登校

 土日は太郎のためのペット用品を買いに行ったり、明と遊びに行ったりして過ごしていた。

 二人で遊んだのは久々だったこともあってとても楽しく、元気が出た。改めて明に感謝をする圭太だ。


 そして遂に迎えた月曜日。

 圭太はまるで今からバイトの面接にでも向かうかのごとく気迫をみなぎらせていた。身だしなみもびしっと整えて、朝食もしっかり食べ終え、さあどこからでもかかって来いやと、心の中で見えない何かに喧嘩を売り始める始末である。


 リビングで朝食を食べ終え、食器を片付けようと立ち上がると、テーブルを挟んで向かいに座り、何か呆れたような目でこっちを見ている摩耶が口を開いた。


「ねえお兄ちゃん、何か妙に気合入ってない?」


 摩耶はきっちり制服を着こみ、髪も整えて二つに結っている。


「別に、いつも通りだろ」

「頑張ったって、今日はせいぜい二、三回ぎこちなく会話して終わりでしょ」


 さすがは妹、全てお見通しのようだ。

 だがそう言われてみればそうかもしれない、と圭太は思う。そもそも春奈の方は距離を置きたがっている可能性だってあるし、無駄に気合を入れても気疲れするだけだ。


「それもそうだな」

「えっ」

「気楽に行ってみるよ、ありがとう」


 食器を運んでから玄関に向かうと、背後からは「お母さん、お兄ちゃんが成長してるんだけど」などという失礼な言葉が聞こえた。ちなみに母は「摩耶も成長してるわよ」と穏やかに返している。

 靴を履いていると階段から太郎が降りてきた。


「御出陣ですか」

「出陣て。侍じゃないんだから」

「先程までの圭太さんからはそのような気迫を感じ、少し心配していましたが、どうやら不要のようですね」

「ああ」


 履き終えたタイミングで摩耶が追いついてくる。


「太郎が見送りにきてる! 可愛い!」


 太郎の側によって屈み、頭を撫でる。


「私もお兄ちゃんも出かけちゃうけど、お母さんとお留守番しててね」

「はい。命を賭してでもこの家を守り抜く所存です」


 お前も侍だったのか、と心の中でツッコミを入れつつ、圭太は立ち上がる。


「それじゃあ俺は先に行くからな」


 摩耶は圭太と居るところを友達に見られるのが恥ずかしいらしく、あまり一緒に歩きたがらない。


「うん、行ってらっしゃい」

「行ってきます」


 扉を開けた途端、眩しく輝く陽光に照らされ、思わず目を細めた。


 学校に着いて教室に入ると、本当に視線が痛かった。が、思ったほどではない。

 圭太は友達が多い方ではなく、人気者とは言えないために、何かあったところで注目度は低いということなのだろう。

 歩きながら自分の席に視線をやる。窓際の列の、後方から二番目。その右隣りが春奈の席なのだが、まだ来ていないようだ。残念なような安心したような、複雑な気持ちになりつつ席に着いた。

 

 着いたはいいのだが、落ち着かない。

 休日に友達や家族と会話をしてリラックス出来ていたとはいえ、やはりこれから春奈と会うとなると話は別だ。それに、自意識過剰かもしれないが、周囲の人たちが自分の噂をしているようにも感じる。

 ひとまず心を落ち着かせるために携帯を取り出し、ニュースをチェックする。最初は良かったが、時間が経つにつれ頭に入ってこなくなった。

 ならば一時間目の用意でもするかと教科書や筆記用具を取り出してみたが、そういえば今からホームルームじゃないかと、今度はしまおうとする。

 しかし、圭太の手はそこで止まってしまった。


 何となく、教室の空気が変わったのがわかったからだ。

 まさかと思い、教室後方の入り口に目をやれば、そのまさかだった。


 艶のある真っ直ぐな黒い髪が控えめに肩にかかっている。こちらを見つめる瞳には不思議な引力があって、気を抜くと視線を逸らすことを忘れてしまう。

 圭太の想い人、杉崎春奈がこちらに向かって歩いてくるところだった。


 途端に教室のざわめきが大きくなる。

 圭太だけならともかく、春奈が登場するとその注目度は段違いに跳ね上がる。明曰く「大人しめな子だから目立たないけど、それでも狙ってるやつが多い」とのことだ。

 これは圭太の予想に過ぎないが、遂にあの杉崎さんにアタックするやつが現れたのかと、男女問わず注目を集めているのだろう。


 そこで圭太は教室に入ってきたばかりの春奈と目が合ってしまったことを思い出し、慌てて思考を引き戻した。

 距離もぐんぐん近くなってくる。圭太は自然な風を装って片手をあげ、挨拶をした。


「おはよう」

「おはよう」


 向こうも片手を控えめにあげながら返してくれた。

 胸が締め付けられる。まずは関係を修復すること。好きな人ではなく、あくまで友達として接して、以前のように楽しく会話を出来るようにすること。

 明にも言いつけられたし、自分で肝にも銘じてきた。でもやはり、それはとても難しいことなのだなあと、圭太はそう思う。頭では理解できても、心が理解できていない。


 こんなことではいかんと、圭太は心の中で首を横に振った。席に着いた春奈に話を振ってみる。


「いい天気だね」

「うん。そう、かな?」


 何となく反応がぎこちないので窓の外に目をやれば、どんよりとした雲がこれでもかとばかりに空を覆っていた。

 おかしい。家を出た時は確実に晴れていたはずなのだが。


 次の一手を考えていると、今度は春奈が圭太の机の上を見ながら言った。


「今日はやる気満々だね」

「えっ?」


 そこには一時間目の英語で使う教科書や筆記用具が並べられていた。春奈の登場に気を取られて、片付けるのを忘れていたのだ。これは恥ずかしい。

 慌てて机の中に押し込みながら言い訳をする。


「そうなんだよね。俺、英語好きだから」

「あはは、そうだったっけ?」


 春奈が口に手を当てながら笑う。笑顔が見れたことに安堵しつつ嬉しくなった。

 ちょうどそのタイミングで春奈は他の友達に話しかけられて、そちらとの会話に花を咲かせ始める。それが終わった後はホームルームまで特に会話は生じなかったが、英語の授業が始まる前には「楽しみにしてた英語が始まるよっ」とからかってくれた。


 授業の合間の休憩時間にもぽつぽつと会話はあったが、そこまで盛り上がるという感じでもない。

 結局気疲れした圭太は、昼休みになるとすぐに席を立ち、明の元へ向かった。ゾンビのように廊下をふらふらと歩いていると、当の本人が目の前からやってくる。


「よう、割と元気そうだな」


 片手を上げつつ、笑みを浮かべながらそんなことを言ってきた。


「本当にそう見えるなら眼科に行ってこい」

「冗談だよ、冗談。腹減ったし早く行こうぜ」


 明との昼食はいつも校舎の裏で食べていた。

 各クラスの教室がある普通教室棟を出て正門とは逆方向へ伸びる渡り廊下を歩いていくと、理科系の授業に使う理科棟、次に文化系の授業に使う家庭科棟がある。

 この内、圭太たちが使っているのは一番遠い家庭科棟の裏だ。校舎の中では比較的人気が少なく、ベンチも置いてあった。

 この場所を見付けてご飯を食べたがったのは明で、さすがの明も昼食の時くらいは人のいないところでゆっくり過ごしたいのだろう、と圭太は思っている。


 とうの昔に夏の名残も面影を失くし、圭太たちの青空食堂には枯れ葉の絨毯が敷かれていた。

 この季節、紅と黄で統一された景観は、毎年見慣れていてもなお趣深いものではあるが、肌寒さを感じるようになってきたのが難点だ。

 裏庭から通路を一つ挟んで向かい側にあるグラウンドでは、昼休みの時間にも熱心に練習に励む運動部員たちの姿があった。


「で、どうなんだよ?」


 弁当を食べ終えた明が声をかけてきた。聞くまでもなく、春奈とうまく会話ができたかということだろう。

 圭太はまだ食べ終えていないので、今日のおかずに入っていた唐揚げを口に運びながら答える。


「朝は割と普通に話せてたと思うけど、後はちょっとぎこちない感じかな」

「まあ、そんなもんだろうな」

「そんなもんか」

「そんなもんだ」


 圭太がまだ食べているせいか、デリケートな話題だからなのか、それ以上は何も聞いてこない。親しき仲にも礼儀があるのが、明の長所の一つだ。

 だから圭太は、弁当を食べ終えたタイミングで気になったことを尋ねてみる。


「なあ」

「ん?」

「俺が告白したことってもう広まってたりするの?」

「女子にはそれなりに。男子は知らないやつの方が多いんじゃね?」

「うっ、じゃあ女子からは、何であんな野暮ったいやつが杉崎さんに告白を、とか身の程をわきまえろ、とか思われてんのかな」

「いや?」

「え?」


 横に視線をやれば、明がいつもと変わらない表情でこちらを見ていた。


「むしろ、近藤君って勇気があるんだね~ってポジティブな見方をしてる子が多かった印象だけどな。そりゃ心無いことを言うやつもいるんだろうけど」

「まじで?」

「まじまじ。お前はさらっとやったけどな、人に気持ちを伝えるってのはそれだけ大変で勇気がいることなんだよ」

「でも、失敗したし」

「それでもだよ」


 そこで明は、圭太の背中を軽く叩いた。


「もう少し自分に自信を持て。それ、お前の良くないところだと思うぞ」

「そうかな。うん、そうだよな。ありがとう、明」

「どういたしまして」


 昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響く。

 学校全体がにわかに慌ただしくなり、午後の授業へ向けて空気が変わっていくのが感じられた。


「行くか」

「うん」


 圭太もまたそうして一歩を踏み出したのだった。

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