだが。彼もまたクーデター幇助の罪に問われ、最終的に投獄される流れと相成った。

 現在は次の大法官が生まれ、きびきびと働いている。騒動そのものはむごかったが、とびきり老いた大法官が退き、世代交代したことだけは手放しに嬉しい……とは関係者談。

 


 そして、一連の災厄騒動の中、一番の功労者は誰なのか。この過去最大の王国の危機において、「魔王を討ち滅ぼし国を救ったのは誰か」というのが、ここ3日の国中のホットワードだったわけだが。

 


 その答えが今。災禍を免れたウエスト寺院にて明かされようとしている。




 カラン、コロン。

 鐘の音が響く麗らかな春の日。穏やかな風が吹き、新緑がざわめく至極き日、ロンディニウム王国の政治を司る要人たちが数多あまたウエスト寺院に集められた。


 あるいはとびきり金持ちの一般人、極々位の高い聖職者などもに参列した。


 今日は国を上げて催される、とある式典の日だ。


 穏やかな陽光が降り注ぐウエスト寺院の最奥、綺羅びやかに飾られた祭壇。その中央に立つのは国王秘書長官セシル、新たな大法官、そしてこの国のトップである女王ヴィクトリア。


 赤い絨毯を敷き、大勢が見守る厳かな場で。

 女王ヴィクトリアは朗々と美しい声を響かせた。


「では、本日。5月4日に巻き起こった魔王復活騒ぎ、恐ろしい災厄の夜に、この国を守ってくれた勇敢なる子らを紹介いたします。


 ウィルマー・アシュトン。

 ティナ・ブラックウェル。

 ヘクター・カニング。

 クラリス・ダンリーヴィー。


 此度の活躍は素晴らしいものでした。この国を統べる者として、この国に住まう者として、大いなる感謝と敬愛を諸君らに捧げます」


 わぁ…………!


 寺院に集まった全員が次々と立ち上がり、彼らに惜しみない拍手を送った。庶民なりに少しだけ着飾ったウィルマーたちは、ガチガチに緊張しつつ、気恥ずかしい想いで寺院中に響く拍手を受け止めた。


 なぜならそう。これは、影の一族と女王がグルになった、国を上げた壮大な茶番だからだ。






「……いいかい君たち。

 僕はご存知の通り、商人カヴァデイル家の長男だ。いかに我が一族が元は貴族の分家とはいえ、今はイチ庶民。それが国を救った勇者になるわけにはいかないんだ」


「はぁ……」


「おまけに、女王殺害を直接食い止めたパトリックは死神とかいう亡霊に取り憑かれた状態だったし、魔王の身体を捕縛してくれたフランシーヌさんも『イチ治安判事として勤めを果たしたまでです』なんて言って受勲を辞退してしまうし。


 もう、君たちしかいないんだよ。この騒動を解決した英雄ヒーローとして、世間に祭り上げられるべき存在が」


「…………はぁ…………」


 魔王復活騒動が片付いた夜。それぞれが「さて我が家に帰るか」と解散し始めたタイミングで、カヴァデイル家長男であるラッセルは。にこにこと微笑みながらウィルマーに迫った。


 ……この人は、何を言っているんだ。


 ウィルマーが怯んでも、ラッセルは一切譲らない。見事魔王を討ち果たしたそのつるぎを鞘ごと腰から引き抜き、ズシリとウィルマーに手渡す。それはカヴァデイル家が金に物を言わせて打たせた、実に立派な業物わざものだ。これだけ美しいなら、きっとみんながを信じるだろう。


「君が、この国を救った勇者になるんだよ。

 なんなら全部この剣のせいにしていい。例えば……

 『魔王を倒さねばと強く決意した瞬間、剣から眩い光が……!』

 とかさ」


「大嘘じゃないですか」


「いいから。とにかく、今後この件に関して、僕らは表の世界では手を引かせてもらうよ。なのであとはよろしく。あ、何日か経ったら受勲式やるから来てね。あと、口裏もちゃんとみんなで合わせてくれよ。


 なぁに、これから生涯語り継がれ、歴史に残る有名人になるだけさ。大したことないないっ」


「めっちゃあります!! すげ━━━━困るんですけど?!」


 思わずウィルマーがラッセルに向かって叫ぶと。ラッセルは、その蒼い双眸をほんの少し歪めて見せた。冷たい輝きをその瞳に宿す。


「ふぅん……言うこと聞いてもらえないのか。じゃあ、今すぐここで死んでもらうしかないかな……? 残念だな……でも君たち、ちょっと知りすぎたもんな。仕方ないか…………」


「あっいえ!! なんでもないです!! 今回の騒動に関わった者として、誠心誠意その大役引き受けさせてもらいます!!!!」





 

 こうして。ウィルマー及び冒険者仲間の三人は、影の一族の活躍を逆スケープゴートする存在として、国中から祭り上げられる覚悟を決めたのだった。


 鳴り止まぬ拍手を一身に浴び、片膝をついて床を見つめるウィルマー。そんな彼に、女王が優雅に語りかける。


「あれから忠臣たちと協議した結果、此度の貴方たちの活躍は国を上げて感謝するべきものと判断しました。そこで、特別に。勇者ウィルマーには、新たに特設した騎士の身分を与えることとなりました」


「騎士ぃ!?」

(勝手に顔を上げるなボケ!!)


 驚き過ぎて跳ね起きるウィルマーを見かね、後ろのティナが彼の尻を張り倒す。パァン!! 音高く叩かれた彼は、慌てて再び床を見つめる作業に戻った。それを女王が楽しそうに見つめている。彼女はころころと笑い、ひれ伏す一行を見下ろした。


「そう、騎士。まぁ慌てて急造した肩書き故、一代限りの最も低い身分とはなりますが……

 

 勇者ウィルマー。貴方は今後勇ましい騎士、『勇騎士』を名乗り、生涯仲間と共に良い暮らしをするように。貴方と仲間には王都の土地一区画と、充分な褒賞金を与えます。有効活用して下さい」


「………………!!!!」


「では、勇騎士ウィルマー、こうべを垂れて。

 本日より貴方は、我ら高貴な身分の末端として新たな生を受けます。今後は我が国のますますの繁栄に寄与し、その名に恥じない生涯を歩んでください」


「……………………はい、謹んでその役目、お受けいたします!」


 ウィルマーの力強い返事を聞いた女王が、彼の肩に静かに剣を乗せる。 


「叙勲。

 本日より、ウィルマー・アシュトンを勇騎士の身分とする」


 その言葉に、寺院中の参列者がさらに大きな拍手を送った。みんな、朗らかな笑みを浮かべて一行を祝福している。それほど、空をも覆う巨大な魔王の存在は恐ろしかったのだ。

 なので、正直あれから救ってくれたんなら、どこの馬の骨でも構わない。大方の貴族の気持ちはこんなものだった。




 そんな参列者に囲まれた一角、式典を見下ろせる高所に位置した回廊にて。長い金髪をふわりと靡かせ、参列者の群れに背を向ける人物が居た。そしてそれを追いかける影も。


「フランシーヌさん、もう見ないんですか? その、式典はまだ終わっていませんけど」

「いいのよ。私はどうせ元々部外者だわ。まんまとポーレットに乗せられて、今回の騒動の片棒を担いだ。むしろ、悪評高い死神のまさかの活躍を見てしまった身としては、自分が悪の側だったとすら思っちゃう」


「そんな…………」

「だから。もう、私にかまわなくていいのよ、パトリック」


 パトリックに呼ばれて振り返ったのは、これまでとなんら変わらぬ治安判事の制服を着込んだフランシーヌだった。騒動の後きちんと服を洗ったのだろうか、その生地は以前以上にパリッとして見えた。


 一方、無事パトリックの姿に戻ることを許されたルーファスは、普段滅多に着ない高級上着プールポアンに袖を通し、刺繍を施したインナー、いつもよりいくらか良い生地のオー・ド・ショースとバ・ド・ショース(パンツとハイソックスの組み合わせ)を着ていた。


 春風に紺糸の髪をなぶられながら。彼はすたすたと出口に向かうフランシーヌを追いかけ、廊下を走り、ついには外に出た。


 彼女はこのまま帰ってしまうつもりだろうか。

 思わず悔しい、と思ってしまった。

 本当は勇騎士に叙された彼らより、一族の使命を全うしただけのパトリックたちより、一市民、一個人として奮闘した彼女の方が褒められるべきなのに。


 今となっては死神の疑いをかけられ、付きまとわれた日々すら懐かしい。彼女はあの時から、誰より努力していたのに。


 柔らかな若草が揺れる、広々とした寺院前のポーチで。パトリックは左右の拳を握りしめ、小さな背中に大きな声で叫んだ。

 

 このまま帰すわけにはいかないんだ。


「あ、あの……! なんていうか、ありがとうございました! 僕は、カヴァデイル家の人間でもマールヴァラ家の人間でもないけど、でも! あの人たちなら、きっと貴女に一番の感謝を捧げてくれると思います!


 一緒にラッセル様の遺体を探して駆け回った、

 ソロモンも、クロウリーも力を合わせて倒した、

 最後の魔王戦だってたった一人諦めなかった、限界まで戦い続けた貴女に!


 誠に勝手ながら、二つの一族の代表として、感謝いたします……ありがとうございました!」


 そのまま勢いよく、深々と頭を下げる。パトリックは自分で言いながら、この半月で驚くほど彼女との思い出が出来たな……と思っていた。


 門の詰め所で一緒にパンを齧った昼休み、

 両親と飲み食いしてはしゃいだ夜、

 彼女の孤独を知った夕暮れ、

 命をかけると二人で宮殿の玄関ホールに立った朝。


 思い出したら涙が出てきた。ぽろぽろと雫が地面に落ちる。

 

 ……ああ。たくさんの時間を家族以外と過ごしたな。

 こんなこと、もう二度とないかもしれない。

 これまで簡素一辺倒だった。

 無機質に人を殺してきただけの自分に、誰かを想う時間をくれてありがとう。


 そして表向きはともかく、心のどこかで一族の使命に自信を持てなかった自分に。

 みんなに誇れるほどの大騒動ピンチを救う経験なんて、二度としなくていいと思わせてくれてありがとう。


 やっぱ平和が一番だ、なんて。


 馬鹿みたいなことを、再確認させてくれてありがとう。


 

 何秒頭を下げていただろう。いい加減、パトリックがぐいと身体を起こすと。


「わっ」


 少し離れた場所に居たはずのフランシーヌが、目の前に立っていた。彼女はふふ、と春の光のような微笑みを零している。そよりと金髪が揺れた。


「……感謝と言うなら、私の方こそ。

 私、貴方に会ってすぐの時、意識を残しながら寝られるって話をしたわよね。覚えてる?」

「あ、はい」

「あれね、嘘なのよ。そんな人間居るわけないじゃない」

「……はっ?!」


 パトリックが思わず大口を開けると。フランシーヌはきゃらきゃらと楽しそうに笑った。


「本当はね。私、お姉ちゃんが死んでからずっとマトモに寝られなかったの。毎晩苦しくて、あれこれ考え込んでたら、いつの間にか朝になってて。 

 だから実際はね。意識を残しながら寝られる、じゃなくて、どうせロクに寝られないから、貴方を見張るのも簡単よって話だったの」


「……………………」


 そうだったのか。最愛の姉の死が、彼女の肉体と魂を歪めていた。だから、ではなく


「でもね、ソロモンを針の山にしてから、びっくりするくらい夜ちゃんと寝られるようになったの。やっぱり仇討ちって最高ね。心の健康にとてもいい」


「それ、治安判事が推奨していいんですか……?」

「ううん、駄目!」


 フランシーヌは何をそんなに大ウケしたのか、一人ゲラゲラと笑った。……それとも。治安判事の彼女が、あれだけ立派な復讐を果たしたことが可笑しかったのだろうか。真実はともかく。


 フランシーヌはふいに笑うのをやめて、パトリックを見た。その小さな口元が、綺麗な弧を描いている。丸く蒼い双眸が煌めく。


「だから、ありがとうパトリック。私は誰より貴方に、命と心を救われたのよ。

 例え悪〜い暗殺者、死神をやっていても。ま、今回だけは見逃してあげるわ。次に殺しの場面に出くわしたら、現行犯逮捕してあげるから」


 …………………………


 ???


 彼女は、何を言ってるんだ?

 パトリックが目を丸くすると。

 フランシーヌはふふ、と意地悪げな笑みを浮かべた。パトリックの平らな胸を人差し指で軽く押す。


「あーら、とぼけちゃって。貴方気づいてないのかしら。マールヴァラ邸でソロモンの処遇を巡って言い争ってた時。貴方、確かに言ったのよ。


『フランシーヌさんのお姉さんも殺したらしいですけど』。


 私、姉を殺した真犯人がソロモンだなんて、貴方に一言も言ってないわよ?」

「……!!」


 …………ああ、そうだ。あの時確かに言った。勢いに任せて、「ソロモンを拷問にかけるのは許してやってくれ」と、ゲーアハルトに陳情したのだ。

 

「だから私気づいちゃった。ああ、全部嘘だったんだ。貴方は時も意識や記憶を保っている。自ら望んで、確かな意思で、死神をやっているのだと」


「……………………まさか。僕はただ、ちょっと魔法を使えるだけの門番です。暗殺者死神だなんて、そんな」


「そう? 民間人の魔法使いは貴族王族の落胤及びその子孫なんて話もあるわよね。だから、貴方は恐らく何らかの形で二つの家のどちらかの血縁なんだわ。

 でも、普段は庶民のふりをして暮らしている。そして、教養も才能もたっぷりある……強い魔法がバンバン撃てる」

「……………………」


 どうしよう。こちらが認めていないにせよ、ここまで推理で当てた彼女を。


 生かすか殺すか。

 ここで自分が決めてもいいだろうか。


 一瞬だけ、眉間にシワを寄せたパトリックを見て。フランシーヌは、ぱ! と明るく笑って見せた。


「……なんてね。そんなこと言ってたら、今度こそ私が殺されそうだわ。

 だからそうね。パトリック、死神は幽霊。それでいいじゃない。私はこの戯言を一生余所よそで口にしない。約束よ」

「……別に僕、死神じゃないんですけど。じゃあ一応、フランシーヌさんの覚悟、見届けますね」


「ええ。だから貴方とはこれっきりね」


 フランシーヌの細い小指と自らの小指を絡め、“指切りげんまん”したパトリックは。その言葉に、思わず顔を上げてしまった。


 これで終わり。

 そりゃそうか…………。


 いや。


「フランシーヌさん、……あの。

 良かったら、友達になってくれませんかっ」


 気がつくと、ふいに。そんな言葉がパトリックの口から飛び出していた。このまま別れるなんて嫌だ。せっかく少し仲良くなれたのに。


 彼は至極本気だったが、言われたフランシーヌは本当にこれでもかと目を真ん丸にしていた。そりゃそうだ、幼児でもあるまいに。どう見てもハイティーンの彼がそんなことを言うのは、あまりに驚くべきことだった。

 

「えっ、と、友達……?!

 それ、わざわざ言うことかしら?」

 

「え、だって……僕、本当に友達居なくて……別にベタベタ付き合いたいわけじゃなくて、たまに食事したり……近況報告したり……????」

「いやだから。わぁホント、貴方まともな人間付き合いがなかったのねぇ……!」


「好きで友達ゼロだったわけじゃないです!!」

「ふふふ!」


 そうして二人はひとしきり笑いあって。


 やがて手を振った。




「さよならパトリック。私に用があったら治安判事協会に連絡頂戴。伝言くれたら会いにくるから」


「はい、僕は……あの家でまた暮らすので、何かあったら来て下さい」


「ええ」





 よく晴れた5月7日。

 彼らが出会って15日と2日で、二人は再会を誓って別れた。


 真の勇者は、影に葬られたまま。








 








 その後のトールズ川北岸、ロンディニウム橋のたもと。

 さらさらと川が流れている。いい天気。今日も平和で最高の1日だ。


 パトリックは無事門番の仕事に戻り、平和を享受していた。


「お、パトリック。久しぶり。一週間の宮殿勤務、どうだった? 例の騒動、宮殿勤務の兵士が何人か死んだって聞いて、正直肝が冷えたんだぞ」

「ああ〜〜、なんか、僕は大丈夫でしたねぇ。悪運ばっか強いっていうかぁ」

「オマエ、本当に呑気な奴だな! ま、お前らしいっちゃらしいけど!」


 わはは! と門番兵士のジェイソンが笑い、パトリックもそれにつられて微笑む。彼はそのまま、雄大なトールズ川の水面を見つめた。


「ああ、今日も川が綺麗だなぁ」

 









 END

 


 

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