お兄さんで幼馴染で親友
「ごめんね、こんな夜遅くまで」
「全然。俺も物足りないって思ってたから」
「ありがとう」
日も暮れかけた夜の街中を二人で歩きながら、そんなやり取りを交わす。
春奈が提案してきたのは延長戦――もっと彼女の小説について議論を交わしたいというものだった。
家に帰って執筆を再開する前に、改善点は全て洗い出しておきたいようで、随分とストイックな様子が見て取れた。
しかし、喜んでばかりはいられない。この時間から議論をするとなると、終わる頃には宵闇に包まれた街中を春奈一人で帰らせることになってしまう。
だが、いざ「帰りは家まで送るよ」と口に出そうとすると緊張してしまい、結局喉の奥に引っ掛かったままで今に至る。議論が終わった頃にまたチャレンジしようと決意を新たにする圭太であった。
雑談をしながら歩いている内に目的地が見えてくる。今回会場として選ばれたのは繁華街の中になるお馴染みのファストフード店だ。
ここは圭太と春奈が住んでいる場所の、ちょうど中間辺りにあるらしい。中学の時も同じく立地の関係でよく利用していたものだ。
一階で注文して商品を受け取り、二階にあがる。良い感じの席を探すためにきょろきょろしながら歩いていると、途中で何やら見知った顔を見付けた。
圭太の進行方向に座っている男子なのだが、どこかで見たことはあるものの、誰なのかを思い出せない。
名前がわからない以上、声をかけるのもはばかられたので素通りすると、後ろを歩く春奈がぽつりと言った。
「夏彦?」
思わずもう一度振り返ってしまう。
杉崎夏彦。春奈の弟であり、圭太の通っていた中学のサッカー部員で、摩耶のクラスメートだ。
「お兄ちゃん?」
しかも、向かいに座っているのは摩耶だった。他には男子が二人と女子が二人、こちらは完全に知らない顔だ。
夏彦がこちらを振り向く。圭太と目が合うとすぐさま立ち上がり、軽く腰を折った。
「圭太君、初めまして。明君にはいつもお世話になってます。この前の試合、観に来てくださったみたいで、ありがとうございました」
クールな雰囲気にそぐわない礼儀正しさに、圭太は面喰らってしまう。
「こちらこそ、摩耶がお世話になってるみたいで」
何となくそう返すしかない。
すると、「誰?」と言った様子でやり取りを眺めていた、夏彦の背後にいる中学生たちが、突然にざわざわとし始めた。
「摩耶ちゃんのお兄さんだって」
「思ってたのとちょっと違うかも」
「でも優しそう」
「てか、後ろの人誰? めっちゃ可愛くね?」
「近藤さんの兄貴と付き合ってるのかな」
「でも夏彦の知り合いだろ? 姉貴とか?」
女子は圭太に、男子は春奈に興味津々のようだ。
そんな彼らの方をくるりと振り向き、夏彦は圭太を手で示しながら紹介した。
「こちらは圭太君。近藤のお兄さんで明君の親友だ」
「親友……あの明君の!?」
「え、南先輩の? すごい!」
何がすごいというのだろうか。
こういった状況には慣れっこな圭太だが、相も変わらず明のネームバリューはすごい。友達に囲まれてニコニコしている様はよく見るが、後輩にもこれだけの人望があるとは、一体普段どのような学校生活を送っているのか。
しかも、男子の方は次々に立ち上がり、圭太に向かって腰を折る。
「明君にはお世話になってます!」
「いつもお世話になってます!」
彼らの傍らには部活用と思われるスポーツバッグがある。恐らく、男子がサッカー部で女子がテニス部なのだろう。
「そ、そっか。部活頑張ってね」
「ありがとうございます!」
あまりの勢いにたじたじの圭太は、そう返すのがやっとだった。
それから挨拶をしてその場を去る。性格を考慮してか恥ずかしいのか、夏彦はあえて春奈を紹介しなかった。
「やっぱり南君の人気ってすごいんだね」
席に着くなり、春奈がそう会話の端を発する。
「男女問わずモテるんだよね、昔から」
「それに、摩耶ちゃんもモテるらしいよ」
「え、そうなの?」
「うん。夏彦、最近仲良いから友達から紹介してくれって言われて鬱陶しいってこぼしてた」
圭太は小さい頃の摩耶の姿を思い浮かべた。
いつも自分の後ろをひょこひょことついてきていたのに、いつの間にか兄離れを済ませ、最近はおしゃれにも気を使うようになっている。
正直よくわからないが、モテると言われればそうなのかもしれない、くらいの認識だ。
首を傾げていると、まずは春奈の、次に圭太の携帯が続けて震えた。
二人が目を合わせてからそれぞれの確認をする。
「摩耶ちゃんからだ」
圭太にも、すぐ側にいる妹からのチャットが来ていた。内容は「ちゃんと春奈ちゃんを送って帰るんだよ」とのことだった。
「摩耶ちゃんがね、今日は友達といるから、また今度お話しようねーだって。こういうところがモテるのかな?」
「俺も摩耶からだった。家じゃそんな気なんて使わないくせに」
「あはは。でも、夏彦も家とは全然違ったよ」
「そうなの?」
「うん。あんな礼儀正しい夏彦、初めて見たからびっくりしちゃった」
一通り食事を済ませ、互いに飲み物だけになったところで春奈が席を立つ。圭太はその隙にチャットの返信をしておくことにした。
アプリを開くと、見たことのない「Ayu」というアカウントからチャットが来ているのが目につく。内容は「春奈に変なことしたらぶっ潰すぞ」とのことだった。考えるまでもなく里香だろう。
今度から知らない人からのチャットは届かないように設定しておこう、などと思いつつ、里香を友達リストに追加して返事をする。
『しないしない。てかID誰から聞いたの?』
『明に決まってんだろ。他に誰がいんだよ』
『杉崎さんとか』
『春奈にお前のIDなんて聞くわけないだろ』
『何で?』
『うっせばーかばーか』
『えぇ……』
まるで自分に決して懐かない近所の小さな子供でも相手にしているみたいだ。
『てか今返信してるってことは、春奈は近くにいないのか?』
『そうだよ』
『お前、春奈が使ったストローに口つけたりしてないだろうな』
『してないし、その発想すらなかったよ。じゃあ鮎川さんは普段そんなことしてるってこと?』
『いや、友達関係崩れるから我慢してる』
『我慢してるんだ』
『だから、そうだな。どうせやるならもっとすごいことをするな』
『もっとすごいことって、例えば?』
『そりゃお前、春奈の』
そこまで見たところで、背後から足音がしたので携帯をしまう。つまるところ、里香の中身はただのおっさんらしい。
春奈が圭太の向かいに座り、飲み物を一つ口に含んでから言った。
「ねえねえそう言えばさ、私、マスコットキャラクター考えて来たんだけど」
「マスコットキャラクター? 何の?」
「文芸部の」
「ああ、それはいいかも」
「部誌の表紙が寂しいから、キャラクター載せて可愛くしたいなって」
春奈は鞄の中から紙を一枚取り出して圭太の前に差し出す。その表面には何かのキャラクターが描かれていた。
「これなんだけど」
全身が水色のキリンだ。あるいは水で出来たキリン。
デフォルメされた可愛らしいキリンが、水色のポールペンで着色されている。
「可愛いね。これは何て言うキャラなの?」
「水キリンちゃん」
「ああ、なるほど」
凛のフルネーム、水樹凛とかけて水キリン、ということらしい。これはマスコットとして非常にふさわしいと、圭太は素直に感心する。
だから、笑顔で一言だけ添えておく。
「水樹さんにも見せたら、きっと喜ぶよ」
「本当に?」
首を縦に力強く振って、水キリンちゃんをもう一度肯定した。
「良かった。じゃあ、明日凛ちゃんに見せてみるね」
そうして、春奈は紙を嬉しそうに鞄に戻した。
――ちなみに後日これを見せた際、凛は喜ぶどころか涙を流しつつこの世のありとあらゆるものに感謝するのだが、それはまだ知る由もない二人であった。
その後、小説についての議論を再開した二人だったが、窓の外の風景に夜の帳も下りて少し経った頃、さすがに解散することになった。
春奈はまだ語り合いたい様子だったので、また後日、という口約束を取り付けて満足してもらう。それから程なくして店を後にした。
大分過ごしやすい気温にはなっているが、暗くなるとさすがに肌寒いと感じる部分もある。
ふと夜空を見上げてみたところで、街灯のシェルターが邪魔をして星を観察することは出来ない。だが、それもこの町で生まれ育った圭太には慣れたことだ。
ひゅう、と一陣の風が二人の間を吹き抜けていく。「夜になると寒いね」と、隣を歩く想い人が楽しそうに言った。
「ごめんね、夜遅くまで付き合わせたのに、送ってもらっちゃって」
「全然。俺も楽しかったし、もうちょっと話したかったから」
帰り際になると、意外にすんなりと「家の近くまで送るよ」という言葉が口から出て来た。
春奈は少し驚いた様子だったが、全く嫌そうな表情はせず、すんなりと受け入れてくれた。今日はすごく楽しそうにしてくれていたし、向こうももう少し話したいと思ってくれていたのだろうか、などと少し自惚れてしまう圭太である。
他愛もない話をしながら人もまばらになった街を歩いていく。この時間の終わりが近づくにつれて、寂しい気持ちが甘く心を締め付けた。
ふと、互いに無言の時間が訪れる。
何か話を繋ごうと圭太が思索を巡らせていると、春奈がそっと、談笑をしていたつい先ほどまでとは打って変わったトーンで口を開いた。
「近藤君、ありがとう」
まさか感謝をされるとは思っていなかった圭太は、返事をするまでに若干の間が空いてしまう。
「突然どうしたの?」
「いつか言おうと思ってたの。でも、タイミングがつかめなくて」
何か感謝されるようなことをしただろうか、とこれまでの行動を思い起こしていると、横からふっ、と柔らかい息遣いが聞こえてきた。
「近藤君と仲良くなってから、楽しいことばかりなの。新しい友達も出来て、世界がちょっとだけ広がって、凛ちゃんとももっと仲良くなれて。文芸部で集まってゲーム大会をするなんて、思ってもみなかった」
「そんなの、俺だって同じだよ」
「だから、ありがと」
ともすれば思わせぶりとも取られかねない発言で、だからこそいつ言うべきか迷ったのだろう。それでも圭太は嬉しくて、胸が一杯になった。
「こちらこそ」
それしか言葉が出て来なかった。
あまりに時期尚早だった自身の告白を悔やみつつ、やはりいつか、もう一度この気持ちを伝えようと、そう決意を新たにする。
これから文化祭という大きなイベントも待っているのだ。更に仲を深めるきっかけは多い。そしてその先に待つクリスマスで――。
圭太は空を見上げながら、そのような妄想に浸っていた、のだが。
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