第08話 姉弟
1563年 4月28日 日暮れ時
重苦しい沈黙が続く執務室。暗殺者死神サイドの人間が3人。それを目の敵にする
それは死神を憎む治安判事フランシーヌにとって、心穏やかな事実ではなかった。
ぐんぐん暗くなる室内で、小さく燭台の炎が揺らぐ。沈黙を破ったのは侯爵家の長男、エメリヒだった。
「……今、私もしばし考えてみたのですが。そこで死神の名前が出てくる理由、私には解りかねますね。ですが次に話を聞くべき相手が定まりました。ポーレット大法官です」
「そう、ですね。それは私も思いました。なので、明日ホワイト宮殿に赴いてもらえるよう、急ぎの手紙を出しました。昼までにはこちらに来ると思います」
「そうですか」
そこまで話したところで、エメリヒはくるりとパトリックの方へ向き直った。
「時にパトリック。そういえば貴様の報告をまだ聞いていなかったな。何か面白い情報は掴めたか?」
「えっ……突然僕、ですか。えーと」
脈絡なく話を振られたので、戸惑ってしまう。そういえばまだ今日の話をしてなかったけれど。かと言って、特別面白い話はないと思う。
「えーと、僕が聞いた話は、特にエメリヒ様なら既にご存知のことばかりだと思います。
1週間後に鎮魂祭があること、セシル氏とダドリー氏が宮中を二分しいがみ合ってること、あと……先輩兵士から、この国の兵士なら一度は共同墓地に祈りを捧げろと言われました」
「ああ、特に目新しい情報はない……かな。私からすると」
「一応」とエメリヒが前置きし、フランシーヌとサマンサに鎮魂祭の説明をする。強いてこれを知らない人間がいるとしたら、2人がそれに該当する。あとは大した情報はなく、一般的な新人が受けるオリエンテーションに留まる。
「ふむ……では、明日パトリックは墓地に向かってもらおうか。共同墓地には管理人が居たはずだ。最近新しく死体が増えなかったか、埋めなかったか、一応聞いてみてくれ」
「わかりました」
「で、フランシーヌ様。彼についていって下さい。可能性は低いですが、あるいは墓地の管理人が今回の黒幕と直で繋がっているかもしれない。さらに相手の配下が現れるなどして魔法戦になれば、貴女の力が必要になるでしょう」
そこまで黙って聞いていたパトリック、そしてフランシーヌは同時に「えっ」と声を上げた。
「あの、ポーレット様との会談は」
「サマンサ様に行ってもらいます。舌先三寸の老人から的確な情報を引き出すなら、恐らく場馴れしている彼女の方が適任だ」
「……、はい。わかりました」
「えっ、あ、えっと……」
ぴしゃりと返されて引き下がったフランシーヌに対し、パトリックは納得がいかない。魔法戦を想定しているなら、むしろ彼女は居ない方が捗る。
『どういうことだよリオン? 俺が本気出してその辺の奴に負けると思ってるのか? なんでめんどくさい荷物を押しつけるんだよ』
『違う、フランシーヌをポーレットと会わせないためだ。今日様子見に来た魔法使いがポーレットの名を出したなら、死神殺しとポーレットはなんらかの繋がりがある可能性がある。恐らくフランシーヌはそれを知らないまま、……そうだな。最初から反女王派の思惑に操られている、と言える』
『…………!』
『とにかく、明日は仮に敵と出会ったとして、適当にあしらっておけ。お前格闘もいけるだろう』
『いけるけど』
「………………」
しばし魔法で会話していた2人は、表向きただ黙っている状態だ。見かねたサマンサがそっと助け舟を出す。
「ええと、お二人共? 何をだんまりしているのかしら……?」
「「あっ」」
「……いえ、なんでも」
口籠るパトリック、視線を逸らすエメリヒ。そうだ、今は内々で争っている場合ではない。何せ、一刻も早く長兄を助け出さなくてはならないのだから。3
エメリヒがコホンと咳をする。
「ああ、あと明日の私は。改めてセシル氏に話を聞いてみることにします。一応程度ですが……女王の視点とは別の情報が出てくるかもしれないので」
「そうね」
「では、本日はこれにて──」
解散。とエメリヒが言いかけたところで。おもむろにフランシーヌが手を上げた。
「なんですか、フランシーヌ様」
「すみません、最後にこれだけ報告させて下さい。明日時間が出来次第、知人の魔法使いを探していいでしょうか。多分この城に居ると思うのですが」
「ほう、その名は?」
「フルネームは知りません。しかし彼はソロモン、と名乗っていました。……もしかしたら。彼は私達の味方になってくれるかもしれないんです。話をしてみたいです」
「わかりました。では、ぜひ声をかけて下さい。事の詳細を話せる確率は低いですが、味方は多い方がいいですからね。
以上、他に報告はないですか?
……では解散」
これを最後に、エメリヒはサマンサとゲストルームへ。パトリックはフランシーヌと階下のフロアを目指す。
「…………なんか、えらいことになってきましたね」
「えらいこと、とは?」
「なんか……本当に、死神と会うかもしれない、みたいな」
「ああ」
暗く長い廊下。さっきの今で、この空間を黙ったまま歩くことは出来ない。パトリックは内心ドキドキしていた。
元々敵同士に当たる関係である。しかも表向き誤魔化しているが、本来フランシーヌが憎しみを向ける相手は他でもない自分。もしも、真に敵対すれば。真実がバレれば。自分は彼女を殺さなくてはならない。そんなの辛すぎる。
だったら自分は彼女の前で、永遠に「パトリック」で居たい。それが叶えばどれだけ嬉しいか。
………………。
(叶うわけ、ないけどな)
仮に長く付き合えば、いつか化けの皮が剥がれるだろう。今回を乗り切ったとして、次は? 完璧に誤魔化すことなんて可能なのか? あるいは本当に、裏の仕事中出会ってしまったら?
自分は彼女を殺すのか?
この細く白い喉に手をかけて。幼さの残る手足を折って。必死に防護魔法で抵抗する彼女を、まだ大人になれていない彼女を、圧倒的な魔法で焼き尽くすのか。
(……はぁ、気分悪。やっぱ女子供なんて殺してないと思うんだけどなぁ……。あからさまに悪党の仲間ならいざ知らず、通りがかっただけの人なんて…………)
「パトリックさん」
「ひゃい?!」
「あの、あれ貴方の先輩さんじゃないですか?」
「え!!??」
気がつくと、ぼんやりしたまま一階まで降りてきていたらしい。正面玄関と隣接したホールの向こうで、夕方まで一緒だったチャーリーが私服姿になり手を振っている。
「おーい新人〜、訓練が終わった途端居なくなるから、どこ行ったかと思ったぞ〜」
「あ、すみません先輩……知人に会いに上行ってました」
「何ぃ、上?! 下っ端のくせにヒラ兵士より上の知り合いがいるなんてナマイキだぞぉ」
ひゃひゃひゃ! と笑うチャーリー。ふと、傍らのフランシーヌに気づいたようだ。
「あれ、その女の子は? かわいーじゃん、金髪碧眼なんて麗しい、どこの貴族のお嬢さんだ?」
「あ、この方は……」
クォーターエルフなのでもう大人です、僕より年上ですよ。と紹介しようとすると。
「あの、はじめまして……お兄ちゃんが今日からここで働くって聞いて、様子を見に来ました! フランシーヌって言います!」
きゅるん♡と擬音が聞こえてきそうな、とびきり可愛い声でフランシーヌが答えた。ついでに腕をぎゅっと抱きしめられる。
え、なに、おにいちゃん……って?
(いいから話合わせてください、私外に宿取る気なんてないですよ。今夜からまた貴方を見張るんですからね、一緒に寝てくれないと困ります)
(えええ、こんな所でまで?! どうせ集団生活するんだから、勘弁して下さいよ!)
(いーえ、そんなの信用なりません。死神の名前が出てきた以上、その存在に近づいているのは確かなんです。その結果、今後私だけ城から締め出されても面倒ですし……)
(あ〜もぉ〜〜)
後ろを向きぼそぼそ話していると、すぐそこまで近づいてきたチャーリーが2人を覗き込んだ。
「なになに、きょうだい喧嘩ぁ? いいじゃん可愛いじゃん、お兄ちゃんの仕事ぶりが気になって職場まで来てくれる妹なんて」
「いいえぇ、あの、邪魔なだけなんですけど……」
「この贅沢者!」
うりうり! 隣から肘で小突いてくるチャーリーと、
「やだやだぁ、せっかく王都まで来たのに! また時間かけて田舎に戻るなんて嫌だよぉ!」
ここぞとばかりに抱きついてくるフランシーヌ。
えと、この人30歳だよな。身体こそ未発達だけど、恥じらいとか世間の知識とかは人並みに持ち合わせてるんだよな……。普通に可愛いのがまたむかつく。さぞや今まで、何度も子供のフリをして大人を騙してきたのだろう。
「ぐぬぬ……」
「いいじゃん、家族が田舎から訪ねてくるなんてよくあることだぞ。よし、ここは先輩がゲストルーム1つ借りれるよう、声かけてきてやろう。
大丈夫だよフランシーヌちゃん、お兄ちゃんと同じ部屋で寝泊まり出来るようにしてやるからな」
「わーい、ありがとうございます!」
にこやかに瞳を弧にするフランシーヌ。……怖っ。自分が言えた義理じゃないけど、普通に怖い。他人を騙し、利用し、一切悪びれもしない。何故だろう、女がそれをやると異様に恐怖を感じてしまう。
そうこうしているうちに、チャーリーは謎の使命感を発揮してずんずん城の奥に向かってしまった。暗闇に沈む白亜の城。2人は廊下に取り残される。
「……ふぅ、これでオッケー。
それじゃあまた、よろしくお願いしますねパトリックさん。今後の事を考えたら多少寝た方がいいとも思いますが、どんな状況でも私は完全に意識を手放さないと思います。簡単に逃げられると思わないことですね」
「嫌だぁ…………」
海を抱いた青い瞳がにんまりと細められる。松明の炎を跳ね返す金のまつげが瞬いて、この人はいかにも天使みたいな外見のくせして、なんて悪い表情をするんだ。
これまで大して他人と深く関わってこなかったパトリックは、これだけでたじたじになってしまう。
「さ、一緒に寝ましょうか、お兄ちゃん♡」
「ひぃ…………」
1963年 4月29日 朝
「………………」
チュンチュン。小鳥が呑気にさえずっている。朝だ。太陽が綺麗に登って、新しい朝がやって来た。石造りの部屋に、これでもかとくり抜かれたどでかいガラス窓から燦々と光が差し込んでいる。眩しい。すごく朝だ。
「おはようございます、パトリックさん! ……なんですその顔? すごいクマ……!」
「…………いや、」
てめーのせいだよ馬鹿。と暴言吐きたくなるのを必死に我慢し。
「……僕、今まで1人で寝ることが多かったと言うか、それしか経験ないので。他人の気配が気になっちゃうんですよね……
ていうか。なんでボロアパートで見張られてた時より、超絶近い距離で夜を過ごさないといけないんですかね……ちょっとは遠慮して下さい……」
手の届く距離どころか、眼の前に他人かつ異性。こんなん、意識するとかしないとかさておき単純に落ち着かない。
「いやだって。寝台1つしかなかったんですもの。そりゃあこれしかないですよね。正直、石の床って本気で冷たいですし」
「なんで! なんで! なんで?! 城に泊まるってわかってましたよね、石の上で寝る準備くらい整えてくれば良かったのに!!」
「えっ酷い。シンプルに鬼畜です」
2人は今、1つのベッド1つの毛布の中に収まっている。何故か。フランシーヌがたった1つしかないベッドに平然と潜り込んできたので、つまるところパトリックの睡眠は非常に乱れたのである。
「あっもしかして、パトリックさんてこんな私の身体にも欲情するタイプの男性でした? それは大変失礼しました、男の人って大変ですね……」
「違います、誤解なきようお願いします。単純に他人とベッドに入る経験がなかっただけです!」
「…………へぇ、てことは」
「それ以上言ったら怒りますからね……!!」
ああクソ、なんだよ突然。今まで全くこの手のイジり方してこなかったくせに。ムカツク。パトリックは紺の髪をガリガリかきむしり、精一杯(ただし怖くなりすぎないよう)睨みつける。
「……急にどうしたんですか、フランシーヌさん。今までこんな下品な事しなかったじゃないですか」
「あっ……もしかして、本気で怒ってます?」
「怒るというか、不愉快です。冗談の域超えてますよ」
そこまで言い切ると、フランシーヌのウキウキした空気が急に萎んだ。……ちょっと言いすぎたか?
「……ごめんなさい……あの……えと……。言い訳していいですか……」
「はいどうぞ」
「あの、昨日、私貴方の妹を名乗ったじゃないですか。クォーターエルフは長く童顔だし、普通に信じてもらえると思って……自信あったんです」
「はい」
「でも、いざフッツーに即信じられると、それはそれでショックっていうか……私の生きてきた年月ってなんだったんだろうって思っちゃって…………」
「…………」
「ごめんなさい、妙に悔しくて……くだらないこと言いました……許して下さい…………」
小さく小さくなるフランシーヌ。パトリックはぽかんと口を開けて、瞬きも出来なかった。
そ、それだけ?
それだけで、八つ当たりされた?
「……………………くっだらね…………」
「ひぃん、すみませんすみません!もうしませんから!!」
「いや……大丈夫です……もう怒ってないです……」
伏せた顔が上げられない。正直あまりに可笑しくて、今度はちょっと涙が出たパトリックだった。
Xデーまであと5日。
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