第21話 覚悟




 1563年 5月3日 深夜



 

 けたたましい鐘の音に起こされたルーファスが屋敷の玄関ホールに向かうと、そこには同じように起き出してきたマールヴァラの一族が揃っていた。ゲーアハルト、エメリヒ、ハイデマリー、イルムヒルデ。フランシーヌという監視の目があるサマンサと違い、彼らは転移の魔法を使い放題なので、移動は早かった。


 集まったマールヴァラ家四人のうち、女は寝間着、男は比較的きちんと服を着ている。この事態に備えていたのか。さすがと言うべきか。

 ルーファスがゲーアハルトを見る。


「……叔父様、今の鐘は」

「結界を抜けるような奴が玄関前に立っている。恐らくクロウリーだ」

「扉を開けたら一斉攻撃でいいですか?」

「かまわん。ただしイルムヒルデはデバフを唱え続けろ。これで攻撃が入る」


 その言葉に、じり、と構える一同。ゲーアハルトがすいと手を上げ、扉に向ける。


「カウント3で開ける。3、2、1──」


 〈     !!!!〉


 指一つ触れず外に開いた扉に向かって、全員が各々呪文を唱える。瞬間、一気に高エネルギーがそこに放出され、眩いばかりの光がその場を照らした。

 だが。


「無駄だよ」


 男は、クロウリーは、平然とその扉をくぐってきた。イルムヒルデは未だに何かの呪文を唱え続けているのに。全く動揺すらしていない。


「残念だけど、俺にはこれがありまーす。はい、『他者からの呪文完全無効化アイテム』。だから魔力の無駄遣いはやめたら?」


 白い髪、白いローブ、褐色の肌。彼が衣類の隙間から指を二本使い抜き出したのは、非常に高価だが実在するという「魔法完全無効化」の首飾り。これにはさすがにこちらも動揺した。


「そっ、それは!」

「魔法使いと戦うなら必須だよなコレ。というわけで、俺は無敵。その上で皆さんにお話があります。


 禁書を返せ。これを突っぱねたら今すぐラッセルの死体を燃やしてやる」


「?!」


 一瞬固まるマールヴァラ家の一同。それを横目に、ルーファスはクロウリーの背後に「跳んだ」。瞬間転移魔法の応用だ。仮に魔法が効かずとも、ルーファスには格闘技がある。こういう場面が来た時のために、彼は己を鍛えてきたのだ。


 ゴッ……!


 クロウリーの背後に出た彼は、見事なハイキックで彼の首元を蹴り飛ばした。近接技が飛んでくることを想定していなかったクロウリーは、見事かつ無様に吹っ飛ぶ。ドシャンと床に倒れた。


「どーだ、効くだろもやし魔法使い。俺達が魔法一本で食ってると思ったか」

「……ふふ、はは、面白いじゃん」


 一応、物理に対する守備力もそれなりに上げてあるようだ。クロウリーはよろめくことなく、即座にむくりと起き上がった。砂のついた顔を拭い、不敵な笑みを浮かべている。


「悪いけど、俺を殺しても無駄だよ。朝までに俺があっちに戻らなかったら、その時点で交渉は決裂。ラッセルの死体は燃えることになってる」

「なっ…………」

「お前らはもう詰んでんだよ。大人しく禁書を渡せ。それしかお前らが選べる道はない。

 それとも、この屋敷をまるごとふっ飛ばしたらビビってくれるか? こっちは魔法使い放題なんだぜ」

「………………」


 ゲーアハルトがいかめしい顔つきで黙り込む。禁書を渡すか否か、揺れているのだろうか。しかし彼は、すぅと息を吸い込みはっきり口にした。


「愚かな。我々はそんな安い脅し文句に屈したりはせん。ラッセルを燃やす? 好きにしろ。奴の父から既に了解を得ている。本人も特殊な家系に生まれたことを理解している。今更復活などなくとも、恨むことはないだろう」

「……へえ、じゃあ死体はこっちがもらってもいいんだな。復活、洗脳して手下にしちゃおうかな」

「…………だとしても、世界の危機とは引き換えに出来ん」

「あららぁ、随分冷たい仲間達なんだなぁ」


 このあたりでサマンサとフランシーヌ、レイモンドが到着した。息せき切って状況を把握しようとする三人に、エメリヒが何事か説明している。さて、役者は揃った。この道化をどうしてくれようか。

 ゲーアハルトがクロウリーを睨みつける。その眼は凛と強く、獅子の咆哮のごとき迫力だ。


「我々の覚悟を舐めるな。影の一族と呼ばれるマールヴァラ家一同、盾、矛の一族が居ない今、国と女王を守れるのは我々のみと心得ている。生半可な脅しで禁書クラスの劇物を渡すと思うな」

「…………」

「朝までに戻らなければラッセルを燃やすと言ったな? なら、私には集団転移の魔法がある。今から全員で宮殿に戻り、ダドリーに総攻撃をかけてもいいのだぞ」

「…………ひゃあ、おっかない」 


 そこで初めて、クロウリーは困ったような表情を浮かべた。最も、それでも笑っているふざけた奴だが。彼なりに何を言っても駄目なようだ、という空気を感じ取り、両手をササッと上げる。


「そうかぁ、ラッセルが交渉材料じゃ屈してくれないかぁ」

「ああ、ぬるいな。大人しく宮殿へ帰れ。私達も人間だ、睡眠は重要だと思っている。万全の状態で戦うため、開戦は夜明けを迎えてからにしてやる」

「……………………」


 ゲーアハルトの強い視線、強い言葉に。クロウリーは不愉快そうな視線を向けた。気に食わない。その顔が言っている。


「…………わかった、じゃあ」


 諦める。そう言うのかと思った瞬間。


「対象を変える」

「?!」


 気づいた時にはもう遅かった。一瞬の油断が敗北に繋がるのだと、この時ほど感じたことはない。ルーファスが、ゲーアハルトが、その場の全員が唇を噛んだ。


 クロウリーは、ハイデマリーの身体を拘束していた。そのままビュンと屋外に飛び出す。一同は慌ててそれを追いかけるものの、正直成すすべがない。

 ざわざわと風、そして闇が彼らを包み込む。


「おっと、もっかい言うけど俺に魔法は効かない。下手なことするとこいつが死ぬからな」

「…………は、同じことだ。誰を人質にしようが我々は屈さない」

「うん、そうだな、知ってるよ」


 だから。クロウリーは、狂気的な笑みを浮かべて懐からナイフを出した。流れるようにハイデマリーの胸を貫く。その胸元から真っ赤な血が溢れ出す。一言の宣言も脅しもなく、一瞬の出来事だったので、咄嗟に誰も反応出来なかった。


「……ッ!!」


 ルーファスが慌てて駆け寄ると、


〈モエロ!!〉


 バッ、とクロウリーの周囲が燃えた。丁度円の形。彼とハイデマリーを取り囲むように、炎が火柱のごとく渦を巻いている。辺りが一気に明るくなり、それはいっそ荘厳な光景だった。だが、この凶行を許すわけにはいかない。イルムヒルデが鎮火のための魔法を唱える。


消滅エクスティンクシオ!〉

〈モエロ!〉

 

 一瞬で鎮火するものの、即座にクロウリーの炎が燃え盛る。速い。これではいたちごっこだ。


「何度でも消してみせろ! その間にこの女は何度でも! 死ぬ!! ヒャハハ!!!」


 バチバチと音を立てて渦を巻く炎に阻まれ、中の様子はわからない。ただ、ハイデマリー本人の伝達魔法テレパシーだけがあちら側の様子を伝えてくる。その声は酷く苦しげだ。


『駄目、私のことはもう見捨てて……! こいつが飽きるまで、玩具になっていいから、だから、禁書はッ、渡さないで……!』

『シーラ!!』

「いやっ、ああ、あああああ!!!!」


 ゴウ、と一際強く炎が上がった。まさか。全員が呆然と見つめる中。

 炎が消え、クロウリーが立ち上がる。その腕には真っ黒に焼け焦げたハイデマリー、本名シーラの、身体が。


「………………!!!」


「俺は自分で自分を守れるからな。こういうことも出来る。あ、ついでに蘇生も出来るぞ。蘇生法がなんだ、俺は何度でも。お前らの仲間を殺せるんだ」


 「イキロ」。クロウリーが唱えると、ぞわぞわとハイデマリーの身体が修復していく。黒い皮膚がピンクに色づき、血をまとい、泉が湧くように皮膚が再生する。最終的に素っ裸の姿になった彼女は、ぜいぜいと息をした。


「さて、次はどう殺そうかな。目ん玉いこっかな。目、目、鼻、口、耳2つ。全部穴開けてやろうな」

「貴様ッ……」 

「嫌なら禁書持って来い。俺は本気だ」


 クロウリーがぐいとハイデマリーの髪の毛をひっ掴み、立ち上がらせる。パチパチとぜる残り火に照らされた裸体の彼女は、苦しげに呻くも未だ気丈だ。


「父上、駄目です! 私は耐えます、禁書だけは!」

「ぐ…………ッ」

「もう家にお帰り下さい! 根比べをすれば良いだけです!」

「………………ッッ」

「揺らぐな! 影の一族なのでしょう?!」


 ハイデマリーとゲーアハルトの一方的な問答が続き、それを見つめるクロウリーはご満悦だ。にんまりと唇を歪ませる。


「おっ、やっぱ娘の可哀想な姿は効くなぁ!」


 そして躊躇なく、彼女の瞳にナイフを振りかぶり──


「待て!」

「おや?」


 ゲーアハルトが叫んだ。ピタリと止まるクロウリー。ハイデマリーはじたばたと暴れ、全身で抗議した。


「父上! 屈するな! 世界の危機より娘の安全を取る気か! 見損ないますよ!!」

「………………」

「どうする? 可愛い娘と世界の安寧。どっちが大事だ?」

「父上!!」


 あえて愉快そうに煽るクロウリーの姿、さすがに外道と呼ばざるを得ない。そんな彼の前でたっぷり悩みぬいたゲーアハルトは、しかし。がくりと膝をついた。


「…………しばし待て」

「父上!!!!」


 そのまま消えたものだから、残された面々はさすがに驚いた。禁書を、渡すのか。いや、気持ちはわかる。わかるけども。ハイデマリーが狂ったように叫んでいる。


「やめろ! 私達はなんのために、どんな苦痛でも耐えろと教えられたんだ! 父上! 最低だ!! 私の覚悟を踏みにじる気か!!!」

「あーもーうるさいな〜〜」


 クロウリーが狂犬ばりにギャンギャン吠え騒ぐハイデマリーの腕を捻っていると。スン、とゲーアハルトが現れた。手に禁書を持っている。


「……ゲーアハルト様、本気ですか。私達は、その命令に従わなくてはならないのですか」

「……すまない、サマンサ様。これを、我らの総意としてくれ」


 ゲーアハルトはサマンサの静止も振り切り、喉から声を絞り出し。ポンと草むらに禁書を放った。クロウリーが満面の笑みを浮かべる。


「やったーありがと! はい娘さん返す!」


 ドンとハイデマリーを突き飛ばすのと、彼の魔法が禁書を捕らえるのは同時だった。は、とルーファスが気づいた時には、クロウリーは既にしっかり手に禁書を掴んでいた。

 ああ、今の一瞬の間をついて早撃ちで禁書を取り返すべきだったろうか。

 後悔の念と共にゲーアハルトを見ると、彼はうずくまり、こちらを見る余裕などないようだった。


「すまない、すまない…………ッ、至らない父で、お前の気持ちを無下にして……!」

「………………あ、呆れました…………私は永遠に死ぬ覚悟すらあったのに、貴方に娘を殺す覚悟がなかったなんて……! 最低! 最悪!! 今すぐ家督を兄上に譲ったらどうですか……?!」

「許せ、ハイデマリー!」


 静かにいかる娘に、父が事実上土下座している。そんな二人を眺めていたクロウリーは、やがてひらひらと手を振った。


「ま、親子喧嘩はこれから仲良くやって! じゃーな!」


 離脱。ひゅ、と高く高く飛び上がり、やがて見えなくなった。飛翔の魔法だろうか。これから宮殿まであれで帰るとは、ご苦労なことだ。


 ……ああ。行ってしまった。

 真っ暗闇に、重苦しい空気が残される。

 

 未だ拳を握りしめ、足を踏み鳴らすハイデマリーに、エメリヒがそっと近づく。その声はただ静かだ。


「……………………ハイデマリー、落ち着け。気持ちはわかる。だが、ザカライア様が全指揮権を父上に託すと言ったんだ。私達はこれに従わなくては」

「兄上は! こんな形で禁書を失って悔しくないのですか! 私は悔しい! 父上を軽蔑する!!」

「……父上、どうですか。貴方はあんな安い脅しに屈し、みすみす禁書を渡すような人間なのですか?」

「…………?」


 一同が、一斉にぽかんとした。エメリヒは何を言っているんだ? すると、ゲーアハルトがゆらりと身体を持ち上げる。


「もちろん、ただでそのまま渡したわけじゃない。そこまで私は……当主の自覚がないわけではない」

「……と、言いますと?」

「あの禁書は、夕方ある程度目を通しておいた。その上で、先程復活の儀式の手順を書いたページを一部破り捨てた。

 結果、封印がどうなるかはわからない。だが、封印解除の儀式に関する記述が欠けていれば、ダドリーの目論見は失敗する可能性が高いだろう」

「…………!」


 言葉を失う一同の前で。ゲーアハルトが深々と頭を下げる。


「これで私の失態を帳消しに出来るなどとは毛頭思わない。娘の尊厳と世界の危機を天秤にかけ、その上で賭けに出て心から申し訳ない。だが結論から言うと、あの禁書は不完全だ。現状、奴らは禁書の形をした紙の束を持っているに過ぎない」

「父上……!」


 彼が語ったのは、正直ヤケクソに近い苦肉の策だった。だが、まんまと敵の手に完全な禁書を渡すよりは遥かにいい。それを聞いた面々は各々息を吐き、フランシーヌがぺたんと地面に座り込んだ。心身共に鍛えられた影の一族ではない彼女は、今夜の出来事がさぞや恐ろしかったことだろう。


「とりあえず……最悪の状況は防いだ、ってことでしょうか…………」

「一応、そうだ。と言わせてもらいたい。心配をかけてすまない」

「そう………………ですか……………………」


 この言葉で心底ほっとしたのは、フランシーヌだけではない。次に緊張の糸が切れたのは、末妹イルムヒルデだった。ぐうっとしゃくりあげ、裸のハイデマリーにすがりつく。


「姉上……ッすみません、至らなくて……ッ! 助けてあげられなくて…………! 私が、弱いばかりにぃッ…………」

「いいのよイルム。貴女が悪いわけじゃない」

「僕も……すみません……何も出来なかった……」

「レイモンド様だって、下手に手を出して死ぬよりは良かったと思いますよ」


 ちびっこにたかられるハイデマリーを見て、ルーファスもようやく一息ついた。とりあえず、大丈夫と聞いて。どっと心の疲労感が襲ってくる。


 大丈夫。とにかく敵を撃退したのだ。あとは次の戦いに集中するだけ。


「…………皆。これで、納得しただろうか。私はまだ皆に指示を出せる立場だろうか」


 そこでゲーアハルトがおずおずと声をかけてくる。ハイデマリーはぐるりと振り返り、養父ちちの前に仁王立ちになった。


「正直、父上のことは全く許していません。しかし、考えなしの大馬鹿者でもないとわかりました。

 ……イチ娘として問います。明日、いえ、日が昇ったら。父上が、あの糞野郎を始末して下さいますね?」

「……ああ、言われずとも。先に述べた通り、あいつは直々に私が殺す。腕によりをかけて、念入りに」


 娘の問いを受けて、ゲーアハルトが自信満々に答えるものだから、ルーファスは少し驚いた。こちらの魔法無効化プラスあんなに強力な魔法を軽々使いこなす相手に、魔法一辺倒で育ったであろう叔父は打つ手があるのだろうか。


「あの、ゲーアハルト様、お言葉ですが……あいつにどうやって勝つおつもりで……?」


 思わずルーファスが小さな声で問うと、ゲーアハルトは。怒りと憎しみとあらゆる負の感情を練り上げたような視線で彼を見た。あまりの迫力に、黒いオーラすら立ち昇って見える。


「──ナイフだ。私はこういう事態に備え、きちんと物理戦闘の技術を習得している。あいつの魔法に関しては、全身に魔法無効化の魔法陣を描き込んで対抗する。この際、不格好だなんだはかなぐり捨てる。可愛い娘の弔い合戦にプライドなど要らぬ」


 ギラギラと輝く瞳。ルーファスは彼が憎しみを燃やすクロウリー本人ではないが、ヒュッと全身が冷えてしまった。


 こ、怖い……。これまで魔法習得に心血を注いで育っただろう人が、その全てを捨てて物理で挑もうとしている……。これは、すごいことになるぞ。


「え、えっと……頑張って、下さい……。俺達もがんばろーな、エメリヒ……」

「そ、そうだな、頑張ろう、な…………っ」


 あまりの迫力に、うっかりエメリヒと手を取り合ってしまうルーファスだった。


 


 

 微かに残るクロウリーの火が、パチパチと音を立て漆黒の森を照らす。未だ完全には好転しない状況の中、彼らの奮闘は実を結ぶのだろうか。





 Xデーまであと1日。

 

 


 


 

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