ファン参加型イベント

 何ということもない放課後の部室風景である。

 校舎にもまだ人が残っているので、廊下には生徒の明るい声がこだましている。外ではいつも通りテニス部が練習に励んでいて、彼らの掛け声の向こう側からは、うっすらと吹奏楽部の楽器の音が届いた。

 目の前では相も変わらず春奈が凛に雑談を振っていて、凛はそれに対して冷静に返している。あまり感情を見せることのない彼女だが、言葉の端々からにじみ出る優しさは感じているつもりだ。

 圭太はそんな二人の様子を見ながら、ゆっくりと決意を固めていた。というのはもちろん、昨日太郎からアドバイスをもらって決めた、あのお誘いのことだ。


 問題なく受けてもらえるとは思うが、もし「えっ……」みたいな反応をされたら立ち直ることが出来るかどうかは怪しい。

 二人の談笑が一段落したところで、圭太は控えめに一つ深呼吸をしてから話を切り出した。


「あのさ、二人共」


 春奈と凛がほぼ同時にこちらを見た。緊張が加速する。


「テストも終わったことだし、もし良かったらこの週末、うちで文芸部の懇親会をしたいなって思ってるんだけど、どうかな?」

「それはファン参加型イベントということかしら?」

「ファン……? 多分だけど、そういうことになるかな」


 凛の言っていることはよくわからないが、文芸部全員で参加するべきイベント、という意味ならそうなる。


「なら参加させていただくわ」

「私も参加でお願いします」


 ちらちらと凛の様子を窺っていた春奈が、勢いよく挙手をしながら言った。

 今の感じだと、二人きりで遊ぶ、という誘い方だと断られていたかもしれない。家に帰ったら太郎にうまいものでも食わせてやろう。

 春奈が身をずいっと乗り出して尋ねてくる。


「ねえねえ、近藤君ちってことは、摩耶ちゃんもいるの?」

「いるよ。ていうか、摩耶が杉崎さんと会いたがってるし、ゲームも皆で遊べるやつがあるから、じゃあうちにしようかってなって」

「嬉しいな。私と摩耶ちゃん、両想いだね」

「摩耶ちゃん、というのは近藤君の妹さんかしら」

「ああ、そうそう。ごめん、水樹さんは会ったことなかったね」

「近藤君に妹が……それは新情報ね」

「そうだね?」


 確かに凛にとっては新情報に違いないが、何だか言い方が引っ掛かる。

 まあ細かいことはいいか、と心を切り替えたところで、春奈が問いかけてきた。


「近藤君ちってどんなゲームがあるの?」

「杉崎さんも持ってるかもだけど」


 圭太は、幅広い層に向けて展開しているハードの、定番のパーティーゲームやレースゲームなどのタイトルを挙げた。

 春奈は、レースゲームの方は持っていたが、パーティーゲームの方は持っていないとのことだ。


「夏彦がゲームしないから、どうしても一人で遊べるゲームが多くなっちゃって」

「夏彦君、サッカー一筋て感じだもんなあ」

「やっぱりそう思う?」

「そりゃあれだけ上手かったらね」

「それ、夏彦に言ってあげたら喜ぶかも。今度、近藤君も夏彦と遊んであげてね」

「話が合うかちょっと不安だな」

「サッカーの話すればいいじゃん」

「それもそっか」


 そこで、春奈が凛の方を向いた。


「あ、ごめんね凛ちゃん。夏彦っていうのは私の弟のことなの」

「何だかソシャゲの様相を呈してきたわね……!」

「ソシャゲ?」

「いえ、何でもないわ」


 最近の凛はよくわからない発言が多い。だから圭太は学習した。この人と仲良くしようと思ったら、いちいち聞いたりツッコんだりせずに放っておいた方がいいのかもしれない、と。

 首を傾げていた春奈だが、圭太と同じくまあいっか、といった様子で切り替えると、ぱしぱしと机を叩きながら提案をした。


「じゃあさ、パーティーの前に皆で買い出しに行こうよ!」

「いいね。うちの近くにスーパーあるから、そこで」

「中々いい提案ね」


 お誘いを受け入れてもらえたことと、春奈や凛が楽しそうにしていることが重なり、圭太は安堵を通り越して幸せな気持ちになれていた。


 結局懇親会は土曜日ということになり、迎えた本番当日。圭太は近所のスーパーに向かっていた。

 そこに現地集合して買い出しをし、それから近藤家へ向かうという流れだ。


 ただスーパーに向かって歩いているだけなのだが、何だか妙にそわそわする。

 思えば同級生の女子二人と買い物に行って、その後自分の家にお招きするなどとは、少し前の圭太からは想像もつかないような出来事だ。

 感慨にふけっている間にスーパーが近づいてきた。

 入り口で待ち合わせということにしているのでそちらに顔を出すと、既に二人が揃っていた。圭太を見付けて手を振ってくる。


「ごめん、遅くなった」

「ううん。今来たところだから」


 女子二人の私服姿だ。圭太は、こっそりと神様に感謝をした。


「では行きましょうか」


 凛の一言で三人は店内へ向けて歩き出す。

 元から端正な顔立ちをしているので、その立ち振る舞いも含めて、私服姿の凛はモデルのような雰囲気を漂わせていた。今は三つ編みに眼鏡をしているが、髪をおろしてコンタクトにすればどんな風になるのだろう、などとぼんやりする圭太である。


「ここ、たまに見かけるけど入るのは初めてなんだよね」

「そうなんだ」


 隣を歩く春奈の言葉に相槌を打つ。

 私服姿は二度目だが、一度くらいで慣れるはずもなく、距離も近いので心臓が暴れて会話に集中できそうにない。


 買い出しのメインはお菓子と飲み物だ。

 コンビニで適当に買っても良かったのだが、品揃えが豊富なことと、価格がお手頃だということで議論の結果、スーパーに軍配があがった。


 圭太がさりげなく買い物かごをゲットしてお菓子の並ぶ一角へ着くと、凛が「ごめんなさい。任せるから、お菓子は選んでおいてくれるかしら」と言って離脱。

 春奈は「うん、わかった」とだけ言って見送ったので、圭太もどこへ行くのかなどという野暮なことは聞かない。

 期せずして二人きりになってしまった。それを意識した瞬間にまた鼓動が速まるのを感じる。


 春奈と並び立ってお菓子コーナーに目を通すが、普段あまりお菓子を食べない圭太は詳しくなく、こういう時に何を選んだらいいかわからない。

 そこで春奈に意見を求めてみた。


「杉崎さんはどういうのが好きとかあるの?」

「よくぞ聞いてくれました」


 このドヤ顔である。こういう茶目っ気に富んだ性格も春奈の魅力の一つだな、とつい思ってしまう圭太だ。


「おすすめがあるんだ?」

「うん。今日はね、私なりにラインナップを考えてあるの」


 そう言って春奈は棚に手を伸ばす。


「まずこれはパーティーの定番だし外せないよね。それからこれとこれも抑えておけば間違いはないんだけど、甘い方に偏っちゃうから、不足したしょっぱさを補強する為にこれも……」


 次々とかごに放り込まれていくお菓子たち。

 これだけ食べられるのかと思わなくもないが、この量がそのまま懇親会への期待の表れなのだと考えると嬉しくてツッコむ気にはなれない。何より、圭太としては春奈が楽しそうならもうそれだけでオッケーなのである。

 しかし、その春奈の手があるところで止まったことに気付く。


「どうしたの?」

「ううん、何でもない」


 そう言って別のお菓子をかごに放り込む春奈だが、圭太は見逃さなかった。

 彼女の手が止まった時、その視線は「ラクダのマーチ」というお菓子に対して注がれていたのだ。

 圭太も知っている。星のような形をしたビスケットで、表面には可愛らしいラクダの絵が描かれており、中にチョコレートが入っている人気の商品だ。


「さっきのも買おうよ」

「さっきのって?」


 春奈が手を止めてこちらを振り返った。


「『ラクダのマーチ』」

「……」


 返事はせずに無言でそれを手に取り見つめながら、春奈はぽつぽつと語り出す。


「これ、可愛いラクダの絵が大好きで小さい頃によく買ってもらってたんだけど、子供っぽいかなって思い始めると恥ずかしくて、最近は人前じゃ食べてなかったんだよね」

「そんなことないと思うけどな」


 とはいえ、恥ずかしいかどうかは圭太が決めることではない。

 だから圭太はラクダのマーチを一つ手に取ってから言った。


「実は俺も昔からこれ、好きでさ。今でも結構食べてるよ」

「えー、ほんとに? 近藤君がお菓子食べてるところ、あまり見ないかも」


 疑いの言葉をかけながらも春奈は笑顔だ。この前のクルちゃんのこともあり、段々と圭太の性格がわかってきたのかもしれない。

 信じてもらうきっかけを探すために、圭太はパッケージを眺めた。そういえば、ビスケットの表面に描かれているイラストには何種類かあったはずだ。

 パッケージに描かれているラクダのうちの一つを指差した。


「ほら、このラッパ吹いてるやつとかお気に入りなんだよね」

「えーそれ最近追加されたやつだよ。にわかじゃんにわか」


 イラストを覗き込むために春奈がぐいっと近寄ってきたので、圭太は顔が熱くなるのを感じつつ、慌てて距離を取る。

 しかし、イラストが随時追加されているなどとは知らなかった。さすがのラクダのマーチガチ勢に舌を巻く圭太だ。


 春奈は圭太の持っている商品をそっと受け取り、パッケージ全体に散りばめられているラクダたちを指差しながら解説する。


「これね、左が一番古くて、右が一番新しいやつになってるんだよ」


 キャラクターは合計で何百種類と書いてある。

 つまり、左側から右側へ流れるにつれて、追加された世代ごとに順番に、ピックアップされた何種類かが描かれているということらしい。


「ラクダのマーチ博士じゃん」

「任せなさい」


 えっへん、と春奈は腰に手を当てて胸を張った。


「じゃあ、今日は二人にラクダのマーチの何たるかを教えてあげようかな」

「お願いします」


 春奈の手からかごに飛びこんでいく三箱のお菓子。その様を見ながら、圭太は安堵に口元を綻ばせる。


「お待たせ。お菓子選びは済んだかしら」


 その時、丁度いい、というタイミングで凛が戻ってきた。しかし、その鼻にはティッシュが詰め込まれている。


「凛ちゃんお帰り。また持病が出ちゃったの?」

「ええ、そうよ」

「無理しちゃだめだよ」

「ありがとう」


 鼻血を出しているようだが、心なしか凛の顔がつやつやして見えるのは気のせいだろうか。やはり、あまり考えない方がいいのかもしれない。


「では、後は飲み物ね。行きましょう」


 そう言って、凛は先陣を切って歩き出す。

 それについて行こうとすると、不意に春奈が身体を寄せてきて、その口元に手を添えてそっと囁いた。


「ありがとね」

「!?!?」


 何が起きたかわからず、いや、わかってはいるのだが、理解が追いつかずに圭太は困惑した。

 友達として最近どんどん仲良くなっていっているせいか、春奈の距離感が近い。それはいいことなのだが、とにかく心臓に悪い。それに圭太が同じことをすれば色んな意味でアウトな気がするのもまた理不尽だ。

 そんな圭太の悩みを知る由もなく、春奈は鼻歌を歌いながら、跳ねるような足取りで凛の隣に並んでいた。

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