すれ違う日々の中で

 結局、圭太の予想通り、春奈とはあまり会えない日々が続いた。

 とは言っても、席が隣なので休憩時間などには会話をすることもあるのだが、やはり部活の時間に比べるとあまり楽しめない。

 しかし、どれだけ寂しさを募らせようとも時間は淡々と過ぎていく。お互いに文化祭の準備で忙殺されるまま、気付けば数日が経っていた。

 そんな、とある日のこと。今日も圭太は放課後に行われる実行委員の集まりに参加していた。


「それでは今日の文化祭実行委員会はこれで終わります」


 実行委員長が終了の宣言を出すと、堰を切ったように教室が騒がしくなる。


「今日は早めだね~。遊びに行く時間ありそう」


 雫が笑顔で話しかけてきた。

 毎日顔を合わせていることもあって徐々に親交が深まり、最近では苦手意識も薄れてきている。もし春奈がいなければ「じゃあ、どこか遊びに行く?」なんて、ちょっと勇気を出して言ってみる未来もあったのかもしれない。

 時計を確認してみれば、たしかにいつもより早かった。今ならまだ文芸部もやっているはずだ。

 早速携帯を取り出していじっていた雫が顔を上げて声をかける。


「これからカラオケに行くことになったんだけど、近藤君もくる?」


 まさかの向こうからのお誘いだ。しかし、圭太は迷うことなく立ち上がった。


「いや、俺は部活に参加するよ」

「そっか~熱心だねぇ」


 文芸部のことを知っているのかいないのか、雫はそんな風に返事をする。

 足早に会議室を後にして教室へ戻る。問題はクラスの演劇準備をまだやっているかどうかだ。実行委員が終わっても、圭太や春奈が参加しなければいけないようではいつもと変わらない。

 祈るような気持ちで雫と共に顔を出すと、人はまばらになっていた。


 道具係の人に尋れば、今日はもう終わったという返事がくる。衣装係も同じようで春奈の席には鞄がない。

 圭太は期待に少しばかり胸を躍らせながら、教室を後にした。


 文化祭準備期間の雰囲気は独特だ。

 どの教室からも遅い時間までわいわいと賑やかな声が聞こえてくる。かと言って部活もやるところはやっているので、いつもと同様にグラウンドからの歓声や吹奏楽部の管楽器の音も途絶えることはない。

 部室へはあっという間に到着した。

 扉の前に立って一呼吸する。普通に考えれば春奈と凛はいるはずだが、もしかしたら早めに帰っているかもしれない。

 圭太が、ついつい力の入る手で勢いよく扉を開けた。


「あっ」

「あら」


 そこには、ちゃんと春奈と凛の姿があった。二人共、こちらを見て少し驚いたような表情をしている。


「文化祭実行委員、早く終わったから顔出せるかと思ってさ」

「そうなんだ! ほらほら、早く座って」


 春奈は立ち上がり、そそくさと机を用意し始めた。歓迎されているのがありありと伝わってきて嬉しくなる。

 「ありがとう」と言って座る圭太を見ながら、凛が口を開く。


「文化祭の準備の方はどう?」

「ぼちぼち。実行委員だからクラスの方は割と任せちゃってる。水樹さんは?」

「私は実行委員でもないけれど、割とクラスの方に任せてるわね」

「それはどうなの」

「凛ちゃん、部長だからここに毎日来なきゃいけないって説明したら、クラスの人たちも協力してくれてるんだって」


 春奈の説明に、圭太が感心したようにうなずく。


「文芸部を守ってくれてるんだね」

「ここに来た時、誰もいなかったら寂しいでしょう」


 相変わらずの無表情の裏に、相変わらずの優しさを含む凛。この人が文芸部にいてくれて本当に良かったと、圭太は心からそう思う。


「それで、杉崎さんの方はどうなのかしら。小説は進んでいるの?」

「一旦完成はしたんだけど、近藤君に色々意見してもらって、あちこち書き直してるところ」

「それは尊……いえ、とてもいいことだわ」

「そう言えば、凛ちゃんの小説ってどんな感じなの? まだ一度も見せてもらったことないけど」

「え、私の小説?」

「うん」


 そこで妙な間が空いた。

 凛が返答をためらうところはあまり見たことがない。圭太は、春奈の言葉のどこに聞いてはいけない要素があったのだろうか、と考察するが見当もつかない。

 やがて、凛が俯きがちに眼鏡を押し上げながら口を開く。


「今はまだ公開出来ないわ」

「え~ずるい。凛ちゃんの小説も読みたい」

「ってことは、水樹さんは杉崎さんの小説を読んだの?」

「ええ。とても満足感のある内容だったわ」


 感想としては間違ってはいないのだが、何となく、小説に対するものではないように思えた。

 久々に顔を合わせたこともあって、その日の部活動は雑談が中心となる。あっという間に時間は過ぎ去り、窓から差し込む陽に朱が交わり始めた頃、春奈が「えっもうこんな時間!?」と驚きの声をあげた。

 それを聞いて教室の前方にある時計を確認した凛が言う。


「本当ね」

「お話が楽しくて全然小説書いてなかった」

「私もよ」


 部活としては良くない傾向なのに、春奈も凛も笑顔で、やってしまったという気配は微塵も出ていない。

 一足先に立ち上がり、凛が自分の机を片付け始めた。


「私、職員室に寄らなければいけないから、先に帰ってて」

「じゃあ私も行くよ」


 そう言って立ち上がる春奈を、凛が手で制した。


「今日は鍵を返すだけじゃないから、時間がかかるの」

「う~そっかあ」


 学校を出るまでは全員で行動したかったのだろう。春奈は本当に残念そうな表情をしている。


「帰りが結構遅くなりそうだけど、大丈夫?」

「あまり遅いようなら親が迎えに来てくれるから。ありがとう」


 圭太の問いにも淀みなく返答がくる。

 それならば心配することはなさそうだ。部室を出て行く背中を見送ったところで立ち上がり、春奈に声をかけた。


「じゃあ俺たちも帰ろうか」

「うん」


 さすがにこの時間ともなると、学校に残っているのは大半が運動部だ。

 吹奏楽部の練習音もなく、グラウンドやテニスコートからのかけ声やボールを叩く音だけが黄昏の空に響いている。


 昇降口から校門までの道のりで横並びに歩きながら、圭太が話しかける。


「衣装係の方はどう? 順調?」

「順調、だと思う。服飾関係に興味ある子が中心になってぐいぐい引っ張ってくれてる感じ」

「杉崎さんはそういうのに興味ないの?」

「え~どうだろう。コスプレとか一度くらいはしてみたいなって思うけど……あ、でも人前に出るんじゃなくて、友達とかと家で、みたいな」


 らしい回答だ、と思う。

 しかし、コスプレか……と、圭太は春奈のコスプレ姿を想像しそうになるが、よからぬ衣装だったので慌てて首を横に振り、妄想を取り払った。


「近藤君は実行委員、大変?」

「そうでもないよ。忙しいけど会議とか、受付とかそんなのばっかりだし」

「里香はもう申し込みに来た? バンドで文化祭に出るって意気込んでたけど」

「まだ来てないよ。締め切りまではもう少しあるし。でも、楽しみだね。明と鮎川さんのバンド」

「うん。里香と何回かカラオケ行ったことあるんだけど、すっごく上手だった」


 知ってる、とは言わない。この様子だと、里香はあのカラオケボックスでの出来事を春奈には話していないようだ。

 校門までの距離はあまりにも短かった。学校の敷地と外とをわける門のレールの向こうでは、寒風がひゅうと吹いて、道路に落ちている木の葉を勢いよく巻き上げている。

 今日は一緒に帰ることは出来ない。その事実が圭太の口数を少なくし、二人の間には静寂が生まれてしまった。


 成すすべもなく、校門前で別れの挨拶をしようとする圭太。しかし、そこで俯きがちだった春奈が急に顔を上げて言った。


「近藤君ってさ、最近、人気者だよね」

「人気者? 誰が?」

「近藤君」


 突然、一体どういう話題なのか。

 もしこれが漫画やアニメであれば、圭太の頭上には「?」がぽぽぽぽんっと乱れ咲いていたに違いなかった。当然、人気者であった自覚も心当たりも全くないのだが……とにかくわけがわからない。


「何で?」

「最近、色んな人と話すようになってるし、遠藤さんとも、仲良いし」

「ああ、まあ文化祭期間中だしね」


 言われてみれば最近、道具係の人たちとは話すようになった。しかし、それは文化祭準備があるからで、本当に仲良くなったかはまだ何とも言えないところ。それは雫に関しても同様である。

 だから、人気者の実態とは程遠い。


 遂に二人がレールを跨いだ。

 春奈はそこからいくらか歩いたところで立ち止まる。そして、圭太が振り返り、視線が重なったところで口を開いた。


「遠藤さんとは、連絡先、交換した?」


 そう言うなりすぐに春奈は俯いて、鞄を持つ両手を背中に回し、どこかもじもじとしながら地面を足の先でつついている。

 まるで迷路を彷徨い、壁に手を触れながら歩いているような感覚だ。だから圭太は、質問に忠実に、間違えがないように答えることを優先した。


「うん、したけど……」

「そっか」


 春奈は小石を一つ蹴飛ばすと、くるりと圭太に背中を向けて歩き出した。


「じゃあ、またね」

「いや、ちょっと待ってどういうこと?」

「私、用事思い出したから急いで帰らなきゃ」


 そして、一度も振り返ることなく、駆け足気味に曲がり角の先へ消えていく。


「え?」


 そして、わけもわからず一人取り残された圭太は、恐らく今この瞬間、人生で最も間抜けな顔をしていた。

 また一陣の風が通り過ぎていく。気付けば校舎には夜の帳が下りていて、部活動に勤しむ生徒たちの声は消え失せていた。

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