覚えてます

「ふあ……」


 学校の昇降口にてあくびを漏らしてしまう。

 圭太は昨日、明とカラオケを楽しんだ後、家に帰って夕食や風呂を挟み、ゲームを夜遅くまで遊び倒してしまったのだ。

 しかし、教室に行けば春奈がいる。あまりだらしのないところは見せられないと圭太は気を引き締めた。


 教室に入ってクラスメートからの挨拶を返しつつ、自分の席の隣に視線をやる。そこでは春奈と、昨日一悶着あった里香が談笑していた。席に到着して荷物を置きながら挨拶をする。


「杉崎さん、鮎川さんおはよう」

「おはよう」

「……」


 里香からは返事がない。

 椅子に腰かけてからそちらを見やれば、里香は腕を組んでじっとこちらを見つめていた。春奈は何がなんだかわからず、二人へ交互に視線をやっている。


「あたしはお前を認めたわけじゃないからな」

「そうですか」


 約束が違うが、そのことについて今、追及する気にはなれない。

 そんな二人のやり取りを見た春奈が、不思議そうな顔をしながら口を開く。


「二人とも、いつ仲良くなったの?」


 ぎくっ、という音が聞こえてきそうなくらいにうまく表情を強張らせた里香が、無理矢理破顔しながら答えた。


「いやいや、別に仲良くなったわけじゃないって」

「そう? 里香がすごく自然な感じに見えたから……」

「昨日明と遊んでる時に偶然会ってさ、その場のノリでカラオケに行ったんだ」


 呼び出して春奈を巡る勝負を仕掛けた、などと知られるのは都合が悪いだろうと考え、助け船を出した圭太なのだが、里香は驚き、ぽかんと口を開けた間抜けな表情を見せている。

 春奈がくるりと圭太の方を向いた。


「へ~そうなんだ。近藤君って歌上手なの?」

「いや、全然。やっぱ鮎川さんには敵わないよ」

「里香はボーカリストだしね」


 里香が褒められて春奈も気分が良さそうだ。

 こうすれば親しい友人の前で里香を立てることが出来て、圭太も誰かを貶めるようなことをせずに済む。双方に益のある対応の仕方だった。

 こんな感じでどうでしょう、という気分で視線を送ったのだが、どうしてか里香は悔しそうに歯噛みをし、圭太を睨みつけている。


「おい、近藤」

「はい」

「これで勝ったつもりになってんじゃねえぞ!」


 そんな捨て台詞を残してまたも走り去って行ってしまった。

 何をどう間違えたのだろうか、と圭太が首を捻っていると、里香を見送った春奈が笑顔で言う。


「でも、嬉しいな」

「何が?」

「近藤君と里香が仲良くなってくれて」


 春奈にそれを言われるのは、圭太としては中々に複雑だ。もちろんそんなつもりで言ったわけではないのだろうが、わかっていても心の舵を取るのは難しい。

 そんな気持ちを秘めながらも苦笑で応じる。


「まだそこまでじゃないけどね。これからって感じ」

「それでも、だよ」


 確かにこれからは里香が遊びに来た時は賑やかになりそうだ。そう思えば、自然と圭太の口元も綻ぶのであった。




 全ての授業が終わり、迎えた放課後。

 席で帰り支度をしている圭太に、春奈が声をかける。


「近藤君」

「ん?」


 いつもとは違う、切実な声音のする方へ顔を向ければ、春奈のひまわりの咲くような笑顔は鳴りを潜めていた。

 何かあったのだろうか、そう言えば今日は昼ぐらいからそわそわしていたような気もするな、などと圭太が思い起こしていると、春奈は続ける。


「今日、部活に来るよね?」

「そのつもりだけど」

「ちょっとね、大事な話があるの」


 大事な話があるの、大事な話があるの、大事な話があるの……。

 圭太の脳裏でその部分だけエコーがかかって再生された。そのような台詞、どうしても期待をしてしまうのが人の性というものである。

 しかし、ここ最近で春奈に対する理解度をかなり深めた圭太は、至って冷静だ。当の本人にそんなつもりはない。その大事な話は「そういう話」ではないと考えるべきだろう。


「わかった。普通に部室に行けばいい?」

「うん。今日は凛ちゃんがお休みで、二人っきりだから」


 勘違いする方が悪いと言えば悪いのだが、春奈にももう少し気を付けて欲しい、と圭太は思ってしまう。これでは、思わず明日からのデートプランなどを考えてしまったとしても何ら不思議はない。

 春奈は「じゃあ先に行ってるね」と言い残して、そそくさと出て行った。特に予定もないので、しばらくしてから立ち上がり、圭太も部室に向かう。


 教室から目的地へと向かう、そんなに長くない道のりの中で、圭太はやはり明日からのデートプランを考えてしまっていた。

 自分たちならやはり本屋デートが無難なところだろうか。家で互いに好きなアニメを鑑賞するのもいいかもしれない。

 もしかしたら春奈もサッカー観戦を好きになってくれて、スタジアムまで行くことだってあるかもしれない。レプリカのユニフォームを着た春奈はさぞ可愛いことだろう――。

 だが、部室が見えてきた辺りで、圭太は何とか妄想を切り上げることが出来た。わかってはいる。それでも、鼓動が高鳴るのを抑え切れないのはしょうがない。そう言い訳をしながら部室の扉に手を掛ける。


 春奈は席をくっつけて、いつもの形にしてから座って待っていた。圭太に気付くと小さく手を振ってくれる。

 それでもその表情はやはりどこかぎこちない。緊張しているのがありありと伝わってきた。


 挨拶を返して春奈の向かいに腰をおろすと、その手に何やら数枚の紙を持っているのがわかった。

 授業に使われているわら半紙などではなく、コピー用紙に見えるが。


「それで、話って?」


 早速といった感じで圭太が切り出すと、春奈は手に持っていた紙をおずおずと差し出してきた。


「これを読んで欲しいんだけど」


 受け取って内容を確認する。

 紙束はホッチキスで左上に一ヶ所止めがされていて、中央上部には「魔法少女メルちゃん」という文字が印刷されていた。

 圭太はなるほどね、と心の中で首肯する。


「これは?」

「私が書いた小説なんだけど、部誌に載せる前に読んで欲しいなって思って」

「いいの?」

「凛ちゃんにはもう見てもらったんだけど、近藤君の感想も欲しいから」

「わかった」


 以前、見せて欲しいと言ったら拒否されているのだが、相手が緊張していることもあって余計なことは言わない。

 やはり色めいた話ではなかった。わかってはいても落胆してしまう圭太だったがすぐに心を切り替える。


「じゃあ、早速読ませてもらうね」


 春奈が無言で頷くのを確認してから、圭太は一枚目の紙をめくった。

 これは、かなりリアクションに気を使わなければならない。ただでさえ創作物を見せてもらうのに、相手は意中の女子だ。

 無理にお世辞を言えばがっかりされるかもしれないし、かと言ってばっさり行き過ぎても相手を傷つけてしまう。言葉を選びつつ、出来るだけ的確なアドバイスをすることが求められる。


『あるところに、メルという女の子がいました――』


 そんな一文から始まる「魔法少女メルちゃん」は、貧乏な家庭に生まれ育った女の子がある日突然魔法使いになり活躍していくという、いわゆる成り上がりファンタジーのようだ。

 途中まで読んだところで圭太は安堵の息を漏らす。

 面白い。普通に読める。さすがにプロのレベルではないが、これならお世辞などではなく、心の底から面白いということも出来るし、ある程度の問題点を指摘することも出来そうだ。

 物語はプロローグだけで終わっていた。これからを期待させる締めくくりに満足感を覚えながら、紙束を元の状態に戻す。

 手元から正面に視線を移すと、春奈が心配そうにこちらを見つめていた。


「ど、どうだった?」

「面白かったよ」

「本当に?」

「モンスターに襲われたメルが覚醒して、魔法でピンチを切り抜けるシーンはすごくテンション上がったし、そこ以外は一貫してほのぼのした雰囲気なのもいいと思う。ただ、敢えていうならタイトルは捻った方がいいかな」

「あ、それ凛ちゃんにも言われた」

「ちょっとシンプル過ぎて目立たないかも。部誌に掲載するだけだったら全然問題ないんだけどね」

「うんうん」


 それから、圭太が問題点を指摘する、それに対して春奈が改善案を提示する、という形で議論は盛り上がって行った。


「そう言えば、水樹さんはタイトル以外のことは何か言ってた?」

「それが、読んでる途中で意識が飛んじゃったから、そこまでの感想しか聞けてないの」

「最近は収まってたけど、やっぱり身体弱いのかな」

「そうかも。心配になるよね」


 意識が飛んだ、と言えば普通はただごとではないのだが、凛に対してはそのような感覚が薄れつつある。

 いつの間にか朱が窓から差し込み、部室を染めていた。何かに夢中になっていると時間が経つのは早いなと、圭太はこの幸せな時間が過ぎ去ることを惜しむ。


「もうこんな時間だし、そろそろ帰ろうか」

「うん」


 圭太の言葉で今日の部活動はお開きとなった。はずなのだが。

 二人して帰る準備をしている最中、春奈からまさかの提案を受ける。


「ねえ、近藤君ってこれから予定ある?」

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