杉崎家の食卓

「……」

「……」


 その日の晩、近藤家にある圭太の部屋にて。

 ベッドの上にはあぐらをかいたまま携帯とにらめっこをする圭太、ローテーブルの傍らにはそれを静かに見守る飼い猫という構図である。


「……」

「……」


 圭太がにらめっこをしたまま動かないのは、もちろん春奈をライブに誘うための心の準備をしているからだ。

 今までならスパっと行動に移して終わりなのだが、今回は色々あった後だし、お誘いの内容的にも二人きりで行動をするという、今までよりも一歩踏み込んだもののため、そうもいかない。


「よし」


 そろそろ態勢も整ってきた。だが夜も更けていることだし、まずは一言断りを入れるべきだろう。

 圭太は深呼吸をしてから春奈とのチャット欄を開き、いつもより力の入る指で文字を入力する。『今、だいじ』


「あの」


 びくぅっと圭太の肩が跳ねた。

 声のした方を確認すれば、そこにはお行儀よくお座りをしてこちらを見据える太郎の姿がある。


「な、何だよ。突然話しかけてきて」

「申し訳ありません。そっと声をかけたつもりだったのですが」

「いや、俺もちょっと驚きすぎた。それで?」

「いえ、大分お悩みのようでしたので、まずは一言メールで確認をしてから通話をかければ良いのでは、と」

「わかった、そうするよ。ありがとう」


 今正にそれをしようとしていたところだが、せっかくの厚意なのでお礼だけを言って作業を再開する。


『今、大丈夫?』


 送信完了。携帯を放り投げて仰向けに寝転がる。

 ここからの返事を待つ時間が中々にもどかしいが、同時に楽しくもある。既読はすぐにつくのかな。返事はどれぐらいでくるだろうか。もしかして、明日の朝きて「ごめん、寝てた」なんてことが――


「あの」


 びくぅっと圭太の肩が跳ねた。


「申し訳ありません」

「いや、太郎は悪くない。考えごと? に集中し過ぎてた」

「扉を開けていただけますか?」

「ああ、悪いな」


 いつもは太郎が出入りしやすいように扉を開けているのだが、二人で話したりこういう大事なことをする時には閉めている。

 太郎なら時間をかければ一人で開けられないこともないだろうが、それはそれで家族から勝手に扉を開けないよう対策をされてしまいそうなので、今のやり方に落ち着いていた。

 ベッドから飛び降りて歩き、扉を開ける。


「どうぞ」

「ありがとうございます」


 飼い猫がゆったりと部屋から出て行ったのを確認してまた閉めた。

 「いつものポジション」で休憩するのだろうし、今の時間なら部屋を出て来た摩耶に連れて行かれて戻っては来ないだろう。

 圭太は再びベッドに飛びこみ、仰向けに寝転がった。さて、返事が来るまでの間ゲームでもして待つか。

 そう思いながらベッドから降りると、携帯が甲高い電子音を鳴らした。無料通話アプリの着信音だ。返事が来たのかもしれない。


 まるで飛びつくようにして携帯を拾うと、ホーム画面が「春奈」というアカウントからのチャットが来たことを報せていた。

 ロックを解除してアプリを開く。


『大丈夫だよ。どうしたの?』


 「大丈夫だよ」の後には何故か狐の絵文字、メッセージの後にはスタンプが添えられている。今回は春奈の好きな「精霊術師の成り上がり」に出て来るクルちゃんが「?」を頭の上に出しながら首を傾げていた。

 チャット欄を眺めているだけでも幸福感に包まれるが、それで満足していてはいけない。

 圭太は首を横に振り、大きく息を吸って吐く。準備が完了すると意を決して通話ボタンをタップした。


 ~♪


 ~♪


 お馴染みの電子音が鳴り響く。

 まるで地獄の中で天国行きの電車を待っているかのような心持ちだ。携帯を握る手にも汗がにじんできた。


『はい』


 電車の到着だ。心なしか春奈の声も緊張に震えている気がする。


「こんばんは」

『こんばんは』


 通話をかけることそのものに意識が行っていて、気の利いた話題を用意していなかった圭太は、本題へと直行することにした。


「突然で悪いんだけど」

『うん』

「今度、明たちのバンドがライブするんだって」

『里香から聞いたよ。ライブハウスでやるやつだよね? 誘われたから行くって言っといた』

「それ、一緒に観に行かない?」

『……えっ!?』


 それはどういう「えっ!?」なのだろうか。

 圭太はしまった、と思った。明に言われて誘ってはみたものの、やはり二人でというのは早かったのかもしれない。


「もちろん、他に行く友達とかいなかったら、だけど」

『ううん、それは大丈夫』


 咄嗟に逃げ道を用意したが、そちらには行かなかった。


『じゃあ、お願いしてもいい? ライブハウスの場所わからないから、誰かと一緒に行きたいって思ってたし』

「うん、任せてよ」


 オッケーがもらえた。

 その事実に心躍る圭太だが、まずはそれを抑えて当日の段取りなどを軽く話し合ってから通話を終える。


「っしゃ!」


 そして小さくガッツッポーズを取り、喜びを噛みしめた。

 当日は日曜日なのでスケジュール調整の必要もない。そして、また春奈の私服姿が拝める。帰りはどこかに寄ってご飯を食べながらの感想会もいいかもしれない。そう言えばライブは何時ごろに終わるのだったか――。


「圭太さん」

「おわぁっ!」


 今度は声が出てしまった。

 閉じた扉の向こうから太郎が話しかけてきている。この時間に一度出て行って戻ってくるのは珍しいことだ。

 圭太が扉を開けると、太郎が入ってきたので閉めておく。


「また驚かせてしまったようですね」

「いや、ごめんまた考えごとしてて」

「もうお誘いはしたのですか?」

「うん、オッケーもらえたよ」

「おめでとうございます」

「ありがとう」


 それから、圭太はしばらくゲームを楽しんでから眠りにつく。電気を消して目を瞑っていると、先に夢の中へと旅立った太郎が「お寿司……」と言っていた。


 〇 〇 〇


『ご飯出来たよ』


 家族用のグループチャットに書き込まれた報せを確認すると、夏彦は部屋を出て一階のリビングに向かった。そこではすでに春奈がテーブルに着いていて、食卓の上には夕飯が並べられている。

 夏彦も席に着き、空腹を満たすべく食器を手に取るのだが、正面に座る姉は鼻歌交じりに携帯をいじっていた。


「ご機嫌じゃん」

「そう?」

「見ればわかる」


 しかし、具体的に何があったのかまでは興味がないので、それ以上は詮索せず夕飯を口に運んでいく。

 春奈も遅れて食事を開始したのだが、少し経ったところで電話がかかってきた。


「は~い。うん、うん……あ、ごめんそのことなんだけど、一緒に行く友達が別に出来ちゃって。うん……本当にごめんね。うん……ありがとう。じゃあ、また明日ね」


 姉はそう言って電話を切った。

 一緒に行く友達が出来た。別に確信も何もないが、そうだといいな、と思って夏彦は問い掛ける。


「その別に出来た友達って圭太君のこと?」


 ガシャン、と大きな音がリビングに響き渡る。春奈が手に持っていた茶碗をテーブルの上に落としたのだ。


「な、何で近藤君!?」

「いや、別に。最近仲良いから」

「もう、突然びっくりするじゃん」


 母が「春奈大丈夫? どうしたの」と言いながらこちらに寄ってくる。

 春奈は「大丈夫」と言いながらわずかにこぼれたご飯をふき取り始めた。それが落ち着くと、ゆっくりと食事を再開しつつ口を開く。


「そりゃあ、最近仲は良いけど……」

「良いけど?」

「しょうがないじゃん、道わかんないし」

「……」


 やはり相手は圭太らしい。

 相当動揺しているらしく、言い逃れにもなっていない。それに、と夏彦は小さい頃のことを思い出す。

 姉は自分の手を引いて色んなところに連れて行ってくれたのだが、その時、携帯で地図を確認しながら歩いていたのをよく覚えている。姉ちゃんすげえな、と幼いながらに思ったものだ。

 つまり、道がわからないということはないはずだった。


 だが、夏彦としてはそこまでわかればもう充分である。


「ならしょうがないな」

「でしょ」


 そして二人が食事を再開しようとしたのだが、今度は近くで会話を聞いていた母が笑顔で春奈に寄ってきた。


「何々? あんた彼氏出来たの?」


 ガツン、と大きな音がしてテーブルがわずかに動いた。


「つぅ~」

「ちょっとあんた何してんの」


 夏彦が席を立って確認すると、春奈はしゃがみこんで足の小指を抑えていた。どうやら驚いてのけ反った拍子にぶつけたらしい。

 こんな姉は初めて見た。


「お母さんが変なこと言うから」

「別に変じゃないでしょ。それで、どうなの?」

「知らない」

「え~何それ~」


 それから食卓は、娘に彼氏が出来たかどうかが気になる母と、しらを切りつつも結局最後は顔を真っ赤にしながら否定する春奈の構図で進行した。

 黙々と食事を進めつつその光景を眺めながら、明君にはすぐには報告しない方がいいかな、どうしようかな、と考える夏彦であった。

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