異変が大変

 それから数日が経った、とある日の放課後。圭太は今日も文化祭実行委員の仕事で会議室にいた。

 圭太と雫は有志団体を始めとした書類の受付等を担当している。とは言っても、受付開始から期間が経った今は言うほどそれらを提出しに来る人もおらず、正直に言えば暇だった。

 しかし、仕事がある以上はここにいなければならない。何とももどかしい日々が続いている。


「今日も暇だね~」


 隣で携帯をいじりながら、雫が明け透けにつぶやいた。


「まあまあ。これも大事な仕事だよ」

「近藤君って真面目だよねー」


 実際、そうなのかもしれない。圭太のように席に着いてきっちりと仕事をしようとしている人間など、この部屋には半分もいない。大半は椅子を寄せたり、隅に集まって談笑をするなどして時間を潰していた。

 雫もほとんどは他のクラスの友人を見付けて、そちらの輪に入って過ごしているが、今はたまたま圭太の隣にいる。


「ところでさ、遠藤さんって好きな人とかいるの?」


 雫は携帯をいじる手をぱたりと止めて顔をあげた。


「え、何で?」

「いや、何となく」


 嬉しそうに顔をにやつかせて、またずいっと距離を縮めてくる。


「突然どうしたの? 私のこと気になったりとか?」


 もちろんそうではない。

 暇になると雫はすぐに春奈に関する話を振ってくる。だから先んじて別の話題を提供しようとしたのだが、共通の趣味も親しい友人もいないので、こうするしかなかったのだ。

 しかし、さすがに他に話すことがなかったから、とは言えない。


「ほら、俺ばっかりいじられるのも悔しいしさ」

「ふ~ん?」


 雫は身体を少し引いて、圭太の心の内を探ろうとするかのように、じっと瞳を覗いている。

 しかしそれも束の間。すぐに視線を外し、いつもの雰囲気に戻った。


「そうだね~、近藤君のことは最近気になってるかも」

「いや、そういうのはいいから」


 途端に雫は不満な気を隠そうともしない表情になる。


「え~何で~? つまんなーい! ちょっとくらいドキっとするとかあるでしょ」

「そんなこと言われても……」

「でも、付き合うなら近藤君って結構いいかなとは思ってるよ。真面目で優しいし浮気とかしなさそう」

「ありがとうございます」


 急に真面目に評価されたので逆にドキッとしてしまう。

 しかし、それを言った本人としてはもう圭太の話題は終わりなようで、視線を宙に彷徨わせながら何やら考え込んでいる。


「後はやっぱり南君、かっこいいよね」

「まあ明はね、男から見てもかっこいいし」

「そうなんだ」

「明と話したことはあるの?」

「ちょっとだけ。イケメンだしサッカーしてるとこかっこいいし」


 要するにほぼ見た目だけということだ。

 これを伝えたところで明にはあんまりいい顔をされなさそうなので聞かなかったことにしておこう、と圭太は思った。


「ねえねえ。今度、南君に私のこと、紹介してよ」

「それはちょっと」

「え~何で~?」


 普通に嫌がられそうだからだ。

 もちろん、紹介してすぐ、周囲の目があるうちは明もいい顔をするだろうし、雫は喜ぶだろう。だが、後で二人きりになった時に文句を言われるのは圭太である。

 うまくこの場を切り抜けるため、冗談で誤魔化すことにした。


「明、サッカー上手い子にしか興味ないんだよね」

「嘘だ、そんなの初めて聞いた~」

「ペナルティーエリアの外からボレーシュートを決められる子じゃないと付き合わないんだってさ」

「それなら私、いけるかも」

「いけるの!?」

「お前、俺をどんなキャラに仕立て上げようとしてるんだよ」


 突然横から降ってきた、聞き慣れた声に振り向けば、そこには呆れ顔の明といつも通りな雰囲気の里香がいた。


「明、と鮎川さん」

「おう」

「仕事持ってきてやったぜ」


 と言いながら、明が有志団体用の申し込み用紙を差し出した。

 圭太は、これはいいタイミングで来てくれたな、と思いながら、書類に不備がないかどうかを確認する。


「オッケー、学生証よろしく」

「うっす」


 有志団体の申請には申込用紙等の他に、本人確認のために学生証が必要だ。当然形式上のものなのでチラ見して返した。


「じゃあ後はやっとくよ」

「頼んだ」


 これで仕事が出来たし少しだけ時間を潰せるな、と考えながら書類をしまおうとした瞬間、隣にいる雫が申し込み用紙を覗き込みながら口を開いた。


「南君、バンドやるの?」


 明は少しだけ面喰ったような表情をしている。


「ああ、えっと」

「遠藤さん。俺と同じクラスで、文化祭実行委員」

「そっか。圭太から話は聞いてるよ」

「え~どんな風に?」

「最近、可愛い子と仲良くなったって」


 正確には「可愛いけど少し苦手なタイプの子と仲良くなった」であり、大事な要素が一つ抜け落ちているが、この場でそれを指摘することは出来ない。


「おい」

「やだ~近藤君浮気者~」

「浮気者ってなに!?」

「あはは。もし良かったらライブ観に来てよ。圭太と一緒にさ」

「うんうん、絶対行く~」


 いい感じに会話が落ち着いたところで明が去ろうと背中を向ける。しかし、ここまでほとんど沈黙していた里香が、じっと圭太を睨んだまま動かない。

 それに気付いた明が声をかけた。


「里香、どうした?」

「近藤、ちょっと面貸せよ」


 と言いながら、里香は廊下の方を親指で示した。


「今? 今は実行委員の仕事もあるし、ちょっと」

「いいよいいよ。こっちは私がやっておくから、行ってきて」


 里香はそう簡単に帰ってくれそうにない。ここは、お言葉に甘えるのが得策だろうと、圭太は咄嗟に判断した。


「ごめん。なるべくすぐに戻るから」


 雫に仕事を任せて里香と廊下に出て、更に人気のないところへと移動する。何事だと言いたげな様子の明もついて来ていた。

 向かい合うなり、里香は即座に本題へと入る。


「お前、春奈に何したんだよ」

「は?」


 圭太はこの時、晴天の霹靂、という言葉を生み出した人の気持ちを理解した。


「いやごめん、どういうこと? 何のことか見当もつかないんだけど」

「最近春奈の様子がおかしい。ぼーっとしてるし、あたしと話しててもどこか上の空だし。それで、近藤と何かあったのかって聞いたら明らかに動揺してた」

「そんなこと言われても」


 そこで圭太は思い出した。

 数日前の放課後、部活帰り。春奈が急に素っ気ない態度を取り、帰宅の途に着いてしまったあの場面。結局は気のせいだということで片付けたが、やはりそうではなかったということか。

 言葉の途中で腕を組み考え込んだ圭太に、里香は鋭い視線を突きさす。


「何か心当たりがあるんだな?」

「圭太、ちょっと来い」


 しかし、そこで突如明が二人の間に割って入り、肩を組んで圭太を少し離れたところへと連れ出した。


「おい明! あたしの話は終わってねえぞ」

「悪い、ちょっとだけ待っててくれ」


 里香にそう断りを入れた後、明は声を潜めて問い掛けた。


「最近さ、杉崎さんの態度が少しおかしかったこととかあったんじゃないか?」

「何で知ってるんだよ」


 明にはまだあの日の出来事は話していない。


「その時のこと、話してみ?」


 圭太は肩を組まれたまま、あの日のことを語った。

 最近人気者だと言われたこと、遠藤さんと連絡先を交換したか聞かれたこと。答えたら春奈が素っ気なくなったように見えたこと。


「……」


 それらを聞き終えた後、明は地面を見つめたまま固まってしまった。目の焦点が合っておらず、どこか遠くを見ているようで見ていないような、心がここにあるようでないような、そんな表情だ。


「どう思う?」

「俺、女の子のことはよくわかんねえからな」

「やっぱりお前もか」


 そんな予感はしていたが、やはりいざ耳にすると納得がいかない。


「やっぱりってことは、摩耶ちゃんも?」

「ああ、恋愛のことはよくわからないって、それ以上何も言わなかった」

「安心しろ。そんな圭太にいいものをやる」


 どんな圭太なのかは知らないが、摩耶や太郎と違って何か助けてくれるらしい。やはり持つべきものは親友だと、圭太はちょっとだけ感動する。

 その親友の懐からは何やら二枚の紙切れが取り出された。サイズは小さく、横長の長方形で、表面には文字が印刷されている。


「それは?」

「俺ら、文化祭の前に予行演習的な感じでライブハウスでライブするんだけど、そのチケット」

「普通逆じゃね? ライブハウスの方が敷居高そうだけど」

「たまに十代限定で、俺らみたいな高校生を集めたイベントやってるみたいでさ、それに出させてもらうんだよ」

「へえ」


 圭太はチケットを手に取って眺めてみる。

 近場にこんなライブハウスがあるとは知らなかった。しかも、チケットの片隅に印刷されている簡易地図を見れば、いつも行く繁華街の中にあるようだ。

 説明通り「十代限定イベント」と銘打っていて、チケット代は格安だ。学生からすればそうでもないが、一般人からすれば無料にも等しい値段なのではないだろうか。


「で、これが今の話とどう関係してくるんだ?」

「二枚やるから、杉崎さんを誘って二人で観に来いよ」

「は?」


 もちろん実現すれば嬉しいことではあるが。


「俺が誘わなくても鮎川さんが誘うし、観に行くだろ」

「それはわからないだろ。ていうか、お前が誘うことに意味があるんだよ。自分で誘って、二人で待ち合わせて二人で行って、帰りも圭太が送る。いいな?」

「何で急にそんなことを」

「いいから言うこと聞いとけって。今まで俺がお前をだましたことがあったか?」

「そこそこあるな」


 圭太は小さい頃、明に「この池に黄金が眠っている」と言われて、近所の公園の小さな池に飛びこみ、その奥底を捜索したことを思い出した。当然そんなものはないし、家に帰ったらずぶ濡れなことを親にひどく叱られるしで散々だった。

 ちなみに、明は最初こそ腹を抱えて笑っていたが、圭太の捜索が長すぎて途中で飽きて帰った。


「小さい頃の話だろ? 悪かったけど今は置いといてさ」

「まあ、そうだな」


 実際、圭太も明のことをだましたことはあるのでおあいこだ。


「わかったよ。杉崎さんを誘って、二人でライブハウスまで行って、二人で帰ればいいんだな?」

「ああ、お前ならやれるだろ」

「明がそこまで言うならやってみるよ」

「よし」


 明は満足気にうなずくと、もう一枚のチケットも手渡して圭太の肩に回した腕をほどき、後ろを振り向いた。


「よし、話は終わりだ」

「いや、まだあたしの話が終わってないんだけど」


 待たされた里香はやや不機嫌気味だ。


「圭太は何もしてない。俺が保証する」

「何でわかんだよ」

「いいから、里香も部活行かないとだろ」

「……」


 里香は圭太をじとっと睨んでから背中を向けた。


「後で何話してたのか聞かせろよ」


 そして二人は去って行く。

 圭太は遠ざかっていく二人の背中を眺めながら、もらったライブのチケットを握る拳に強く力を込めた。

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