休日の昼下がり、スタジアムにて
運動公園までは徒歩とバスで移動した。
何がそんなに楽しみなのか摩耶は終始ご機嫌な様子で、学校であった面白いことや、最近聞いている音楽の話などをしてくれる。妹と出歩く機会もここのところめっきり減っていたので、たまにはこういうのも悪くないと思う圭太だ。
運動公園は人で溢れていた。
平日はそこまで人気がなく、ペットを連れて散歩をする老人が多い印象だが、休日は学生たちの試合が開催されるのでこのようになる。
摩耶はそうでもなさそうだが、圭太は人混みがあまり得意ではない。辟易しながら歩みを進めていくと目的地が見えてきた。
陸上競技場は収容人員二万人となっていて、かなり立派なものだ。
もちろん国内だけでもこれを上回る規模のスタジアムはいくつも存在するが、そういったところには行ったことがないので、圭太はこの陸上競技場の大きさでも感動してしまう。
過去には一度だけ訪れたことがある。
常日頃サッカー観戦をしている身として、地元のクラブのホームゲームを一度くらいは観戦してみるべきだろうと来てみたが、あまりピンと来なくて結局その時限りになってしまった。
入り口から入ってすぐ左右に設けられた階段を登れば観客席だ。
圭太としては試合が観られればいいと思っていたので、そのまま目の前にあるメインスタンドに降りようとする。しかし、摩耶は向かって右側の東サイドスタンドへ行こうとしていた。
圭太がそれに気付いて振り返り、声をかける。
「どこ行くんだよ」
「こっち」
「ここでいいだろ」
東サイドスタンドや西サイドスタンドはいわゆるゴール裏だ。メインスタンドならバランスよく試合を観ることができる。
「せっかく来たんだから学校の人たちと一緒に応援したいでしょ、ここだとただのお客さんじゃん」
「ただのお客さんなんだけど」
「いいから。お兄ちゃんにとっては母校でしょ」
「はいはい」
やれやれといった様子で引き返し、摩耶についていった。
移動している最中にスタジアム全体を眺めてみる。摩耶の中学はそうだと知っていたが、相手の中学も強豪校などではないらしく、応援団などはいない。各ゴール裏にベンチ外の部員と父兄がぽつぽついて、後は散歩ついでに寄ったのか、関係のなさそうな一般の人がメインスタンドやバックスタンドにたまにいるくらいだ。
だが、ここで圭太は異変に気が付いた。いや、昨日からおかしいとは思っていたので不信感が増したと言うべきか。
そんなに多くないとはいえ、ゴール裏にはベンチ外の部員に父兄、つまり摩耶の知り合いがいる可能性がある。常日頃から兄と一緒に歩くことを嫌がる摩耶がそんなところに自ら飛びこんで行くだろうか。
いや、妹が楽しそうなのだからそれで良しとするべきだ。
圭太の中の天使がそう囁いた頃、東サイドスタンドに到着する。しかしそこで、圭太の中の不信感が確信に変わってしまった。
ゴール裏の、圭太たちから一番近い位置にその人はいた。
絹糸のような黒髪が風を受けてふわりと舞う。それを手で抑えながら前を見つめるその横顔は美しさと儚さを併せ持っていた。
私服を見るのは初めてだが、あどけない顔立ちに白いワンピースが良く似合う。圭太は心の中で親指を立てた。
圭太の想い人で絶賛お友達中の杉崎春奈が、何故か目の前にいたのだ。
到着するまでまじまじとこちらを見ていなかったので、完全に意表を突かれた圭太は動揺してしまう。
春奈は席について熱心にグラウンドの方を見つめているので、まだこちらには気付いていない。引き返すなら今だと、圭太は本能で踵を返す。
しかし、それに気付いた摩耶に右腕を掴まれた。
「ちょっとお兄ちゃんどこ行くの?」
「俺にもわからない。でも行かなきゃいけないんだ」
「どういうこと?」
「頼む。今は黙って行かせてくれ」
「いや、意味わかんないし。何なのその漫画の台詞みたいなの。ほら行くよ」
摩耶が腕をぐいぐい引っ張って前に進もうとする。
「おいやめろって」
「近藤君?」
そして、この騒ぎを聞きつけた春奈に気付かれてしまった。
こちらを向いて、少し驚いたように目を見開いている。こうなるともう逃げるわけにもいかないので、圭太はぎこちない笑顔になって片手をあげる。
「杉崎さん、こんにちわ」
「こんにちわ。そちらは……」
と、春奈は摩耶に視線をやる。
しかし、圭太が何かを言う前に摩耶は目をきらきらと輝かせ、やや早足で春奈に歩み寄った。
「こんにちわ! 妹の摩耶と言います! もしかして夏彦君のお姉さんですか!?」
勢いに呑まれた様子の春奈は素早く立ち上がる。
「は、はい! えっと、夏彦の姉の春奈です。いつも近藤君にはお世話になってます」
ぺこりとお辞儀をする春奈。話の流れからして、夏彦というのは春奈の弟で、今日試合をする摩耶の「友達」ということだと思われる。
動揺する春奈を見て逆に混乱が収まった圭太は、二人の元へ行き、妹を嗜めるように言った。
「おいやめろよ。杉崎さんが困ってるだろ」
「何で? 挨拶しただけじゃん」
「勢いが凄すぎるんだよ。ごめん、杉崎さん」
「ううん。気にしないで」
「隣、いいかな?」
「うん。どうぞ」
別の場所で観戦するのも妙なので、圭太は思い切って春奈の隣を確保してみた。
春奈と並んで座り、どちらかの隣に摩耶も腰かけるのかと思いきや、圭太にこんなことを言う。
「それじゃあ私、夏彦君に挨拶してくるから」
「え?」
「じゃあお兄ちゃん、また後でね。春奈さんも!」
春奈が慌てて応じるが、すでに摩耶は背を向けて駆け出している。
呆気にとられる二人。摩耶の姿が完全に見えなくなった頃、春奈は穏やかに微笑みながら口を開いた。
「元気で可愛い妹さんだね」
「そうかな。生意気だしうるさいだけだよ」
「うちの子、静かで大人しいから相性良さそう」
「良いの? それって」
微苦笑しながら問う圭太に、春奈は迷いなく頷く。
「良いと思うよ」
会話が一段落したので気になっていたことを尋ねる。
「普段から弟さんの試合ってよく観に来るの?」
「たまにって感じかな。でも、今日は珍しく夏彦から誘ってきたの」
これで確信した。摩耶と夏彦は二人で協力し、今日圭太と春奈がここで鉢合わせるように画策したのだ。ここに来るよう勧めた太郎も、摩耶のメッセージのやり取りを見て知っていたものと思われる。
とはいえ、確かに騙された感はあるが、圭太は怒る気にはなれなかった。
夏彦のことは知らないが、摩耶と太郎の気持ちや、純粋に休日に春奈と会えることが嬉しい。
でも後で一言くらいは言っておくか、と締めくくり、春奈との会話に集中する。
「そうなんだ。ちなみに、どれが弟さんなの?」
現在、グラウンドでは次に試合をする二校、摩耶たちの中学と相手校のサッカー部がウォーミングアップをしている。
「えっとね」
春奈は指を差す準備で、手を軽く胸元まであげながら弟の姿を探す。だが、いつまで経ってもその人差し指が誰かを示すことはない。
「あれ? いない。さっきまでいたのに」
「そういやさっき、摩耶が挨拶しに行くって言ってたけど……」
そう言いつつ横を向くと、こちらを見つめる春奈と目が合った。恥ずかしくなった圭太はすぐに視線を逸らしてしまう。
耳がにわかに熱を帯びるのを感じながら、圭太は何かを誤魔化すように、早口になりながら言った。
「本当あいつ、大事な試合の前に何してるんだろうね、後で言っておくから」
「ううん、大丈夫だよ。サッカー部でもないのに休日に来てもらってるんだもん。挨拶くらいはしなきゃ」
「そう言ってもらえると助かるけど」
摩耶に早く戻って来て欲しいような、そうではないような、そんな複雑な気持ちになりながら、圭太はグラウンドを眺めていた。
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