文芸部
全ての授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
ホームルームもあっさりと終わって、教室にいた生徒たちが散り散りになっていいった。圭太も友達と話し込んでいる春奈を横目に見ながら席を立ち、部室に向かう。
普通教室棟とも呼ばれる本館は、階段室を挟んで西と東に分かれている。圭太と春奈が所属する一年三組は西棟の四階、その東端。文芸部の活動場所となる予備教室は東棟の三階、その東端にあるので圭太は階段を一階分降りて東へ向けて歩いていく。
すでに運動部系の生徒は各々の部室に向かって移動していったので、校舎には緩やかな空気が流れている。通り過ぎる教室の中をちらりと見れば、教室に居残って談笑する生徒たちがいた。
部室に到着したので中に入る。普段から授業に使われている教室なので、特に鍵などはかかっていない。
適当に机を寄せ、向い合せていつも通りの形を作る。ここ最近は部員が四人以上来た試しがないので三人分作っておけば十分だ。
本を取り出してから鞄を机の横に掛けると、椅子を引き出して座る。他にすることもないのでそのままライトノベルを読み始めた。
圭太は普段からラノベを読む方ではないのだが、文芸部は論評または創作を活動の中心としているため、創作ができない圭太は何でもいいから本を読んで論評を書く必要がある。そのためたまに本屋に行き、読みやすいラノベを買って部室で読んでいるのだ。
今回もランキングで上位のものを適当に買ってきたのだが、タイトルが「大好きなあの子にふられてしまった~実は俺が大企業の社長の息子だと気付いて後から急接近してきたけど時すでに遅し~」だった。
昨日の今日でこのタイトルはさすがにまずいかなと思ったが、カバーをしてもらって静かに読んでいればばれないだろう、と踏んだ。
タイトルはあれだが、意外に読みやすくて面白い。帯に「アニメ化決定」と書いてあったが、それも納得の出来だと思った。
春奈はラノベを含む本全般を読むのだが、この作品のことは知っているのだろうか。と考えていると、当の本人が登場した。
圭太は来てくれたことに感謝したが、それはあくまで心の中だけで留めておき、言葉では挨拶をする。
「こんにちは」
「こんにちは」
互いにまだ緊張しているが、朝ほどのぎこちなさはない。
春奈は淀みのない動作で圭太の向かい側の席に着き、鞄を掛けた。それからカバーで覆われた本を取り出して読み始める。
本を読んでいる間は特に会話はないのだが、これはいつも通りのことだ。
内容が面白いこともあって、圭太は持ってきた本を読むことにすっかり集中していたのだが、しばらくすると春奈から声をかけてきた。
「ねえ、近藤君」
「へっ?」
すっかり集中しきっていた圭太は、間抜けな声を漏らしてしまいながら慌てて顔を上げる。
「どんな本を読んでるの?」
「あっ」
「え?」
まさか聞かれるとは思わなかった。タイトルがタイトルなのでどうしようかと悩んだが、万が一にも、言えない=いかがわしい本だと勘違いされてしまっては困るので、無言で本を差し出すことにした。あのタイトルをここで口にはできない。
春奈の方もまさか差し出されるとは思っていなかったようで、首を傾げながら本を受け取って表紙をめくった。
「あっ……」
どうやら察したようだ。
「でっ、でも! これ、すごく面白いよね! 私も漫画の方から読み始めたんだけど思ったより作りがしっかりしてるっていうか、実は人間ドラマが中心なんだよねー……」
何が「でも」なのかはわからないが、乗ることにした。
「そうそう。タイトルがあれだからどんな感じなんだろうって思ってたら、読みやすいし文章のレベルも高いし。ちょっと驚いたよ。タイトルとのギャップがすごくてさ」
「わかる! だからアニメもすごく楽しみにしてて――」
そこからはこの作品、通称「大ふら」の話で盛り上がった。というよりも、春奈が熱く語るのを圭太がひたすら聞いて相槌を打っていた。
普段は大人しい春奈だが、好きなもののことになると驚くほど饒舌になる。そして圭太は、こうして聞き手に回っている時間が好きだった。
やがて、春奈は何かに気付いたように突然に目を見開き、口に手を当てる。
「あっ! ごめん、また私ばっかり喋っちゃったね」
「いや、俺もその作品のこと知りたかったし、もっと喋って欲しいくらいだよ」
「ううん。また止まらなくなっちゃうからこの辺でやめとく」
春奈は「ありがとう」と言いながら本を返してくれた。
「近藤君聞き上手だからつい話し過ぎちゃうんだよね」
「んーそうかな? 妹がお喋りだから聞くことに慣れてるのかも」
「あ、妹がいるんだ。いくつ?」
「二個下だよ。今中二」
「じゃあうちの弟と同じだね」
「杉崎さんにも弟がいるんだ」
「うん。近藤君みたいに聞き上手だから、いつも話聞いてもらってる」
「あはは。そうなんだ」
「でも、あの子漫画やアニメってあまり観たり読んだりしないから、そういう話ができるのって、やっぱり近藤君くらいなんだよね」
春奈はいわゆるオタク趣味であることを隠している。
オタク趣味、とは言っても比較的ライト層向けのものを好むので、圭太としては友達に話しても問題なさそうに思えるが、そうでもないらしい。アニメの話をするだけで嫌がる人もいるので、周りの人たちとうまくやっていくために隠すことにしたそうだ。
その辺りは圭太がどうこう言えることではない。出来ることがあるとすれば、ただ話を聞くことだけだ。
「俺ならいつでも話聞くから、遠慮しなくていいよ」
「ありがとう」
その後も本を読んだり、また雑談をしたりしている内に午後六時になった。
一斉下校時間は十九時だが、圭太と春奈を含めて実質的に三人しかいない文芸部は、いつも少し早めの十八時に自主的に活動を切り上げている。単純に、暗くなると危ないからというそれだけの理由だ。
ちらりと教室前方にかかっている時計を確認した春奈が言った。
「もうこんな時間だ」
「帰る準備しよっか」
「うん」
「今日は水樹さん、来なかったね」
「珍しいよね」
鞄を机の上に持ってきて本をその中に入れる。
似たような所作をしていた春奈が、突然「あっ」と声をあげた。
「どうしたの?」
「はい、これ」
そう言って春奈が鞄から取り出したのは、圭太が貸していたゲームだった。
いわゆるアクションロールプレイングゲームなのだが、全年齢層をターゲットに展開しているハードのソフトなので、遊びやすくそれでいて奥が深い。自分が好きなゲームの中でおすすめするならこれだろうと、貸し出していた。
「どうだった?」
「面白かったよ。こういうゲームって普段はあまりやらないんだけど、すぐにハマっちゃって……謎解きが難しくてずっと同じとこ繰り返したりしてた」
「あるある。また明日、話聞かせてよ」
「うん」
二人して立ち上がって、教室前方の出入り口に向けて歩く。
しかし、圭太の一歩先を行く春奈が突然振り返り、微笑んだ。絹糸のような髪がふわりと舞って、柑橘系の香りが鼻腔をくすぐる。
「ねえ、近藤君」
「ん?」
「またゲーム、貸してね」
春奈の笑顔が眩しくて、圭太は一瞬言葉を忘れてしまった。
「また」。それは次があるということ。友人としての関係を維持するための春奈の気遣いに、喜びや感謝の気持ちで胸が一杯になる。
圭太はそういったものをぐっとこらえ、平静を装って返事をした。
「もちろん。杉崎さんも、何か面白いのがあったら貸してよ」
「私、近藤君が好きそうなのあまり持ってないからなあ」
「ジャンルには特にこだわらないから。ほら、村で動物たちとのんびり過ごすやつあったでしょ。ああいうのも全然好きだし」
「そうなんだ。じゃあ、いいのあったら持ってくるね」
「よろしく」
それから校門前まで移動し、そこで解散となる。
圭太が軽く片手をあげて挨拶を口にした。
「じゃあ、また明日」
「うん。ばいばい」
春奈も片手をあげた後、それを振りながら応じてくれた。
圭太は家の方へ足を向けると、振り返ることなく歩み始める。その足取りはスキップをしてしまいそうなほどに弾んでいた。
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