アニマルセラピー

「つまり、まとめると」


 寝ぼけているだけかもしれない、と一縷の望みを託して顔を洗いに行った圭太だが、残念ながら猫が喋る現実に変わりはなかった。

 現在では部屋に戻り、太郎が行き倒れるまでの経緯を聞き終えたところだ。中央のローテーブルの一角に圭太が着き、その側に太郎がちょこんと座っている。


「猫に生まれ変わって路上にいたものの、他の生きものを取って食ったり盗みを働くわけにも行かず、飲まず食わずで彷徨っていたらあそこで倒れてしまったと」

「間違いありません」

「生まれ変わったって言ってるってことは前世の記憶とかがあるのか?」

「あるにはありますが、個人情報などは一切覚えていませんし、ぼんやりとこんなことがあったな、というのを覚えているだけです」

「例えば?」

「私は会社でいわゆる平社員だったらしく、上司のような方に何度もこっぴどく叱られていたような記憶が……。若い方に気を遣われていたことからして、中年の」


 何だか聞いてはいけないもののような気がして、圭太は質問を変える。


「でも、何ていうか、一般常識的なものはわかるんだよな?」

「はい。逆にそれがあるからこそ飢えていたとも言えます」


 人間の常識があれば、種類にもよるが他の生き物を食べたり盗みに入ったりということは出来ない。なるほど、と圭太は一つうなずいた。


「で、何で喋れるんだ? 昨日は普通に鳴いてたよな」

「それが私にもわからないのです。仰る通り、昨日は意識が朦朧としていたとはいえ、会話が出来なかったことくらいは覚えています」

「太郎にわからないなら考えても無駄なんだろうな」

「はい。強いて言えば、命を救っていただいたことで、感謝の気持ちを伝えたいという強い想いがこうして形になっているのかもしれません」


 それは科学的根拠のないただのオカルトだ。圭太はそういったものを信じるタイプではないので聞き流した。


「まあ困ってるみたいだし、妹も気に入ってるし、太郎さえ良ければ普通に家で飼いたいと思ってるんだけど、いいかな?」

「ありがとうございます。これからはこのご恩を返す方法を模索するためだけに生きていこうと思います」

「そこまで重く考えなくていいから」


 圭太としてはただ拾った猫を飼うというだけのことである。


「あの、ところでお伺いしたいことがあるのですが」

「どうした?」

「トイレはどちらにあるのでしょうか?」

「あっ」


 そう言えば猫用のトイレを購入していない。昨日今日のことで仕方ないとはいえその辺りの配慮はするべきだった。

 しかし、自分から催したことを報告してくれるなんて、すごく優秀な猫じゃないかと喜びつつ圭太は思案し、答えた。


「まだ買って来てないから、悪いけど普通に人間用のトイレでして欲しい」

「わかりました」

「トイレはこっち」


 立ち上がり、部屋の扉を開けて廊下に出る。

 案内してからトイレの前で待った。そして太郎が出て来たところで部屋に戻ろうしたその時、廊下の向こう側にある部屋から摩耶が出て来た。

 ノースリーブのシャツにショートパンツという部屋着スタイル。いつもは二つに結っている茶色がかった黒髪はぼさぼさだ。寝起きでこれから顔を洗いに行こうかという感じに見える。


「あ、お兄ちゃんおはよう」

「おはよう」

「太郎もおはよう」

「おはようございます」


 摩耶はペットが欲しいと言っていただけのことはあり、昨日は寝る直前になるまで、太郎のことをとても可愛がっていた。

 その太郎がいきなり野太い声で喋り出せば自分同様にさぞ驚くだろう、と圭太は高見の見物をしていたのだが。


 摩耶は特に変わった反応を見せることもなく、とことこと歩み寄ってスムーズな動作で太郎を抱き上げた。


「太郎は今日も可愛いね」

「恐縮です」


 圭太は思わず固まってしまった。

 我が妹はこんなにも胆力のあるやつだったのか。猫が喋ったというのに全く動じることもなく対応している。

 震える指先で太郎を指差しながら、念のために確認を取った。


「お、おい」

「ん?」

「そいつ、今喋ったよな?」

「え?」


 摩耶は眉根を寄せ、まるで不審者でも見るような目で兄を見ている。


「お兄ちゃん、何言ってんの? 猫が喋るわけないじゃん」

「俺には喋ってるように聞こえるんだけど」

「……」


 妹の視線が痛い。半目で、何かを観察するように圭太を眺めていた。


「昨日からおかしいとは思ってたけど、もしかしてお兄ちゃん」

「何だ」

「例の女の子にふられたの?」


 どうやら失恋のショックでおかしくなったと思われているらしい。


「何でだよ! いや確かにふられたけど、それとこれとは話が違う」

「え、本当にふられたの!? ってことはお兄ちゃんが告白したの?」


 春奈のことは摩耶に話してある。恋バナ好きな妹は興味本位で兄の恋愛事情が気になるらしく、しょっちゅう好きな人はいないかと聞かれていたのだ。

 同じクラスの子で気になる子が出来た、と報告した時の妹の目の輝きようと言ったらなかった。


「そうだけど、今はそれはどうでもいいだろ」

「よくないよ! どんな感じでふられたの?」


 その後、昨日あった出来事を一通り摩耶に説明した。


「ふ~ん、それで昨日元気なかったんだ。でもまさかあのお兄ちゃんが告白ねえ」

「何だよ」

「別に? それで、明君には報告したの? しょっちゅう相談してたじゃん」

「あっ」


 そういえば、昨日の告白以来携帯を見ていない。

 その事実に気が付いた圭太は、即座に踵を返して部屋に戻り、通学鞄を漁って携帯を取り出した。

 通話の不在着信が数件、無料通話アプリのチャットも数件飛んできている。すぐに確認すると、どちらも先ほど話題にあがった友達からのものだった。


 その友達へ通話をかける。規則正しい電子音が数回鳴った後に応答があった。


『遅かったな』

「ごめん。昨日、帰ってから携帯放置しててさ」

『それは別にいい。それで、どうなった?』

「だめだった」

『……そうか』


 南明。家が近くて幼稚園の頃からの腐れ縁、いわゆる幼馴染というやつだ。

 誰にでも分け隔てなく接し、周囲への気配りも出来る。そして容姿端麗で運動神経良しという絵に描いたような人気者だ。


「明はまだ様子を見た方がいいって言ってくれたのに、ごめん」


 圭太が今回のことを相談すると、明はまだ早いので慎重に様子を見た方がいいとアドバイスをしてくれていた。

 しかし、気持ちを伝えたいという衝動を抑えることが出来ず、圭太は突っ走ってしまったのだ。


『結局はお前がやりたいようにやるのが一番だからな。それより、大丈夫か?』

「何が?」

『元気かってこと』

「ああ、うん。ショックは受けたけど、帰りに猫拾って癒されて、何とか立ち直りかけてるところ」


 マイクに息のかかった音がした。明が向こうで笑っているのだろう。


『何だよそれ。お前猫好きだったっけ?』

「行き倒れててさ。放っておけなくて」

『まあ、何にせよ元気なら良かったよ。それじゃあ後は、月曜日からどうするかだな』

「うん」

『お前なら大丈夫だと思うけど、急に素っ気なくしたりするのはやめろよ』

「わかってる」

『すぐに今まで通りってのは無理かもしれないけど頑張れ。今後のことは、まず関係を元に戻してからだからな』


 それから二言三言世間話を交わした後に通話を終えた。

 そうだ。喋る猫のインパクトが強過ぎて忘れかけていたが、まずは春奈といつも通りに接しなければならない。

 通話を終え、ホーム画面が表示された携帯をじっと見つめながら、圭太が今後のことを思案していた時だった。


「話は大体わかりました」


 後ろから中年男性の声がした。振り向けば部屋の扉が開いていて、そこから一匹の猫が入ってきていた。慌てて戻ってきたので扉を閉めるのを忘れていたようだ。


「私でも何か力になれることがあるかもしれません。是非とも相談に乗らせていただければと思います」


 近藤圭太十六歳、まさか猫に恋愛相談をする日がこようとは、この時までは思ってもみなかった。

 しかし、ものは考えようだ。猫は猫だが、太郎はこう見えても元中年会社員で人生の大先輩。もしかしたら普通に有益な助言がもらえるかもしれないと、圭太は必要な情報をあらかた伝えてみることにした。


「なるほど」


 話を終えると、太郎は香箱座りをしたまま呟いた。圭太がベッドを背もたれにして胡坐をかいていて、その向かい側にいる。


「どうかな? 人生の先輩としては」

「正直なところ、明さんという方の助言が的確で私から改めて申し上げることはありません」

「まあそうだよな」


 ちょっとがっかりな圭太である。しかし、友達が褒めてもらえたことは気分が良いのでよしとする。


「あ、ですが一つだけ」

「お、何だ?」

「女子には独自の情報網があると聞き及んだことがあります。少なくともクラスの女子には今回のことは既に筒抜けになっていると思った方がいいかもしれません」

「それは聞きたくなかったよ」


 余計に気が重くなってしまった。教室に入った途端、好奇の視線に晒されるのかと思うと辛い。


「申し訳ありません」


 一瞬の静寂が場をよぎる。

 伏し目がちで落ち込んでいるようにも見える太郎だが、すぐに何かを思いついたように口を開いた。


「では、こういうのはどうでしょう」


 そう言いながら、太郎が圭太の膝の上に乗ってきた。まるで飼い猫が懐いて寄ってきたようで嬉しくなる。


「今の私は心はともかく、身体はまごうことなき猫。触れていただくことで癒しを提供することが出来るかもしれません」

「癒しねえ」


 実は今でも割と癒されているのだが。

 猫が野太い声で喋っているというのも、そういうファンタジー映画のワンシーンでも見ているようで独自の趣があったりする。


「私に触れて心を癒し、月曜日に向けて活力を充填するのです」


 ペット自身にそう言われると何ともシュールだが、拒否する理由もない。


「それじゃあ、お言葉に甘えて」


 とりあえず頭を撫でてみた。


「おぅふ……これは中々……」


 もふもふで癒されることには間違いないが、中年男性の喘ぎ声によって一気に現実に引き戻されるのがたまにきずだ。


「人間の時よりも気持ちいいですね。次は肉球を触ってみていただけますか?」

「俺よりお前の方が癒されてない?」


 仕方がないので要求を呑んでみる。


「んぬふ……」

「……」


 その後もアニマルセラピーによって主に太郎の英気が養われたのであった。

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