炸裂!猫ぱんち
窓からはぽかぽか陽気が差し込み、ほのかに漂う環境音や動物たちの鳴き声の中で、現在近藤家の飼い猫として暮らしている太郎は、二階の廊下にあるお気に入りスポットでうとうとしていた。
今日は飼い主である圭太にとっての一大イベントの日だ。首尾よくやれているだろうかと心配しつつも、心地の良い睡眠への誘いを断るのは中々に難しい。
さて、もう一度昼寝でもするかと目を閉じたところで、窓の外から賑やかな若者たちの会話が聞こえてきた。どうやら主が帰還したようだ。
出迎えに行こうかと立ち上がり、階段上から玄関先の様子を窺っていると、部屋から摩耶が出てきた。今日はおめかし、というほどでもないが、来客用にちょっと張り切った装いになっている。
「お兄ちゃんたち帰って来たね。一緒にお出迎えしよっか」
ひょいっと抱き上げられる。視界が急上昇し、摩耶の腕の中にすっぽりと収まった。そのまま階下へ降りて行き、賑やかな声たちの向かう玄関前で待機する。
がちゃがちゃ、がちゃり。
「ただいまー」
扉が開くと太郎の主こと近藤圭太が姿を見せる。そして、その後ろには見たことのない女子二人。あれが杉崎春奈と水樹凛ということなのだろう。
「おかえり」
摩耶が飼い猫を抱きかかえたまま返事をすると、春奈と凛が前に出てきた。
「こんにちは、摩耶ちゃん」
「こんにちは」
「近藤君の妹さんかしら。初めまして、水樹凛です」
「初めまして、近藤摩耶です。兄がいつもお世話になってます」
ぺこり、と摩耶が軽く腰を折った。
自己紹介のおかげで、太郎にもどちらが春奈でどちらが凛なのかが判明する。なるほどあれが圭太の想い人か……と、心の中で静かにうなずいた。
その春奈が太郎に視線をやり、ぐいと顔を近付けてくる。そのまま優しく頭を撫でながら摩耶に尋ねた。
「この子の名前は何て言うの?」
「太郎だよ。可愛いでしょ」
「太郎ちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
通じはせず、鳴き声にしか聞こえていないはずだが、それでも律儀に返事をしてしまうのが太郎という元人間の性だ。
「太郎もこんにちはって言ってるよ」
「あはは。わかるの?」
「うん。私たちとっても仲良しなの」
「新しいプレイアブルキャラクターの登場というところね……」
何故かぶるぶると身体を震わせる凛がぽつりとつぶやいた言葉を、太郎は聞き逃さなかった。
圭太からはちょっと変わった人だと聞いている。プレイアブルキャラクターが何を指すのかはよくわからないが、あまり深く考えない方がいいのかもしれない。
「水樹さん、もしかしてちょっと寒い?」
震える凛に圭太が気付いて声をかける。
「いえ、問題ないわ」
「最近ちょっと涼しくなってきたからね。もう上に上がろうか」
素早く靴を脱ぐと、先行して階段を登っていく圭太。
春奈と凛も「お邪魔します」と言って、靴を揃えてからそれに続いた。
「適当にその辺に座ってね」
「お前が言うなよ」
そんな兄妹のあるあるなやり取りを終えた直後に太郎は解放された。
圭太は元からそこまで部屋を散らかすタイプではないが、来客があるということで更にしっかりと片付けられている。
先ほどから持っていた二つの大きな買い物袋をどっさりとローテーブルの側に降ろすと、圭太はそのまま座ってふうと一息をついた。
春奈がその様子を見て、腰を下ろしながらすかさず声をかける。
「重かったでしょ。ありがと」
「いや、これくらいならむしろ運動に丁度いいくらいだよ」
「そうそう。お兄ちゃん帰宅部だし、もっとこき使ってあげて」
「あはは」
笑顔を見せながら、春奈は袋の中の菓子や飲み物をテーブルの上に並べていく。凛もそれに倣った。
懇親会ということで随分と張り切ったらしく、テーブルの上は一瞬で埋まる。袋の中にはまだいくらか戦利品が残っていた。
それらを眺めて、圭太は感嘆の声を漏らす。
「改めて見るとすごい量だね」
「これくらいならすぐに無くなっちゃうよ」
「そうなの!?」
普段あまりお菓子を食べない圭太同様、春奈のお菓子欲に畏敬の念を抱かずにはいられない太郎だ。
この無尽蔵に甘いものを食べられるパワーは、歳を重ねるにつれて次第に衰えていくものだと、少なくとも太郎はそう認識している。
「じゃあ、まあゲームでもしながら食べますか」
「待ってました」
ゲームの準備を始めた圭太に、春奈が喝采を送った。
四人が最初にプレイするのはパーティーゲームらしい。以前明がこの家に来て、圭太と摩耶と三人で遊んでいたのを見たことがある。
喉が渇いていたのか、早速飲み物を紙コップに注いで飲んでいた凛が小さく挙手をしてから言った。
「私は観戦させてもらうわ」
「え、どうして?」
春奈の疑問に、凛は即座に答える。
「ゲームって普段はしないからよくわからないの。それに、観戦しているだけでご飯三杯はいけるわ」
中々にユニークな表現だが、文芸部の面々はこれに慣れているらしい。春奈はそれをあっさりとスルーすると、凛にすり寄って腕をとった。
「えー、凛ちゃんもやろうよ。ね? お願い」
「やるわ」
「心変わり早っ」
太郎の気持ちを圭太が代弁する。
ぼんやりとではあるが、水樹凛という少女が一体どういった人物なのか、わかってきた気がした。
全員がテレビの前に並び、ゲームがスタートした。配置はテレビに向かって左から圭太、春奈、摩耶、凛となっていて、太郎は春奈と摩耶の間の後方から観戦している。
キャラクター選択画面で春奈がピョッシーという、カエルと恐竜の中間のようなキャラクターを選択したのを見て、摩耶が声をかけた。
「春奈ちゃんもピョッシー好きなの?」
「うん。摩耶ちゃんも?」
「うん。可愛いよねピョッシー」
「ピョッシー譲ろっか?」
「大丈夫だよ、私はこっち使うから」
そう言って摩耶が選択したのはウォーターメロン姫という、このゲームのヒロイン的な立ち位置にあるキャラクターだった。ちなみに圭太はキノコ頭のキノコマンで凛は大魔王ゴッパだ。
そして本編が始まる。
幸いというべきか否か、圭太はあまりこのゲームをやり込んでいないし運要素もあるので、思いの外白熱した展開となった。
そんな中、終盤のミニゲームでの出来事である。
このゲームには二対二のチーム戦や、一対三の非対称型など様々な形式のミニゲームがあるが、今回は四人がチームではなく一人ずつで競い、順位を決めるタイプのものだった。
強制横スクロールの画面で、後ろから迫りくる敵キャラクターから上手く逃げるというシンプルなタイプのゲームなのだが、春奈と摩耶が早々に脱落した。
残るは圭太と凛だが、ここで圭太が勝つと優勝に大きく前進するという場面だ。
「水樹先輩頑張ってー」
何としても兄の優勝を阻止するべく、摩耶が全力で凛を応援している。
「ほら、春奈ちゃんも応援しよ」
「任せて!」
するとどうしたことか、春奈はだらけた姿勢で寝転がって観戦していた太郎の両前足を背後から掴み、その身体を持ち上げる。
何をするのかと思っていると、そのまま圭太の背後に近付いた。
「必殺、猫ぱーんち!」
「!?」
太郎の右前足を当てて「猫ぱんち」としているらしい。圭太はぎょっとして一瞬だけ背後に視線をやったが、すぐにゲームに意識を戻す。
もちろん当てているだけなので、全く痛くはなさそうなのだが、動揺を誘うには充分過ぎる技になった。
主は思春期の男子である。好きな人からこのような行動をされて平静でいられるはずもない。
「ほらほら、太郎ちゃんが構ってーって言ってるよー」
「くっ……!」
「圭太さん、明鏡止水ですよ」
アドバイスをしてみたが、そう言われて出来るのなら誰も苦労はしない。
案の定圭太は何てことのない障害物を避けるのに手間取ってしまい、後一歩で敵の大群に飲み込まれるという事態になった。
「終わった……!」
絶望の声を漏らす圭太。
しかし、そこであろうことか画面上の凛のキャラが障害物を避けずに止まったままになり、圭太よりわずかに先にゲームオーバーになってしまう。
「助かったー」
「あーん惜しいー」
安堵の息を吐く圭太と、本気で悔しがる摩耶。
「惜しかったね、凛ちゃん」
そう言って、太郎を解放しつつ凛の方を見る春奈。
「……あれ?」
しかし、凛から返事がない。
太郎も異変に気付いてそちらに視線をやれば、彼女は座ってコントローラーを握った姿勢のまま固まっている。目は開いているが焦点は合っていない。
「凛ちゃん?」
肩を揺さぶるがやはり反応はない。
横から凛の顔を覗き込んだ摩耶が、本当に恐ろしいものを見た時のテンションでつぶやいた。
「気を失ってる……?」
凛は気絶していた。
突然に意識を失うなど何かの病気だろうか。しかも、倒れたりするのではなく、立往生ならぬ座り往生だ。こんな症状は、この場の誰よりも人生経験が豊富なはずの太郎ですら見たことがない。
これは救急車を呼ぶべきだろうか。そう考えている間にも、春奈は懸命に凛の肩を揺さぶっていた。
「凛ちゃん、凛ちゃん!」
もし何らかの病気である場合、下手に頭を動かさない方がいい。しかし太郎にはそれを春奈に伝えて止める術がなかった。
ならばと、圭太に向けて口を開こうとした瞬間、凛に動きがあった。
びくっと身体が跳ねた後、徐々に目の焦点が合い、何があったのかと言わんばかりに周囲を見回し始める。
「あれ、私、寝てた?」
「ううん。意識を失ってたんだよ。大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。昨夜一夜漬けでテスト勉強をしていたから、寝不足ね」
「ただの寝不足ならいいんだけど。……あれ? でも中間テストってこの間終わったばかりだよね?」
太郎も圭太がこつこつとテスト勉強をしていたのを目撃しているし、そもそも今回こうして懇親会を計画したのも、テストが終わって丁度いいタイミングだからというのも理由の一つだったはずだ。
春奈に指摘された凛は、眼鏡をくいと押し上げながら答える。
「先日の授業の復習をしていて、どうしても納得のいかないところがあったのよ」
「かっこいい……!」
「めちゃめちゃストイックじゃん」
春奈と圭太は素直に感心しているが、太郎はどうにも違うような気がしてならない。
いや、真実の可能性だってある。そうやってすぐに人を疑ってしまうのは、自分の悪いところだ。
太郎は首を振り、その場に香箱座りをして心を落ち着けた。
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