第07話 風雲




 1563年 4月28日 午前

 



 チャーリーが全力でパトリックをどついている頃。フランシーヌは淡い金髪のストレートヘアを風に靡かせ、トールズ川のほとりを歩いていた。

 

 丁寧に石で舗装された広い道。脇を流れる大きな川の水面みなもがきらきらと輝き、今日は本当に麗らかな散歩日和だ。しかし彼女の表情は暗い。カヴァデイル家当主の話によれば、捜索中のラッセルはこの道と繋がる城の西口に向かったところで消息を絶ったらしい。


(仮に今回の件に政治的な意味合いがあったとして……カヴァデイル家の跡取りを強引に呼び出してここまで連れてきて……何をする?

 話を聞く? もみ合う? ……有無を言わさず殺す?)


 南を向いた彼女の目の前には、魚も暮らす美しい川が流れている。特に柵などはない。その気になれば突き落とすことも、死体を流して処理することも出来そうである。

 

 とはいえ、周囲にこれと言って事件性のある痕跡は見当たらない。欠けた道の破片。焦げたタイル。例えば血痕ですら。ここに至るまでしばらく下を注視しながら歩いてみたが、西口からこの川べりまで何一つ見つからない。

 

 ザカライア氏はああ言っていたが、純粋に綺麗に連れ去られたのでは?

 ……それとも、一切の痕跡を残さず殺す方法がある?


 ある。そんなもの、魔法を使えばなんとでも。

 

 よって魔法使いの彼女からすれば、ここを直接調べたところで何一つ出てこない事態は想定済みだった。


(あとは何がある? 川の反対、北側はちらほら商店と金持ち向けの住宅……大きい家が建ってる。店はともかく、この家の規模ならわりと夜中でも人が起きてそうよね。聞き込みしたら男の悲鳴やら、揉める物音を聞いた人が出てくるかしら)


 視線を北に向ける。春の日差しを受けて輝く建物には、貴重なガラス窓がこれでもかと嵌められている。川沿いながら、わりと大きな建物群。そっと人1人を殺すには向かないロケーションな気がするが……。


「もし」


 地面を見て川を見て建物を見て、とキョロキョロしていたフランシーヌに、そっと小さな声がかかる。


「貴女、フランシーヌ・ビヴァリー様ですか?」

「!?」


 突然フルネームを呼ばれて、弾かれるように声の主を見た。川沿いのほんの少し先。川の方を向くように置かれた共用ベンチに、黒いローブを纏った怪しい男が腰掛けている。


「ここ数年で数多あまたの犯罪者を監獄送りにし、王都の安全を守るクォーターエルフの有能な治安判事。確か、聞くところによると暗殺者死神に並々ならぬ恨みを抱いているとか。 

 ……いやぁ、有名人であるフランシーヌ様にこんな所でお会いできるとは。夢にも思いませんでした」

 

「…………私のことをよく知っているんですね」


 怪しい。凝った装飾をつけた黒のローブに長い長い銀髪。細く笑っているものの、その冷めた青い瞳に親しみやすさは一切感じられない。

 魔法使い。しかも、善の心を持っているとは思えないタイプの人間だ。

 フランシーヌは内心ごくりと唾を飲み、静かに返答を返す。銀髪の男は悠然と構えている。

 

「実は、わたくしソロモンと申しまして、大法官ポーレット様と関わりがある魔法使いです。その上で、ここに居れば“死神の関係者”に会えると聞きました。

 なのに、やって来たのは死神を憎む存在。これはどういうことでしょう」

「……え、死神の関係者……? でも私は……依頼を受けて……」


 は、と気づいて口を噤む。これでも金貨50枚積まれた身だ。大物商人の跡継ぎが失踪したこと含め、下手なことを口走るわけにはいかない。

 銀髪の男、ソロモンは口籠るフランシーヌを見て唇の端を上げる。 


「単刀直入に聞きます。貴女は『どちらの味方』なのですか?

 もし死神に一切肩入れすることなく、『私達』の味方になっていただけるなら…………真実をお教えしましょう」

「……そんな、それは……」


 この男が何者なのか、何の意図があるのか、今の彼女には一切わからない。だが、少なくとも彼女が死神の味方であることはありえない。せめてそれが言いたかったのに、フランシーヌが口を開きかけたところでソロモンはすぅと闇のオーラに紛れて消えた。

 

 ……幽霊? そんな馬鹿な。恐らく魔法、ではあるんだろうけど、鮮やかかつ完全に消えてみせたあたり、仮に魔法だとしてもかなり高等なのだろう。それなり以上に魔法に詳しいフランシーヌが頭を捻っても、ジャンルすら特定出来ない。

 

 ……ソロモン。かなりのやり手。そして、死神についてなんらかを知る男。

 

 なぜ消える? 彼の真意は?

 名前を出されたポーレットに話を聞くべきか?


 ウンウン考えていた所で、ふとソロモンの腰掛けていたベンチのさらに先、川沿いに肉屋があることに気がついた。

 

 庶民にとっての肉屋とは、ただ肉を売っている場所だが。彼女たちのような、ある種の危険と隣り合わせにある職業についている人間にとっては、それだけに留まらない意味合いがある。


「……肉屋さん、『急ぎの手紙』を託していいですか」


 肉屋というのは、この世で最も腐りやすい生鮮品を扱う職業だ。それ故、良い馬車に良い馬、そして最短距離を走る知識など、『急ぎの荷物』を送りたい時に最適な諸々を持っている。

 

 よって、ものすごく急ぎの連絡がある時は肉屋の手を借りると仕事がスムーズになる。フランシーヌは金貨をバンと叩きつけ、その場で手紙を書き始めた。


(とりあえず、ポーレット様と話をしよう。明日、城に来てもらえれば詳しいことが聞ける……

 死神の関係者。どういう意味かしら。私が奴の仲間だなんてありえない……)


 ガリガリとペンを走らせ、肉屋に手紙を託す。職業柄とはいえ、ペン、紙、インクを持ち歩いていて良かった。

 さて。


(あるいは──パトリック、そして彼と関わりのあるカヴァデイル家やらマールヴァラ家やらは死神の関係者なのかしら。……用心しなきゃ)


 一応金貨を受け取った以上、「彼ら」は協力者だ。しかし油断してはならない。あるいは人の良さそうな──息子想い、知人想いの顔をして、本当は残虐な人殺しかもしれない。

 ここで聞いた情報は制限して彼らに渡さねば。


 フランシーヌは青い目を瞬かせ、決意を新たにする。


 

 


 1563年 4月28日 日暮れ時


  


  

「はぁ〜〜しんど。ひっさしぶりに1日中身体動かしたなぁ」


 ホワイト宮殿3階。トントンと肩を叩きつつ、パトリックが重い足取りで長い長い廊下を歩いていく。点々と松明だけが灯る、やや暗い空間。並の人間なら広さを含め、萎縮するかもしれない。とはいえパトリックは何度もここを通ったことがある。誰も見ていないので、特に態度に気遣う必要はないだろう。

 

 エメリヒからは、通常業務が終わり次第マールヴァラ家に与えられた執務室まで来るよう言われている。これまた裏稼業でお世話になっている場所だが、まぁエメリヒとは幼少期からの知り合いだと明かしているので、細かい説明がないまま知っていてもおかしくはないだろう。


(にしても。フランシーヌ、途中全く会わなかったな)

 

 説明だ訓練だなんだと振り回されていたら、随分暗くなってしまった。フランシーヌは朝以来一度も顔を合わせていないが、場所に関してきちんと連絡が行き届いているのだろうか? 途中で迷子になっていたらどうしよう。

 

 先輩連中のふざけたシゴキを思い出してため息をつきつつ、パトリックが執務室の扉を開けると。予想外に他の3人は既に集まり、椅子に腰掛けていた。


「遅いぞ一般兵」

「まぁまぁエメリヒ様。今日が初日だったのですから、仕方ないですわ」

「やっと報告と会議を始められますね。待ちくたびれました」


 それぞれエメリヒ、サマンサ、フランシーヌの言葉である。自分が一番遅く、かつ遅刻だったのか。パトリックはがっくりと肩を落とし、傍らの椅子に腰かけた。


「すみません……先輩にしごかれてました……」

『というわけで、文句なら先輩連中に言ってくれよ。俺だってもっと早く来たかったのに』

『は? お前の言い訳とか聞いてねーから。俺と姉上を待たせる罪は万死に値するぞ』

『もうリー君。ルー君をいじめないの、ちゃんと仲良く会議しましょ』


 パチパチこそこそ、伝達魔法テレパシーで小競り合いしつつ。オホン、と咳払いで場をとりなしたのは最年長のサマンサだった。


「さて、じゃあ早速報告会を始めましょう。まずはエメリヒ様、今日の収穫についてどうぞ」


 エメリヒは姉のサマンサに弱い。やんわり話を振られると、これ以上弟をいびるのをやめた。居丈高に椅子の上で脚と腕を組み、他の3人に向き直る。


「今日、私は女王に直接謁見した。陛下の目から見て、特に怪しい人物は居ないか。近頃不穏な話はないか。まずはここから行こうと思ってな。

 結果、陛下の御目から見て自分の周囲に変化はない。親女王派に今すぐ手を出しそうな、きな臭い話もないらしい。今日のところはそんな所だ」


「じゃあ次は私ですね」


 エメリヒの言葉を受けてサマンサが静かに語りだす。


「今日の日中、夫と同じゼウス教旧宗派の貴族、トラヴィス・ハワード様とお会いしました。女王陛下の『はとこ』で、とにかくかなりの地位をお持ちの方です。ただし陛下はゼウス教新興派、ハワード様は旧宗派と、宗教的に対立しているのでその辺りを要チェック……という立場の方ですね」


 パトリックはこの辺をそれなりに把握している。当然エメリヒも。なので、サマンサの視線は自然とフランシーヌに向いた。


「結論から言うと、宗教的対立による陛下への不満も、今はとくにあちらから上がっていないそうです。陛下は強硬派だった前女王より宗派の違いに寛容ですから、宗教周りの不満は少なそうです」

「ふむ」

「………………」


 エメリヒが顎をさすり、フランシーヌが小さく項垂れる。今のところ収穫なし。そんな空気を感じ取ったのか、フランシーヌの舌は重かった。


「……次は私が、報告します。身軽な身ですから、午前中ホワイト宮殿西口から舗装道路をしばらく川沿いに辿り、何かラッセル様の痕跡がないか探してみました。

 そしたら、怪しい男に会いました。『黒髪』で、全身黒の、凝ったローブをまとっていて……ひと目で魔法使いとわかりました」

 

「ほう、そいつと会話はしましたか?」

 

「…………しました。何故か、『私はポーレット大法官と関わりがある魔法使いだ。ここに来れば死神の関係者に会えると聞いた』と言われました。その後すぐ消えてしまって──

 どういう意味でしょう。私には真意を図りかねます」

「………………」


 眉間にシワを寄せ、苦しげに言葉を紡ぐフランシーヌ。パトリックは彼女の様子を見て、怨敵死神の名を出されて心中穏やかではないのだろう。と推測したが。


『……何か隠しているな。恐らく今、この人が一番犯人に近い場所にいる』


 パチパチ、とエメリヒが伝達魔法テレパシーで話しかけてきた。サマンサ、パトリック共に小さく視線を送る。


『どういう事だ?』

 

『考えろ、このタイミングで「兄上失踪の現場」に「死神の存在を仄めかす人間」が現れたんだぞ。それはどう考えても、兄上を襲った人間。あるいはその仲間だ。

 わかるか? 「死神を倒した人間」が、死神失踪の手がかりを求めて「死神の仲間」がそこに現れると先に関知していたってことだ』

 

『『…………!!』』


 改めてフランシーヌを見つめる。心なしか彼女の顔色が悪い気がする……彼女は今、死神のことを考えている。


『正直、彼女は俺達の敵に寝返る可能性がある。父様から先払いで多額の依頼金を積まれたとはいえ、よく知らない金持ちの息子より、自分が長らく追いかけてきた死神の方がよっぽど興味があるだろう。

 

 今は情報を集める頭数として重要だが……いざとなったらフランシーヌにも消えてもらうぞ。覚悟はいいな、ルーファス』

 

『……………………。はい、兄様』


 パトリック、否ルーファスは。苦い顔で唇を噛み締めた。死神の真実に迫る者を生かしておくわけにはいかない。けれど何日か生活を共にして、フランシーヌの姉への確かな愛と、彼女の姉がいかに無実のまま命を落としたか聞いてしまった。


 知ってしまった、それだけで。

 姉に続き妹の彼女も死ぬとしたら、彼女たちの命とはなんとやるせないのだろう。


(出来れば殺したくない。

 ……こんなこと考えるの、初めてかもしれないな)


 大きく息を吸い、静かに長く吐き出す。改めて姉サマンサと兄「リオン」を見ると、2人の視線は揺らいだ気配もない。……強いと言うべきか、冷酷と言うべきか。


 



 Xデーまであと6日。



 


 

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