男の
ハーフタイムを挟むと試合の様相は一変した。
相手校の選手交代などの采配が的中したのか、夏彦たちは後半開始からしばらくは押し込まれる展開が続いていた。それでも粘り強く守っていたのだが、後半半ば辺りで遂に同点に追いつかれてしまう。
圭太たちがいるゴール裏では部員たちが「まだまだいけるよ!」という励ましの声をあげているが、父兄からは落胆の色を露わにするため息も聞こえた。
心配そうな表情の摩耶が圭太に問いかける。
「ねえお兄ちゃん、これってまずいの?」
「そりゃあ良くはないだろうな」
「夏彦君たち、勝てるのかな」
「何とも言えないな。これだけ押し込まれる時間が長く続いてるなら、監督が動かないとどうしようもないかもしれない」
「あの先生、優しくてすごくいい人なんだけど、髪の毛薄いんだよね」
「それ、サッカーに関係ある要素ゼロじゃないか?」
圭太は見たことがないので、今年度から入ってきた先生なのだろう。たしかに遠目から見ても髪の毛が多いとは言えない。
杉崎さんは髪の毛が薄い人のことはどう思っているのだろうか、と謎の興味を抱きながらピッチに視線を戻す。
ようやく巡ってきたカウンターのチャンス。
トップの選手がポストプレーでボールを落とし、夏彦に繋ぐ。ゴール前まで迫ったところで、十番の選手にはサイドの味方を使うか自分で突破してシュートを撃つか、選択肢が与えられた。
ペナルティーエリアに差し掛かったところで一人を股抜きで交わし、もう一人のディフェンダーがカバーに入ったところをキックフェイントで凌ぐ。
歓声のあがるゴール裏。興奮する部員と父兄たち。
夏彦の左足からシュートが放たれる。その弾道は前に詰めてきたキーパーの脇を通り過ぎたが、惜しくも上のポストを叩き、そのまま圭太たちのいるゴール裏に飛んできてしまった。
「あ~ん惜しい!」
本人も同然に悔しがる摩耶。
「あの子があんな風になるの、珍しいかも」
春奈の視線の先では、シュートが外れたのを確認した夏彦が、頭を抱えて悔しがっていた。その表情には苛立ちがにじんでいる。
圭太としても、この一時間程でみてきた夏彦の印象とは、かけ離れたリアクションの大きさにも思えた。
「何かこの試合に懸けるものがあるのかもね」
「ただの地区予選って聞いてるけど、やっぱりやるからには勝ちたいよね」
そんな風にどこか納得する素振りを見せる春奈を一瞥した後、圭太は十番の背中をじっと見ている。
まだ直接会って会話をしたわけでもないし、何ならその姿を見たのすら今日が初めてなのだが。何となく、彼の想いを理解出来る気がしていた。
後半に入って、夏彦たちのチームは圭太たちがいる側に向かって攻めている。
摩耶に視線をやれば、どこか落ち着かない様子でグラウンドを見つめていた。
それは後半がニ十分を過ぎた頃だった。
相手のコーナーキックのこぼれ球を拾った夏彦のチームが、前線に残っていた夏彦にパスを通す。再びカウンターのチャンスだ。
夏彦側は味方が追いついておらず、実質一人の状況。対して相手ディフェンダーは戻りが早く、近くには三人いる。
ゴール前に差し掛かった。一人は必死に駆け上がってくる夏彦チームのフォワードを警戒していて、残り二人で夏彦を見ている。
夏彦は突破を試みるが、相手ディフェンダーのチャレンジで危うくボールを失いそうになる。何とかキープして、相手に背を向けた。
苦しい。このままでは相手チームの守備がどんどん戻ってきて囲まれてしまう。だが周りにはフリーでボールを預けられるような味方はいない。
さあ、どうする夏彦君――そう圭太が心の中で問い掛けた時だった。
「夏彦君、頑張れー!」
摩耶が立ち上がって、油断していた圭太の身体が跳ねるほどの音量で声援を送ったのだ。当然、春奈も目を見開いて摩耶を見上げている。
それが届いたのかはわからない。
しかしその瞬間、夏彦の身体が突如反転した。
足元にあったボールはディフェンダー二人の間を抜けて、前へ運ばれる。ヒールで軽く押したのだ。
うまい!
思わず圭太は、そう心の中で叫びながら立ち上がる。
夏彦は反応が遅れたディフェンダーの脇を抜けてキーパーと一対一の状況になり、そして――。
ボールはゴール左隅に鮮やかに流し込まれた。
「やったー!」
飛び上がり、春奈に抱きつく摩耶。
「夏彦、すごかったね」
「すごかったー!」
春奈も摩耶をあやしながら応じる。
さすがに圭太もこの場面でお小言を言うほど野暮ではない。それよりも、喜ぶことに夢中で気付いていない摩耶のために、しっかりと夏彦のゴールセレブレーションを目に焼き付ける。
夏彦はゴール裏、というよりは明らかに圭太たちのいる場所に視線をやりながら高く拳を突きあげていた。
部員や父兄は、まるで十年ぶりに雨が降った砂漠の民のような盛り上がりを見せている。
「何だか本当に妹が出来たみたい」
しかし、摩耶はまだどさくさに紛れて春奈に甘えていた。
「おい、そろそろ離れろよ」
「やだ。何かいい匂いするし」
「匂いを嗅ぐな」
「でも、摩耶ちゃんもいい匂いするよ?」
「杉崎さんまで……」
圭太が呆れている内に試合が再開される。
中学の試合は三十分ハーフだ。アディショナルタイムを考慮しなければ、残り十分を切っている。
夏彦たちは何とか追いついたものの、苦しい状況に変わりはない。さて、ここからどうするのか――。
真剣に考えながら何となく隣に視線をやる。
何故か摩耶が春奈の膝の上に座っていた。
「いや、仲良くなりすぎだろ。友達かよ」
何なら友達よりも距離感が近い。
思わずツッコんでしまった圭太に、摩耶は素知らぬ顔で応じる。
「何が?」
「お前、何で杉崎さんの膝の上に座ってんだよ」
「座りたかったから」
「座っ……杉崎さん、本当にごめんね」
「ううん、全然。弟とはこういうコミュニケーションがなかったから、嬉しい」
「夏彦君はあんまり甘えたりしなさそうですもんね」
「うん。小さい頃からしっかりしてて、あんまり手のかからない子だったな」
春奈はどこか寂しそうに語る。
半分は社交辞令の可能性があると考えていたが、どうやら本当に摩耶を妹のようなものとして可愛がりたいと思っているのかもしれない。
「じゃあ、これからは私が夏彦君の分まで春奈さんに甘えますね」
「お願いね。いつでもうちに遊びに来てね」
「え、いいんですか?」
「うん」
「だったら、春奈さんも家に遊びに来てくださいね」
「えっ!?」
明かな動揺を見せる春奈。
圭太は思わず立ち上がり、また注意をしようとする。
「おい、そろそろ――」
その時、わっとまたゴール裏スタンドが盛り上がった。
何事かと三人が一斉にグラウンドに目を向ければ、また夏彦がゴールを決めている。夏彦たちの逆転だ。
「わーすごい! 夏彦君、また決めてる!」
立ち上がり、両手をあげながら一歩前に出る摩耶。
今度は父兄や部員に向けてゴールセレブレーションをする夏彦の笑顔は、今日一番の眩しさがとても印象的だった。
〇 〇 〇
試合はそのまま終了し、三対一で夏彦たちが勝利を収めた。
「ただいま」
「お帰り」
「お帰り」
夏彦が帰宅してリビングに顔を出すと、母と春奈がいた。
ソファに腰かけてテレビを観ている春奈に声をかける。
「今日、観に来てくれてありがとな」
「二点も決めてすごく頑張ってたね」
「皆のおかげだよ」
「摩耶ちゃんもすごく喜んでた」
「近藤と仲良くなってたみたいだけど」
ゴール後に二人が抱き合っているのは見ていた。抱き合っている、というよりは摩耶が春奈に抱きついている感じだったが。
「そうそう。摩耶ちゃんすごく可愛かった。妹がいたらあんな感じなのかなーって思っちゃった」
「姉ちゃんと相性良さそうだよな」
「すごく人懐っこい子だよね。今日の別れ際にも春奈ちゃんって呼んでくれて」
そこから摩耶談義で盛り上がった後、シャワーを浴びる。
リビングで麦茶を飲んだ後二階に荷物を運ぶと、扉がノックされた。返事をすると控えめにそれが開いて春奈が顔を出す。
「ねえ、夏彦。火曜日って部活ある?」
「そうだけど」
「そっかー、本を一緒に買いに行ってくれないかなーって思って」
「本?」
「その日に好きなラノベの新刊が出るんだけど、本屋さんの特典でしおりがついてくるの。それが何種類かあるから、手伝ってもらおうかなって」
「一人で何冊も買えばいいだろ」
「そうなんだけど、ちょっと恥ずかしいから……二枚でいいんだよね」
なるほど。一人一冊買えばいいわけだ。
夏彦としては出来るだけ協力したいが、明日は部活だからどうやったっていけない。しかし、そこである人物の顔が思い浮かぶ。
「そういえばさ、今日近藤と一緒に来てた人って、誰?」
春奈は一瞬、何のことかわからない、という顔をした後、それを理解して笑顔になった。
「あの人は近藤圭太君。摩耶ちゃんのお兄さんだよ。でも、何で?」
もちろんわかっているが、知らないふりをして答える。
「その圭太君と行ってくれば?」
春奈は少しの間固まってから応じた。
「え、何で近藤君!?」
「仲良さそうだったから」
「仲は良いけど……」
強引だったかな、と反省しつつ、夏彦はそれでもごり推す方向に舵を取る。
「そういうの、女友達には頼みづらいみたいなこと、前に言ってたじゃん。男ならいいかなと思って」
「う~ん」
「嫌なら別にいいけど。言ってみただけだから」
「嫌とかじゃないよ」
そうだろう。見た感じ、姉は圭太のことを少なくとも嫌ってはいない。
ちなみに、夏彦は摩耶や明から色々と聞いているので、全てを把握している。
春奈はしばらく唸り声をあげながら思案した後、まるで自分に言い聞かせるかのように夏彦から視線を外し、床を見つめながら言った。
「うん、そうだよね。友達なんだし、別に変じゃないよね」
「……」
「じゃあそうする。明後日、部活の時に誘ってみる」
「それがいいと思う」
「ありがと。じゃあね」
そう言って春奈は扉を閉めた。
明さん、これでいいんですかね、と心の中で問いかけながらベッドに寝転がる。こういったことをするのはまだまだ慣れないのでよくわからない。
ふと、摩耶の顔が脳裏に浮かんだ。
今日は柄にもなく熱くなってしまった。思い返せば恥ずかしいが、それでも摩耶が一生懸命応援してくれて、自分の得点で喜んでくれる姿を見るのは嬉しかった。
『夏彦君、頑張れー!』
あの声を聞いた時、何故かすうっと頭が冷静になり、周囲の状況が良く見えて、攻撃のアイデアが湧いてきた。あんな感覚は初めてだった。
あれは何だったのだろう、と考える内に重いまぶたがゆっくりと降りてきて、夏彦はいつの間にか意識を手放していた。
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