スーパートリプルラッキーラクダ

 一方その頃、部屋では春奈が圭太の卒業アルバムを眺めていた。

 圭太としては、恥ずかしいと言えば恥ずかしいが、別に見られてはいけないものが映っているわけでもない。それとは別になっている、卒業文集さえ読まれなければ特に問題はないだろう。

 アルバムのページをぱらぱらとめくりながら、春奈が口を開く。


「近藤君、今とあんまり変わってないね」

「そりゃあ、まだ半年くらい前のやつだし」

「そっかぁ、そう言えば私たち、中学校卒業してまだそれくらいしか経ってないんだよね……」


 しみじみとしながらも、ページをめくる手は止めない。律儀におすすめ写真の選定を行っているらしい。


「もしかして近藤君、あんまり映ってない?」

「友達少ないし、いつも目立たないところにいたから」

「むむ、これは作業が難航しそうだね」


 きりりとした表情になり、より真剣に「作業」に没頭していく春奈。圭太は妙なことに一生懸命になるなあと、笑顔でため息をつき、それを見守った。

 更に何枚かページをめくったところで春奈が顔をあげると、明るい表情で手招きをしながら口を開く。


「ねえねえこれ。隣にいるの南君?」


 勉強机に座っていた圭太はそこから離れ、春奈の隣に腰をおろす。アルバムを覗いてみると、それは修学旅行中の何気ないワンシーンを切り取った一枚だった。

 二人共リラックスした自然な笑顔を見せていて、圭太は右手でピースを、明は右腕を圭太の肩に回して左手でピースを作っている。どこかへ移動する最中だったらしく、身体がやや進行方向を向いているのでそこまで映りがいいとは言えない。


「そうだよ。何してる時かはちょっと覚えてないけど」

「へー。この写真買った女の子とかいそう」


 修学旅行直後の写真販売のことを言っているのだろう。

 恐らくこの写真も販売されていただろうし、圭太よりも明の方が大きく映っているので、春奈の言っていることも、もしかしたらあったかもしれない。


 しかし、やはり明か……。

 脳裏に浮かんだ言葉に、圭太は慌てて首を横に振った。親友で、圭太を全力で応援してくれている明に嫉妬するなんてどうにかしている。

 その一枚が気になるのか、春奈は微笑を浮かべながら眺めつつ、ぽつりとつぶやいや。


「二人って本当に仲良しなんだね」

「そう見える?」


 ただ笑ってピースをしているだけの、何の変哲もない写真だ。


「うまく言えないけど、近藤君っていつもはこんな風に笑わないし」

「え、俺?」


 まさか自分のことに触れられると思っていなかった圭太は、素っ頓狂な声を出してしまった。

 春奈もそれに驚いたようで、動揺しながら尋ねる。


「私、そんな変なこと言ったかな?」

「ああ、ごめん。こういう写真を見ると、大体皆明のことに触れるから」

「だって私、南君とちゃんと話したことないし」

「あれ、そうだっけ」

「そうだよ」


 明はたまに圭太のところに来る。

 その際、春奈に挨拶をしているのを見たことはあるが、会話はしていなかったのだろうか。言われてみればそんな気もする。


「だからこの写真を見た時、南君はよくわからないけど、近藤君はいつもと雰囲気違うなって思ったの。きっと、南君と居る時は、すごくリラックスしてるんだなって」


 そう、明は小さい頃からの腐れ縁で、幼馴染で……親友なのだ。

 圭太は先ほど、一瞬とは言え明に嫉妬しそうになったことを改めて恥じた。そして大切なことを再確認させてくれた春奈に感謝の気持ちを述べる。


「杉崎さん、ありがとう」

「何が?」

「いや、何となく」

「どういたしまして?」


 首を傾げ、頭の上にいくつもの疑問符を浮かべながら応じる春奈。ただ写真を見て感想を述べていただけの彼女からすれば当然の反応だろう。

 それ以上何も言わない圭太を見て、まあいいかとアルバムに視線を戻してから、春奈は宣言する。


「うん、おすすめの写真はこれに決定かな」

「さっきの修学旅行のやつ?」

「この近藤君が一番いい顔してるから」

「そう言われると何だか恥ずかしいな」


 だが、悪い気もしなかった。

 何気ない一瞬が、実は何よりも大切なものを詰め込んだ、そんな瞬間になるのかもしれないということを、その写真が教えてくれたのだから。




 卒業アルバムを見終わって手持ち無沙汰になると、次は春奈による、ラクダのマーチの何たるか講座が始まった。

 中央に二箱のラクダのマーチが置かれたローテーブルを挟んで、二人が向かい合っている。春奈の表情は真剣で、さながら教師と生徒のようである。


「近藤君はラクダのマーチが何故、長年愛されていると思いますか?」


 好きな女の子が相手でなければ「知らねえよ」と一蹴してしまいそうな質問だ。

 もちろん圭太は考える。それはもう真剣に考える。商品名を聞いて真っ先に思い浮かぶのは、ビスケットに描かれた可愛らしいラクダのイラストだった。


「ラクダのイラストが可愛いから?」

「非常にいいところを突いていますが……四十点です」

「厳しいですね」

「それだけラクダのマーチ道は辛く険しいのです」

「先生、僕、早くも心が折れそうになってきました」

「大丈夫ですよ。近藤君が一人前になるまで、私がお付き合いしますから」

「先生……!」


 お付き合い、という言葉にちょっとドキッとしつつも、一体この寸劇はいつまで続くのだろうか、と圭太は思う。

 そして、次なるヒントを探すためにパッケージを手に取って眺めてみた。

 すると、六角形の箱のうちの一面の上部に、「カルシウムたっぷり」という表記があることに気付く。


「小さな子供にも簡単にカルシウムを供給出来るから」

「あ~惜しい! もちろんそれもありますが。追加で十点あげます!」


 割と適当に言ったのだが惜しいらしい。


「小さな子供向け、というところに目を付けたのはいいですね。では、ラクダのマーチを一つ開けてみましょう」


 そう言って、春奈はもう一つのラクダのマーチを手に取って開封し始めた。そして、それをぼけっと眺めている圭太に向かって、びしっと指を差す。


「ほら、近藤君も開けて」

「はい、すいません」


 春奈が中の袋を開けてビスケットを一つ取り出したので、それに倣う。


「今、あなたは商品を触っていますね?」

「はい」

「どうです? 手は汚れていますか?」

「!!」

「ふっふっふ、ようやく気付いたようですね」


 段々教師からダンジョンの中ボスくらいのキャラになってきたな。でも、そんなところもまた可愛いな。

 そんな風に考えていて、実はいまいち会話に集中できていない圭太である。


「チョコレートがビスケットの中にあるから、小さな子供が食べても手が汚れないのですね」

「その通り。ただ可愛いだけではなく、ただ美味しいだけでもない。このように実用的な面も備わっているからこそ、愛され続けているのです」

「先生のおかげでまた一つ、ラクダのマーチの頂に近付きました」

「まだまだ道は長い。油断してはいけませんよ」

「はい、先生」

「では、早速一粒いただきましょう」


 そう言って春奈は、手に取っていたビスケットを一粒、また一粒、ぽりぽりと味わいながら口に含んでいく。圭太も続いた。


「美味しいですね」

「はい、美味しいです」


 返事をしつつ、春奈はじっと圭太の持つパッケージを見ながら言った。


「ところで、近藤君は甘いものは好きですか?」

「えっと、好きではないけど、嫌いでもないです」

「そうですか……」


 じっと、パッケージを見つめる。

 圭太はピンときた。もしかして自分の分も欲しいのではないか? と。


「良ければ、僕の分も食べますか?」


 お菓子を差し出された春奈は、途端に慌てて手を振り、拒否をする。


「えっ!? いや、大丈夫だよ。そういう意味で言ったんじゃないから」


 口調が素に戻ってしまっている。

 本気でもらうつもりはなかったのだろう。慌てているし、頬も徐々に赤みを増してきていた。


「いや、俺普段こういうのあんまり食べないから。美味しいけど、もう充分かなって感じなんだよね」

「でも」

「だから、貰ってくれると助かるかな」

「う~…………じゃあ、お言葉に甘えて」


 激しい葛藤の末に、春奈は差し出されたものを受け取る。そしてそこから早速一粒を取り出すと、表面に描かれたラクダを見て目を見開いた。左手を口元に添えながら声を張る。


「えっ!? 嘘!?」

「どうしたの?」


 あまりの驚きように、何か不良品でもあったのかと、圭太もそちらに回り込んでビスケットを確認したが何もない。

 ただ、その表面には奇妙な絵柄のラクダが描かれていた。


「スーパートリプルラッキーラクダだ」

「スーパートリプルラッキーラクダ?」


 思わずオウム返しをしてしまう。

 圭太は小さい頃、明に「ハイパーデラックスウルトラチョップ」と名付けた手刀をお見舞いしたことがあるのだが、それを何故か今思い出した。


「このラクダはね、昔女子高生の間で話題になった、まゆげラクダとかのラッキーラクダの特徴を一つに集めたラクダで、すごくレアなの。私も久しぶりに見た」

「へえー」


 圭太は元となったラッキーラクダたちを知らないので何とも言えない。ただ、すごくレアということだけはわかったので、祝辞を述べる。


「おめでとう」

「ありがとう。これも近藤君のおかげだね」

「いやいや、引き当てたのは杉崎さんだから」

「でも、近藤君がいなかったらこの子とは出会えなかったよ」


 そんなやり取りの後、春奈は鞄から携帯を取り出した。


「写真撮らなきゃ」


 ローテーブルの上にハンカチを広げ、その上にビスケットを置いた後、春奈は色んな角度から記念撮影を行う。


「あーあ、食べちゃうのもったいないなぁ」


 ぼやきつつも、左手の人差し指を唇に当てながら、自分の撮った写真を眺めた。


「何か足りないな……そうだ、私たちも一緒に映ろうよ」

「え?」


 私たちも一緒に映る? それはつまり。


「俺たちも一緒に写真を撮るってこと? その、スーパー何とかラクダと」

「そうだよ? ちなみにスーパートリプルラッキーラクダね」


 何を当たり前のことを、と言わんばかりにきょとんとしている春奈。しかし、圭太からすればこれは一大イベントなのだ。

 好きな人と一緒に写真を撮る。

 圭太は急に身だしなみが整っているかが気になってきた。もちろん二人が来る前に入念に準備はしたが、それでももう一度鏡を見ておきたくなるのが人情というものだろう。

 しかし、この場でそれを言い出すことは出来ない。

 何故なら表情からして、春奈は明らかにこの写真撮影を「異性と二人での撮影」とは捉えていないからだ。あくまでも「友達との記念撮影」という、遊び感覚のものなのである。

 ここで意識してしまう自分がおかしいのだろうか。気持ち悪いのだろうか。


 そうやって考えると、突然圭太の心はスッと切り替わった。


「いいよ。撮ろう撮ろう」

「やった。それじゃあ早速」


 何てことはない。ただ友達と写真を撮るだけだ。

 圭太はそう自分に言い聞かせて平静を装うことにしていたのだが、それは次の瞬間にもろくも崩れ去る事態となる。


「もうちょっと寄らないとだめかな?」


 左手にビスケットを、右手にインカメラにした携帯を持つ春奈が、隣ににじり寄ってきた。

 二人で映るのだから当然のごとく距離は近い。ふわりと甘い香りが漂い、肩や髪が今にも触れそうになっている。


「近藤君ももうちょっと寄って」

「はい!」


 思わず教師に対してするような返事をしてしまった。

 遂に肩が触れ、髪も触れそうな距離になってしまう。しかも、インカメラで二人が携帯の画面に映っているので、隣に視線をやったりするわけにもいかない。突如訪れた試練の時に圭太は戦慄する。

 奈良の大仏を思い浮かべた。どうして奈良の大仏かと言えば、圭太が思い浮かべる「仏様」の顔と言えばそれしか思い当たらなかったからだ。仏様を脳裏に常駐させることで煩悩を振り払い、この窮地を逃れたかった。

 早く終わってくれ。でも本音を言えば幸せ。そんな矛盾した気持ちを抱えていると、ようやく二人をうまく画面に収めた春奈が口を開く。


「撮るよー、はい」

「……」


 キメ顔を維持することに集中し過ぎて何も言えなかった。

 撮影を終えたことでようやく距離が離れ、残念やら安心やら複雑な感傷に浸っていると、写真のチェックを終えた春奈が言った。


「うん、いい感じ。後で写真送っておくね」

「よろしく」


 この後、手持無沙汰になった二人が再びゲームに興じようとしたところで摩耶と凛が戻ってくる。

 扉を開けて部屋に入ってきた摩耶が元気に挨拶をする。


「ただいまー、いい写真あった?」

「うん、いいの見つけたよ。後で二人に紹介するね」

「楽しみにしているわ」


 二人の後ろには太郎もついてきている。

 それから春奈が摩耶と凛に修学旅行でのワンシーンを紹介するのだが、何故か二人で撮った、スーパートリプルラッキーラクダ記念写真の話は出なかった。

 圭太としては記念写真を春奈が見せることで、パーティーが終わった後、摩耶にからかわれるところまでを想定していたのだが。ならばと、春奈が触れるまではあの写真の存在は秘密にしておくことにした。

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