第22話 開戦
1563年 5月3日 朝
稜線に真っ白な光の帯が生まれ、太陽が静かに昇る。世界がぐんぐん明るくなってゆく。ラッセル捜索6日目の朝が来た。
ふざけた魔法使いクロウリーの襲撃から数時間後。朝食時を迎えたマールヴァラ家の大食堂は、家主一家全員を含め、14人以上の人間が集まり、喧騒に包まれていた。
そのうちの一人、パトリックが欠伸をしながらオムレツを口に放り込む。ふわりと甘い風味、柔らかな食感。……生きている。今猛烈に。でも、このあと死ぬかもしれない。そんなないまぜの気持ちで、黙々と食べ進める。
「ついに今日から大掛かりな戦闘に入りますね。パトリックさん、少しは寝られました?」
「はい、まぁまぁ……。万全ではないですが、延期は出来ないので頑張りましょう……」
パトリックの隣には、なんだかんだここが定位置となったフランシーヌがちょこんと座っている。あむりとパンを齧りながら話を振ってくるので、パトリックはため息混じりに返事を返した。
ああ、気が重い。いつもの
というのも。
この世界は基本、魔法が人間を動かしている。魔法を操る者が絶対的に強く、権力を手にし、良い暮らしを送れる。そのルールが浸透した結果、「偉い人間ほど強い」という構図が生まれた。つまり、女王に次ぐ権力を持っているダドリーは、相当強い。
一方のパトリック(ルーファス)は、実の父こそ貴族の血筋だが、母は庶民の出身。魔法の才能が
結論、ダドリーは明らかな格上だ。その強敵相手に、どう立ち回るべきか。
(つっても、ビビらなければ三対一。勝てる。勝てるはず)
なんとか自分に言い聞かせ、強く頷く。
それでもなお、酷く不安で。
(いやだなぁ……)
パトリックは死んだ目でウインナーを齧った。
だが時は無情。
準備の時は、朝食をとったらすぐだ。
魔力、スタミナを上げる
「神の加護がありますように」
手の甲に押された大きな判。これら全て、侯爵にして叔父であるゲーアハルトからの激励の品だ。
支度を整えたパトリックが、くるりと一回転して黒いローブの具合を確かめる。よし、長すぎず短すぎず。丁度身体を守ってくれそうな丈だ。隣では同様に、白いローブを着込んだフランシーヌが
「その手に押した判は、簡易魔法陣だ。敵性魔法を弾く効果がある。命綱代わりに使ってくれ。それから、そのローブは各属性の魔法に対抗する力を持っている。最悪の状況になったら、それをすっぽり被るといい」
「ありがとうございます」
燦々と陽光が差し込む玄関ホール。高い天井、美しい天窓の下立つ三人は、さながら一つの部隊のようだった。後方にイルムヒルデと冒険者たち、待機命令を下された影の一族三人、ゲーアハルトの妻。計11名が見守る中、エメリヒが一歩前に出る。
「では父上、行ってまいります。父上もご武運を」
「ああ。……エメリヒ」
そこで、ゲーアハルトがきつく彼を抱きしめる。高身長の男性同士故、あるいはそれは奇異な行動にも見えたが。エメリヒは茶化すことなく、静かに抱擁を受け入れた。強くその背に腕を回し、
「大丈夫。きっと生きて帰ります」
「頼んだぞ」
その言葉を合図に、パトリックは死神ルーファスへと姿を変えた。ここを翔んだら、そこはもう戦場かもしれない。気持ちを引き締める。
「さあ、最後の確認だ。これから宮殿に戻るが、その際
エメリヒ、パトリック、フランシーヌ様はダドリーを。私はクロウリーを討つ。
イルムヒルデと冒険者諸君は中庭へ行き、鎧の山からラッセル様を探す。見つけ次第サマンサ様の元へ送るように。
ハイデマリー、サマンサ様、レイモンド様はカヴァデイルのお屋敷へ。怪我人、死者があればその回復を。我らが全滅したら、第二陣として援護をお願いします」
「はい」
ゲーアハルトの言葉にそれぞれが返事をし、確認を終えたところで。
「では各位気を引き締めろ。跳ぶぞ」
指揮官たる彼が、すっと手を上げた。
さあ。決戦の時。
ルーファスが、フランシーヌが、そしてエメリヒが身構える。
〈
すわ、と景色が溶ける。
ここでビビっていたって仕方ない。腹をくくれ。
景色が変わったら即戦うと思え。
改めて決意を胸に秘めて。
〈……ザーコ〉
声が聞こえた。これはクロウリーの声。……えっ?
〈ザーコザーコ! もひとつザーコ!!〉
バッとルーファスが視線を上げると、そこはぽっかりと天井の空いた空間。いや、半屋外。
上部が焼け落ちたダドリーの執務室に、クロウリーが待ち構えていた。隣にはダドリーの姿。……クソ、これはいっぺんに相手しないといけないのか? とりあえずエメリヒとフランシーヌの姿を確認する。二人共ちゃんと居る。転移は失敗じゃない。どうなってるんだ。
内心うろたえるルーファスの前で、クロウリーが満面の笑みを浮かべている。その声音は酷く楽しそうだ。
「やぁいらっしゃい。俺達の愛しいホワイト宮殿へようこそ。ここは執務室に見えるがそうじゃない。見た目こそそのまんまだが、その実音もエネルギーも視界すら外に通さない。半分だけずらした亜空間なんだ、わかるかい?」
「宝物庫前の仕掛けを作ったのは貴方ですか?」
「まぁね。あの時は完全にしてやられたけど……今回は術者の俺がついてる。あの時のようなヘマはしないから、覚悟してくれよな」
あの時のヘマとは?
エメリヒが視線で問うているが、簡単な話だ。ルーファスは拳を握りしめ、二人を睨みつける。
「そうだな、あの時は壁が全反射だった。おかげでソロモンがでかい技使えなくて困ってたぜ」
あの日、ソロモンと戦った時。彼が後半ふっと攻撃の手を緩めたのは、自分の術が跳ね返ってくるのを恐れたからだ。おかげで、省エネ戦法のこちらが優位を取れた。だが、今回はそんな姑息な手は通用しない。クロウリーはそう言っている。
「ま、そんなわけで〜、今回はそこを改良しました。ここでぶっ放した魔法はこの空間を出ていくけど、現実の空間には影響を及ぼさないように調整。全力バトルを完全サポート!
いやぁ大変だった。伸ばすとか反射を貼るとかそんなチャチな作業じゃないから。頑張っちゃった」
「…………馬鹿馬鹿しい」
「そうか? これで俺もお前らも、全力出せるじゃん」
ぼそりと吐き捨てたエメリヒの声を、クロウリーは聞き逃さなかった。すう、とその手が光る。
「!」
〈戦略の女神アテーナーよ、我らに守護を!
〈モエロ!〉
フランシーヌが一足先に詠唱を始めたおかげで、なんとか間に合った。ぱぁ、と眼前が光り、巨大かつ眩い光の盾が宙に出現する。自軍三人が入ってなお遥かに余りある大きさのそれは、直後に降ってきた炎の渦を見事に受け止めた。
だがクロウリーは笑っている。
「こんなモン! 叩き割ってやる!!
ぐぐ。炎の渦が膨張していく。クロウリーの魔法はまだ全力じゃない。ソロモンのように、もっと大きな魔法を撃つ余力があるのだろう。
だが。
咄嗟に不安そうな顔を浮かべたフランシーヌを見て、エメリヒがパンと彼女の肩を叩く。その顔には余裕すら見て取れる。
「臆するな、今日は私がついている。貴女は全力で味方を援護することだけ考えればいい。見てろ」
「……!」
思い返せば、エメリヒとフランシーヌの出会いはいつぞやの夜道、死神とそれを恨む者、という形だった。そのエメリヒが今、ついに仲間として魔法を放つ。その実力は。
〈
ガ ゴ ォ ン !!!!
耳をつんざく轟音が響いた。視界が全て光になったような、無数の雷が眼前から上空に伸びる。そのうちのいくつかがクロウリー、ダドリーに直撃。さて、どれくらいの威力が出るのか。
「あっ……?!」
目を丸くするルーファスたちの前で。クロウリーの身体がふわりと傾ぎ、音もなく床に倒れ伏した。えっ、魔法効いてる……死んだ? それとも死んだフリ?
いや。
「死んでない……!」
ここからが本番だ、と言いたげに空間が拡張していく。広く、広く。あっという間にダドリー(見事にピンピンしている)とこちらの距離が開き、余裕で走り回れるほどの空間が完成した。
おかしい。術者が死んだら、亜空間などの存在は消えて無くなるはずだ。なのに今これが出来たということは、クロウリーは死んでいない。
「……どういうことだ?!」
エメリヒが残されたダドリーに問う。すると今回の主犯、巨悪の根源はようやく口を開いた。
遠目ながら自信満々で、やたらに楽しそうだ。
「どうもこうも。
例えばマールヴァラの御子息。この世に魔法の属性はどれだけあると思う?」
「は? ……さぁ、百は超えているらしいが」
「そうだ。確認出来ているだけでもそれだけある。そして、限定的だのマイナーだのレアだの。そういうのまで含めたら千を超えるのではと言われているんだ」
「それがどうした」
「……なぁに。この世には、変わった魔法を使う奴が沢山居るという話だよ」
ダドリーがにんまり笑った瞬間。
〈ナガレボシ!〉
「「「!!!」」」
ドドドド、と音を立てて光の雨が降ってきた。まるで先程の雷の意趣返しのようだ。止まぬ雨は流れ星と名付けられ、光のカーテンとなって天から降り注いだ。動けない。フランシーヌが作った盾の範囲から出られない。さすがにこんな高密度の攻撃は見たことがない。それなりに対魔法使いの戦闘経験のあるルーファスも、これには酷くたじろいだ。
「おいエメリヒ、どうすんだよコレ。てゆかクロウリーは」
「
「マジすか」
あくまで迎撃続行。男二人はローブを翻し、ダドリーを視界に捉えた。
〈
〈
エメリヒが激しく放電する巨大な雷人を呼び起こし、一方ルーファスは神速の速さでダドリーを狙う。2つの魔法が光の雨を抜けてダドリーに迫ると、
〈
ダドリーから生まれた青いオーラがすぅと質量を帯び、巨大な髑髏となってこちらに向かってきた。3つの魔法がぶつかり争い、激しく霧散する。とりあえずこの魔法における勝負は互角だ。
だがエメリヒはこの結果がご不満のようだ。表の顔をすっかり忘れた様子で、行儀悪く盛大な舌打ちをした。
「チッ、大分相殺されちまった。出力低いなお前」
「余計なお世話だ、用途が違うんだよ」
「やっぱ援護してるクロウリーを探さないと駄目か……」
360度、3人を囲む光の雨が止まない。ルーファスがちらと後ろを振り返ると、フランシーヌは必死に盾の呪文を唱え続けていた。どうやら敵の魔法がどんどん強くなっており、何度も防護の魔法を上書き、強化しないと防げないようだ。
完全にこの場に縛られている。
『おいルーファス、お前回復魔法使えたか?』
『んーまぁ……小さい怪我なら治せる、くらい』
『なんだよクソじゃん、使えねーな』
『俺より下手くそな奴に言われたくねーよ』
ここでエメリヒが
それを防ぐためには、せめて片方は倒さなくては。
「よし死神、お前前へ出ろ。体張ってクロウリーを探してこい」
「マジかぁ」
「いけるいける、ちょっとなら」
「わーったよ」
仕方ない、多少の怪我は目をつむるしかない。ルーファスはローブのフードを被り、すっと身体を起こした。見たところ、この魔法はダドリーを避けつつある程度広い範囲で降り注いでいる。なら、クロウリーはその外に居るはずだ。
(…………待てよ)
シンプルに考えて、遠くに居てダドリーの居る範囲だけ魔法を展開させないのは面倒くさいな。もしかして。
なんとなく、光の盾越しに。ルーファスが空を見上げると、居た。クロウリーがダドリーの真上に浮かんでいる。そうか、あいつ空飛ぶ魔法使えたもんな。そういうことか。
「見つけた。上だ」
「よし、行って来い。転移駆使すれば空中戦もいけるだろ」
「言われずとも」
〈
一瞬で上空に移動し、クロウリーの真上に出る。彼は全くこちらに気づかず、真下を眺めている。この僅かな間。ここで少しでもこいつに攻撃を入れられれば、こっちが有利になる。仕留めろ!
〈
なるたけ早口で呪文を唱え、クロウリーの心臓を狙う。例え弾かれたとしても、こいつの気を逸らせるのはでかい。当たれ! ルーファスが祈っていると、
「!!」
見事に撃ち抜いた。いや、変だ。例の魔法無効化アイテムはどうした。ましてやあんなに強い奴が──
「上だよザーコ♡」
「!?」
〈フットベ!〉
クロウリーの声が、頭上から響いた気がした。しかし次の瞬間、一気に上から押されて床に叩きつけられる。風の魔法だ。痛い。めちゃくちゃ痛い。
(くそ、初撃なのになんでこんなに痛い?!)
かなり強力にバフを盛り、少なくとも初撃は防げるよう備えていたはずだ。なのにこのダメージはなんだ。生きてこそいるが、頭を打ってクラクラする。なんとか身体を起こしたルーファスの顔面を、何かが撫でていく。ぼたりと落ちたそれは、真っ赤な血だ。
「なッ…………」
「あはは、さっき一番最初に会った時『バフ剥がし』かけたじゃん。そっちはやってなかったな、だから差が出るんだ」
「………………」
バフはがし? なんだっけ?
目の前にクロウリーが立っている。あくせく攻撃してこないのは、余裕があるからだ。その彼がじゃり、と音を立てしゃがみこんでくる。ふわりと白いローブがひらめき、エメリヒとフランシーヌが居る場所は少し遠い。そんな状況で。クロウリーが笑っている。
「さぁて、俺の使ってる魔法は。殺しても殺しても復活するこの属性は、一体なんでしょ━━かっ。これがわからないとお前らに勝ち目はないよ。だから当ててみな。精々無い頭捻って足掻け」
「…………上等じゃん」
〈
小さく回復魔法を唱えたルーファスは、ぐいと目元の血を拭った。
1563年 5月3日 午前
コツ、コツ、コツ。硬質な靴音が静まり返った宮殿内に響く。昨日、散々暴れたからだろうか。余りにも各居室の中に人の気配がない気がする。まぁ、避難なりなんなりしてくれているなら助かる。これからあるいは、あちらさんが高威力の魔法を振り回すだろうから。
(そろそろ姿が見えるはずなのだが……)
靴音の主は、息子と甥にダドリーを任せたゲーアハルトだった。黒いローブを靡かせ、誰もいない廊下を歩いていく。彼の結界、探知魔法によれば、あと20メートルほどで強い魔法使いと出会うらしい。
ダドリーの位置は掴んでいる。その他宮殿内の主要住人たちも。だが、この反応は不自然だ。否。わかっている。これはクロウリーだ。こんな所で戦場のダドリーから離れ、一人何をやっているのだろう。
角を曲がる。……居た。白いローブ、褐色の肌のクロウリーが。彼はにんまりと微笑んだ。
「…………あら、見つかった」
「かくれんぼのつもりか?」
「いーや…………ずっと、待ってたんだ」
〈ザァコ♡モエロ!〉
2連続。バフを剥がす魔法、炎の魔法を立て続けに放ったクロウリーは、しかし。
「!?」
「効かんな」
炎の渦に飛び込み、至近距離まで詰め寄ってきたゲーアハルトの姿に、本気で度肝を抜かれた。その手には輝くナイフ。魔法的な装飾も一切ない、ただのナイフを携えてきたことに、とにかく目を剥いた。
「な、なんでっ」
〈ザーコザーコザーコザーコ!!〉
「それはバフ剥がしか? 私は元よりそんなものかけていない。貴様を完璧に捻り潰すために、他の準備をしてきたのだ」
「な、な…………ッ」
長袖の黒いローブを纏ったゲーアハルト。その袖からちらりと覗くのは、真っ赤なインクで描いた防護魔法陣だ。
「えっ、人体魔法陣!! 古ッッ、今それ誰も使ってなくね?! ダッサ!!」
思わずげらげら笑ったクロウリーだったが、その笑いはすぐに引っ込んだ。
これをあのあと描いたなら、恐らくこいつはほぼ寝ていない。当然今、酷く眠いだろう。命をかけた戦いに向かうのに、不利益を自分に与えるとは酔狂が過ぎる。
だが彼は、そこまでして勝ちにきたのだ。
魔法完全無効を誇るクロウリーを確実に殺すために、様々な事を犠牲にしてきたのだ。
腰を落とし、長い手足で構えたゲーアハルトのナイフはすこぶる切れ味が良さそうだ。その目がしっかとクロウリーを捉えている。
「私の評判などどうでもいい。可愛い娘が被った数々の苦痛、ここで返させてもらう。
覚悟しろ、クソガキクロウリー」
「ヒェ……」
クロウリーが無様に切り刻まれるまで、あとどれ程か。
Xデーまであと1日。
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