圭太 vs 里香
「カラオケに行くなんていつぶりだろ」
服を外出用のものに着替えながら、圭太はぽつりとつぶやいた。ローテーブルの下で丸くなっていた太郎がそれに反応する。
「そう言えば私がここに来てから、圭太さんがカラオケに行くのを見たことがありません」
「昔は明に付き合ってそこそこ行ってたけどな」
「圭太さんは家でも外でも、どこでも楽しむことが出来ますね」
「それだけが取り柄みたいなもんだから」
「そんなことはありません。圭太さんにはいいところがたくさんありますよ」
「ありがとよ」
飼い主をフォローし、励ましてくれる猫とは何と素晴らしいものだろうか。壁を引っかいたりもしないし、いたずらで困らされたりすることもないので、両親からもとても評判がいい。
着替えが終わった。春奈に会うことはないだろうが、以前摩耶が選んでくれた服を選び、身だしなみにも気を遣ってみる。
全身鏡を見ながら髪を整える圭太を見て、太郎が揶揄を飛ばす。
「イケメンの誕生ですね」
「やけに持ち上げるじゃん」
「それしか取り柄がない、などと言われれば励ましたくなるのが世の常です」
「そうだな、もうちょっと自分に自信を持つか」
「その調子です」
鏡から離れ、携帯や財布をボディーバッグに詰めながら、圭太はふとした疑問を口にする。
「しかし、俺と会いたいやつって誰なんだろうな」
「私には皆目見当もつきません」
今日のカラオケは、明から「お前に会いたがってるやつがいる」と言って呼び出されたことに始まる。もちろん誰なのか尋ねはしたが、会ってからのお楽しみ、ということで教えてくれなかった。
明の交友関係は広い。同じ高校のみならず違う高校や中学、サッカー関係など多岐に渡るので、圭太ですらも把握しきれていないほどだ。
数ヶ月前にバンドを組んだという話も聞いているが。
「どうしてカラオケなのですか?」
「三人で話したいことでもあるとか」
「なるほど、カフェやファストフード店に行くよりも安価で閉鎖された空間ですからね」
「そういうこと」
いずれにせよ推測の域を出ない。ごちゃごちゃと考えるのはやめて、圭太は扉に向かって歩き、その手前で振り返る。
「それじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
街中のカラオケボックスに到着した。
ここは同じ高校の学生たちもよく使う場所のはずだ。明とカラオケ通いをしていた頃にもたまに来たことがある。安価で綺麗だし、同じ名前を良く見かけるので大手のチェーン店だと思っていたのだが、実はここいらの地域にしかないらしい。
メッセージアプリを確認すると、既に明と件の人物は中で待っているとのこと。携帯をしまって店内に入り、店員に友達がいる旨を告げて部屋に向かう。
もう一度部屋番号を確認した上で圭太が入ると、そこには二人の人物がソファに腰かけて待っていた。
「おっす」
片手をあげてだらりとした雰囲気で挨拶をしてきたのは、幼馴染で親友の南明。そして、もう一人は――。
「よう。悪いな、呼び出して」
ぎらりとこちらを値踏みするような視線が突き刺さる。
切れ長の目に茶色のショートボブ。男勝りな口調と、パーカーにショートパンツという出で立ち、それに足を組んでこちらを睨みつける態度も相まって、勝気な雰囲気が醸し出されていた。
猫だ、と圭太は思った。警戒心むき出しのその様は、中身が人間の太郎よりもよっぽど猫している。猫耳なんて付けたら似合うとかいうレベルではないのだろう、などと、圭太は場違いな感想を抱いてしまった。
「鮎川さん、話をするのは初めてだよね」
「そうだな」
視線の鋭さはなおも衰えを見せることはない。
鮎川里香。春奈の友達で、休憩時間などによく談笑しに来るところを見かけているが、会話をしたことはなかった。同じ中学の出身らしく、気のおけない仲だと春奈が言っていたのを記憶している。
明とバンドを組んだと聞いていたので、春奈のところに来た際に何度か話しかけようとしたことがあるのだが、全て断念している。
その理由としては、どう見ても春奈しか眼中になかったからだ。話に割って入ってはいけないような、そんな雰囲気が出ていた。
だから、圭太としては思いも寄らず交流の機会が訪れたわけだが、好意的とはお世辞にも言えない態度だ。というか、そもそも里香はこんな感じだっただろうか。春奈と接している時とは半分くらい別人のような気がする。
「まあ座れよ」
明に促されて着席する。
テーブルを挟んで二つのソファが並んでいるのだが、圭太は明の隣に腰かけることにした。里香は反対側にどっしりと構えている。
よく見れば、目の前には三人分の飲み物が用意されていた。相変わらず気の利くやつだな、と横を見れば、明が頷きかけてきたので、ありがたくグラスを一つ取って麦茶を口に含む。
「最近、春奈と仲いいらしいじゃねえか」
飲んだものを少し噴き出してしまった。しかも変なところにお茶が入ったので、しばらくの間むせてしまう。
自分のせいだとは微塵も思っていない様子の里香が、ドン引きした表情で圭太を眺めている。
「汚ねえな」
「いや、突然でしかも直球過ぎるだろ。ワンクッションおけよ」
明にツッコまれるも、全く悪びれた様子はない。
「何だよワンクッションって。あたしはそういうのは苦手だ」
「杉崎さんと話すときは得意なんだろ?」
「うるせえ」
ようやく落ち着いた圭太に、里香は更に問い掛ける。
「で、どうなんだよ」
「どうって何が?」
「春奈のことが好きなのか?」
本当にガンガン攻めて来るな、と圭太は思った。
しかし、ここで曖昧な態度を取らない方がいい。状況から考えて、里香は圭太の気持ちを、その誠実さを確かめるために来たのかもしれないからだ。
圭太は居住まいを正し、両手を膝の上に置いた。一つ深呼吸をして、里香の瞳を真っ直ぐに見つめながら言った。
「好きだ。付き合って欲しいと思ってる」
少し緊張はしたが言い切った。ほっと一息つきたい気分の圭太だが、里香は予想に反して眉根を寄せる。
「は? お前あたしを口説いてどうすんだよ」
「口説いてねえよ!」
すかさず反論すると、今度は明が腹を抱えて笑い出した。ぱしんと勢いよく自身の膝を叩いた後、眦に涙を浮かべながら口を開く。
「いやー、おもしれーなお前ら」
「何がだよ」
「あたしは真面目な話をしてんだ」
圭太と里香にそれぞれ反論された明は、肩をすくめるとソファから立ち上がる。
「ま、後は若いお二人でごゆっくり。俺はドリンクでも取ってくるよ」
「お見合いかよ、っておい」
圭太が引き留めようとするも、明は問答無用で去っていく。
扉が閉まると無言の一時が訪れた。ディスプレイには、今話題のアーティストが自身の楽曲を宣伝する映像が流れている。
ちょうどそれが途切れる頃、里香がまたも強い光を宿した瞳を圭太に向けて問い掛ける。
「じゃあ春奈のことは真剣に考えてんだな?」
「もちろん」
「春奈が迷惑してるからもう付きまとうな」などと言われる可能性も危惧していたが、どうやらそちらの心配はなさそうだ。
ならば多少の恥ずかしさはあるが、自分の想いの丈を正直に、かつ強めに話した方がいい。圭太はそう判断した。
しかし、ここからこの話はどう展開するのだろうか。一体里香は何をしに来たのだろうか。
そんな心配をしていると、里香は予想出来たような出来ないような、そんな言葉を口にする。
「春奈のことはどれくらい好きなんだ?」
この質問は何だ? と言うのが率直な感想だが、どうにも相手にふざけている様子がないので、圭太は両腕を目一杯広げた。
「これくらい?」
「はっ、たかが知れてるな。ちなみにあたしは宇宙が消滅するくらい好きだ」
まさかの「私の方が好き」マウントを取られてしまう。どうやらこれは、どちらの方が春奈のことをより愛しているか、という勝負らしい。
なら負けるわけにはいかない。圭太も攻勢に出ることにした。
「言葉で表現するのがありなら、俺はビッグバンが起きるくらい好きだな」
「は? 宇宙を創るより消す方が難しいに決まってんだろ」
「いや、作る方が難しいだろ。料理だって食べる方が簡単だし」
「お前が料理の何を知ってんだよ」
「鮎川さんだって宇宙に詳しいわけじゃないだろ」
「いや待て。宇宙で例えたらキリがないから、地球上のもので行くぞ」
議論のレベルが完全に小学生なのだが、もはや止まることは出来ない。ツッコミ不在のまま、どちらかが敗北を認めるまで、というデスマッチを続けていると、しばらくしてようやく明が戻ってきた。
三人分のドリンクをテーブルに置いて、圭太の横に座ってから尋ねる。
「そろそろ話は済んだか?」
間髪を入れずに里香が言った。
「明はミジンコとアメーバ、どっちが強いと思う?」
「何の話?」
部屋にいない間にどういった話をしていたのかを圭太が説明すると、明はやはり声をあげて笑い出す。
「お前ら最高だわ」
「で、ミジンコとアメーバどっちが強いんだよ」
里香に再度問われた明は、カラオケ用の端末を手に取り、それを手渡す。
「まあ待てよ。そんなので言い合ったって埒が明かないだろ。それより、これで決着つけるって言ってたじゃん」
「それはそうだけどよ」
「今更怖気づいたのか?」
「煽ってくれるじゃねえか。んなわけねえだろ」
「それってまさか」
圭太が、そう言って端末を指差しながら明を見ると、こくりと頷いた。だが、説明をして来たのは里香だ。
「おい、近藤圭太。どっちの点数が上かで勝負をつけるぞ」
「でも、鮎川さんってバンドでボーカルやってるんだろ?」
「だから何だよ、春奈のことが本当に好きなら俺を倒してみろ」
めちゃくちゃな言い分だ。昔、明とカラオケ通いをしていたことがあるので下手くそというわけではないが、さすがにボーカリストに勝てるとは思えない。
圭太が視線を送ると、明はやはり頷いた。何を考えているのか理解は出来ているような気がする。
圭太は一つ息を吐き、マイクを手に取ってから言った。
「いいよ。その代わり、俺が勝ったら杉崎さんとの仲を認めてもらう」
認めてもらったところで付き合えなければ何の意味もないのだが、この場の雰囲気的にそういうことを言った方が良さそうだと圭太は判断した。
「いいぜ、じゃあ私が勝ったら春奈に近付くのはやめろ」
「わかった」
「…………」
流れで先攻になってしまった圭太が歌い終えると、場は静まり返っていた。里香はぽかんと間抜けに目と口を開いたまま動くことを忘れ、明はにやにやと二人を眺めている。
戦っている? 相手に感想を求めるのもどうかと思って黙っていると、我に返った里香が動揺した様子で明に尋ねた。
「お、おい! どういうことだよ!」
「何が?」
「お前知ってたな。近藤がめちゃくちゃ歌上手いって」
「そりゃあな」
圭太は自分のことをめちゃくちゃ上手いなどとは思っていないが、ただ、明がこうなることをわかった上で里香を連れて来たことは理解した。
「教えろよ。だったら」
「この勝負は挑まなかったのか?」
素早く割って入った明の表情には、ほんのわずかばかりの陰りが滲んでいた。
これは言っておかなければいけない、と思いつつも、なるべく相手に威圧感を与えないように配慮している。
「自分の土俵に相手をあげようとして、強いと知れば逃げるのか? ボーカルも杉崎さんのことも、お前のやりたいことだろ」
「ぐっ」
「そんなやつにバンドのボーカルは任せられないな」
全く反論が出来ない様子の里香はしばらく歯噛みをした後、勢いよく立ち上がって声を張り上げた。
「いいぜやってやるよ! 見てな!」
そして里香の歌がスタートする。
結果は圭太の勝利に終わった。
「覚えてろよ!」
点数を見た瞬間、ばん、と勢いよく扉を開けて里香が出て行く。どうでもいいことだが、圭太は人が「覚えてろよ!」と言って走り去っていくのを初めて見た。
それを見送り、結果発表の画面からお知らせ動画に切り替わった辺りで、圭太が口を開く。
「追いかけなくていいのか? 泣いてそうな感じだったけど」
「彼女ならそうしてたかもな。あいつはあれでいいんだよ」
「そうか」
「それより。久々に二人でカラオケに来たんだから、楽しもうぜ」
そう言って明は端末を手に取り、曲を入れる。程なくして歌がスタートした。
相変わらず上手い。自分でボーカルをやればいいのでは? とツッコミたくもなるが、そもそも里香に誘われるまで、明はバンドをすることに興味がなかった。
一曲を終えたところで、圭太が気になったことを聞く。
「俺が鮎川さんに負けたらどうするつもりだったんだ?」
「その時は何とかしてたさ。それに、俺はお前が負けるとは微塵も思ってなかったからな。実際、点数以上の差があっただろ」
完全に納得とはいかないが、結果オーライなので圭太としてはそれ以上どうこう言う気は起きなかった。
「次は圭太の番だぞ」
促されてマイクを手にする。色々あったが、やはり久々に歌を歌うと楽しいものだ。
存分に休日を満喫する圭太だったが、カラオケも終盤に近付いたところで、ある衝撃的な事実に気が付いてしまう。
里香は自分の代金を置いていっていなかった。
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