まさかの本屋デート?
月曜日の昼食時、圭太はいつも通りに明と昼食を摂っていた。
「ああ、夏彦な。もちろん知ってるぜ」
その際、土曜日にあった出来事を報告しつつ、中学のサッカー繋がりで明も夏彦のことを知っているのではないかと思って聞いてみればこの反応だ。
「だったら何で早く言わないんだよ」
「ただ言っても面白くないだろ。それに、知ってどうするんだよ」
「それはそうだけど」
知ったところで夏彦に協力を依頼するわけにはいかない。というより、そもそも圭太は例え妹や明であっても、相談に乗ってもらうこと以外に協力してもらうことを良しとしない。
何だかそれは卑怯なことをしているような気がするからだ。
土曜日の一件だって、嬉しくはあったものの、やはり複雑な気分になったことは否定できない。
弁当のおかずに入っていたミートボールを頬張りながら、明が尋ねる。
「それで、ちょっとは杉崎さんと仲良くなれたか?」
「摩耶ならめちゃくちゃ仲良くなってたぞ」
「そりゃあいいことだけど、お前はどうなんだよ」
「ちょっとは。まあ、以前くらいにはなったかな」
午前中に会話をした感じでは、以前の通りかそれ以上に仲良くなった、という感触は得られたと圭太は思っている。
「なら良かった。チャンスをしっかりものにしたってことだな」
摩耶と夏彦が協力していた、という推測は明に話していない。
それが事実なら明が一枚噛んでいる可能性もあるし、本人が何も言ってこない以上、その話題を掘り下げるのは野暮な気がするからだ。
会話が途切れる。互いに弁当を食しつつ、片付いたところで圭太が相談したかったことを切り出した。
「なあ、俺これからどうしたらいいと思う?」
「どうしたらって、お前はどうしたいんだよ」
もう一度告白したい。良く言えば一途だが、悪く言えば未練たらたらな圭太である。ふられたとはいえ、意中の相手と一緒に過ごす時間がほぼ毎日のようにあれば無理もないことではあるが。
圭太はそんな自身の女々しい部分を恥ずかしく感じ、返事が出来なかったが、明が察して問い掛けてくる。
「まだ諦めてないんだろ」
「うん。でも、ちょっと女々しいかなって」
「別にいいだろ。特にお前の場合は相手のこともしっかり思いやってるし、周囲にも迷惑をかけてないからな。誰からも何にも言われる筋合いねえよ」
「そうかな」
「そうさ。とはいえ、まあしばらくはまだ様子見だな。焦るなよ」
「わかってる」
明の言う通りまだまだ時期尚早だ。
春奈が自分のことを異性として意識していないのに告白しても無駄だし、友達として仲良くしたいと思ってくれている彼女にとって残酷な仕打ちになるだけだ。
だからもっと仲良くなるために、どうにか、自然な感じで、あくまで友達として遊びに誘ったりは出来ないものだろうか……と圭太は考えていた。
そうして迎えた放課後。
いつも通りに二人で読書を開始すると、いつも通りではないことが起きた。ここ数日間活動に参加していなかった三人目の部員、水樹凛が部室に入ってきたのだ。
その姿を認めた瞬間、春奈が笑顔を見せる。
「凛ちゃん!」
「お久しぶりね」
「最近来ないから心配してたよ」
「ちょっと色々事情があってね。近藤君もお久しぶり」
「おっす」
艶のある黒髪は、三つ編みにまとめられている。眼鏡の奥に光る瞳は、いつも怜悧に目の前で起きた事象を見つめていた。
見た目もきっちりしているし、性格も真面目でしっかりしている上に文芸部の部長もやっている。その勢いで行けばクラスの委員長もやっていそうだなと思ったがやっていないらしい。
文芸部は実質的にこの三人でやっている。後は二年に一人、三年に一人いるが滅多に顔を見せないとのこと。ちなみに圭太は一度も会ったことがない。
席に着いて荷物を机の横にかけた凛が二人に話しかける。
「活動は順調?」
「凛ちゃんがいない間は、本を読みながらおしゃべりしてただけかな」
「そう。でももうすぐ文化祭もあるし、そろそろやっていかないとまずいわね」
基本的に文芸部は論評や俳句、小説の執筆を主な活動としていて、それを定期的に発表しているのだが、文化祭ではそれらを一般に展示すると聞いている。
今の時期に書いたものはそのまま文化祭の展示物となるのだ。
「あの、それなんだけど」
「何かしら?」
少しの間が空いた後、春奈はもじもじとしながら口を開いた。
「あのね、実は私、小説を書いてみようと思ってて」
「うぐっ」
「え!?」
話を聞いた凛の身体が突如ぐらつく。
「凛ちゃん大丈夫!?」
しかし凛はすぐに持ち直し、いつも通りの表情と姿勢になった。ずれた眼鏡を直しながら答える。
「ちょっとめまいがしただけよ。それは素晴らしい試みだわ。その小説はもう書き始めているの?」
「ありがとう。うん、文化祭に間に合わせたいと思って少しずつ書いてるんだけど……一度、凛ちゃんに読んでもらいたいなって」
それを聞いた凛の息が何故か荒くなる。
「い、いいわよ。今度持ってきてくれたら読むから」
「お願いします」
春奈の小説?
圭太としては当然のようにどんなものか気になってしまう。
「ねえ、良かったらそれ、俺にも読ませてよ」
「近藤君はだめっ」
「えぇ……」
「ぶふぉっ!」
今度は凛が鼻血を噴き出しながら椅子ごと後方に倒れてしまった。もし真正面にいたら圭太がもろに血を浴びていたところだ。
「凛ちゃん!?」
「あ、危うく尊死するかと思ったわ……」
「え、とうと……何?」
「何でもない。すぐに片付けるわね」
瀕死の動物のようにぴくぴくしていた凛だが、すぐに立ち上がると鼻にテイッシュを詰めつつてきぱきと血を拭き取り始めた。
インパクトが強過ぎたのでわからなかったが、意外と血の量は少ない。圭太と春奈も机や椅子を直すのを手伝ったが、その作業を終える間に凛の方も片づけを終えていた。
「ちょっとお手洗いに行ってくるから」
「本当に大丈夫? 保健室行った方がいいんじゃ」
春奈は本気で心配そうにしている。
「大丈夫よ。いつものやつだから」
「そっか、持病持ちだもんね。大変だね」
「ありがとう。すぐに戻ってくるから」
凛に持病があるという話は以前から耳にはしている。しかし詳細を聞いてもはぐらかされるし、よくわからないというのが正直なところだ。
めまいを起こしたり鼻血を出したりというのはどう考えても大きな病気にしか思えないのだが、そんな気配は凛本人や教師、保険の先生など周囲の大人を見ても感じることは出来ない。
凛が離脱すると、二人は気を取り直して読書を再開する。
圭太は論評を書くだけなのだが、流石にそろそろ本を読み終えなければならないために集中したいところだ。
しかし数分後、春奈が控えめに声をかけてきた。
「あの、近藤君」
「どうしたの?」
何か言いにくいことがあるのか、視線も表情もためらいがちだ。
「明日の放課後って何か予定ある?」
「ないけど」
春奈から「予定はあるか」と聞かれれば、圭太には「ない」と答える以外の選択肢は用意されていない。
まあ、実際に元からないのだが。
春奈は逡巡した後、意を決した面持ちで話を切り出した。
「もし良かったら明日の部活が終わった後、一緒に本屋に行って欲しいんだけど」
「本屋ね。いいよ」
「あ、ありがとう」
ナンダホンヤカー。一件落着。
そう思って読書を再開したのも束の間、頭の中で会話の内容を反芻した圭太は、勢いよく顔を上げて問い掛ける。
「え、本屋!?」
「何!? やっぱりだめだった!?」
「いや、全然。むしろこの上なくオッケー」
「そっか、良かった」
混乱のあまり、この上なくオッケーなどという変な言葉を使ってしまったが、春奈は気にかけていないようだ。
いや、それよりも。これはもしかしなくても本屋デートのお誘いなのでは? そんな言葉が存在するのかどうかは知らないが、とにかくそういうことだろう。
いつどうやって、どのように自然な感じで遊びに誘うかどうか悩んでいた圭太としては棚からぼたもちであり、カモがネギを背負ってやってくるようなものだ。
しかしここで圭太は冷静になる。
確かに本屋デートだが、春奈にデートなどという意識はない。あくまでショッピングに誘っただけの話なのだろう。それでも、遊びに誘われたということに何らネガティブな要素はない。
頬が緩んでしまうのを頑張って抑えつつ読書を続けていると凛が戻ってきた。だが、その鼻にはまだティッシュが詰められている。むしろ、席を立つ前よりも重症化しているのではないか。
春奈が凛に声をかける。
「お帰り、凛ちゃ……あれ? 鼻血止まってないの?」
「ええ。一旦は止まったのだけど、ここに戻ってくる前にぶり返してしまったわ」
「本当に大丈夫? もう今日は帰った方がいいんじゃない?」
「そうさせてもらうわ。もういい時間のようだしね」
時計を見上げれば、すでに時刻は十七時四十分。圭太や春奈も帰宅すべき頃合いになっている。
圭太が春奈に言った。
「もうこんな時間か。俺たちも帰ろう」
「そうしよっか」
「凛ちゃん、一緒に帰ろっ」
「ふぐっ……いいわよ」
圭太も二人を送って帰りたいところだが、家が別の方向だ。それにまだ明るさの残るこの時間なら問題はないだろう。
「近藤君、また明日」
「うん、また明日」
校門前で笑顔で挨拶を交わした。
踵を返して家路に着けば、爽やかな風が後ろから圭太を追い越す。枯れ葉が元気に舞って、また一つ、また一つとアスファルトの上に色とりどりの絨毯を作った。
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