エピローグ

「クリスマスイヴって、何で恋人同士で過ごすんだろうな」

「突然どうされたのですか?」


 明たちのバンドが文化祭前ライブを行った日から一月と少し。今日はクリスマスイヴとも呼ばれる、十二月二十四日となっている。

 圭太が自室にてデートの仕度をしている最中、突如このような疑問の声を発した為、太郎としてはこう尋ねるしかなかった。

 圭太は鏡を見て、身だしなみを整えながら答える。


「いや、去年まではあまり考えたことなかったんだよ。まさか一年後に自分が彼女とこういう日を過ごすなんて思ってなかったし。彼女がいるやつら羨ましいなーくらいの認識でさ」

「なるほど」

「でも、いざ自分がそっち側になるとさ、クリスマスがめっちゃ楽しみなのもありつつ、ふと思うわけよ。何で彼女と過ごすんだろうって」

「……」


 太郎としてはその質問の先に何があるのか、と疑問に思わなくもなかったが、気心が知れた者との会話とはこんなものである。

 むしろ、そこまで心を許してもらえていることに喜ぶことにしつつ、自分なりの考えを述べた。


「恋人というより、大切な人と過ごす、というイメージが私にはありますね。家族然り、仲の良い友達然り」

「たしかに、俺も去年までは家族とか明とかと過ごしてたな」

「そうでしょう。今年はそのお相手が杉崎さんになったということです」

「なるほどな。じゃあ、一人で過ごす人は?」


 太郎は一瞬固まったが、すぐに答える。


「自分が一番大切ということなのでは」

「深いな……」


 深いのだろうか。

 太郎が首を傾げている内に圭太は身だしなみを整え終わったようで、鏡から離れてボディバッグを背負うと、扉へと向かって歩き出す。


「それじゃ、行ってくる」

「大一番ですね。成功をお祈りしています」

「家族と過ごすのと変わらないんだろ」

「恋人と過ごす場合に特別な意味合いを持つ、という風習も否定は出来ません。特にイヴの日は」

「そうかもな。ま、頑張ってくるよ」


 部屋を出て行く圭太。そのまま玄関まで見送りに行こうと太郎がついて行くと、階段のところでちょうど部屋から出て来た摩耶と会った。


「お兄ちゃん、もう行くの?」

「おう」

「頑張ってね。春奈ちゃんをがっかりさせたらだめだよ」

「させるわけないだろ」

「どうかな~お兄ちゃん、まだまだデリカシーとか足りないからな~」

「どこからの目線で言ってるんだよ」

「お兄ちゃんよりは恋愛上級者だし?」

「お前、彼氏とかいたことないだろ」

「そういうところだよ。太郎もそう思うでしょ?」


 摩耶は圭太の後ろにいる太郎を、すっかり慣れた手つきで抱き上げた。


「圭太さんは、やるべき時にはやる人です」


 もちろんこれは、摩耶にはただの鳴き声に変換されて届かない。


「ほら、太郎もそう思うって」

「はいはい」


 適当に流した圭太が階段を降り始めると、摩耶がその背中に声をかける。


「春奈ちゃんによろしくね」


 そして、圭太が振り返らずに片手をあげたのを見て、部屋に戻っていく。

 摩耶は適当にベッドの上に太郎を降ろすと、ローテーブルの上に置いてある携帯をいじり始めた。


「あのお兄ちゃんがクリスマスに彼女と過ごす日が来るなんて、世の中何があるかわからないね」


 そんなことをつぶやきつつも、その表情はどこか嬉しそうだ。そして、そこで携帯を顎に当てて、どこか上の方に視線をやりながら言った。


「私も彼氏欲しいな~」


 摩耶は今日、夕方までを友人たちと過ごした後、夜はここで家族とクリスマスパーティー的なことをするらしい。

 それも充分に楽しく、有意義な過ごし方ではないかと思う太郎である。

 そんなことをぼんやりと考えていると、摩耶が太郎の近くに移動してきて、両前足の根元を掴んで持ち上げ、目線を合わせてから問い掛けた。


「太郎も彼女欲しい?」

「いえ、私はそういったことを望める身分ではありませんので」

「そっか~やっぱり欲しいか~」


 そして、足を伸ばしてその上に太郎を乗せる。


「でもごめんね、多分もう一匹女の子を飼うって言ったら反対されるかも。子供の里親探しとか大変みたいだし」

「全く問題ありません」

「その代わり、私とお兄ちゃんがずっと一緒にいるからね」


 摩耶の優しさが身体の隅まで染みわたる。

 太郎としては、恩人である圭太はもちろんのこと、この心優しい妹にも幸せになって欲しいと願っていた。だから、例え少なくとも、出来ることは全てやっていこうと改めて決意を固める。

 気付けば、太郎の意識は心地よい暗闇の中へと溶けていった。


 〇 〇 〇


「お待たせ」


 冬が深まり、春奈の服装も厚手になっている。


「その服、いいね」

「あはは。何それ、摩耶ちゃんに言わされたの?」

「違うよ」

「でも、ありがと」


 そろそろ気の利いた台詞も口に出来るようにならねば、と奮闘してみた圭太だったが、やはり言葉に言わされた感は否めないようだ。

 繁華街にある駅前での待ち合わせ。二人とも決めていた時間よりは随分と早めに来てしまった。


「じゃあ行こうか」


 圭太はその事実が嬉しかったり恥ずかしかったりで、そう言って誤魔化すように歩き出した。


 クリスマスイブの夜ということも手伝って、街には休日の昼間よりも更に多くの人が行き交っている。

 どこもかしこもパレードのように賑わう街並みは、訪れた人の全てを浮かれさせる雰囲気を纏っていた。まるで明日が地球最後の日だから、今日で全ての楽しみを味わい尽くそうとしているかのようだ。

 二人はどちらかと言えばインドア派で、遊ぶ時は基本的にどちらかの家か、書店巡りをするのがいつもの流れなのだが、今日はやはりと言うべきか、クリスマスという魔法にかかってしまい、ここまで来てしまった。

 とは言っても、何をするでもなく、ただいつものように書店に寄ってみたり、服を見て気に入ったのがあれば買おうかな、というそんな流れである。


 だから、クリスマスで街に出て来たとは言っても、何も変わらないいつもの圭太と春奈……なのだが。


「寒いね~」


 そう言って微笑む春奈が、手袋をしていない手を顔の高さまであげると、その周りを白い吐息がふわりと舞った。

 今日、圭太はとある一つの任務を自らに課していた。それは「手をつなぐ」というものだ。非常にシンプルだが、今の圭太にとっては越えそうで越えられない壁の一つとなっている。

 付き合い始めてから約一か月になるが、実を言えばまだ何の進展もなく、具体的には手すら繋いでいない。それ以上のことなんてもってのほかである。


 健全な男子高校生である圭太としては、恋人になったからには、更に関係を進展させていきたい。その為に、まずは手を繋ぎたい。ならば今日、この人混みは絶好の口実になるのではないか……!?

 そんなことを企んでいるので、圭太の意識はつい春奈の手に持っていかれがちになってしまっている。


「そう言えば『大ふら』のアニメ、もうすぐだね」


 しかし、春奈の言葉で意識を引き戻された。

 はて、と圭太は記憶の中を必死に探り始める。『大ふら』とは何だったか。


「ごめん、何だっけそれ」

「えー、あれだよ、近藤君が部活の時に読んでたやつ」


 どうしても思い出せなかったので正直に尋ねると、春奈が忘れていることを面白がるようにして教えてくれた。


「部活の時に読んでた……あっ」

「思い出した?」

「思い出した」


 「大ふら」、正式名称は「大好きなあの子にふられてしまった~実は俺が大企業の社長の息子だと気付いて後から急接近してきたけど時すでに遅し~」だ。

 春奈にふられてから最初の部活の時に持参したタイトルで、読んでいることがばれた時は気まずかったものの、話が大いに盛り上がった記憶がある。


「あれ、気まずかったよね」

「私は正直に言うとちょっと面白かったんだけど、笑ったら怒られるかなって」

「いっそ笑ってくれた方がよかったかも」

「あはは」


 まだ二か月ほど前の話が、もう遠い昔のようだ。

 二人はそれからも、街中を進みながらの思い出話に花を咲かせた。しかし、ふとした瞬間に春奈はしんみりとした雰囲気になって、ぽつりとつぶやく。


「近藤君からは『楽しい』を一杯もらってるね」

「そんな、こちらこそだよ」

「だから、これからは私も『楽しい』を一杯あげられたらな、って思ってるんだ」


 そう言って春奈は、何と圭太の手を素早く取って繋いだ。

 まるで手から全身を電撃が通過するような衝撃に襲われる。言葉など上手く出て来るわけもなく、足以外の全身が動かなくなっていると、春奈が少し恥ずかしそうに、しかし視線は逸らさずに言った。


「手、繋ぎたそうにしてたから」


 ばれていた。

 ばれてしまっていた事実も恥ずかしいし、不意打ちもいいところである。圭太は衝撃と恥ずかしさで何から口にしていいのかわからない。


「その、これからもよろしくね。圭太君」

「こちらこそよろし……えっ」


 今、何と言ったのか。

 心臓がもはや内臓を食い破って外の世界に進出してきそうな勢いだ。


 春奈は何も言わなくなってしまった。よく見れば、耳まで真っ赤になっている。だが圭太は、ここで思わず尋ねてしまう。


「あの今、何て」

「ごめん、やっぱ今のなしっ!」


 春奈は手を離し、小走りで先を行ってしまった。

 この見たこともないような多さの人の中を、まるでアクションゲームのようにすいすいと避けて行く。


「え、ええっ!?」


 もう何がなんだかわからない。

 しかし、このままでははぐれてしまう。あれこれと思考している間にも、春奈の背中は群衆の中に紛れて消えてしまいそうになっていた。


「待って、はっ、春奈!」


 でも、これはこれで俺たちらしいのかもな、と。

 圭太はそんなことを思いながら、必死に春奈を追いかけていくのであった。


〇 〇 〇


 完結です。ありがとうございました。

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