第02話 家族




 1563年 4月20日 朝




 王都ロンディニウム、トールズ川のほとりにて。春の朝日が降り注ぐ壮麗な橋の上で、金髪を優雅になびかせた美少女が軽やかな笑みを浮かべている。 

 大きな青い瞳、白いマント、膝丈の紺の制服。白い脛。なんて麗しい。けど、なんかめちゃくちゃなことを言っている。


「さて、早速ですが容疑者である貴方に治安判事たる私から通告があります」

「突然随分な言い草ですね」

 

「まず、今回の大捜査の発案者は大法官ウィンストン・ポーレット様です。ポーレット様は数日前、『しばらく死神を徹底的に探せ』『逮捕の方法、責任は治安判事個人に委ねる』とおっしゃったそうです」


 大法官。法律界のトップたる人物。パトリックの知識と記憶によれば、彼はもうかなり高齢だったはずだ。いい加減ボケたか、いつまでも死神が捕まらないことに業を煮やしてトチ狂ったか。 

 

「そこで私は考えました。どうしたら死神の尻尾を掴めるか。

 結果、個人の責任の範囲で容疑者を24時間監視することに決めました」


「はっ?」


 余りにも突飛すぎて、内容が頭に染み渡るまで結構な時間がかかった。……何考えてんだこの女。? 普通に考えて、そんな事出来るわけないだろ。


「え、あの……24時間ってどうやって監視するんですか? さすがに1人では無理ですよ? 多分……」


 乾いた笑いが出てくる。パトリックの感性は、至って普通だ。つまりこれは的確な質問のはずだったが。

 

「ああ、私意識を残しながら寝る事が出来るんです。夜中でも眼の前に変化があれば即動けますよ」


 治安判事フランシーヌは華やかな笑みを浮かべ、予想を遥かに超えた答えを返してきた。そんな馬鹿な。それが本当なら逃げ場がない。


「質問はそれだけですか? ああ、だからって普通のお仕事の邪魔はしませんよ。どうぞ門番業務に戻って下さい」

「………………!」


 極めつけに、フランシーヌが本当にパトリックの後ろに下がって橋の隅に立ち始めたので、こいつの覚悟は本気なんだとわかってしまった。最悪だ。

 気まずい。というか怖い。この執念が。本気度が。


(どうしよ、これじゃしばらく夜の仕事が出来ない……とりあえず義父とうさんに連絡して……手紙は細心の注意を払って書いて……それからそれから)


 パトリックが紺糸の髪をぐしゃぐしゃかき混ぜていると、先輩兵士ジェイソンが信じられない物を見るようにこちらを見てくる。


「殺人鬼死神…………お前が………………?」

「出来るように見えます………………?」

「見えない………………」

「ですよね!!」


 そうだろうよ、どれだけ普段「弱そうに見えるよう」気を使ってると思ってるんだ。でも、フランシーヌは背後に立っている。じっと、こちらを見ている。


(めちゃくちゃ気まずぅ……!)


 二重生活を始めて、こんなに緊張したのは初めてかもしれない。




 1563年 4月20日 昼



 

 教会の鐘がのんびり鳴り、昼飯時になった。フランシーヌはだんまりを決め込んだまま、ひたすらパトリックの昼食を眺めている。至って普通の昼食、ライ麦パンとチーズをかじってるだけなのに、そんなに見つめてくる……? 重圧プレッシャーが半端ない。

 

 改めてちらとフランシーヌを見る。見た目は12、3歳と言ったところか。実年齢は30とか言っていたけど、かなり難度の高い職につき、こんなに真剣に従事しているなんて、どんな人生を送ってきたんだろう。

 

「……あの、失礼ですが、なんで治安判事になったんですか? 頭が良くないと駄目なのはもちろん、資格を取るにはたくさんお金が必要なんですよね?」

「…………? え、ああ……そうですね…………」


 突然話をふられて、しばしの間のあと。フランシーヌは小さくにこりと笑った。


「いえ、大した事ではないんです。私には少し離れた年の姉が居て、彼女が有能な治安判事だったんです。

 誰にでも優しくて、弱者の味方で、悪人を華麗に捕まえて。彼女は私の憧れで、自慢の姉でした。だから私も姉みたいになりたいなって。それだけです」

「へぇ」


 パトリックはぱくりとパンを口に含み、咀嚼する。

 自慢の姉、それを追いかけて同業に……。にしても、それだけでこんなにひたむきになれるもんかね。

 俺にはわからないな。

 冷めた目をしてしまう。


 彼の一族はずっと何代も、暗殺ばかりやってきた。それ以外のことは全部、裏の姿を隠すためのフェイク。そうやって様々な顔を隠す事に能力とプライドを費やしてきた。影である事、密命に命をかける事のみを良しとしてきた。


 目の前の生活は全部親や親戚に与えられたもの。自分はそれの操り人形。でも誇らしい仕事だ、不満は一切ない。だからこうして他人の話を聞くと、不思議な気持ちになる。自分の意思で職業を選ぶってどんな感覚なんだろう。


 さらさらと風が吹き込む詰め所。余所から持ち込んだ食料を口に詰め込む少女を見て、ふと思う。彼女が光で、自分が真に影なら。自分の存在ってなんなんだろう、と。




 1563年 4月20日 夕



 

 夕刻を告げる教会の鐘が鳴り、パトリックはやっと門番業から開放された。重い鎧を脱ぎ捨て、今日は詰め所に置いてくる。昨日はたまたま手入れ日だっただけだ。

 橙に染まる石畳の橋、静かに流れる川面を眺めながら、ロンディニウム橋を南下する。もう、すっかり上着が無くても寒くない。川べりの木々や植え込みの花も元気に繁り、いよいよ春本番だ。気持ちいい。


 ……後ろの不審者もとい、美少女ストーカーが居なければもっと良かったんだけどな。


 なんとか気にしないようにしていたが、無視する事も出来ない。一定間隔をおいて後ろからひたひたと着いてくるフランシーヌ。「一緒に帰る」という間柄ではないから当然なのだが、正直良い気分じゃない。あと怖い。


「…………本当に、24時間監視……するんですか……?」

「ええ、治安判事に二言はありませんよ」


 辿り着いたのはこじんまりとした集合住宅。真の職業の関係もあって、多くを求めないパトリックの自宅は実に簡素だった。扉を2人で潜り、フランシーヌが内装及び家具をしげしげと眺める。……今のうちに報告の手紙を書くか。


「あの、親に手紙を書きますね。定期的に近況報告しないと怒る人たちなので」

「あら素敵。書いたらぜひ見せて下さいね」

「やっぱそうなるのか……」


 仕方ない。極力怪しまれないように、無難に……とはいえ、どう誤魔化してもそれっぽい内容になっちゃうけどな。言い訳もちゃんと考えておこ。パトリックは机に向かい、ペンを手に取る。 

 

『こちらの薔薇園に厄介な雑草が現れました。しばらくそちらの手入れには行けません』

 

 昨夜飛ばした鳩はひとりでに窓に戻っていた。足首に小さな紙が付いているが、どうせあちらからの「届いたよ」的な内容だろう。フランシーヌに手紙を一読させた後、改めて養父への手紙をくくりつけて外に放つ。フランシーヌは飛び立つ鳩を眺め、目を丸くした。


「おや、魔導鳩。家の規模に比べると随分ハイソですねぇ」

「親が超絶お金持ちと親しいんです。昔使用人をしてたとかで、可愛がられてて。その縁でもらいました」


 養父と実父の関係は、表向きそうなっている。その上で「親の知人たる金持ち」から「魔力で動く人工鳩」を譲り受け、親思いの息子が日々手紙を綴る。そういうシナリオなのだが……フランシーヌは含みのある表情をしている。


「さっき手紙にあった薔薇園、とは?」

「すぐそこある小さな庭園です。で、僕が生まれた家にもこんな感じの薔薇園があって、薔薇を育てるのが僕と父のささやかな趣味なんです」

「へぇ……………? あと、貴方身分のわりに随分教養があるんですね。読み書きバッチリ。本棚にも歴史書や魔術書が並んでる」

「全部親のツテ。さっき言ったお金持ち、カヴァデイル様のご厚意ですよ」

「…………」


 フランシーヌは不満そうだが、この辺でボロを出すパトリックではない。灰色の瞳を伏せ、淡々と返していく。

 じりじりとした空気。なんとかしてこっちから決定的な証拠を出させようとする意図を感じるが、そう上手くいかせるものか。


 そんな折。ポッポー、と細い声が響き、鳩が帰ってきた。養父からの返事だ。


『そうか、なら今晩久しぶりに飯を食いに来ないか』。


 そっけない文面だが、飯。飯を食え?

 

「………? たまには、いいかもな…………」


 こちらが書いた意図、「本業に障害が出来た」という意味を察さない養父ではないと思う。ならば恐らく、敵情視察を兼ねて紹介しろという事か。つまり、


「わぁ、お呼ばれですか? 当然私も一緒ですよね!」


 勝手に手紙を覗き込んでくる、この不躾な金髪少女(30歳)と一緒に生家に帰れということだ。


「あ……はい……僕の家…………行きます………………?」




 1563年 4月20日 夜




 パトリックの生まれた家は、ロンディニウム川の南岸をさらにぐっと南下した所にある。要はごく一般的な農民前後くらいの、極々清貧な身分。その中でもパトリックの養父は牛、鶏をそれぞれ数頭育てる、その中では比較的裕福な立場にあった。


 のんびり歩いて時刻は丁度日暮れを迎えた。それでも、何度も歩いた実家への道は間違えない。素人には判別出来ない方向、道の数等の目印を確認し、田舎道を歩いて。空が真っ暗になるくらいには、畑の中にぽつんと建つ、木材と石、漆喰を組み合わせた「我が家」に辿り着いた。


「……あ、両親が外に立ってます。灯りがついてる。あそこが僕のうちです」

「わぁ、マメですねぇ」


 パトリックが手を振ると、あちらも手を振り返してきた。気持ち近所よりは大きいかもしれない、くらいの家の前、叔父と父の第三婦人──まがい物の夫婦が、にこやかな顔をして立っている。

 養父モーガン(偽名)。そして実母のダリア。ムキムキマッチョと過去の栄光(美貌)を残したおばちゃん、という取り合わせは、ひと目で人の良さを伺わせた。


「おかえり、パトリック!」

「わざわざ出迎えなくて良かったのに」

「だって、お前年に何回も帰ってこないから〜」

「わ、この年でそういうの要らないって……」

「いいからいいから!」


 家に辿り着いたところで、母ダリアがぐいぐいパトリックを抱きしめてくる。大袈裟に頬ずりされて、どこまでが本音でアピールなのだろう、と思ってしまう。フランシーヌはそれをきょとんと見つめた。

  

「あら可愛い。この子は?」

「子供じゃないよ、クォーターエルフで治安判事をされてるフランシーヌさん。俺より年上だよ」

「ほう、クォーターエルフで治安判事! 優秀ですね!」


 両親的には、これで大体の事情が伝わっただろう。その上で、密かに伝達魔法テレパシーを使って意思疎通を図る。


『……養父とうさん、状況掴めた? 今死神関連で疑われてるんだけど、父様何か言ってた?』

『いいや、あっちからは何も聞いてないし、今回の招待に兄さんの意思は挟んでいない。ただ、オレ達がお前の言う“厄介な雑草”と会ってみたかっただけだ』

『怪し……不利になりそうなことはしないでくれよ』

『何を言う、こっちだってプロだぞ。任せてくれ』


 魔法を切り、ヒゲモジャのモーガンがバチンとウインクしてくる。改めて見ると、ホント濃い顔してんな。この人の本当の息子だったら将来この姿……と考えると、ちょっと怖気づいてしまう。

 一方、隣ではフランシーヌがダリアと向き合っている。


「フランシーヌ・ビヴァリー、30歳。本日から、そちらの御子息……えと、パトリックさんを死神候補、容疑者として監視してまして」

「あ、うちの息子の事が知りたいんですか?! ではぜひ中へ! 丁度チーズも焼けてますので! 牛肉も少し出して来ましたよ!」

「……牛肉……」


 強引ムーブ。両親はフランシーヌの自己紹介を遮り、中へ連れていってしまった。やれやれ、これでどうにかなるんだろうか。てか、あいつ素直に牛に釣られてるし。双方何を話すつもりか知らんけど、様子見するしかないか。パトリックは頭をかき、ランプに火が灯る我が家に足を踏み入れた。


 

  


「……あの、私は御子息を暗殺者“死神”と疑っているのですが?」

「なんと! そんな事はありえない、この情けない顔を見て下さい、門番になれたのも私のコネがあってやっとこさの優男です!」


 パチパチと暖炉の火がぜている。ダリアがせわしく調理を進めるのを横目に、フランシーヌとパトリックは客用の椅子に腰掛けていた。

 向かいに座るモーガンが髭を捻り、木製のカップに入ったエールを飲み干す。気の良い田舎のオッサン、のフリ。がはは、と笑う養父を眺めながら、パトリックはちびりちびりと酒を飲んだ。

  

「コネ、とは?」

「何せ、私も元門番でしてね。なんとか根性含めて叩き直して欲しいと上司に拝み倒したのです。でなければ、こんな気弱そうな男がシティ・ロンディニウムの門を任されるはずがありません!」

「ふぅん……」


 フランシーヌは「これしかなくて」と頭を下げられ、ホットミルクを飲んでいる。やがてソーセージやステーキが運ばれ、スープ、パン、スクランブルエッグ、チーズがテーブルに積まれる。


「ごめんなさいね、この人いつも思いつきで行動するから」

「……いえ……」


 ダリアに声をかけられ、フランシーヌがちらりとパトリックを見る。返す言葉に困っている様子だ。


「いいよ、こっちもご飯何にしようと思ってたところだから。こんなに沢山用意してくれてありがとう」

「あら気にしないで! アンタ友達少ないから、女の子連れてきたと知ってビックリしちゃった! だからこれはお祝い。沢山食べて!」

「……あのなぁ……」


 友達少ないのはアンタらの意向に従ってるからだろうが。……いや、これはそんな話ではない。全てが「そういうテイ」だ。ボロが出る前に食事を終わらせよう。今やるべきことは、単純に「仲の良い普通の家族のフリ」なのだから。

 そう思ったパトリックがソーセージを食べていると。


「ふく、くく……」

「えっ」

「いやぁ……上手いと言うべきか……本当に仲がいいのか……」


 フランシーヌはパンとチーズ片手に、必死に笑いを堪えていた。なんか、ツボに入ったのかな。呆気に取られるパトリックの目の前で。顔を上げたフランシーヌの顔は、心底晴れやかだった。


「なんかいいですね、こういうの」


「…………!」


 暖炉の火を照り返す、潤んだ青の瞳。それは今までパトリックが見た中で、一番控えめかつ最も本音が滲んだ笑みに見えた。

 偽りでも家族は家族。思うところがあったのだろうか。


「いやぁ、なんて清楚で可愛らしいお嬢さんだ! どれ、息子の嫁になりませんか! うちみたいなので良ければ、いくらでも差し上げますので!」

「は?」

「あら素敵ねぇ、私もちょっと娘が欲しかったから……」

「は?? やめて?」


 暖炉でほんのり暖まる室内。息子を差し置き勝手に笑い合う面々の賑やかな話し声は、しばらく途切れる事がなかった。






 

 Xデーまであと14日。







 

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