猫を拾ったら元中年会社員だった

偽モスコ先生

プロローグ

「ごめんなさい」


 こんなはずじゃなかった――。

 それが告白の返事を聞いた高校一年生、近藤圭太こんどうけいたの率直な感想だった。

 圭太の想い人、杉崎春奈すぎさきはるなは今、目の前でとても悲しそうな顔をしている。気持ちを受け入れられないことが辛くてしょうがないのだろう。

 好きな人にそんな表情をさせてしまったことも、告白に失敗した事実も、何もかもが悔しくて、圭太は激しい自責の念に駆られている。


 放課後の空き教室は電気をつけていないせいで薄暗い。

 窓から差し込む陽光がいやに眩しくて、吹奏楽部の鳴らす管楽器の音も、グラウンドから聞こえる運動部の掛け声も、テニス部の打球音も。今は全てが遠くて、ひどく現実離れしていた。


「近藤君とはお友達でいたいっていうか、その……恋愛とかそういうの、まだよくわからなくて」


 中学は女子校だったらしいし、そんなこともあるのかもしれない。それとも断るための口実か、圭太を傷つけないための配慮か。

 ぐるぐると思索を巡らせる圭太は、自分が告白以降無言だったことに気が付いて何とか口を開いた。


「そっか。ごめん、ありがとう」

「いえ、あの、こちらこそ……」

「……」

「……」


 気まずい。ここは春奈の為にも、速やかにこの場を後にするべきだろう。


「それじゃ、また明日」

「うん。また明日」


 圭太は踵を返し、そそくさと放課後の教室を後にした。


 夕焼けがにじむ住宅街の空に一羽のカラスが飛んでいる。

 ふらふらと帰路についた圭太は、気が付けば家の近くまで来ていた。頭が真っ白なせいで、学校からここまでの記憶がほとんどない。

 春奈と過ごした思い出が走馬灯のように駆け巡っては消えていく。


 一目惚れだった。同じクラスで、初めて見かけた時から気になってしまって、席替えで運よく隣の席になった際に意を決して話しかけてみた。

 すると意外に趣味が合うことがわかって、漫画やゲームの話で盛り上がり、時にはそれらの貸し借りもした。

 順調に仲良くなっていたはずだったのだが、ある日、遂に気持ちを抑えきれなくなってしまった。友人に相談をしてまだ時期尚早だと言われたのにも関わらず、衝動に任せて告白を決意し、春奈を空き教室に呼び出して想いをぶつけたのだ。

 つい数時間前までは、気持ちが伝われば結果はどうなってもいい、とそういう風に考えていたのだが……。


 今は、まるで人生が終わってしまったかのような絶望感が圭太を支配していた。こんな時に限って涙というのは中々出てくれないものだ。

 ああ、夕焼けってこんなに綺麗なんだなあ。頭上をぐるぐると飛ぶカラスも俺を祝福しているようだ、などと混乱したまま歩を進める。


 しかし、そこであるものが目の前に現れたことで、圭太の思考はショックを引きずりながらも現実に引き戻された。


「に、にゃー……」


 猫だ。

 キジトラ柄の成猫なのだが、地面に寝転がったままぴくりとも動かないし、あからさまに弱っているように見える。かと言って怪我をしている様子でもなかった。


「にゃー」


 鳴き声は今にも消え入りそうなほどにか細い。瀕死の状態ではなかろうか。しかし専門的な知識もない圭太は、腹でも減ったのかと適当に決めつけてしまう。

 そして、その姿が惨めな今の自分と重なって何だか放っておけなくなってしまったのと、感傷的な気分も相まって、猫をすっと抱き上げる。


「よしよし、うちで飯を食わせてやるからな」


 こうして圭太は野良猫を拾って家に帰るのであった。




「ただいま」


 圭太が猫を抱きかかえたままリビングまで行くと、ソファに座ってテレビを見ていた母親が、正にぎょっとした表情を見せた。


「あんた、何それ拾って来たの?」

「うん。行き倒れてたからさ、家で飼おうと思ってる」

「何言ってんの。生き物を飼うって大変なことなのよ」

「わかってるよ、面倒は俺が見るから」

「急にどうしたのよ」


 圭太はこれまで聞き分けのいい息子だったし、家庭内で特に問題を起こすようなことはなかった。

 突然の息子の反乱に、母はただただ困惑しているようだ。


「とにかく、お父さんが帰るのを待ちなさい」

「別にいいけど、こいつ死にそうだからご飯あげてよ」

「でも、ご飯あげて懐いちゃったら……」

「じゃあ、親父に許可取れば問題ないだろ」


 そう言って猫をおろすと、圭太は鞄から携帯を取り出した。

 息子のこれまでにない強引な姿に、母はぽかんと口を開けたまま固まってしまっている。

 最も速いと思われる通話履歴から父親の名前を探し出して、タップ。そして更に通話ボタンをタップした。


『どうした?』


 幸い、父親はすぐに応答した。


「あ、父さん? 俺だけど」

『それはオレオレ詐欺と間違えるからやめなさい』

「猫飼ってもいい?」

『猫?』

「うん、猫」

『いいぞ』

「自分で聞いといてなんだけど、軽いな。でもありがとう」

「ちょっと待って、代わって」


 母が助けを求めるようにそういうので、携帯を渡す。すると圭太はすぐさまキッチンに向かい、皿に牛乳を用意した。


「ちょっとお父さん、本当に……! 『息子の成長が嬉しい』!? 確かに圭太はずっとわがままも言わない子だったけど」


 何やら夫婦喧嘩に発展しそうな勢いの両親を無視して、圭太はぐったりしている猫の口元に牛乳を近付ける。すると、猫はすごい勢いでそれを飲み始めた。


「おー、本当に腹が減ってたんだな」


 しばらくして落ち着くと、猫は圭太を見てにゃあと鳴き、毛づくろいをする。


「よし、お前は今日から太郎たろうだ。よろしくな、太郎」


 言葉がわかるのか、猫はまた一つにゃあと鳴いた。

 満足気な顔で猫を眺めていると、入り口の方から玄関の扉が開き、閉じる音が響いてくる。

 しばらくすると、一人の少女がリビングへとはいってきた。学校帰りなようで、制服姿でスポーツバッグを抱えている。


「ただいまー、あれ?」


 そして、すぐさま異変に気が付くと、ぱっと表情を明るくし、駆け足気味に圭太の方へと寄ってくる。


「お帰り、摩耶まや

「え、なになに、その猫どうしたの?」

「太郎だ。うちで飼うことになった」

「本当!? やったー! ずっと猫か犬飼いたいなって思ってたんだよね~」


 圭太の妹、摩耶は荷物を置いて太郎を抱き上げる。


「この子かわいいね。名前は?」

「太郎だ」

「は?」


 摩耶は、いきなり夢から覚めたように表情を失った。


「太郎だ」

「何でそんな名前にしたの?」

「何でって、シンプルで男らしいだろ」

「男らしいって、そもそもこの子……あ、男の子だ」


 ちなみに、圭太は太郎がオスかどうかをまだ確認していなかった。


「じゃあお前、フランソワーズとかそういう名前でもつけるつもりなのか?」

「何それ、そんなのつけないよ。例えばそうだな、かのんちゃんとか」

「太郎とそこまで変わらないだろ」

「う……。じゃあライスちゃんとか」

「近藤家が食い意地張ってそうと思われるから嫌だ」

「それもそうだね」

「太郎、お前も太郎がいいだろ?」


 圭太が摩耶の腕の中に問いかけると、にゃあという返事がきた。


「ほらな」

「じゃ、いいか。太郎って名前も可愛い気がしてきたし」


 摩耶はそう言って笑みを浮かべると、太郎を高く掲げる。


「今日からよろしくね、太郎」


 こうして、近藤家に新たな家族が一人加わるのであった。


 命の恩人という認識でもあるのか、圭太にすっかり懐いた太郎は、近藤家に来て初めての夜を圭太の部屋で過ごした。


 翌朝。

 目を覚ませば見慣れた部屋に聞き慣れた環境音。白い天井から床へと視線を移せば、すやすやと眠る太郎の姿があった。

 ベッドから降りると太郎も目を覚まして足下にすり寄ってくる。昨日はこいつのおかげでショックなことがありながらもよく眠れたと感謝の気持ちを込めつつ、屈んで頭を撫でながら挨拶をした。


「おはよう、太郎」

「おはようございます」


 さて、と。

 立ち上がり、まずは顔を洗おうと洗面所に向かう。だがドアノブに手をかけたところで違和感に気付き、振り返った。猫と目が合う。


「え?」

「え?」


 圭太はもちろんのこと、何故か太郎まで困惑している。


「今、喋った?」

「え?」


 猫が喋っている。

 念のために室内を見渡してみるが、やはり誰もいない。だとするとこの声は太郎が喋っているものと見て間違いない。

 圭太の考えを後押しするかのように太郎が言葉を発する。


「私の言葉がわかるのですか?」


 ただ一つ残念なのは、太郎には悪いが、声が野太いので喋ったところであまり可愛くないということだ。

 だが今はそれどころではない。圭太はパニックになりそうな思考を何とか抑えつつも答えた。


「わかる。わかるけど、これは一体なんなんだ? 何でお前は喋れるんだ?」

「おお」


 太郎は嬉しいのか、目をきらきらと輝かせた。


「私はどういうわけか、猫に生まれ変わった元人間なのです」


 圭太は思わず頭を抱え、何でやねん、と慣れない関西弁で叫んだ。

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