Xデーまであと15日。

葦空 翼

第一章 王宮と死神

光と影の出会い

第01話 死神




 1563年 4月19日 夜




 ザザ、ザ………………。



 風の強い満月の夜。木々が擦れて音を立てる中、2人の男が家路を急いでいる。

 舗装された石畳、広い道幅。中心部からは少し離れているものの、比較的見晴らしの良い住宅街。そんなところにが現れるなんて、彼らは夢にも思わなかった。


「…………?!」


 ふ、と突然、眼の前に人が立っていた。黒いローブを纏い、目深にフードを被った何か。その隙間から赤い髪が覗いている。ローブがゆったりしているので、男か女かもわからないが──やや長身に見えるので、恐らく男では。という印象。


 誰だ。と問おうとした。しかしそれは叶わなかった。なぜなら男はその瞬間絶命していたから。胸に深々と真っ黒なナイフが突き立てられ、背中まで貫通する。一瞬よりも早い神業だった。

 隣の男が突然心臓を貫かれ、もう1人が縮み上がる。急いで駆け出した結果ほんの数メートル逃げおおせたが、黒い影は動揺1つなく


〈─────〉


 小さく何か呟き、弓を引くような動作をすると、次の瞬間には逃げた男が倒れていた。遅れてパチパチと音を立て、黒いオーラが闇に消えていく。フードの男は魔法使い。そして初見の人間にはまず見抜けない、闇の魔法で人を屠るのが仕事だった。


「お仕事完了、と。今夜もロンディニウム橋が賑やかになるな」


 なんの興奮も感慨もない、静かで澄んだ声。ローブの男は倒れた男の胸を踏みつけ、一瞬で黒い鎌を手の中に出現させた。ざく。小さな音が聞こえたかどうか。微かな振動と共に、長い柄を操りその首を刈る。路地に広がる鮮血。しかし男は無感動なままもう一人の首も刈り取り、2つの生首を持ってふっと闇に消えた。


 死神。


 彼は一貫した独特の手口からそう呼ばれた。不定期に、神出鬼没に。街のどこかに首無し死体を残し、本人は煙のように一瞬で消える。肝心の首は街の中心を流れるトールズ川にかかる橋、ロンディニウム橋に置き去りにする。その日は2つの首が橋のたもとに並んだ。満月が哀れな犠牲者を照らし、しかし死神はいつものように姿を消して────。



 


 

 



〈父さん、今日は薔薇園の害虫を二匹駆除しました。我が家の薔薇には傷一つなく、良い夜を過ごせそうです〉。


 トール川南岸、やや年季の入った古めかしい集合住宅。その中に、殺し屋“死神”の家がある。リネンのチュニック、すっきりしたシルエットのオー・ド・ショース(パンツ)。黒いローブを脱いでしまえば、その中身は意外にもシンプルな庶民の服だった。

 

 ただし、小さな机に向かって手紙を書く彼の髪は、燃えるような深紅で非常に目を引く。カーテンを開けた小さな窓から夜風が吹き込むと、真っ赤な長髪がなぶられひらめき、本人としては少々鬱陶しいが……これを維持するのもまた彼の「仕事」だ。

 

 彼はかれこれ、5年ほどこんな仕事をしている。始まりは“あの日”。目を閉じれば、今でもあの日の事がありありと思い出せる。





 


「ラッセル、リオン、ルーファス。君たち3人はこれまで全く別の暮らしをしていたが、全員私の息子。異母兄弟だ」


「君たちの本当の父は私。君たちが父だと思っていた男は皆私の弟。母だと思っていた女性は私の妻たちなんだ」


 彼がまだ7歳だったあの日、父にやたらでかい屋敷に連れて行かれたと思ったら、そこで当主から語られた話がまぁ酷く突飛で、滑稽で。真っ赤な髪を小さく一つにくくり、大きなツリ目をくりくりさせた彼は、驚きのあまりぽかんと口を開けてしまった。


 ラッセルと呼ばれた金髪の少年は、恐らくこの家の跡取り息子。多少事情を知っていたのか動揺一つせず、キリリと「父」を見据えていた。


 リオンと呼ばれた黒髪の少年は身なりこそすこぶるいいものの、想定外の事実を叩きつけられた側だ。ただひたすら瞬きを繰り返していた。


 ルーファスと呼ばれた赤髪の少年は、この中で一番みすぼらしく一番小さな彼は、を交互に何度も見た。


「君たちは名誉ある家系、『影の一族』の末裔として生を受けた。これからは3人力を合わせ、共に女王陛下の“敵”を討って欲しい」


「ここに新時代の暗殺者、『死神』が生まれた。

 神よ、陛下よ、彼らに祝福を────」





 「真の父」と名乗る男が高らかに宝剣を掲げたのが今から10年前。

 赤髪のルーファスはすっかり立派な青年となり、背中まで届く長い髪を束ねるまでになった。


 濃紺に染まる窓の外を見やる。真夜中ながら、中心街の方向に仄かに灯りが灯っている。まだ眠りにつかない、悪い大人が彷徨っているのだろう。酒か。賭博か。はたまた女か。華の王都と言えど、高尚な娯楽はそう存在しない。必死に日銭を稼いでやることが、家畜の世話と保存食の管理とほんの少しの下らない娯楽だなんて、全く面白くもなんともない。


「…………つまんねー人生送ってるんだろうな、どいつもこいつも」


 細められたターコイズブルーの瞳の向こうには、無数の「人生」がたゆたっている。能力を認められて躍進し、成功を収める人間など極一握り。ほとんどの市民が皆、判で押したような人生を歩んでいる。


 例えば「普通の貧乏な男」なら、いつか徴兵されて戦争で死ぬか、細々ほそぼそと職人になるか、郊外でこじんまりした農家をやるか。いずれも年頃になればその辺の同年代女子とツガイになり、子供を成してなんとなく死ぬ。それだけの命。


 だからこそルーファスは、「お前は今日から暗殺者だ」などというトンチキな啓示をあっさり受け入れた。あの日以来、「一人前の暗殺者になるため」と称してしこたま特殊な訓練と教育を受けたが──退屈で先のわかりきった未来に比べれば、「この国で一番偉い女王のすぐ側で露払いする」役目を与えられた今の方が、よっぽど楽しくて誇らしい。



 表向きは一般市民、パトリック・リプソンとして。

 裏の顔は暗殺者、ルーファス・カヴァデイルとして。



 長く二重生活を送り、人殺しを一人でこなせるようになった今は、育ての親の家も出た。表の世界での職業は、養父が斡旋してくれた門番。部屋の隅に置かれた全身鎧フルアーマーが静かに存在を主張している。これでも王都の出入りを監視する立場、通行人に舐められないよう、支給される鎧もなかなか豪勢だ。


 それはいいが、全身鎧は当然重い。明日も早く起き、だるい身体を引きずって、先輩兵士にどやされながら半日立ち尽くす。そうして王都の境目を守るのだろう。


(……そういや明日も仕事か。そろそろ寝よう)


 カタンと音を立てルーファスが立ち上がると、闇が落ちる室内で、呼応するように机の上の小ぶりなブローチがキラリと光った。赤い宝石が嵌められたそれは、唯一彼が「影の一族」カヴァデイル家の一員である証だ。

 特に家紋が彫られている訳では無い。証拠になりそうなものなど残さない。それでも、暗殺業の助けとなる魔法が込められたこれだけが、彼の誇りであり生きる証だった。


 気だるげな表情。ルーファスがブローチを手に取り胸に当てると、パチン。という音と共に赤い長髪が広がり、宙へ溶けて消える。すっかり短くなったそれは、暗い青へと色を変えた。

 すぅと前を見据えた瞳は、鮮やかなターコイズブルーからアッシュグレイへ。


 これでルーファスはしがない門番「パトリック」として生きる準備を終える。


 最後に、書き終えた手紙を机の端に待機していた小さな鳩に託した。鳩が窓をすり抜け飛んでいくのを見届けると、彼の長い夜が終わる。


「疲れた……おやすみ」


 狭い寝台に潜りこみ、深く眠れるのはあとどれぐらいか。微かな寝息が宵闇に溶けて消える。



 

 


 1563年 4月20日 朝



 



「ふわぁ…………」

「おいパトリック! なぁに腑抜けた欠伸してやがる! 気合い入れろ!!」

「はぁい…………」


 トールズ川の北岸、ロンディニウム橋のたもと。王都ロンディニウムの「境界線」に門番パトリックは立っていた。ここより北が王都中心部、ここより南が少しの住宅街と多くの畑を経て郊外へ。つまりここは、王都警備の要だった。親の斡旋でありついた仮初の職とは言え、一応なかなかの役回りだ。


 扉を挟むように向かいに立つ、もう一人の門番が立ちながら船をこぐパトリックにがなっている。しょーがねーじゃんか、窓開けっ放しで寝たら少し寒かったんだから。カーテンで窓塞げば良かった。

 そんなことを考えつつ姿勢を正していると。


「よ〜パトリック! 今日もダセェ面してんな!」

「あ、ウィルマーさん。冒険お疲れ様です」

「おいおい、そりゃ“定職についてない”っつー皮肉か? 下っ端門番のくせにナマイキだな〜てめ〜〜」


 大きな扉がギィと開き、見知った顔が出てきた。続いてぞろぞろとその仲間たち。彼らは街から街へ旅を続け、魔物退治や人助けで日銭を稼ぐ職業「冒険者」だ。剣士のウィルマー、魔法使いのティナ、聖職者のクラリス、格闘家のヘクター。何度も通っては話しかけてくるので、その気もないのに覚えてしまった。

 

「今日はどちらまで?」


 鎧の胸元をガンガン殴ってくるウィルマーの言葉をさらりと流しつつ、なんとなく尋ねると、ティナが嬉しそうに身を乗り出してきた。

 

「よくぞ聞いてくれました! 私達、今回は国境近くの洞窟に行くの。すごく貴重な物が見られるらしくて、すごく楽しみにしてるのよ!」

「すごく綺麗なんだってね」

「ねぇ〜。余裕で何日か戻らないけど、寂しがらないでよ。また来るからね!」


 若い女子2人がきゃっきゃとじゃれあい、駆けていく。翻る長いスカートが華やかだ。


「じゃ、うちのが仕事の邪魔して悪かったな。えーと通行証……」

「ヘクターさん、いつもマメで助かります」


 そうして4人は連れ立ち、楽しそうに朝日の中歩いていった。国境まで行くなら街の終わりで馬を借り、活き活きと野山を駆けるのだろうか。彼らのような「縛られない」生き方が羨ましくないと言ったら、正直嘘になるが。使命を帯びて「縛られる」生活をする自分は決して嫌いじゃない。パトリックはフ、と呼気と共に静かに微笑んだ。


「元気ですねぇ」

「そうだなぁ。……ってお前、あいつらとそんな変わらないだろ。なんだその言い草、ジジイかよ」

「いえ、ああいうの真似できないなって……」

「それはわかるけども」


 先輩兵士ジェイソンが嘆息し、間が落ち、やがて再び静寂が訪れる。ぼんやり空を見上げていると、微かに川の流れる音が聞こえてくる。例えば同じ門番でも、ここは自然が感じられてなんとなく癒やされる。パトリックはこの「ただ立っている」という仕事がそれほど嫌いではない。

 平穏そのもの。それを享受出来るから。


 そこへ新たな通行人が現れた。向こう側から扉が押し広げられる。……いや、手間取っている。微かに扉が開きかけるも、こちらの想定に対し全く扉が開かない。年寄りかな。パトリックとジェイソンが阿吽の呼吸で扉を開けると。


「失礼しました、ありがとうございます」


 長い金髪が眩しい、小柄で美しい少女がそこに立っていた。白いマント、良い生地で仕立てられた紺の制服。これ、見たことがあるような……なんだっけ。

 職業病だろうか、パトリックがなんとなしに上から下まで見ていると、相手もじろじろこちらを見ている。ふむふむ。小さな声まで漏らす。


「……すみません、貴方身長と体重を伺ってもいいですか」

「えっ、身長体重?! 175センチ76キロです……って、普通の人自分の数値とかそんな知らないですよね? なんなんです?」

「うーん、重い? いや、顔から推測するに恐らく細身の体格……てことは筋肉……」

「あの、ちょっと!?」


 初対面の少女に突然変な数値を聞かれて面食らいつつ、パトリックが慌てて声をかけると。少女はハッと我に返り、ぴしりと姿勢を正した。


「申し訳ありません。私、フランシーヌ・ビヴァリーと申します。子供に見えますがクォーターエルフの大人で、30歳。をしています」

(治安判事…………? あっ!)


 思い出した、この制服。胸元に光る剣と天秤のブローチ。だ。

 しかもクォーターエルフ。魔法が得意でいつまでも美しく、長命な種族……のエルフの血が四分の一入っている。てことはバチバチに魔法が得意な本格派か。ひぇ〜おっかない。

 内心知識と警戒がフルスロットルなパトリックをよそに、フランシーヌと名乗った少女は得意げに自己紹介を続ける。


「治安判事、普通の方はあまり馴染みがない職業かもしれませんが……私達は犯罪者を捜索、逮捕、裁きを与える立場にあり、これでも庶民の味方です。困ったことがあった時、犯罪に出くわした時、ぜひ頼って下さいね」

「え、えっと……その治安判事さん、が、僕に何か用ですか?」

「そう、そうです貴方」


 ぴしりと指を差され、冷や汗が止まらない。犯罪者を捕まえ裁きを与える立場にある治安判事が、自分に興味を持つなんて……


「貴方、死神という連続殺人犯をご存知ですか?」


(で━━━━すよねぇ〜〜〜〜、なんならそれしかないですよね〜〜〜〜!!)


 密かに体温が急降下する。しかしそれが顔に出ないよう、なんとか笑顔を顔に貼り付ける。


「この王都ロンディニウムに暮らしてて、その名前を知らない市民は居ないと思いますよ。何せ僕はここの門番ですしね。橋のあちこちに生首置かれるので、正直不気味で仕方ないです」


 それを置くのは自分と仲間、つまり兄たちだということはおくびにも出さず。パトリックがしれっと回答すると、フランシーヌはそれをまじまじと見つめた。怖い。こいつ何かを掴んでて、俺を試している。


「死神って、いつも黒いローブに赤い髪。しか目撃情報がないんですよね。てことはですよ。めちゃくちゃのっぽでもチビでもない。ガリガリでもデブでもない。そうであればそういう情報が上がってくるから」

「まぁ、そうですね……」

「つまり中肉中背。そして醜男ぶおとこではない。印象の薄い顔。あるいは印象の薄い美形」

「えっ」

「貴方、その条件を満たしています。しかも国軍兵士。どこにでも行ける、その権限がある」

「……………………!」


 そうだ。養父が彼に門番という職業を与えたのは、そういう意味合いがある。城下町全てがテリトリーになるように。そして、たくさんの人間に目を光らせることが出来るように。


「えっ、でも。中肉中背で印象の薄い顔の男、なんて条件物凄い数いると思いますよ。一体何人調べ上げるつもりですか」


 ヘラヘラと、場を取りなすつもりだった。しかし

 

「百人でも千人でも一万人でも。」

「ッ……!」


 その時のフランシーヌの顔は、筆舌に尽くしがたい。美しい青を讃えた大きな瞳が、美しいはずの顔が、一瞬どろりとした闇で濁った気がした。口にはにっこりと笑みを貼り付けている。


「死神は私の怨敵です。生涯かけても追い詰め、裁きを与えてみせます」


 クォーターエルフの生涯。千年生きるエルフの四分の一だから、ざっと250年。


(な、なんだこいつ…………!)


 あまりの迫力に血の気が引く。こいつは一体……?!




 これが死神ルーファスと、治安判事フランシーヌの運命の出会い。





 Xデーまであと15日。





 

 

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