優秀なペット

 それから数日が経過した。

 圭太と春奈の関係は日を追うごとに友達としてのそれを取り戻しつつあり、雰囲気は悪くない。これほどまでに急激に回復したのは、圭太の頑張りによる部分もあるが、やはり春奈の気遣いによるところが大きい。

 今日もまた一本、春奈にゲームを貸し出してきたところだ。

 すっかり以前の元気を取り戻した圭太は、今日も学校から帰宅後にゲームを存分に楽しんでいた。


「~♪」


 鼻歌を鳴らしながらプレイするのは、俗にいうFPSだ。一人称視点のシューティングゲームで、主に銃などを使って敵と撃ち合う。

 敵の足音など、とにかく音を聞き分けることが重要なので、圭太はヘッドホンを装着している。つまり、リアルでの自分の周囲の音がまるで聞こえない状態だ。


「……ちゃん」

「~♪」


 だから、いつの間にか妹が部屋に入っていたとしても気付かない。


「お兄ちゃんってば!」

「うおわあ!」


 ヘッドホン、つまり耳のすぐ側で大きな声で呼ばれ、ようやく気が付く。

 あまりの驚きっぷりに身体が飛び跳ねた圭太。後ろを振り向けば、太郎を抱きかかえた摩耶が不機嫌な表情で立っていた。

 戦闘中だったので画面の中の圭太は敵に倒されてしまう。

 リアルの圭太はヘッドホンを外し、鼻歌を聞かれた恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じながらぶっきらぼうに言った。


「いきなり入ってくるなよ」

「ちゃんとノックしたし声もかけたじゃん」

「え、まじで?」

「まじです」


 抱きかかえられた太郎が答える。

 太郎が何か喋った場合、圭太以外の人間にはただ、にゃーと鳴いているだけに聞こえているようだ。


「ほら、太郎もまじだよーって言ってるよ」

「猫の言葉がわかるのかよ」


 状況的にそれっぽいとはいえ、摩耶の「太郎も~~って言ってる」シリーズは割と正解なことが多いので面白い。


「わかるよ。だって私たち、仲良しだもんねー?」

「もったいなきお言葉」


 その猫、中身は侍だぞ。と思ったが、そんなことは言わないし言っても信じてもらえない。病院に行けと言われるだけだ。


「最近ねー、私が寝転びながら携帯見てたら、横に来て一緒に見るの。すごく可愛いんだよ」

「へえ」

「摩耶さんが変な事件に巻き込まれたりしないか、見守っております」

「最初はお兄ちゃんと仲良しだったのに、取られちゃって寂しい?」

「別に?」

「またまた強がっちゃって~」


 最近妹の方にばかり行くのは、摩耶が「何でお兄ちゃんばっかり……」と少し拗ねる様子を見せたからだ。気を遣った太郎が「家庭の円満のために、しばらくは摩耶さんの部屋で寝泊まりしようと思います」と言っていた。

 家族仲を考慮し、妹を見守りながらもプライバシーは侵害しない、つまりこちらには誰かとのやり取りを話したりしない。

 もはやペットとして優秀とかそういう域を超越している。


「で、何か用があるのか?」


 からかったのに反応がないのが面白くないらしく、摩耶はふくれっ面で答える。


「明日サッカー観に行かない?」

「サッカー?」


 圭太は小中高とサッカーをやっている明の影響で、サッカー観戦を趣味の一つとしている。基本的に欧州リーグの、日本人選手が所属しているチームの試合を観ているが、たまに国内リーグも観るしニュースはチェックしていた。

 しかし、摩耶がサッカーに興味があるなどという話は聞いたことがない。


「お前サッカーに興味あったの?」

「ないけど、友達が試合に出るから観に行くの」

「なるほど、そういうことか」


 摩耶は圭太とは違って友達が多い。ならばそういうこともあるだろう。


「それはわかったけど、だったら俺と行くのは違うだろ。他の友達だっているんじゃないのか?」

「いないよ。私だけ」

「でもお前、俺と一緒に歩くの嫌がるだろ」

「明日は別だもん。場所もわからないし」

「会場はどこなんだ?」

「公園の中にあるやつ」

「いや、わかってんじゃねえか」


 「公園の中にあるやつ」というのは、市内の総合運動公園内にあるサッカースタジアムのことだ。

 総合運動公園には陸上競技用のスタジアムや、テニスコート、多目的グラウンドなどあらゆるスポーツの試合を行うための施設、設備が整っている。その内陸上競技用のスタジアムは球技場としても使用され、圭太たちが暮らす市を拠点とするプロサッカーチームのホームスタジアムとなっていた。


「中に入ったことないし」

「入るだけだろ」

「う~……いいじゃん、一緒に来てよ」


 どうにも様子がおかしい。

 それにその友達とやらには悪いが、休日に自分と直接の知り合いでもない中学生の試合を観に行く気にはなれない。

 ここで断ると拗ねそうだし、一緒に行きたいと言っているなら兄として期待に応えてやりたいところではあるが……。と、思索を巡らせていると、太郎が進言してきた。


「圭太さん、一緒に行って差し上げてください。ここは一つ、私の顔に免じてどうかお願いします」


 かくりとうな垂れる。恐らくはお辞儀をしたつもりなのだろう。

 太郎には春奈のことで相談に乗ってもらった恩もある。そこまで言われれば断る理由も特にないと、圭太は頭の裏をかきながら答えた。


「わかったよ。俺も一緒に行く」

「やった! 約束ね。明日は予定、空けておいてね」


 そう言って、摩耶は満足そうな表情で部屋に戻って行く。

 開けた扉の先からその背中が消えていく時、太郎が摩耶の腕の中からこちらを振り返って見ていた。




 そして迎えた土曜日。

 試合は十四時十分開始ということで、昼食を摂り、身支度を整えてからでも時間が空く。圭太はその間にまたゲームを楽しんでいた。

 プレイしているのは昨日と同じタイトルだ。ここ最近は、ずっとこればかり遊んでいる。今日は妹が部屋に入ってくる可能性を考慮してヘッドホンを外し、スピーカーから音声を出していた。


 こんこん。

 部屋の扉がノックされる。圭太は振り返らずに返事をした。


「はーい」

「お兄ちゃんそろそろ行くよーって、またそのゲームやってる」

「ちょっと早くないか?」

「試合開始前の時間を楽しむのもサッカー観戦の醍醐味だよ」

「サッカー好きのおっさんかよ」


 とは言ったものの、これは以前圭太が摩耶に言ったことの受け売りだ。


 ふわっと、摩耶が背後に立つ気配がした。てしてしと爪が床に当たる音がしているので、太郎も来ているらしい。


「お兄ちゃんうまっ、てか指の動ききもっ」

「うるせーな。摩耶の方は準備出来てるのか?」

「もちろん」


 そこで摩耶が視界に入ってきた。圭太の前に回り、じろじろと全身を観察している。


「お兄ちゃん、もしかしてその格好で行くつもり?」

「悪いのかよ」


 対して摩耶は随分とおめかしをしている。今日試合をする「友達」というのは、気になる人のことなのだろうか。


「悪いよ。もうちょっといい服あったでしょ」


 摩耶が視界から消え、背後でがさごそと音がし始める。クローゼットの中を漁っているらしい。


「おい、そこを勝手に開けるなよ」


 圭太が敵を倒した結果、所属チームの勝利となった。画面には「you are the champion」の文字が表示される。


「お兄ちゃんもうちょっと服買いなよ」

「余計なお世話だ」


 立ち上がって摩耶の近くに移動すると、クローゼットから取り出した服を差し出された。


「はい。これ着て」

「何でだよ」

「いいから」


 そんなにこの服装の自分と歩くのが嫌なのだろうか。へこみつつ、太郎の方をちらりと見る。


「今は騙されたと思って、従っていただけませんでしょうか」

「ほら、太郎も早くしろって」

「はいはいわかったよ」


 太郎がそこまで言うなら何かあるのかもしれない。

 圭太が着替える際に摩耶は下に降りて行った。だが、太郎は部屋に残ってじっとしているので、何かあるのかと気にしていると、着替え終わったタイミングでこんなことを言ってきた。


「申し訳ありませんが、部屋の窓の鍵を外しておいていただけると助かります」

「わかった」


 散歩でもしたいのかな、と圭太はあまり深く考えずに部屋の窓の鍵を外す。

 ベランダへと通じる扉とは別の、出窓になっているものなので、今から帰宅するまでの間くらいなら鍵を外しておいても問題はあるまい。


「ありがとうございます」

「ん。それじゃ、行ってくる」

「行ってらっしゃいませ」


 下で摩耶と合流して、自宅を後にした。

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